7月15日
早朝5時。
毎日この時間に目が覚めるんです。
ペンションから歩いて5分の砂浜へお散歩に行きました。
海に向かって釣竿を投げているおじさんたち4~5人。
結構ここはつりのポイントでもあるんです。
そこでロングリードをつけて遊ぶ俺。
舌もウン○も砂だらけさ!
蟹の甲羅を見つけて口に入れ、まずさに吐き出したり。
9時過ぎ、亡くなった従兄弟のお参りに様似町へ。
従兄弟の奥さんがいなくて、従兄弟の弟が出かけ先より帰ってくるのを近所で散歩しながら待つことに。
川には普通に白鳥が。
夫婦かしら、、、、。
俺の後ろに見える島見たいのはエンルム岬と言う所です。
帰ってきた従兄弟が、蟹あるから食べていけば?
涙がこぼれ落ちるほど嬉しい申し出をしてくれたのですが、やむなく事情を話して丁重にお断りした。
かっ悲しい。
しばらく亡くなった従兄弟の話や、お互いの近況について話お暇をした。
これは親子岩。
丁度お父さんと、お母さんと、子供が仲良く話をしているようにほほえましく見えますが、実はとても危険なところもあるのです。
ここは遠浅なので、潮干狩りや、海辺の遠足などに小学校の頃良く来たところですが、所々に深い穴があったり、引き潮が強かったりもします。
甥はその深みにはまって沈んだことがあったり、友人のお父さんと、お兄さんは、引き潮に流されて亡くなったりもしました。
その脇のトンネルを抜けると反対側にある、ローソク岩。
ローソク岩と言う名前の岩は、結構日本中にあります。
車で15分くらいの所。
ここは鵜苫です。
祖母の家があった所で、今も88歳になったおばさんが一人で住んでいます。
私は小さい頃ここが大好きで、ちょろちょろ流れる小川で遊んだり、この奥にあった大きな木に登って、日長一日過ごしていたのです。
この奥には炭焼き小屋があって、働きどんのあんちゃんが手綱を引く馬の背に揺られて、炭を取りに行ったこともありました。
結構自然児だったので。
今は草ぼうぼうだし、炭焼きも父が亡くなってからと言うか、家を建て直したときに囲炉裏もやめてしまったので、多分跡形もなくなっていると思う。
誰かさんの牧場には、白馬が草をついばんでいました。
多分友達の牧場だと思うけれど。
ここは西舎と言うところにある、伏木田光夫美術館
なんと、ロックも一緒に美術鑑賞させてくれました。
実は、彼は芸術家の方々がみなそうであったように、若い頃は貧乏でした。
彼の奥さんは保健所に勤めながら、彼の制作のモデルをしながら生活を助けていました。
で、彼らは家の借家に住んでいたのですよ。
面白い造りの家で、隠し扉があったりして、誰にも貸していない時は良く遊んだものです。自然児だったので。
(これはスリーDで取ったのでもしかしたら専用のめがねをかけると面白いかも、、、、。)
中学の夏休みの宿題の絵を見てもらい、アドバイスをしてもらったこともありました。
残念ながら私の絵はたいしたことなかったのですが、一緒にアドバイスしてもらった友人は構内に貼られる位のできでした。
この後、母の実家のおばさんを老人ホームに尋ねた。
おばさんわかる?と聞くと、さっちゃんかい?といった後は自分の世界に入り込んでしまった。
