ショスタコーヴィチ 「交響曲第8番」

2006年06月07日 22時31分00秒 | 巻八 ショスタコーヴィチが私に語ること
第二次大戦の最中に作曲された、交響曲第8番。
俗に言われる、「戦争交響曲」のひとつ。

このたび、タワレコから
名演と言われるムラヴィンスキーの1982年LIVE盤が発売された。
1000円! 安い…。いいのかっつーくらい安い。

---------- キリトリ -----------

この8番は自分にとって、
どう対処したらいいのかイマイチ戸惑ってしまう曲でもある。

第1楽章で悲劇のスペクタクルを描き
第2楽章と第3楽章で軍靴と戦火の叫喚を描き
第4楽章で焼け野原の虚無感を描き…
ここまではなんとなく判るとしても、
最後の第5楽章でショスタコーヴィチは何を語ったのか。
わかりそうで、わからない。

以前自分は、
「焦土作戦後の廃墟にたたずむような第4楽章の絶望感」と、
「悲しみを抱きつつも平和の息吹に手を伸ばす第5楽章の淡い希望感」。
そういう意味で第5楽章は「裏ハナミズキ」だ(笑)

…と書いた。
この見解は今でもあながち的外れではないと思いつつ、
それならなぜ彼は終楽章において、
第1楽章クライマックスの「叫び」の場面を再び召喚したのか。
「反形式主義的ショスタコーヴィチ研究会」さんによれば、
それは戦場から帰還した兵士が見た「傷口と痛み」のフラッシュバックだとか。
非常に興味深い考察!

戦火に焼かれ、全てが無に帰した風景から始まる、
本当にかすかな希望。
戦争が終わっても、それでも過酷な毎日(不条理な独裁体制)は続く。
ショスタコーヴィチがそこまで意図していたかは別として、
なんとも沈鬱な物語、である。

---------- キリトリ -----------

先入観があったということだろうか、
このムラヴィンスキーの演奏は、意外なほどソフトに響いていたりする。
特に打楽器。
印象に残ったのは第4楽章のラルゴ。
反復主題があまり前に出てこない?のかな。
そしてその微かな伴奏のうえで
木管楽器などの「悲しきさえずり」が
妙に直接に、耳に訴えかける。

そして、例の終楽章。

---------- キリトリ -----------

救いも希望も救済も望みも
そして許しでさえも
時として政治や社会の嵐は
全て根こそぎ削いでしまうんでしょうか。

全曲の最後、
ハ・ニ・ハの動機。
消えていくピッツィカート。
ショスタコーヴィチの言いたかったことは
たぶんこの3音に、込められているんではないだろうか。


かんれん記事
silver/snowのページさん
新米父さんのMUSIC LIFEさん

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