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収穫祭にご招待されました

2011-12-23 02:17:05 | 雑感
12月22日は滋野小学校5年生の収穫祭でした。子どもたちからご招待状をいただき出席しました。滋野小学校では教育の一環として農業体験を行っています。それぞれの学年ごとに巨峰やそばや豆を作っています。その中で5年生は学校のそばに田んぼを借りて1年を通して稲作を体験しています。

私たちはボランティアでそのお手伝いに参加しています。春の田植え、秋の案山子作り、稲刈り、脱穀と季節ごとの作業をみんなで行います。私は今年はお田植えに参加しただけで都合がつかず稲刈りや脱穀には参加できませんでした。

農家の子どもさんも多いと思いますが機械化が進んでいるため、田植えや稲刈りの経験はほとんどありません。はだしで田んぼに入ったとか鎌を使うのは初めてという子がほとんどでした。とても良い経験だと思います。

当日は子供たちが料理をこしらえ会場を準備し、収穫祭を運営しました。ボランティア一人ひとりに対し感謝の作文を読んでくれました。その後一緒に食事をしました。どのお料理もとても良く出来ていて美味しかったです。滋野小学校の5年生の皆さん、ありがとうございました。


昨年の稲刈りの様子です。みんな一生懸命仕事をしていました。


私たちボランティアもそろって子供たちと一緒に収穫祭の始まりです。


子供達がたくさんの料理をつくってくれました。


とてもステキな感謝状をいただきました。

東御清翔高校の思い出

2011-12-21 06:54:59 | 雑感
市民の方から東御清翔高校の思い出が綴られたファックスが送られてきましたので掲載いたします。

旧東部高校周辺は、子供たちの絶好の遊び場であった。正門にいたる坂道の下に、自転車店があった他は、両側は段々の田んぼ、やがて左に実習果樹園、正門の両側にポプラの木。入って右は野球部の部室。木造校舎、ひょうたん池、牛小屋。水のみ場で水を飲み、裏道に出て、石段を登るとグラウンドに、野球部の元気な声が響いていた。土手ファンの中に入り練習を見て帰路に着く。今もはっきり覚えている、私のふるさとの風景である。

あれから、だいぶ変わったが、求女川(もとめがわ)の土手の桜と、正門付近の松、山浦先生の胸像などに、かろうじて当時のおもかげが残っている。今回これを壊そうとする計画があるが、ここで生まれ育ったものには考えられない計画である。(後略)(Yさん)


東御清翔高校は千曲川の河岸段丘の上にあります。高校は田中駅から10分ほどで国道18号線にも近く交通の利便性の良いところにあります。校門からは田中の町並みが一望でき地域の優秀な人材を育てる場所としては最適のところです。

初代校長の山浦政(やまうら・まさ)先生が旧東部高校(東御清翔高校)をこの地に建設された事情を地域の歴史に造詣の深い方から聞いたことがあります。まず近くに飲み水に最適な湧き水があったこと、田中の街から坂道を上って登校するという環境を大切にしてこられたとのことでした。

道路を建設するために、地域の人材を輩出してきた旧東部高校の校舎と体育館を取り壊すという計画は、生徒たちに徳育教育を実践された山浦政先生の教育の理想を否定するようで誠に残念です。

高校があたかも町の発展にとって邪魔な施設であるかのような印象を受けます。そんなことは感傷に過ぎないという考え方もあるかもしれません。しかし私の父は教師として長くここで教鞭をとり、学校の農場で子供たちと同じ釜の飯を食べ開墾にいそしんできました。そんな父が存命ならさぞかし悲しがるのではないかと思います。

この道路、県東深井(あがた・ひがしふかい)線は300メートルで15億円かかるそうです。15億円という金額はなかなかイメージできませんが、1メートルにすれば500万円ということになりますね。

孫がやってきました

2011-12-18 05:03:25 | 雑感


このところ議会関連のこむずかしい話が多く少々食傷気味です。そんな中、娘が二人の孫を連れてやってきました。お兄ちゃんが風をひき病院に行くというので下の孫を預りました。早速寒い中妻とお散歩にでかけましたが、やはり寒さが身にこたえるのかまもなく戻って来ました。

孫の好物はヨーグルトです。冷蔵庫にあるのを知っているので催促し、帽子も脱がずに早速パクつきました。とても上手にスプーンを使って真剣に食べています。とても表情が良かったのでパチリ。来るたびに成長がわかります。