今日はね、あそこのお通夜で、ほらさっきはあの人のお通夜で、と、92歳になると自分より先に行った若い人のことばかりが気になるようだった。
ここは長女と長男を出産した時の家。
もう違う人が住んでいます。
卒業した高校。
弓道が強くて、全道大会で3位になったこともありました。
父も弓道をやっていたので、良く2人で朝5時から道場へ練習に行ったものです。
弓道2段です。
1968年の十勝沖地震のときは、学校がぼろぼろになったっけ。
今はすっかり綺麗になって、その跡形もない。
当時私が通っていた歯医者さん。建て直して立派になって。
上手で、子供の頃治療してもらった歯は、30年位も持ったんです。
人の話ではどうやら3階はダンス教室らしい。
実は(又ですが)小学校の頃ソシアルダンスをこちらの先生(技工士をしてらした)に習っていましたの。
オレンジ色のダンスシューズを履き、クリスマスパーティで大人の方と踊ったことを覚えています。
浦河港。
普通の田舎の港です。
昔は北洋サケマス漁業の基地で、萬漁丸と言う船を友達の親が持っていて、漁から帰ってくると沢山のタラバガニの親指をもらったものです。
蟹本体を取ると密漁ですが、網に入ってしまった蟹の親指だけを取って、海に返すのだそうです。
蟹は節足動物なので、又親指が無事に生えてくるのです。
楽しみだったなぁ、船が入港するのが、、、、、、、、、(遠い目)。
浦河神社。
毎年元旦になるとこの階段を馬が登って行き、今年の無病息災と競走馬の繁栄を祈願したものです。
小笠原のおじちゃんはいつもかっこよく登って行ったっけ(遠い目)。
ここには弓道部の先輩がいて、後取ったのかしら、、、、。
浦河駅。
いまでは、ローカル線のみしか走っていないようだ。昔は急行も走っていて結構な時もあったのに。今ではほとんどがバスに取って代わられてしまい、札幌へ行くのにも直行バスを使っているようだ。
生家跡。道路拡張のための工事中。
道路になっちゃうんだね。18年間過ごした家の跡地が、、、、(悲しい目)。
その後友人の純子と光春(同級生同士で結婚した)の家に遊びに行き、
夕食は?の問いに事情を話して丁重にお断りをする。
コーヒーも辞退した。
光春は、胃がんと肺がんと食道がんをいっぺんに発症し、それでも初期だったので放射線治療で治ったそうだ。
つるつるの写真を見せてもらったけれど、新しく生えてきた毛はふさふさで以前より若くなったみたいだ。
今日全ての予定をこなし、再びペンション泊まり。
牧草が機械でロール巻きになっている。昔は四角く固めていたような気が、、、、、?
早朝5時。
毎日この時間に目が覚めるんです。
ペンションから歩いて5分の砂浜へお散歩に行きました。
海に向かって釣竿を投げているおじさんたち4~5人。
結構ここはつりのポイントでもあるんです。
そこでロングリードをつけて遊ぶ俺。
舌もウン○も砂だらけさ!
蟹の甲羅を見つけて口に入れ、まずさに吐き出したり。
9時過ぎ、亡くなった従兄弟のお参りに様似町へ。
従兄弟の奥さんがいなくて、従兄弟の弟が出かけ先より帰ってくるのを近所で散歩しながら待つことに。
川には普通に白鳥が。
夫婦かしら、、、、。
俺の後ろに見える島見たいのはエンルム岬と言う所です。
帰ってきた従兄弟が、蟹あるから食べていけば?
