
ディーゼルカーC57180号と揶揄される磐越西線のシゴナナですので今日の煙は肌寒いから白煙かな?程度しか期待はしていなかっただけに、こんな素晴らしい煙は感動物でした。撮影地で周囲に居た方も口々にこれほどまでの煙を見たのは初めてだとおっしゃっていました。かつて、復活シロクニ時代にねずみ色とか霜降りと表現された超一級の煙です。それだけに曇もノーマルデフ許せても、HMだけはいただけません。残念です。 10,10,09 喜多方-山都 9229レ Canon EOS50D
天気が悪い事が前日からわかっていたので、昨晩のお酒はみなさま共リミット寸前だったようですが、そこは鉄ちゃんです。朝になれば”二日酔いだぁ!”とか”調子が悪いヨぉ~”などと言わず、ちゃんと起きて整然と朝風呂に向かうの姿には感動してしまいました。
天気予報はどんどん悪くなり、前日では終日雲りと言う予報が、当日の朝には終日雨の予報に修正されてしまいました。とりあえず慶徳峠の喜多方よりに入ります。撮影地に到着すると撮影地近くの駐車場でなんと我が師と慕っている犬山徹夫様と再会する事が出来ました。師とは最近、居酒屋で何十年ぶりかで再会しましたが、撮影地でお逢いするのは30年ぶりの事です。
そう、まさに犬山徹夫様こそ、私をこの鉄ちゃんの道に陥れた(…失礼な言い方ですが、ニュアンス的には一番適している言葉なのでお許しください。)張本人であります。出逢いはゴハチの”彗星”や”あかつき”がやって来る山崎の大カーブで、その晩は偶然にも東山YHが同じ宿となり、YHお決まりの22時の就寝時刻後も硬いベットに腰を降ろし鉄談議に華を咲かせたのは私が高校2年生の冬でした。
師匠との突然の再会に私はテンションが最高潮になるのは言うまでもありません。更に犬山徹夫様の話も面白く、また懐かしく、撮影地に移動しても鉄話で盛り上がり小一時間の待ち時間がとても短く感じましたが、冷静に周囲を観察すると雨は落ちてくるは、露出はどんどん下がるはで撮影をする環境ではなくなっていました。こんなときはモノクロのみの撮影としますが、ブログでの画像素材のためにCanon EOS50DでASA800に増感して2台で撮影することにしました。
しかし期待していなかっただけに、やってきた9229レ”新津馬下100周年号”の煙には度肝を抜かされてしまいました。今まで磐越西線では見たこともない素晴らしい煙でやって来たのです。その煙には純粋に感動し師匠・犬山徹夫様と何十年ぶりかの硬い握手をしてしたのは言うまでもありません。

旧蒲原鉄道冬鳥越駅跡で旧蒲原鉄道の車両が保存されています。車両はモハ1とモハ61.それに近年、村松で保管されていたED1も加わり3両が保存されています。保存場所は完全な線路跡ではなく、現役当時はこの写真を撮っている立ち位置に線路がありました。 10,10,09 Canon A1000IS

保存車両はお願いすると車内に立ち入る事が出来ます。綺麗に整備されたダブルルーフの車内を撮影出来るなんて、予期していなかっただけに思わず興奮してしまいました。このモハ1は上を見上げればダブルルーフ構造を、下廻りは半鋼の車体枠構造を現代に受け継げられている貴重な車両です。鉄道博物館に保存していてもおかしくない車両と認識しました。 10,10,09 旧蒲原鉄道冬鳥越保存車両 Canon EOS50D
慶徳峠で撮影後は雨が本降りになってきたので日出谷まで9229レ”新津馬下100周年号”を追っかけて来たものの、沿線の撮影者の桁違いの多さも手伝ってまともに撮影する事なく豊田机務段様からリクエストのあって戦線離脱をして鹿瀬-馬下-蒲原経由で旧蒲原鉄道冬鳥越駅跡に保存されている旧蒲原鉄道モハ1・モハ61及びED1の撮影に向かいました。
日出谷から蒲原へ移動する車中では私が雨でやけくそとなり、言ってはいけない呪いの言葉(名前)を連発したおかげで、雨はさらに強く風も強くなり雨粒は横殴りとなり阿賀野川は白波が立つほど荒れた天気になりましたが冬鳥越到着時点では雨もほとんど上がり、少し露出も回復するほど好転していました。
私はいくつかの中小私鉄の廃止を見てきましたが、この蒲原鉄道の廃線跡にはやはり特別な想いがあります…と言うのも蒲原鉄道加茂-蒲原間廃止直前の日曜日には冬の日本海側の天気としては珍しく終日、素晴らしい晴天になり廃止直前の加茂-蒲原間を思う存分撮影が出来た思い出があります。そのときも冬鳥越駅付近で撮影していいるからなおさらです(弊ブログ08,05,08で紹介しています)。更に後に偶然にも同じ職場で一緒になり、縁あって私のご紹介で鉄仲間である那須啓氏の奥様となった方の実家が村松で女子高校生時代、新津の高校へ通学するために彼女は五泉まで蒲原鉄道に乗車していたと言う話を聞いて更に蒲原鉄道に親しみを持っている次第です(ちなみに五泉から新津間は50系の223レに乗車していたとの事です)。

モハ1の床下です。車体枠の外枠と横梁の一部は鋼製ですが、横梁の大部分は木製です。こんなわかりやすく半鋼車体の構造を見れるのは珍しく、貴重な機会です。 10,10,09 旧蒲原鉄道冬鳥越保存 モハ1 Canon A1000IS
冬鳥越での撮影後は栃尾→上条経由でいつもの入広瀬・福寿庵で遅い昼食を摂りましたが、この栃尾から上条に抜ける地域は中越地震で一番大きな被害があった地域だけに、道路沿いの昔ながらの家並みをみるにつけ、大災害を潜り抜けてきた景色に見とれてしまいます。
福寿庵では私はお気に入りの大天ざる蕎麦を食べたのですが、以前はペロッと食べれた大天ざる蕎麦も今回はとても食べきれず、天ぷらは包んで持ち帰る事にしました。こんなちょっとした事で歳をとったと実感する今日この頃なのです。
相変わらず降り続く雨の関越道を南下し圏央道-中央道で八王子ICで降りて、豊田机務段様宅に20時前、湘南チサ區様宅に21:30過に、そして自宅に22時前に到着しました。
最後に今回の2日間は豊田機務段様が全て愛車を運転され、私などは後部座席でうつらうつらしていれば撮影地に到着するという殿様状態で、体力的にも大変に助かりました。本当に感謝いたします。ありがとうございました。辛苦了!

保存車を撮影していると、いつのマニアら、タイムスリップ!
動き出してしまったようで、保守の進まない線路とあってか、動揺
が大きかったです。
じつは、自前で吊り輪を動かしたんですけど…
モノクロで写ってたそうです。
10,10,09 旧蒲原鉄道冬鳥越モハ1車内 湘南チサ區様撮影・提供 ついでに写真のコメントも湘南チサ區様