娘は病院から戻り昼前に帰って行きました。やはり孫は来てよし、帰ってよしですね。上の孫は病院から戻っておばあちゃんと遊ぶことを楽しみにしていたので不満顔でした。

娘にとっても近くに実家があると言うことは何かにつけて便利なようです。子どもが小さいときは病気にもかかります。そんな時近くに助けてくれるところがあるということはとてもいいことですね。

私も若い頃転勤で埼玉県の熊谷で数年暮らしたことがあります。3人目の子が生まれた冬、私以外の家族全員が病気にかかり寝込んだことがありました。結局実家から私の母が元気だった上の娘を連れに来て、妻は長男と生後9ヶ月の赤ん坊と一緒に3人で入院しました。

幸い年末までには退院できたのですが結局帰省できず、お正月は上の娘は信州でおじいちゃんとおばあちゃんと過ごし、私たちは熊谷で過ごすことになりました。家族が一緒でなかったお正月はこの時だけでした。5年熊谷で暮らしたのですが、土地の名刹である熊谷寺(ゆうこくじ)の除夜の鐘を聞いたのは初めてでした。

最近共稼ぎのお宅も多くなっているようです。近くに実家がない方はどうしているのでしょうか。ファミリーサポート制度もあるようですが実態はどうなっているのでしょうか。調べてみる必要がありそうです。

わが家の5大ニュース!

2011-12-14 01:50:01 | 雑感
平成23年も残すところあと半月です。今年はなんといっても3・11の東日本大震災・大津波・福島原発事故が人々の生活に大きな傷跡を残すことになりました。毎年恒例の京都清水寺の世相を表す漢字は「絆」だったそうです。3・11はあらためて私たち自身の生き方を問い直すことになりました。

そんなことも含めわが家の10大ニュースを考えてみました。

1、3・11東日本大震災・津波・原発事故
 私も会派の視察で5月と8月の二度現地を訪れました。自然の猛威に言葉を失いました。原発事故による放射能はこれからも私たちの生活を脅かす存在になるのは間違いありません。

2、議員活動の本格化と「市議会だより」の刷新
 一昨年新しい会派「太陽と風の会」を結成し仲間4人と議員活動を本格化させました。会派による視察や勉強会などを積極的に行ってまいりました。また議会広報調査特別委員長として同僚議員とともに、わかりやすく読みやすい「市議会だより」発行に取り組みました。

3、天皇・皇后両陛下の滋野・中屋敷訪問
 8月24日、天皇・皇后両陛下が中屋敷のブドウ園においでになりました。天皇陛下は48年前の皇太子時代に次いで2度目です。とても名誉なことで元気をいただきました。

4、消費者と結ぶついたぶどう販売
 今年のぶどうは満足できる仕上がりでした。いつもご利用いただいている皆様にダイレクトメールをお送りしたり、チラシを同封したりできるだけ顔の見える販売に努めました。おかげさまで新しいお客様も増え、来年につながる足がかりができました。

5、新しい家族が増えます
 ことしは長女の孫たちと仲良しになりました。孫は4才と2才。かわいい盛りです。次女も来年には結婚することになりそうです。家族が増えていくことはとてもうれしい限りです。

来年は辰年です。いい年にしたいものですね。

孫がやってきました

2011-12-06 01:28:27 | 雑感
今日は娘が歯医者のために下の孫をあずかることになりました。妻が所用で外出中だったため孫と散歩しました。太陽が顔をみせ暖かな日となり、散歩にはちょうどいい陽気となりました。


早速区がつくった子ども広場で滑り台です。何度も何度も繰り返して滑っていました。


滑り台が終わると今度はブランコです。ブランコも最近では自分でのることができるようになりました。まだ自分でこぐことができないため、押してあげます。


靴も自分で脱ぐことができるようになりました。


オムツを替えるために自分でズボンを脱ぎます。こんな彼も9日で2才になります。

孫と散歩でした

2011-11-30 01:38:54 | 雑感
娘が歯医者に行くということで2時間ほど下の孫をあずかることになりました。そこでしばらくぶりに孫と散歩をしました。


上の孫は電車が大好きでしたが下の孫は自動車が大好き。大きなトラックが来ると「おっきいー」と喜びます。いつまでも見ているので抱きかかえて帰ろうとすると大声で泣いて抵抗。大変でした。


下の孫はお兄ちゃんがとてもいいお手本です。まだ2才にもならないのに自分で靴下を脱いだりはいたり、ズボンも自分で脱ぐことができます。何でもお兄ちゃんと同じでないとすまないんですね。いまはくるみの選別を行っているところです。おばあちゃんがやっているところを見ていて自分でもやりたいとダダをこねました。一日一日が成長です。


