ロジェストヴェンスキー&ソヴィエト国立文化省SOの第1番

2007年10月31日 22時56分00秒 | 巻八 ショスタコーヴィチが私に語ること
ショスタコーヴィチの交響曲第1番。
20歳の作品。

ショスタコの交響曲は
2番から3番、4番に至るところに親和性があり、
さらに言えばその延長線上で
5番、6番を捉えることが可能だ、と勝手に考えている。

そうした中で、
この第1番には非常に特異な印象を見出せるのだ。

何というか、
澄み切った、醒め切った、しかし激しい情感。
乾き切った、とも言えるかも知れない。

例えばこの曲が
作曲家後半生の作品だといわれても、
全然違和感がない。
楽典の専門的なことは知らないが、
この第1番には「習作」っぽさがあまりない。
むしろ、「謎めいた多面性」というような言葉で語られる、
後々の交響曲との繋がりが強く連想されるのだ。
毒気、って言ったらありふれてるけど。

これが、20歳の手によるものだからねえ…。

---------- キリトリ -----------

10年以上ハイティンク盤を聴いてきたが、
ロジェストヴェンスキーによってこの曲の印象が変わった。
上記の感想も、ロジェヴェンの棒の所為もあるのかも知れない。

一聴しただけでロシアの音。
くらしっく音楽に疎い私でも
ロンドンの音と違うことは解る。

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