DT200Aの庫 (goo-blg)

11年目の03,11を迎えて


 この川原も津波が押し寄せたため、その復興でしばらくはトラックの出入りがありましたが、今は静かな川原に戻っています。     22,01,25 10:27頃    岩手開発鉄道盛―赤崎 144レ     Canon EOS1DX MarkⅡ

 早いもので、あの日から11年が経過しました。その間、世の中は新型コロナウイルス感染で犠牲者が多く出て、社会不安に陥りました。そして今、ロシアのウクライナへの侵略と政界情勢までが激変してしまいました。11年前の震災は激動の時代への序曲だったのかと思うこの頃です。
 昨年末、大人の休日パスを利用して常磐線”ひたち”で上野から仙台まで乗り潰した際に双葉駅や浪江駅前では10年以上経過しているのに、未だに懸命に除染作業されている光景を見て日本のこの土地に住む事が出来ない場所をつくってしまったその罪は大きいと感じました。
 震災の年には被災地には多くのプレハブが建ち並び被災された方々の復興住宅が見られましたが、最近は場所を変えて真新して住宅地が目立つようななりましたが、その中には海で生計を立てていらっしゃるはずで、海から離れた高台を住居としなくてはならないジレンマを毎日、感じているのではないかと思うと、心が痛みます。
 地震大国の日本では東日本大震災以上の地震が明日、発生しても不思議ではなく備えあれば患いなしを肝に銘じなければなりません。
 ところでネットニュースを何気に見ていたらマスコミ、特に震災を発生直後から取材されていた記者の方々は忘れられていく震災の記憶に焦りを感じ、まただんだんと眼を向けてもらえなくなる事に危機感を感じているそうです。特に今回はロシア・プーチンのウクライナ侵略という歴史に残る野蛮な行為があったために、すでに過去となった出来事を受けての我々が何処まで求めるのか、これは難しい事だと思います。私自身、11年前の被災地を見たショックより今のウクライナの非人道的な行為を見た時、今何を知りたいかを思えば答えは自ずと出てしまい、それで良いのかと疑問を投げかける自分もそこにいます。

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