膝の治療には、いろいろある。1、2回で改善しないのが多い。北京中医薬大学の
関苓教授の膝治療は針の痛みがなく、さらに針なしに特別痛み止めシールを貼り、
すぐに効いて足腰膝、体が軽いと背筋も伸びて喜んで元気に歩いて帰られました。
ご希望の方はマンツーマン治療をご予約ください。
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木本先生のクリニックを初めて受診したのは、2023年5月10日でした。
その2か月ほど前、私は眼科専門医の診断を受けていました。
【診断内容と提示された治療】
右眼については①病的近視による脈絡膜新生血管②黄斑前膜(黄斑上膜)。
また、③左右両眼とも視野の欠損が進み始めている(緑内障)が自覚症状はなかった。
①の治療については、今後も進行が予想されるため、速やかに抗VEGF注射による治療を開始すること「一択」と告げられた。(これは進行を「遅らせる」対症療法的なもので、根本的な治療法はなく副作用も心配なものだった。)
②は、より状況が進んだら手術。だたし視野のゆがみは残ると告げられた。
③は眼圧コントロール。目薬の治療の開始。
【受診までの経緯】
2022年夏頃から、ものがやけに見えにくく、視力が急速に落ち始めていたことには気が付いていました。
2023年2月末のある朝、右眼視界が大きくゆがみ、中心視野がグレーに欠損していることに気が付きました。
遠方の実家の父の死後の整理が付いたと思った矢先に、愛犬の腫瘍が見つかり号泣した日の翌朝のことでした。
眼科専門医の診断を受けたのは視野の異変から1か月以上経った2023年3月下旬ですが、(2か所の眼科専門医を受診しました)、眼科を受診することにも、そしてこの診断を自分が受け入れて人に話すのにも、そして何より「治療を選ぶ」決断をするにも、正直長い時間が掛かりました。
視力が落ち始めてからも、そして右眼視界に決定的異変が起きてからもすぐに眼科に行かなかったのは、強度近視だった叔母(実母の双子の妹)が同じく治療法がないといわれた黄斑変性症で結局失明してしまったことが頭をよぎり、自分も同じ「宣告」を受けることを避けていたからだと思います。今の医療では、診断名は細かくつくものの「治療法はない」と言われるだけで患者が不安の中に取り残されたまま、ということが残念ながらよくあります。
そして、いよいよ眼科で診断を受けたあと、「やっぱりか」というあきらめに似た思いと、当時眼科で提示された治療法への疑問がぬぐえぬまま、木本先生の治療に出会うまでの道のりが始まりました。
当時の私の健康状態を思い返すと、眼科だけでなく、30年来の頭痛はますます酷くなり、雨の日の耐え難い頭痛や吐き気に悩まされ、若い頃からの冷え性は、ついに春先でも全身に湯たんぽを5個もいれて寝るほどになり、そしてここ2年ほどは、毎夜寝付けず、明け方にようやく眠り、昼過ぎまで眠るという昼夜逆転生活を続けていました。そして家族が心配するほどの「物忘れ」が頻発したりと、まるで全身が「何かがおかしい」と訴え続けていたようでした。
「眼の異変」は、「これでもか」という様々な心身の不調を黙らせてきた私に、最後の訴えとして突き付けられた全身の悲鳴のように思えました。
そして、眼科専門医の「診断名」も提示された「治療」も多分大きな意味はなく、その「悲鳴」の根本的な解決には決してならないこともわかっていました。
「本当の治療」を探す道のりが始まりました。
眼が使えない私に代わって、夫が様々な情報を調べてくれました。
眼のことだけでなく、根本治療につながるような「本当に治してくれる先生」に出会いたいと切望していた私に、慎重な夫が、「ついに、先生を見つけたよ!」と嬉しそうに言ったのは、それから1か月ほど経ってからでした。大阪の木本先生でした。
初動を遅らせたことが予後に影響してしまう要素もあったかも知れません。けれど反面、自分の納得のいく治療を探して木本先生の治療に辿りつけたのは、本当に幸運なことだったと思います。
木本先生は、「診断名」に縛られることなく、本当に「患者」を見てくださる先生でした。
【木本先生の治療】
