
雨の長岡駅で停車中のEF81牽引の”きたぐに”です。この当時の”きたぐに”は既に旧型客車の老朽化、また体質改善を目的に座席車は12系に置換えされていました。もちろんこの当時の運転区間は大阪―青森間です。晩年、大阪―新潟間に短縮され、さらにEC化(583系)された”きたぐに”には最後まで馴染めませんでした。やはり”きたぐに”は客車でないと!!! 80,07,16 長岡 502レ スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

今だから告白しますが、実は私はEF81のトワイライト塗装は嫌いではありませんでした。原色と言う事ではローズピンクを否定しませんが、私が若い頃はこのローズピンクは写真写りが悪いと嫌がれていました。そのためトワイライト塗装が出現したときに、なかなかセンスが良いと感じました。ただそれはトワイライトを牽引した時の話で、やはり日本海にはローズピンク塗装が似合っていた気がします。 09,09,05 高岡 4002レ Canon50D

冬のやわらかい光線を受けながら走り抜けるRSEです。Hi-SEやVSEに比べて塗装のセンスの良さは特筆出来ると思います。この車両は予備編成があったので小田急新宿から東海管内へ頻繁に臨時列車を走らせれば良かったのにぃ…と悔まれます。 11,11,20 小田急秦野-東海大学前 あさぎり5 Canon EOS7D

東海道新幹線開業の際に沼津は駅の設置を拒否してしまい、その後、新幹線が停車するようになった三島に追いつき、そして追い越されてしまいました。その挽回策として新幹線とほぼ同じ塗装の371系を投入しましたが、これも20年で終焉を迎える事になりました。画像の手前の影は山影ではないんです。雲なんです…あぶねぇ!!!! 09,03,02 小田急渋沢 3M Canon EOS-1v RDP-Ⅲ(+1) スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

私の趣味の範疇ではない新幹線ですが、古いポジを整理していたらこんなカットが出てきました。たぶん梅雨の晴れ間でカメラの虫干しのつもりで撮影したと推測されます。新幹線の撮影なんてほとんど予備知識がなかったので露出補正がデタラメで、白がすっ飛んでいる画像ばかりでした。このカットもスキャナーで相当補正しています。この当時はまた100系はもとより0系もまだ活躍していた時代ですから、逆に言うと300系全盛期とも言えます。300系はスタイル的に人気はありませんでしたが、技術的に言えば新幹線の概念を変えた名車です。この300系開発に携わってリーベン車両K氏や弊社○玉氏等を知り合いに持つ自分だけに、その業績には敬意を評したいと思います。なぜならこの300系の成功がなかったら後のN700系もそして他社新幹線の最新形式であるE5系も存在しなかったですから… 97,06,29 小田原 TEC300系 RDP-Ⅱ(+1) スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

そして忘れてはならないのが岳南鉄道の貨物列車です。ワム8さんから岳南鉄道の貨物が危ないと聞いて、このブログでお知らせしたのが昨年の6月でした。その後、貨物連絡運輸廃止に伴い負の連鎖として岳南鉄道自体の廃止と言う話も出てきましたが、最初は援助を渋った富士市も議会決議を受けて、一転して財政支援もあり得ると言う姿勢に変わり貨物輸送がなくなってもここ当分は廃止と言う最悪の連鎖は避けられそうな状況になってきました。まずはともあれ地域の足として岳南鉄道が一日も長く活躍する事を祈るばかりです。 10,03,05 岳南原田 304レ Canon EOS50D

5月の東京スカイツリー開業を控えて東武「業平橋駅」の名称は3月16日までで、3月17日より「東京スカイツリー駅」に改名されました。我々の世代で業平駅といえば東武貨物の東京側の荷卸駅として、また通勤輸送を終え、夕方まで車両を留置する駅として有名でした。また駅の特殊線路配置のために浅草からの回送列車は一旦、北千住側に逃がしてから入区する運転方法が非常に興味がありました。写真は通勤時間帯だけ運転された78型準急ですが、30年前はこんな列車が浅草まで準急として運転されていたこと自体、隔世の感があります(生意気な事を言うひだ号君はこの時点では生まれていないのですから…笑)。また画像の右には発車を待つ貨物列車の姿もあり、これも懐かしい光景です。 82,01,15 東武業平橋 78型準急 TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED