「もう歩くことは出来ません」
残酷なその言葉に、寮母さんたちは失望し、落胆していた。
医師の言葉なのだから、受容れるしかない。
皆がそう思っていた。
いつも人懐っこい笑顔で、右手を上げて「おはよう」と挨拶してくれるHさん。
園芸クラブでは、麦わら帽子をかぶり花の手入れをしてくれる。
施設での生活に満足しているふうでもなく、
かといって不満を言うのでもなく、
淡々とご自分の世界をもって暮らしていた。
そのHさんが歩けなくなるなんて、
人の手を借りて生きていくのはそう容易いことではない。
しかし、私だけは違っていた。
その医師の言葉は、私の内に眠っていた反骨心というものに火をつけた。
メラメラと怒りにも似た感情が炎のよう湧き上がってきていた。
この特別養護老人ホームに入職してから、初めて覚悟を決めた瞬間だった。
(何としてでも歩けるようにする!)
かたくなまでに、そう自分自身に言い聞かせていた。
MRIやCTスキャンなどの脳の断層写真を見たわけではない。
医師としての治療が出来るわけではない。
しかし、必ず歩けるようになる、という100%の確信があった。
入院から1週間ぐらいしてお見舞いに行くと、
ベッド上のHさんは自分の身体の左側を右手でさすって、
「どういうわけか、こっちが動かないんだよ」と笑いながら首をひねっていた。
明るい表情を絶やさないでいてくれたことは、逆にこちらが救われた思いだった。
この病院には理学診療科があるのに、
何故か積極的なリハビリを行っている様子は見えなかった。
「Hさん、必ず歩けるようになるよ」と病室で手を取って話しかけていた。
そして、間もなく車椅子にて退院されてきた。
すぐさま東海大学病院リハビリテーション科に受診し、専門医に診察していただいた。
そして、Hさんの訓練メニューが決まり、リハビリの日々が始まった。
残酷なその言葉に、寮母さんたちは失望し、落胆していた。
医師の言葉なのだから、受容れるしかない。
皆がそう思っていた。
いつも人懐っこい笑顔で、右手を上げて「おはよう」と挨拶してくれるHさん。
園芸クラブでは、麦わら帽子をかぶり花の手入れをしてくれる。
施設での生活に満足しているふうでもなく、
かといって不満を言うのでもなく、
淡々とご自分の世界をもって暮らしていた。
そのHさんが歩けなくなるなんて、
人の手を借りて生きていくのはそう容易いことではない。
しかし、私だけは違っていた。
その医師の言葉は、私の内に眠っていた反骨心というものに火をつけた。
メラメラと怒りにも似た感情が炎のよう湧き上がってきていた。
この特別養護老人ホームに入職してから、初めて覚悟を決めた瞬間だった。
(何としてでも歩けるようにする!)
かたくなまでに、そう自分自身に言い聞かせていた。
MRIやCTスキャンなどの脳の断層写真を見たわけではない。
医師としての治療が出来るわけではない。
しかし、必ず歩けるようになる、という100%の確信があった。
入院から1週間ぐらいしてお見舞いに行くと、
ベッド上のHさんは自分の身体の左側を右手でさすって、
「どういうわけか、こっちが動かないんだよ」と笑いながら首をひねっていた。
明るい表情を絶やさないでいてくれたことは、逆にこちらが救われた思いだった。
この病院には理学診療科があるのに、
何故か積極的なリハビリを行っている様子は見えなかった。
「Hさん、必ず歩けるようになるよ」と病室で手を取って話しかけていた。
そして、間もなく車椅子にて退院されてきた。
すぐさま東海大学病院リハビリテーション科に受診し、専門医に診察していただいた。
そして、Hさんの訓練メニューが決まり、リハビリの日々が始まった。