今年は善光寺の御開帳です。先日娘と孫と行ってきました。ウィークディであったこと、御開帳が始まってまだ間もないことなどからわりとスムーズに見てまわることができました。今回始めて仁王門に登ることができました。40年近く前の松代群発地震で拝観が禁止されていましたが、今回の改修で拝観できるようになったとのことでした。仁王門からの眺めは格別でした。
それにしても善光寺には興味深いところがたくさんあります。善光寺さんがお寺ではないことをご存知だったでしょうか。「お籠もり堂」といい、願いを成就するために籠もって念仏を唱える場所だったのです。お籠もり堂であるため宗派はありません。どんな宗派の方でも参詣できますし、昔多くの寺院で行われていた女人禁制ということもなく、万人に開かれていたのです。善光寺の仏事は境内にある大本願(浄土宗)と大勧進(天台宗)というお寺のご住職が交代で勤めます。このことをお朝事(おあさじ)と言います。
しかし善光寺仏は秘仏であるため御開帳といっても見せるのはあくまで前立本尊、すなわりレプリカです。戒壇めぐりといって極楽への鍵を触るために暗闇の中を歩かされたり、牛に引かれて善光寺参りの伝説を作ったり様々なイベントがあります。善光寺をマーケティングの視点で見るととても興味深いものがあります。
善光寺の成り立ちは推古10年(602年)、長野の麻績の住人の本田善光が難波の浜で埋もれていた善光寺仏を拾って持ち帰ったということになっています。しかし仏教伝来からまだ日が浅く仏教はまだ一般的ではありません。それまでの八百万の神を信ずる勢力が仏教を敵視していました。そんな時、なぜ信州の山奥に善光仏を持ち帰ったのか。そんな歴史の襞に隠れていることがらに思いを馳せるとロマンを感じます。
そんなことも感じながら御開帳を眺めるのもいいのではないでしょうか。そうそう以前長野の商店街の方から御開帳は不況対策だったという話を聞いたことがあります。景気が悪くなると商店街の代表の方が善光寺を訪れ「景気が悪いから御開帳してほしい」とお願いしたというのです。だから御開帳は7年に一度ではなかったというのです。真偽のほどは定かではありませんが、まさにいま百年に一度という不況の真っ只中、御開帳で景気回復を願いたいものです。
それにしても善光寺には興味深いところがたくさんあります。善光寺さんがお寺ではないことをご存知だったでしょうか。「お籠もり堂」といい、願いを成就するために籠もって念仏を唱える場所だったのです。お籠もり堂であるため宗派はありません。どんな宗派の方でも参詣できますし、昔多くの寺院で行われていた女人禁制ということもなく、万人に開かれていたのです。善光寺の仏事は境内にある大本願(浄土宗)と大勧進(天台宗)というお寺のご住職が交代で勤めます。このことをお朝事(おあさじ)と言います。
しかし善光寺仏は秘仏であるため御開帳といっても見せるのはあくまで前立本尊、すなわりレプリカです。戒壇めぐりといって極楽への鍵を触るために暗闇の中を歩かされたり、牛に引かれて善光寺参りの伝説を作ったり様々なイベントがあります。善光寺をマーケティングの視点で見るととても興味深いものがあります。
善光寺の成り立ちは推古10年(602年)、長野の麻績の住人の本田善光が難波の浜で埋もれていた善光寺仏を拾って持ち帰ったということになっています。しかし仏教伝来からまだ日が浅く仏教はまだ一般的ではありません。それまでの八百万の神を信ずる勢力が仏教を敵視していました。そんな時、なぜ信州の山奥に善光仏を持ち帰ったのか。そんな歴史の襞に隠れていることがらに思いを馳せるとロマンを感じます。
そんなことも感じながら御開帳を眺めるのもいいのではないでしょうか。そうそう以前長野の商店街の方から御開帳は不況対策だったという話を聞いたことがあります。景気が悪くなると商店街の代表の方が善光寺を訪れ「景気が悪いから御開帳してほしい」とお願いしたというのです。だから御開帳は7年に一度ではなかったというのです。真偽のほどは定かではありませんが、まさにいま百年に一度という不況の真っ只中、御開帳で景気回復を願いたいものです。