昨日(9/4)の日記からの続きです。スピリチュラル的(霊的)な内容ですので、受け容れられないようでしたら、どうかスルーしてくださいませ。これもまた私の本質の一部です。
「あなたのまわりに、亡くなられたご利用者様たちが手を合わせて拝んでおられますよ。その人たちは、あなたの腰から上にあがって来ませんね。あなたをぐるっと取り囲んで拝んでいます。まるであなたは観音様ですね」
「‥‥」
もう驚きのあまり言葉が出てきません。
「その亡くなられた方たちは未成仏霊ということではなく、すでに天に上がっておられる方々です。その方々があなたを押し上げようと、天国から手を合わせて拝んでおられるのです。ですから、みちしるべが終焉に向かう流れが起きているのは当然のことなのです」
(何ということ!)
突然、目頭が熱くなってくるのを感じていました。私を拝んでおられるご利用者さんたちが誰であるのか、すぐにわかったからです。一人ひとりの顔が浮かんできました。どなたも皆懐かしい方々です。忘れるはずがありません。皆さんによってみちしるべは守られ、支えられ、成長することができたのですから。
(良かった。皆さん、天に上がっているんだ)
ほっとした気持ちになりました。
同時に、(私という人間は、いったい何者なのか?みちしるべを終了させて、次は何をしようというのか?)と思いました。しかし、はっと我に返り、こう言いました。
「でも、みちしるべを閉じてしまったら、現在のご利用者さんは何処へ行くというのですか?他のデイサービスで利用を断られて、行くところがなく、みちしるべに来てくれた方々ばかりなんですよ」
「それは執着というものです」
「執着‥?これは執着なんですか?」
ピシャリと執着だと言われ、再び頭の中は混乱していました。自分の使命だと思って始めたみちしるべなのに、この使命は執着だったなのか?いや、そんなはずはない。確かにこれは私の使命だったのだ。しかし、この使命はもう果たしたということなのだろうか。
すると突然、「みちしるべは大成功しました」という声が心の内に聞こえてきました。
「みちしるべの偉業は、こちらでは大喝采の拍手が鳴り響いております」
誰が私に話しかけているのか?それは天使たちのような気がしました。拍手している方々の中に、ご利用者さんたちの顔も見えました。
(天では称賛の拍手が送られている)
そう感じました。
決して、巨富の富を得たわけではありません。多くの事業所をつくったわけではありません。みちしるべの認知症ケアが全国に響き渡ったわけでもありません。築四十年の古民家を使った小さな事業所にしか過ぎません。でも、天から見れば、称賛に値するものがあったのでしょう。
(私は十分にやり遂げたということなのか?)
(まだ5年にも満たないのに、みちしるべはもう十分に使命を果たしたということなのか?)
そんな思いを堂々巡りのように繰り返していると、ふいにMさんがこう言いました。
「鈴木さん、天使になりませんか?」
いきなりそう言われ、私はうろたえました。
「私が天使に?」
その言葉の中に、私の新しい使命が隠されていることを、まだ気づいておりませんでした。
つづく
「あなたのまわりに、亡くなられたご利用者様たちが手を合わせて拝んでおられますよ。その人たちは、あなたの腰から上にあがって来ませんね。あなたをぐるっと取り囲んで拝んでいます。まるであなたは観音様ですね」
「‥‥」
もう驚きのあまり言葉が出てきません。
「その亡くなられた方たちは未成仏霊ということではなく、すでに天に上がっておられる方々です。その方々があなたを押し上げようと、天国から手を合わせて拝んでおられるのです。ですから、みちしるべが終焉に向かう流れが起きているのは当然のことなのです」
(何ということ!)
突然、目頭が熱くなってくるのを感じていました。私を拝んでおられるご利用者さんたちが誰であるのか、すぐにわかったからです。一人ひとりの顔が浮かんできました。どなたも皆懐かしい方々です。忘れるはずがありません。皆さんによってみちしるべは守られ、支えられ、成長することができたのですから。
(良かった。皆さん、天に上がっているんだ)
ほっとした気持ちになりました。
同時に、(私という人間は、いったい何者なのか?みちしるべを終了させて、次は何をしようというのか?)と思いました。しかし、はっと我に返り、こう言いました。
「でも、みちしるべを閉じてしまったら、現在のご利用者さんは何処へ行くというのですか?他のデイサービスで利用を断られて、行くところがなく、みちしるべに来てくれた方々ばかりなんですよ」
「それは執着というものです」
「執着‥?これは執着なんですか?」
ピシャリと執着だと言われ、再び頭の中は混乱していました。自分の使命だと思って始めたみちしるべなのに、この使命は執着だったなのか?いや、そんなはずはない。確かにこれは私の使命だったのだ。しかし、この使命はもう果たしたということなのだろうか。
すると突然、「みちしるべは大成功しました」という声が心の内に聞こえてきました。
「みちしるべの偉業は、こちらでは大喝采の拍手が鳴り響いております」
誰が私に話しかけているのか?それは天使たちのような気がしました。拍手している方々の中に、ご利用者さんたちの顔も見えました。
(天では称賛の拍手が送られている)
そう感じました。
決して、巨富の富を得たわけではありません。多くの事業所をつくったわけではありません。みちしるべの認知症ケアが全国に響き渡ったわけでもありません。築四十年の古民家を使った小さな事業所にしか過ぎません。でも、天から見れば、称賛に値するものがあったのでしょう。
(私は十分にやり遂げたということなのか?)
(まだ5年にも満たないのに、みちしるべはもう十分に使命を果たしたということなのか?)
そんな思いを堂々巡りのように繰り返していると、ふいにMさんがこう言いました。
「鈴木さん、天使になりませんか?」
いきなりそう言われ、私はうろたえました。
「私が天使に?」
その言葉の中に、私の新しい使命が隠されていることを、まだ気づいておりませんでした。
つづく