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梅野絵画記念館に行って来ました

2012-01-11 23:27:39 | 雑感
東御市には美術館が二つあります。ひとつは文化会館に併設された丸山晩霞記念館、そしてもうひとつは梅野絵画記念館です。いま目のご不自由な方の写真展が開催されているとお聞きし行って来ました。


梅野絵画記念館の前の明神池はすっかり凍り付いていました。
遠くに浅間山が見え絶好のビューポイントです。


池のまわりにはたくさんの鴨が集まっていました。私が近づくと寄って来ます。
人間を怖がりません。餌でももらえると思ったのでしょうか。


木立の中にひっそりと絵画館があります。


入り口には
 「市民に愛される美術館になろう」
 「市民の誇りとなる美術館になろう」
 「小さくとも光りかがやく絵画館となろう」
という梅野初代館長の思いが刻まれています。

現在は「心眼-my hert focus on you」と題して、視覚障がい者の皆さんが撮影した写真展を開催しています。これは過去26回開催された「全国盲人写真展」で受賞された作品を中心に、約100点ほどの作品が展示されていました。

館長さんのお話によれば、目がご不自由な方はかすかに残る光、音、におい、声、気配などあらゆる感覚を研ぎ澄ませて写真を撮るのだそうです。明るく活気に満ちている作品が多いことが印象に残りました。目がご不自由であるということで感覚が健常者以上に鋭くなり、それだけ感受性が豊かなのでしょうか。すでにプロの写真家も出ているそうです。

印象にのこる写真展でした。最終日は1月15日です。4月には犬塚勉さんの絵画展が予定されています。こちらも期待しています。

国民総生産から国民総幸福への転換を!

2012-01-11 01:19:54 | 雑感
地元紙の信濃毎日新聞に東大名誉教授見田宗介氏の「震災後をどう生きるか」という論説が掲載されました。3.11を契機に「われわれはどう生きたらいいのか、深いところから考え直す機会」だと言うのです。そしてこれまでの「成長依存」からの脱却を提言しています。

「成長が無限に起こらないと困るという経済、社会構造、そして精神構造」からの方向転換が必要だと述べています。そしてブータンのGDH(国民総幸福量)を例にあげ、大切なのは経済成長ではなく国民の幸福であると指摘しています。

そして「貧しい時代や地域には健康を保つために経済成長が必要でしたが、今の日本でこれ以上成長すると、環境を破壊し、放射能をまき散らすような事態になる」と警鐘を鳴らしています。

一方生活クラブ生協の「生活と自治」1月号には元東京放送記者、日本初の宇宙飛行士秋山豊寛(あきやま・とよひろ)氏が「マインド・コントロール」という小文を寄せています。その中で秋山氏は現在日本人は「経済成長がなければ豊かになれない」というマインドコントロールに陥っていると述べています。

そして「日本は『縮小』しつつ雇用を確保し、『均衡』して、どのように国民の暮らしを安全にするのかを考える時期なのです」と述べ、「『経済成長がなければ豊かになれない』というイデオロギーと決別できなければ、原子炉崩壊の連鎖と同じように不幸の連鎖は続くでしょう」と指摘しています。

期せずしてお二人は同じように、国民の幸福とは何かという根源的な問題提起を行っているのです。これまで我々は幸せになるために経済成長を推し進め、経済競争力を高めるために雇用の仕組みも変えてきました。その結果は国民は幸福になったでしょうか。どうも当初の目的とは異なり、社会の中に不安感が蔓延しているように見えます。

若者には仕事がありません。派遣社員という不安定雇用が拡大し、年収200万前後の低賃金層が増えてきています。結婚はますます遠ざかり少子高齢化は一層進展しています。年金の支給開始年齢の先送り、健康保険や介護保険料の引き上げなどお年寄りにとっても住みにくい社会になっています。

もっとも経済成長といっても私たちはすでにターニングポイントを回ったように見えます。経済成長は限界に達し、これからの経済は「拡大」から「縮小」に移りつつあります。これからは物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさを考えるべき時にきているのです。豊かさを計るに、その量ではなくその質が問われる時代になっているのです。

最近のテレビで「ちい散歩」「ブラタモリ」「世界まちかど散歩」といった番組が増え、それなりに人気を博しています。これまでのような名所旧跡ではなく、一見何の変哲もない街をあるくことが番組になるのです。お金をかけなくても街角をあるく中で新しい発見があり、旅の醍醐味を十分味わうことができるのです。

時に海を見よ!