初診の日、まず「手を出してごらん」と言われ両掌を見せると、父が心臓で亡くなっていることも、母も心臓の問題を抱えていることも言い当てられました。
また、私が両親から何を引き継ぎ何を引き継いでいないかも教えて下さり、それは自分の病歴からも腑に落ちることでした。
あっけにとられ、「手だけで、そんなことまでわかるのですか?」と尋ねる私に「手だけやない、こういうことは、全身のどこにでも、表れている」とおっしゃいました。
「反射区」という言葉は聞いたことがありましたが、体の全ては繋がっており、それはさらに遺伝的な家族だけでなく、生活を共にする家族や環境全てまでもが、自分の心身と分けることができずに繋がっているものなのだと実感させられた経験でした。
先生の診察時の質問やアドバイスは驚くほど多岐にわたりましたが、それが私の眼の病気だけでなく様々な心身不調の根本の原因を一元的に説明できる何かを探そうとしておられることは明らかでした。
私は内心「先生は、シャーロック・ホームズみたいだ。」などと、幼いころにわくわくしながら読んだ大好きな本を思い出しながら、先生の診察の会話に応えていました。
血が苦手な私が、驚くような量の血が噴き出した木本先生の瀉血治療を当たり前のように安心して受け、健康診断の採血でさえ具合が悪くなっていたはずが、頭と顔面が鍼ねずみのようになっても楽しそうに会話を続けていたのは今思っても不思議ですが、木本先生の治療室には、訪れた患者さんが安心する不思議な温かさがありました。
一週間に一度広島から通っていた治療は、今はニ週間に一度になりました。
一度目の治療のあと、一気に視野が明るくなり別人のように頭が軽くなったあと、視野のゆがみは徐々に穏やかになり、当初グレーに塗りつぶされていた視野中心欠損部は透き通って色と光が戻ってきました。
最近では時折、右眼の視野中心で試して見てみると、時間はかかるけれど、カメラの焦点を合わせるように字の大きさが大きくなったり小さくなったりしながら焦点を合わせようとしているのが分かり、「ああ、眼が頑張っているんだ!」と嬉しくなります。
気が付くと辛かった雨の日の酷い頭痛や吐き気はなくなり、頭は「他の人の頭につけかえたのか」と思うほど軽くなりました。
あんなに辛かった冷え症もなくなり、何をしても改善されなかった不眠も漢方服用後2日後には治っていて、今では夫が驚くほどに早く寝入っています。今こうして書いていても、記録を見返さなければ「自分は何に悩んでいたのだったっけ?」と思い出せないほどです。
体が立ち直っていくにつれて、日々食べるものや自分の物事の考え方を選ぶことの大切さを痛感し、自分の心持ちが大きく変わっていることに気が付きました。そして何より、木本先生の治療を受ける中で、私も夫も、今まで長く先送りにしたり、逃げ続けていた様々な問題に正面から向き合う気力も出てきました。(このご縁で、夫も木本先生に潰瘍性大腸炎の治療をしていただきました。)
それは、木本先生の本当に良く効く漢方薬や鍼だけでなく、先生ご自身の在り方や人生経験を通して伝えてくださる真摯なアドバイスから、たくさんの力をいただいたことも大きかったからだと思います。
治療を受け始めてわずか2か月しか経っていませんが、自分の人生も、夫の人生も、(そして多分、愛犬の犬生も)、2か月前とは想像もしなかった方向に変わってきました。
木本先生は、「病気」だけでなく、「人生」を深く癒すお医者様だと思います。
そして、「命あるもの」に丸ごと温かい目を向けて、やってくる患者に持てる全てを惜しげなく注いで真正面から取り組んでくださる本当のお医者様に出会えたことを、心から幸運に思い、とても感謝しています。ありがとうございます。
2021年2月8日 1年前の5月から手のこわばり出現。両手首、両膝、右足首が痛む。MMP-3 228(55以下)RF 139(15以下)抗CCP抗体124(4.5以下)CRP 3.1。
