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【現代思想とジャーナリスト精神】

【随想】高崎市長富岡賢治氏、期待と失望~高崎官製談合の背景~  櫻井 智志


 新聞で見ていたが、故郷上州を離れていると、読み流していた。群馬県で大学教授を務める畏友熊倉浩靖氏と電話でやりとりしていて、「高崎官製談合」事件について全く無知なことに気付いた。熊倉氏は、18枚にわたる新聞記事(地元紙の上毛新聞・毎日新聞・讀賣新聞・朝日新聞)のコピーを送ってくれた。熊倉氏は京都大学理学部に学ぶ一方、上田正昭教授から古代史を学んでいる。地元高崎市で高崎観音を建立した井上保三郎のご子息井上房一郎氏の指導のもと、高崎哲学道設立運動に尽力し、完成すると高崎経済大学教員になるまで高崎哲学堂運営に熱意をこめた。

 かいつまんで「高崎官製談合」とはなにかを言えば、2019年11月19日に、「高崎芸術劇場」の備品購入をめぐる官製談合事件で、官製談合防止法違反で逮捕されていた高崎財団副理事長、高崎市課長で高崎芸術劇場副館長、市内大手の電機会社社長の三人が送検された。
 発端は高崎市議会である。日本共産党議員伊藤敦博議員の質問に市当局が答えた。高崎市で2019年9月にオープンした高崎芸術劇場の照明備品購入をめぐる官製談合事件にからみ、劇場本体の工事価格が予定価格と同じ落札率100%だったことが、市議会本会議で明らかとなった。
 さらにいえば、前橋地検は12月9日に、3人への対応を「処分保留」とした。
処分保留とは、刑事手続が進められていく上で、期間内に十分な証拠が揃わなかった場合、起訴・不起訴の判断を保留して釈放させることである。

 富岡賢治市長は、高崎市内の中学から群馬県立高崎高校に入学。中学時代に教頭として富岡氏を知っていた亡父は、富岡氏の人柄と努力を誉めていた。高崎高校の生徒会長を務めて一浪して東京大学に入った。文科省に入り、初等教育課長から国立教育政策センター所長を経て群馬県立女子大学長に就任。6期24年に及ぶ松浦幸雄高崎市長市政を支えた民間ブレーンは富岡賢治氏の兄だった。NPO法人として熊倉浩靖氏も、松浦氏の政策を支援した。松浦氏引退後の2011年、富岡賢治氏は新顔4人の市長選争いの一人だった。県立女子大学長だった富岡氏の弱点は知名度不足と組織の少なさで、 力になったのが母校高崎高校の同窓生らだった。今回逮捕された3人のうち2人は選挙支援のメンバーの中の人物であり、結果は大接戦を制した。再選時は圧勝し、今春2019年は無投票3選だった。
 だが、富岡氏は高崎市政のトップで居る間に、徐々に変わっていった。前市長の松浦幸雄氏や当初は政策を学問的裏付けをもつブレーンとして尽力した熊倉浩靖氏らを市政ブレーンから排除するようになった。
 今回逮捕された人々は優秀でひいでた能力をもつ人材だったが、市長の不得意分野を思うように任されていくうちに、権力と財力とを得ることに麻痺していったのだろうか?


 中央政府のあいつぐ失態に比較すれば、高崎市課長が照明設備予定価格5800万円を漏らし、業者に5680万円で落札させて入札の公正を害した疑い。業者が得た利益は120万円。
 高崎市近辺からは、政界に福田赳夫首相、中曽根康弘首相、小渕恵三首相、福田康夫首相を輩出し、現在の下村博文元文科相らも出ている。
 私は、富岡賢治氏を、政治家として、金権腐敗政治家とは全く思っていない。高崎市や群馬県が関東の北部で独特の文化と自然環境と実直な県民性をもつ豊かな特質をもつ。東京から高崎に帰った時、群馬県立女子大学は適切な選択と思った。政治家の仕事よりも、教育・文化で氏の才能と見識を発揮していってほしい。
 権力は長く居座ることで腐敗する。~了~


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