2012-01-09 00:37:38 | 雑感
昨年の暮、大掃除をしている時、NHKのラジオ放送で渡辺憲司先生の話を聞く機会がありました。渡辺先生は埼玉県の立教新座中学・高校の名物校長先生です。あの3.11の大災害の中でほかの多くの学校同様、立教新座中学・高校の卒業式は中止となりました。しかし渡辺先生は「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」というメッセージを送り、卒業される生徒の皆さんを激励しました。

そのメッセージがネットを通じて評判になりこのラジオでも取り上げられたものです。聴いていて私自身心を打たれました。しばらく大掃除の手を休めて聞き入ってしまいました。あの大震災を前にして何をなすべきなのか、これからの自分の人生をどう考えるべきなのか問いかけています。

以下に立教高校へリンクを張っておきましたのでぜひクリックしてお読みいただければと思います。●メッセージ「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」

渡辺先生は「大学に行くとは、『海を見る自由』を得るためなのではないか」と問いかけています。「言葉を変えるならば、『立ち止まる自由』を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい」と続けます。

そして「悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない」と述べます。

時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ
」と続けます。

そして最後に「巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ」と結んでいます。

私は日本の若者があの3・11をしっかりと受け止め、そこで得たものをこれからの人生に活かしていってほしいと思います。そして日本の若者はそうした期待に十分応えてくれるものと確信しています。渡辺先生の熱い思いを伝えて行きたいと思います。

風邪にお気をつけください

2012-01-05 01:57:06 | 雑感
わが家ではいま風邪のウィルスが蔓延しています。まず孫達が暮に風邪をひいて、それが2日には長女に移り、3日夜には帰省していた次女に感染。次女は新年早々職場を休むはめに陥りました。そして4日には妻と長男が体調をくずし食事もとらず寝込んでしまいました。

病状は感染初期は激しい嘔吐と腹痛、そして下痢が続きます。長女も次女も病院で点滴を売ってもらったようです。ノロウイルスではないようですが普通の風邪とはちょっと違うようです。皆さんのお宅では風邪などひかれている方はいらっしゃいませんか。寒波で寒さは一段とつのるようです。どうぞご自愛ください。

そんな中でなぜか私だけがいまのところ食欲もあり元気です。そこで年が明けて初めて「議会だより」の配布に出かけました。小雪が風にのって吹きつける最悪の天候でしたが、一日かかって300部ほど配りました。しっかり寒さ対策をして出かけたのですが、薄い手袋では手がかじかんで寒さが身にこたえました。

2日は農事組合の総会と懇親会、3日は区の新年総会が行われ新しい区の役員さん、公民館の役員さんが決まりました。そして5日には新役員の皆さんと一緒に市役所に新年の挨拶まわりです。年が明けて地区内の組織も動き始めました。

西田敏行の「あの街に生まれて」

2012-01-05 01:16:36 | 雑感
暮の紅白歌合戦をご覧になりましたか。わが家でも家族でそろって見ました。その中で一番心に残ったのが西田敏行さんの」あの街に生まれて」でした。西田さんは私と同じ段階の世代でその庶民性にひかれ以前からファンでした。彼の「もしもピアノが弾けたなら」はカラオケでよく歌っていました。

その西田さんのふるさとは福島県郡山市。そのふるさとが今回の大地震・原発事故で危機にみまわれ、ふるさとを元気づけるための取組みを進めてこられたそうです。そんな中で生まれた曲が「あの街に生まれて」だったそうです。

この歌はこころに沁みました。ふるさとを思う気持ち、あきらめないと言う強い意志、一歩ずつ進んでゆくと言う決意があふれていました。被災された皆さんはもちろん、傷ついた日本中のすべての人々に対する励ましのメッセージです。どうぞお聴きください。

 あの街に生まれて

 悲しみに打ちひしがれ
 止まらない涙に
 ため息をつきながら
 負けそうになった時は
 故郷のあの空を
 目を閉じて思い浮かべた
 懐かしい海と山が
 いつだって味方だった

 何も心配しなくていい
 ここに帰ってくればいい
 まるで母親のように
 励ましてくれたんだ(後略)

新年おめでとうございます

2012-01-01 00:25:16 | 雑感
2012年が明けました。皆様どのように新年をお迎えになりましたでしょうか。この年が皆様にとりましてより良い年になりますよう心からお祈り申しあえます。

昨年は本当に大変な年になりました。3・11の東日本大震災・大津波、そして東電福島第一原発事故は、それまでの私たちの生き方そのものを問い直すものとなりました。人とひとの絆や思いやり支え合いが何よりも大切であるということをあらためて認識することができました。

今年は笑顔があふれる年にしたいと心から願っています。家族や友人、そして地域の人々との絆を大切にし、思いやりや支え合いを大切にして行きたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

