水月光庵[sui gakko an]

『高学歴ワーキングプア』著者 水月昭道 による運営
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第二話:大学院生が世間知らずになる訳

2010年07月12日 | 庵主のつぶやき
参院選、言葉もなし。政界再編、こうなってくると現実味を帯びてくるが、そんなことしている暇はあるのだろうか。あまりに頭が痛く、気分を変えたく『地獄の一丁目一番地、大学院へようこそ』を更新します。

□□09月16日までの限定でお届けします(毎週土曜日+α更新)□□
これは、私がまだ大学院生だった頃、日々のストレスのはけ口として、当時運営していたHP上で綴っていたものです。データを整理していたら、たまたま出てきたため、再活用できないかと検討してみました。

見直してみると文章の荒さが目立ちましたが、一般の人たちに、我が国の大学院の現状を知ってもらうには、もしかすると、こういうテキストのほうが楽しんでもらえるのかもしれない、と思った次第です。そんな訳で「恥をさらしてみるか」と腹をくくってみました。テキストには手直しを入れ、少しはマシにしてみたつもりです。

今月発売予定だった『ホームレス博士(仮)』(光文社新書)が9月16日にずれ込んだこともあり、お詫びの気持ちを込めまして、発売日までの二ヶ月間限定という形で恐縮ですが毎週土曜日に更新したいと思います。

では、さっそく、第一話から以下に復活。ご笑覧ください。
□□なお、この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。□□


第二話:大学院生が世間知らずになる訳


---前回までのあらずじ ここから----------
就活に一人だけ失敗したシンジは、教授に見込みがあると持ち上げられ大学院に進学することになりました。ところが、いざ入院してみたものの大学院には人があふれ満足な指導も受けられず、下働きばかりさせられます。一方で、高い学費は徴収されているわけで、シンジは、心中穏やかではありませんでした。

「なぜ、お金を払って、俺は雑用ばかりしているのだろう?」

気分を変えるために、シンジは同期の連中に電話をかけ久しぶりに会うことになりました。
---前回までのあらずじ ここまで----------



友人たちと飲みにいくと、シンジは彼らの成長ぶりに驚きました。
卒業してたった半年しかたってないのに、友だちの言動の全てが大人に見えます。
居酒屋での注文の仕方や店員さんへの口の利き方。些末なことでは靴の並べ方まで、とにかく見違えるほど成長しているように見えました。

シンジがいつもと同じように靴をぞんざいに脱ぎ捨て、さっさと座敷に上がろうとすると、ただちに「靴は綺麗にならべようよ」と、友から注意されます。
同級生から子ども扱いされるシンジは、「ちっ」と舌打ちしながらも従うしかありません。「俺はおまえたちと違って、大学院で研究してて先々は博士(様)になるんだぞ。末は博士か大臣か、のあれだぞ」。心の中でそう毒づいているのが精一杯でした。

座敷にあがりやっと、ホッと一息ついたところで、今度は注文の番がきました。
シンジは、いつものを頼もうと側まで来た店員さんに「生!」とだるそうに言葉を発しました。それを聞いていた隣のタマキが、呆れたように振り返り「『生!』じゃないでしょ、シンジくん」とたしなめます。

「生、ください、くらい言ったらどうなの」
「店員さんだって、同じ注文でも気分よくなる物言いもあれば、悪くなることだってあると思うよ」
シンジを見つめる目の奥底には、そんな思いが隠されているようにも見て取れます。
敏感に感じ取ったシンジは複雑な思いを内に宿すのです。

同期の連中の振るまいを観察していると、彼らは店員さんにとても気を遣っている様子がありありとわかります。しかし、シンジにはそれがよく理解できませんでした。
「だって、俺たちは客なんじゃないか?」

そんな素朴な疑問を隣のタマキに投げかけると、「バカねぇ。それは今だけでしょ」と返され頭は混乱するばかりでした。

タマキは一部上場企業の総合職に就いていますが、今はまだ、現場での販売研修などをしています。そこでは、デザイン性の高い食器などを中心に扱っています。居酒屋の店員さんなどは、若くて流行に敏感なお嬢さんが〝社会勉強〟という位置づけで働いている場合だって少なくありません。とすれば、いつ、自分たちのデパートにお客さんとしてやってくるかもしれないのです。タマキは、そんなふうなことを説明して、シンジを「やれやれ」という目で憐れんでみるのです。

シンジは、たった半年で同級生と自分の間に大きな壁ができてしまったように感じ、なにやら焦りの気持ちが湧き起こってきました。

しかし、こんなシンジを一方的に「だめな奴」と責めるわけにもいかないのです。
なぜなら、シンジの周りにいる大人たちは、「生!」とぶっきらぼうにいう人ばかりなのですから。

そもそも大学教員といった人たちは、社会人など経験せず、先生になっている場合も珍しくありません。上の方の世代では大学院を中途退学したりして、そのまま助手や講師にスライドしたなどの、今の時代からすれば夢のような話もぼちぼち耳にします。ということは、たかだが25,26歳くらいから「先生」と呼ばれちやほやされてきた人もいるわけです。

大学というところは不思議なところで、いったん役職がついたらもう〝一人前〟扱いされます。お互いが独立した存在になりますから、干渉したりはしません。つまり、20代半ばの若造が粗相をやらかそうとも、怒ってくれる人はいないのです。それどころか、世間からは「先生・先生」と持ち上げられます。

いきおい、ビールの注文もちょっと偉そうに「生!」となってくるわけです。

きっと、厨房に大きな声で復唱する美人の店員さんは心のなかで「生 イキ!」ね、と言い直しているはずです。

シンジはふと我に返り、自分とかかわる身近な人たちの振る舞いを思い返していました。「そういえば、居酒屋だけでなくタクシーにのったときも、同じようなかんじだったな。たしか、『おい、きみ、○○くれんかね?』みたいな・・」
「タマキが聞いたら、きっと激怒するだろうな」
シンジは、今の自分と姿を重ね合わせ、苦笑いするのでした。

同級生たちのあまりの成長ぶりを目の当たりにして、シンジは自問自答を始めます。大学院というところには、自分を育ててくれるシステムというものが、もしかして何もないのではないか? 同期たちが会社から育てられているのを、まざまざと見せつけられ不安になるのです。

思えば、会社であれば、新入社員には厳しい研修期間が設けられていますが、同じ23歳であっても大学院に進学した場合、「これから研究を志す者としての研修」みたいなものは何一つありません。それどころか、学部生と同じような講義がちょっとあり、他は、研究室の下働き一直線です。

シンジは自分の境遇を振り返りながら思います。

「皆は組織の一員として大切に育てられているのか。それに引き替え、俺は、〝教授〟ただ一人から、いろいろと学ばねばならない。世間の常識から距離があってもそう不思議には映らない先生方から全てを習う・・」

明日からの日々を想像すると、シンジはまた気が重くなるのでした。


つづく


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