駅伝大会がありました

2011-11-13 23:59:43 | 雑感

13日は恒例の市内一周駅伝大会です。私の住んでいる中屋敷区は駅伝が始まってから1回も休むことなく公民館として参加しています。昨年から有志による駅伝クラブができました。メンバーは小学生から大人まで幅広い層が結集しています。駅伝コースには大勢の区民が応援に駆けつけ、選手に熱い声援を送っていました。


午後は干柿づくりです。わが家には柿木がありますが残念なことに渋柿です。このままでは渋くて食べられません。そこで皮をむいて干柿にすることにしました。


軒下に柿のすだれができました。おいしい干柿になればと思っています。

冬はもうすぐそこまできています。畑の始末、植木の手入れなどやるべきことは山ほどあります。なかなかはかどりません。明日からは議会の視察で3日ほど留守になります。

十日夜のわらでっぽう

2011-11-07 02:22:24 | 雑感
「十日夜」をご存知でしょうか。「とうかんや」と読みます。これは旧暦10月10日に行われる収穫祭です。稲の収穫が終わって田の神様が山に帰る日とされており、稲刈り後の藁を束ねて「わらづと」や「わらでっぽう」を作り、地面を叩きながら唱えごとをする行事が長野県の東信地方を中心に行われています。

一般的には、収穫を感謝し翌年の豊穣を祈って田の神に餅・ぼた餅が献じ、地の神を励ますためと伝えられていますが、作物にいたずらをするモグラを追い払うという意味もあるようです。

有名なのは御代田町の「十日夜」ですが滋野の片羽地区でも行なわれており、11月6日には公民館に保護者の皆さんや子供たちが集まりわらでっぽうづくりをしました。日頃わらなどさわったこともない子供たちがお父さん達に教わって、一生懸命わらを束ねて、それを縄で巻いてわらでっぽうを作っていました。

子供たちは出来上がったわらでっぽうを持って「とうかんやのわらでっぽう~」と歌って力いっぱい地面をたたいていました。お天気が良ければ集落をまわるそうですが、あいにく小雨でした。

片羽地区では他にも「わら馬引き」などの伝統行事を行っており、子供たちが地域の風習に親しむ取組みを行っています。


お父さん達の指導のもとで子供たちはわらでっぽうをつくっています。


みんなで歌をうたってわらでっぽうで地面をたたきます。


女の子も元気よくたたいていました。

東京へ家族旅行でした

2011-11-07 01:08:15 | 雑感
11月2日の夜市議会議員特別セミナーから帰って、翌日の早朝今度は家族で東京に向かいました。東京で働いている下の娘と一緒に都内を観光して回りました。家族にとっては久しぶりの東京見物でした。


最初は上野動物園のパンダです。上野動物園は休日と言うこともあり子供連れで超満員でした。30分待ちでやっと見れたと思ったらお昼寝の時間となってしまいました。


公園の中は人、人、人でした。ゆっくりと座って見ることなどとても無理でした。あちこち見てまわる中で動物園の展示方法が変わってきていることに気がつきました。動物に接近してその生態を見ることができたり、檻の中に樹木を植えたりしてできるだけ自然の中で見せようとしたり、いわゆる行動展示というのでしょうか。以前旭川市の旭山動物園を見たことがありますが、あちらの方が何倍も広い分、よりゆったりと見ることができました。


その後、浅草の仲見世を見てから隅田川を渡りスカイツリーを見ました。近くまで行くと見上げるようです。夜は築地で江戸前寿司を堪能しました。


二日目は泉岳寺で赤穂浪士のお墓参り。その後恵比寿のガーデンプレスでおいしいビールと昼食でした。「ジブリ美術館」に行く家族を井の頭線渋谷駅に送りに行くと、通路に岡本太郎の巨大な絵が飾ってありました。

原爆の爆発による第五福竜丸の被曝を題材にした「明日の神話」です。以前にも見たことがありましたが、福島原発事故のあと見るとあらためてそのすごさに圧倒されます。

二日間、家族で大いにエンジョイしてきました。また明日からがんばります。

市町村議員セミナーに参加

2011-11-06 23:30:28 | 雑感

11月に入ってはやいものでもう6日になりました。この間約1週間と言うもの更新してきませんでした。ご覧いただいている皆様にお詫び申し上げます。この間、さぼっていたわけではなく更新できない事情がありました。