涙がこぼれ落ちるほど嬉しい申し出をしてくれたのですが、やむなく事情を話して丁重にお断りした。
かっ悲しい。
しばらく亡くなった従兄弟の話や、お互いの近況について話お暇をした。
これは親子岩。
丁度お父さんと、お母さんと、子供が仲良く話をしているようにほほえましく見えますが、実はとても危険なところもあるのです。
ここは遠浅なので、潮干狩りや、海辺の遠足などに小学校の頃良く来たところですが、所々に深い穴があったり、引き潮が強かったりもします。
甥はその深みにはまって沈んだことがあったり、友人のお父さんと、お兄さんは、引き潮に流されて亡くなったりもしました。
その脇のトンネルを抜けると反対側にある、ローソク岩。
ローソク岩と言う名前の岩は、結構日本中にあります。
車で15分くらいの所。
ここは鵜苫です。
祖母の家があった所で、今も88歳になったおばさんが一人で住んでいます。
私は小さい頃ここが大好きで、ちょろちょろ流れる小川で遊んだり、この奥にあった大きな木に登って、日長一日過ごしていたのです。
この奥には炭焼き小屋があって、働きどんのあんちゃんが手綱を引く馬の背に揺られて、炭を取りに行ったこともありました。
結構自然児だったので。
今は草ぼうぼうだし、炭焼きも父が亡くなってからと言うか、家を建て直したときに囲炉裏もやめてしまったので、多分跡形もなくなっていると思う。
誰かさんの牧場には、白馬が草をついばんでいました。
多分友達の牧場だと思うけれど。
ここは西舎と言うところにある、伏木田光夫美術館
なんと、ロックも一緒に美術鑑賞させてくれました。
実は、彼は芸術家の方々がみなそうであったように、若い頃は貧乏でした。
彼の奥さんは保健所に勤めながら、彼の制作のモデルをしながら生活を助けていました。
で、彼らは家の借家に住んでいたのですよ。
面白い造りの家で、隠し扉があったりして、誰にも貸していない時は良く遊んだものです。自然児だったので。
(これはスリーDで取ったのでもしかしたら専用のめがねをかけると面白いかも、、、、。)
中学の夏休みの宿題の絵を見てもらい、アドバイスをしてもらったこともありました。
残念ながら私の絵はたいしたことなかったのですが、一緒にアドバイスしてもらった友人は構内に貼られる位のできでした。
この後、母の実家のおばさんを老人ホームに尋ねた。
おばさんわかる?と聞くと、さっちゃんかい?といった後は自分の世界に入り込んでしまった。
今日はね、あそこのお通夜で、ほらさっきはあの人のお通夜で、と、92歳になると自分より先に行った若い人のことばかりが気になるようだった。
ここは長女と長男を出産した時の家。
もう違う人が住んでいます。
卒業した高校。
弓道が強くて、全道大会で3位になったこともありました。
父も弓道をやっていたので、良く2人で朝5時から道場へ練習に行ったものです。
弓道2段です。
1968年の十勝沖地震のときは、学校がぼろぼろになったっけ。
今はすっかり綺麗になって、その跡形もない。
当時私が通っていた歯医者さん。建て直して立派になって。
上手で、子供の頃治療してもらった歯は、30年位も持ったんです。
人の話ではどうやら3階はダンス教室らしい。
実は(又ですが)小学校の頃ソシアルダンスをこちらの先生(技工士をしてらした)に習っていましたの。
オレンジ色のダンスシューズを履き、クリスマスパーティで大人の方と踊ったことを覚えています。
浦河港。
普通の田舎の港です。
昔は北洋サケマス漁業の基地で、萬漁丸と言う船を友達の親が持っていて、漁から帰ってくると沢山のタラバガニの親指をもらったものです。
蟹本体を取ると密漁ですが、網に入ってしまった蟹の親指だけを取って、海に返すのだそうです。
蟹は節足動物なので、又親指が無事に生えてくるのです。
楽しみだったなぁ、船が入港するのが、、、、、、、、、(遠い目)。
浦河神社。
毎年元旦になるとこの階段を馬が登って行き、今年の無病息災と競走馬の繁栄を祈願したものです。
小笠原のおじちゃんはいつもかっこよく登って行ったっけ(遠い目)。
ここには弓道部の先輩がいて、後取ったのかしら、、、、。
浦河駅。
いまでは、ローカル線のみしか走っていないようだ。昔は急行も走っていて結構な時もあったのに。今ではほとんどがバスに取って代わられてしまい、札幌へ行くのにも直行バスを使っているようだ。
生家跡。道路拡張のための工事中。
道路になっちゃうんだね。18年間過ごした家の跡地が、、、、(悲しい目)。
その後友人の純子と光春(同級生同士で結婚した)の家に遊びに行き、
夕食は?の問いに事情を話して丁重にお断りをする。
コーヒーも辞退した。
光春は、胃がんと肺がんと食道がんをいっぺんに発症し、それでも初期だったので放射線治療で治ったそうだ。
つるつるの写真を見せてもらったけれど、新しく生えてきた毛はふさふさで以前より若くなったみたいだ。
今日全ての予定をこなし、再びペンション泊まり。
牧草が機械でロール巻きになっている。昔は四角く固めていたような気が、、、、、?