さて、わが家では暮に次女が帰省し、2日には長女一家が孫たちを連れてやって来て久しぶりに賑わいを取り戻しました。しかしそれもつかの間、3日の夕方には次女が高速バスで東京に戻り、わが家は静けさを取り戻しお正月は終わりました。それでもみんながそろって夕食を囲むことで家族の絆が深まりました。次女は結婚を控え独身最後のお正月になりました。

2日の午後には農事組合の総会と新年会があり、3日の午前には中屋敷区の新年総会が開かれ、それぞれ新しい役員の方が決まりました。お忙しいこととは存じますが1年間よろしくお願いいたします。

年末の大掃除です

2011-12-29 02:29:22 | 雑感
いよいよ今年も残すところ3日となりました。皆様のお宅では年取りの準備はお済みでしょうか。わが家はまだまだやり残しばかりで、昨日はジャガイモを地下の室(むろ)にしまったり、ガラス拭きをしたり、障子を張り替えたり、おおわらわでした。

手の開いた時に干し柿を取り込みました。11月中旬に屋根につるしておいたものです。いただいた干し柿はきれいに粉を吹いているのですが、わが家の干し柿は黒くなってしまいました。それでも自分で作ったこともあり味は格別です。200個以上作ったので一部は冷凍しこれから楽しめそうです。

昨夜、下の娘が東京から帰ってきました。三が日家族で一緒に過ごせそうです。娘にとって独身最後の正月です。思い出をつくってやりたいと思います。

今日は私の「議会だより」第13号が印刷会社から宅急便で届きます。年内にできるだけ配ることができればと思っています。今年も皆様には大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。


廊下で家族で障子の張り替えです。


わが家の干し柿、見た目は悪いのですが味は格別です。

御牧乃湯に行って来ました

2011-12-28 09:29:21 | 雑感
昨日家族で日帰り温泉「御牧乃湯」(みまきのゆ)に行きました。東御市にはこうした日帰り温泉施設が4館あります。それぞれ特徴ある温泉施設です。その中でも御牧乃湯は一番最初にできた施設で、老朽化に伴い12月1日にリニューアルオープンしたものです。

オープン時に内部を見学したのですが、実際に利用するのは初めてです。ウィークディの昼間でしたのですいていてゆったりと利用することができました。お風呂はガラス張りで真っ白な浅間山を臨むことができます。露天風呂やサウナ風呂、水風呂もあり設備は十分です。洗い場がやや狭いのではないかと思いますが、銭湯ということであればこれで十分でしょう。

畳敷きの休憩所も併設されていましたが飲食の提供もなく、持ち込みも禁止になっているので利用するのはせいぜい自販機で売っているジュースやコーヒーぐらい。なんとなく落ち着かない空間です。そういえば座布団もありませんでした。

日帰り温泉施設が4館もある自治体は他にはありません。そんな中でそれぞれが生き残ってゆくためには、特徴ある施設として再編することが必要です。そうした意味で銭湯としての方針は必ずしも間違っていないと思いますが、これまで御牧乃湯を利用されてこられた方からすれば評判は必ずしも良くないようです。悩むところですね。

御牧苑で昼食をとりました。こちらも御牧乃湯にあわせて改修し見違えるようにきれいになりました。ホエ豚のトンカツをいただきましたがとても美味しかったです。ホエ豚とはチーズの搾りかすで育てた豚でこの地域の特産です。名物料理になるのではないでしょうか。

しかし多くのメニューが1000円以上で、気軽に利用するには割高なのが気になりました。これまでの食堂からおもてなし処にイメージチェンジを図っていることは理解できるのですが、ワンコインランチが広がっている中でワンランク上のお客様をゲットできるかどうかが課題です。それにはリニューアルしたことへの宣伝が欠かせません。

しかしそんな看板ものぼり旗も見当たりませんでした。販売促進に力を入れている様子が外からは窺えません。そうでなくても御牧苑の前の道は交通量も少なく近隣の住宅も多くはありません。販売促進が欠かせないはずですがどうしたことでしょう。

御牧苑のリニューアルにあたって以前私は問題視したことがあります。その時指摘したことが杞憂に終わればいいのですが。


真っ白に変貌した浅間山をバックにした御牧乃湯。


御牧乃湯の隣にある食事どころ「御牧苑」。こちらもリニューアルです。


ホエ豚のトンカツは肉がやわらかくとてもジューシィでした。


続東御清翔高校の思い出

2011-12-24 05:29:07 | 雑感
東御清翔高校について市民の方からメールをいただきました。お一人おひとり東御清翔高校に対する熱い思いがあるのだなとあらためて感じました。以下に掲載させていただきます。