11月1~2日は幕張にある市町村アカデミーという施設で市町村議会議員特別セミナーに参加。3~4日は久しぶりに家族旅行。5日は議会だよりの配布、そして6日は講演会の受講と六分水の虫干しと行事がたて続いており更新することができませんでした。この間のできごとについては順次掲載してまいります。

まず市町村議員特別セミナーのことからお話いたします。このセミナーは議員の資質向上を目指し市町村アカデミーが毎年開催しており、東御市議会は新人議員を中心に毎年2名ずつ派遣しています。今回は私と阿部議員の2名が参加しました。北海道から沖縄まで全国から256名の議員さんが参加されていました。長野県内からは小諸市さんや安曇野市さんが参加していました。

セミナーは初日は朝日新聞編集委員の星浩さんの「これからの政治の行方」という講義と、宮城県涌谷町医療福祉センターの青沼孝徳さんの「大震災と地域医療の連携」という講義をお聞きしました。夜は交流会となり多くの議員さんと意見交換をすることができました。

二日目は法政大学教授で議会改革の論客である廣瀬克哉教授の「地方議会の役割と改革の行方」という講義を聴講しました。その後「地方議会の役割を考えるー福祉・医療の分野から」と題したパネルディスカッションを聴講しました。廣瀬さんがコーディネーターでパネリストは西吾妻福祉病院管理者である折茂賢一郎さん、東京有明医療大学間の学部准教授である千葉喜久也さんのお二人でした。

1泊2日のセミナーはとても刺激的でした。その中でも「地方議会の役割と改革の行方」を講義された廣瀬教授の講義は私にとってあらためて議会改革の重要性を認識し、取り組みへの決意を固めるものとなりました。

廣瀬教授は議会の使命(ミッション)とは何かと問いかけます。そして全国で始めて議会基本条例を制定された北海道栗山町の条例前文を紹介します。

「議会は、その持てる権能を十分に駆使して、自治体事務の立案、決定、評価における争点、争点を広く町民に明らかにする責務を有している。自由かっ達な討議をとおして、これら論点、争点を発見、公開することは討論の広場である議会の第一の使命である」(栗山町議会基本条例前文)

私は議会の役割とは、議会に提出された議案を審議して決定することだと思っていましたが、議決以上に討議結果を通して論点・争点を発見し、それを市民の前に明らかにすることだというのです。

そして議会における討議を通して論点が広く社会に伝わること、それによって世論が形成されること、その民意に耳を傾けながら結論を出すことが本来の民主主義であると指摘されていました。

こうした点から考えると東御市議会の活動で気のついた点がいくつかありました。

9月議会においては、田中保育園の建設場所選定にあたっては加沢区から陳情が出されるなど様々な議論が出されました。従来だと議員の間でも意見の異なった事案については「市議会だより」への掲載を見合わせるなど慎重な取り扱いが主流でした。しかし議会での討論の様子を市民に伝えることが大切だということで、11月発行の「市議会だより」では2ページにわたってこの議論の内容を詳細に伝えることになりました。

まだまだわかりやすく伝えるレベルには達していませんが、市民の前に論点・争点を提示するという点では一歩前進であったと思っています。

また先日行われた議会報告会の報告の仕方についても課題があったと思いました。何を報告するのかあきらかでないため、ややもすると行政の二番煎じのような報告になりがちです。

本来の報告会は市民に対して議会で議論された事柄の論点・争点を明らかにすることなのです。「この議案についてはこうした問題点があり、それについてはこのような議論が出された。その結果デメリットよりもこうしたメリットがあることから議会としてはこのように決定した」といった按配です。むろんこうした報告ができるためには委員会質疑で十分論議し、討論していることが前提です。

また東御市の場合、議案の審議結果は全員一致の賛成が大多数です。こうした状況についても廣瀬氏は問題だと指摘しています。すべて丸呑み議会でもオール否決議会でもなく、問題があれば修正して議決することが必要だと述べています。

確かに東御市議会では議案を採決するにあたり時として「付帯意見」をつける場合があります。これなども法的拘束力のない「付帯意見」などでよしとするのではなく、さらに一歩踏み込んで議案の修正をすることも必要ではないでしょうか。

いまこうした議会基本条例を制定している地方議会の2割にせまるところまで来ています。議会改革については、東御市議会においても議会報告会の開催とか、一般質問における一問一答の導入など一定進んできてはいます。しかしそれが制度化されておらず慣例で行われているに過ぎません。本当に市民に責任を持った改革を行うのであれば、議会基本条例などできちんと条例化することが必要です。

二日間実りの多いセミナーでした。派遣していただいた市議会の同僚の皆さんに感謝申し上げます。

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