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続東御清翔高校の思い出

2011-12-24 05:29:07 | 雑感
東御清翔高校について市民の方からメールをいただきました。お一人おひとり東御清翔高校に対する熱い思いがあるのだなとあらためて感じました。以下に掲載させていただきます。

私の思い出に、建学の経緯と、市議のご尊父の思い出を、綴って書いていただき、改めて歴史を感じました。(SYさん)

学校は、なだらかな坂の上にあるのがいい。とものの本で読んだことがある。毎日、登校時、向学心、とかやる気とか、何かをたたき込むのでしょう。「飲み水」「向学心」「人材育成」先人たちの思いを知るにつけ、郷土の先人たちに、改めて、敬意を表したいと思います。(遊子)

いろんなことで学校に行けなくなった子どもたちは、沢山います。その受け皿が必要です。東信では、東御清翔高校がその役割を担いました。まだまだ、地域で受け入れられていませんが、温かく育てていって、地域密着の学校になっていただくよう応援したいとおもいます。(今を生きる旅人さん)

東御清翔高校のグランドに「全員野球」の看板のあるのをごぞんじですか。かつて、プロ野球選手も出した野球部です。私はまだあきらめていません。大空高く飛び立つ日まで応援しています。(旅人さん)

私の住んでいる滋野地区には滋野小学校があります。小学校の裏に八幡神社があり、その下から湧き水が滾滾と湧いています。そこから鉄管で学校までひいてきて飲み水に使っていました。暑い夏は冷たく冬は暖かくとても美味しい水でした。小学校の入り口には「原泉混々」という石碑があります。八幡様の湧き水のごとく育っていってほしいと言う先人の教えだと思っています。



昔は滋野小学校は別のところにあったそうです。地域の人々は新しい学校をつくるにあたって地域の中で一番いい場所を選んだそうです。飲み水に不自由することはありません。いつも八幡様が子供たちを見守っていてくれます。滋野村役場にも程近いところです。大切な田んぼをいくつもつぶして広いグラウンドをつくりました。子供たちにいちばんいい環境を用意してあげたいという行政の思いがあったのでしょう。

そこには滋野中学校もありました。いま滋野保育園になっているところです。毎年秋には小中合同の運動会があり、村をあげての一大行事でした。そこで兄や弟、家族で一緒に食べるお稲荷さんと海苔巻きが何よりのご馳走でした。むろん母親が作ってくれたものです。

そんな地域の人々の思いがギュと詰まったところに、いくら必要だからといって校舎を取り壊して道路にするなどとは私なら考えられないことです。

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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
本当に必要なのか (遊子)
2011-12-24 09:12:37
学校を壊してまで造る必要があるのか~そこが問題です
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防災拠点として必要? (若林幹雄)
2011-12-24 23:38:12
この道路の必要性について市側の説明は救急車の出動時間短縮になる、駐車場が必要、東御清翔高校を整備するためなどと二転三転しました。そして私の一般質問に防災拠点として必要であり、東御清翔高校を避難所とすると言い出しました。わざわざ県立高校を避難所にしなくても市内には中央体育館や中央グラウンドがあります。広く駐車場十分あり、インターチェンジにも近く、芝公園はヘリポートになります。防災拠点にもってこいです。何かはじめから道路をつくることありきのように思えます。
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整備研究委はなんだったのか~ (遊子)
2011-12-25 15:59:36
舞台が丘」は、市民参加で、時間をかけて議論し、パブリックコメントも実施し、着工しました。その後になってから、「15億かけて道路をあける」と整備の根幹にかかわることを言い出すことは、何のための研究委だったのか?
 あとだしで出して、市民の関心のないうちに、短期間の説明会で押し切ろうとするならば、市政に対する信頼は大きく崩れるであろう。
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