私の思い出に、建学の経緯と、市議のご尊父の思い出を、綴って書いていただき、改めて歴史を感じました。(SYさん)

学校は、なだらかな坂の上にあるのがいい。とものの本で読んだことがある。毎日、登校時、向学心、とかやる気とか、何かをたたき込むのでしょう。「飲み水」「向学心」「人材育成」先人たちの思いを知るにつけ、郷土の先人たちに、改めて、敬意を表したいと思います。(遊子)

いろんなことで学校に行けなくなった子どもたちは、沢山います。その受け皿が必要です。東信では、東御清翔高校がその役割を担いました。まだまだ、地域で受け入れられていませんが、温かく育てていって、地域密着の学校になっていただくよう応援したいとおもいます。(今を生きる旅人さん)

東御清翔高校のグランドに「全員野球」の看板のあるのをごぞんじですか。かつて、プロ野球選手も出した野球部です。私はまだあきらめていません。大空高く飛び立つ日まで応援しています。(旅人さん)

私の住んでいる滋野地区には滋野小学校があります。小学校の裏に八幡神社があり、その下から湧き水が滾滾と湧いています。そこから鉄管で学校までひいてきて飲み水に使っていました。暑い夏は冷たく冬は暖かくとても美味しい水でした。小学校の入り口には「原泉混々」という石碑があります。八幡様の湧き水のごとく育っていってほしいと言う先人の教えだと思っています。



昔は滋野小学校は別のところにあったそうです。地域の人々は新しい学校をつくるにあたって地域の中で一番いい場所を選んだそうです。飲み水に不自由することはありません。いつも八幡様が子供たちを見守っていてくれます。滋野村役場にも程近いところです。大切な田んぼをいくつもつぶして広いグラウンドをつくりました。子供たちにいちばんいい環境を用意してあげたいという行政の思いがあったのでしょう。

そこには滋野中学校もありました。いま滋野保育園になっているところです。毎年秋には小中合同の運動会があり、村をあげての一大行事でした。そこで兄や弟、家族で一緒に食べるお稲荷さんと海苔巻きが何よりのご馳走でした。むろん母親が作ってくれたものです。

そんな地域の人々の思いがギュと詰まったところに、いくら必要だからといって校舎を取り壊して道路にするなどとは私なら考えられないことです。

公民館報が発行されました

2011-12-23 03:47:46 | 雑感
暮れも押し迫って公民館報で天皇皇后両陛下の中屋敷訪問が特集されました。8月24日に両陛下は中屋敷のブドウ園を訪問され、住民の皆さんの熱烈な歓迎を受けました。特集記事ではこの訪問につながったエピソードを掲載していました。

2年前の8月末、滋野地区の絵画教室のメンバーが軽井沢にスケッチに行かれた時のこと。スケッチされているところへ両陛下が散歩で通りかかり「皆さんはどこから来たのですか」と気さくにお声をかけていただいたそうです。「東御市です」と答えると、「そこはどこですか」と再度聞かれ、「もと東部町と言いました」と言うと、「昔皇太子時代に行ったことがあります」とおっしゃられたそうです。

「その当時の方はどうなされていますか」と聞かれ、「多くの方は亡くなりました。またぜひおいでください」と親しくお話をされたそうです。それが2年後、こんなかたちでの来訪につながりました。

その時の絵画教室の先生は中屋敷の方でした。今年の7月ごろ宮内庁から長野県庁を経由して東御市に問い合わせがあったそうです。東御市の絵画グループを探しているとのことだったそうです。市でも探してもわからず困っていたところ、たまたまそれを耳にした絵画教室のメンバーの知り合いの方から話がつながったそうです。それからトントン拍子に話が進み今回の訪問になったとのことでした。

それにしても両陛下と絵画教室の皆さんとの偶然の出会いがあり、「おいでください」という絵画教室の皆さんのお誘いをきちんと受け止めていただいたこと、48年も前の皇太子時代の訪問を覚えていたことなど、一般庶民とのなにげない触れ合いが、東御市をあげての歓迎行事につながったことは驚くべきことでした。

今回の訪問の中で両陛下のやさしさやあたたかさ、国民を大切に思いやる気持ちを感じ取ることができました。東日本大震災でも何度か被災地に足を運ばれ、被災された皆さんと親しくお話をされている様子をテレビなどで見ていましたが、あらためて両陛下の国民へのやさしい眼差しを感じました。

そういえば今日は天皇誕生日です。お元気でと願っています。


両陛下はとても気さくにお話をされていました。


天皇陛下は48年前、皇太子時代にも中屋敷のブドウ団地を視察していただきました。上はその時の写真、下は今回の訪問の写真です。

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