病院でリウマチと診断。9月メトトレキサート(リウマトレックス)2mgを5錠/週 で5ヶ月間の治療を受けたが効果がなく、食欲は落ち排尿のキレが悪く、だらだらと流出するようになり、ショックで寝付きが悪くなった。エキス処方。この1週間、症状も気持ちよくなった。手足厥冷。左手の強張りはなく右手も軽い。足の冷えは軽くなり、尿は普通に出る。食欲も戻った。2月22日 体はすごく楽です。食欲も良く、便通もあり、よく眠れて朝の手と膝のこわばりが楽です。足の冷えもなくなりました。4月5日 朝は両手のこわばり(右>左) 階段を降りる時両膝痛がある。リウマチは2月からの処方で調子がよい。脈沈弱。4月12日 煎じは美味しかった。ピアノが弾けます。嬉しい。 雨は大丈夫だが、寒冷で関節の調子悪い。5月17日、寒い日が続き右足首、左手首が痛くて歩いて来院できない。次に雨が続き右足首に熱感と腫れが出現。6月8日 右足首の熱と腫れが引いた。処方変更。今回の薬は、手首もよくなり、右手のこわばりは軽く昼からはなくなった。病院での 免疫抑制剤 MMT3や生物的製剤の治療で、体重は10kg痩せ食欲なく、不眠になり倦怠感でやる気がなくなり、関節破壊が見られるようになった。医師からは「関節破壊は進行するだでけでもう治らない」と言われた。孫が床を汚してもしゃがんで拭くこともできないので情けなくて泣いた。今は両膝は階段を上り降りもしゃがむこともできるし、全身の関節痛はなくなった。もともと体を動かすのが好きな私ですが、将来の不安が消えて喜びの毎日です。
2021年6月無菌性膀胱炎で来院。(38才で甲状腺癌3/4摘出。チラージン100〜125mg服用中)下腹部に違和感、尿が少ないとキューっとする膀胱痛がある、 尿急で1回尿は100ml以下、夜間尿5回で不眠。血尿はない。6月11日 処方。 水分摂取が少ないのでもっとたくさん増やすよう指導。6月22日 尿は90%よく、夜間尿は2回に減った。水分は夜間起きないように減らしていたが、言われた通り水をたくさん飲むと調子が良い。白湯にするともっとよいとわかった。1日1500mlにした。10月23日 夜間尿1回。その後、愛犬が死に、娘と泣き暮らして夜間尿6回。日中も回数多い。処方変更。10月28日膀胱痛はなく楽になった。夜間尿6回から2〜3回に減った。
2021年8月17日初診。尿が少し溜まると(尿は1回100〜160ml)行きたくなる。 我慢すると膀胱(下腹部)が痛くなる。夜間尿は1時間毎である。便は少し緩い。かなりの汗かき。寒い時は寒がりで、暑い時は熱がり。煎じとエキスを7日分処方。8月24日 夜間尿の6回は同じであるが、膀胱の痛みがなくなった。8月31日 夜間尿が3回になった。9月7日 夜間尿が1〜2回になった。日中も3〜4時間持つようになった。
8年前、大阪での看護師を辞め、田舎に移住し夫の農業を手伝っている。5年前に鬱病、不眠症、急性両難聴になった。原因は、田舎の人間関係に慣れず悩む。子供はいない。3年前から、突然4〜5日に1度の便秘を1週間ごとに繰り返すと急に下痢が2〜3日続き、その間は何も食べることができない。下痢は1日2〜3回の水下痢で冷や汗を伴い、畑仕事や外出ができない。物忘れが酷くなった。その日の直前の事も忘れる。追われている夢や沢山の人々が出てくる夢を見て寝が浅い。クヨクヨすることが多い。逆流性食道炎、大腸性ポリープがある。足が冷える。左の坐骨神経痛がある。月経はこの3ヶ月ない。舌淡苔薄 脈細弱。6月22日来院。針と煎じ薬処方。6月29日 少し冷えが楽になった。便通が2〜3日に1回になったが、まだ冷や汗の出る腹痛がある。吐き気はない、胃のつかえがある。6月25日に月経が来た。生理が来ると強い冷えがない。この3ヶ月生理の出血がなかったが今回は量が多かった。生薬を飲んで3日目から気力が出た。物忘れは治っていない。8月3日 物忘れが酷く、皿を洗っているときに喋りかけられると、今持っている皿は洗っているのかまだなのかわからなくなる。夜中の2時に口渇が酷く水を飲む。しゃべるエネルギーが必要。9月24日 笑顔で言う「物忘れが減り、頭は軽くてスッキリです」。体の倦怠感は頭の疲れがないので楽です」。食事は美味しくなく、量は1/3で2kg体重は減ったまま。この1ヶ月は3日に1回の便通。腹脹がある。寝つきは30分だが、朝まで寝る日も。夜中に1〜2回目が覚めるのは9月8日から減った。 夢は見なくなった。このまま完治し元気に働いている。