黒ラブ ロックが行く みたび!

黒ラブロックのいたずら満載や、旅日記。etc。

実は、、、、実は、、、、、。

2013-08-06 22:37:27 | 黒ラブ

変な天気でお母さんは洗濯物を取り込んだり出したりと、一日中2階を駆け上がったり駆け下りたりしていた。
それは先々週の金曜日。7月26日のこと。


お父さんが俺を散歩に連れて行ってくれようと、朝5時に起きてくれたのだが、俺はお腹が痛くて動けない。

そのまま動けない状態でいた。

お母さんが、もうお散歩行ったの?と6時頃起きてきたのだが、いや、ロックが動けないとお父さんが言う。

えっ!どうしたの?

左足が痛いみたいだ。でも本当は違う。お腹が痛くて足がつっていたんだ。

そのうち我慢できなくなって、お庭でやっちゃった。大きいほう。しかもかなり緩め。

こりゃ大変。

しかもご飯も食べたくない。この俺様が、、、、。水も飲みたくない、、、、。

お母さんもお父さんもそりゃ心配してくれたが、俺にも理由はわからない。

そんな変なもの食った覚えもないし。

俺は万事休すで、一日中寝ていた。夕食もなし。

お水も欲しくない。お母さんが俺の横で寝てくれた。

土曜日の朝、お母さんが少しご飯をくれたが、はいてしまった。

夕方、少しよくなったみたいなので、お散歩の後少しだけご飯をもらった。
お母さんが横で寝てくれた。

日曜日、あっという間に快復。

ご飯も快調に食べられたし、ウン○も絶好調のが出た。

やれやれ。





しかし、不運と言うのはどうやら続けてくるらしい。

8月3日、お姉ちゃんが良ちゃんと北海道のお土産を取りに来ていたその時、事件は起こった。


お母さんは絶対にしない。

壊れたやわらかいボールを俺に与えるなんて。


お父さんが、おどおどとお母さんに説明している。

俺は嫌だったんだけど、小雪のお母さんが大丈夫だからと言って、ロングリード貸してくれて壊れたボール投げて食っちゃった。


何で!!私がそんなことしたら大騒ぎで責めるくせに、しかも何で人のロングリードなんか借りるのよ!!

だって、こいつが小雪のピーピーボウルが気になって動かないんだもの。

私は絶対に壊れたボールなんて使わないし!!

そんなに気になるなら病院に連れて行きなさいよ!!

そうこうお父さんが怒られている時に、ピンポーン。小雪ちゃんのお母さんが来た。

私が余計なことしてロックちゃんに辛い思いさせて。

どうか病院に行ってください費用は出しますからと。

少し様子を見ようかと思うのですがと言うお母さんに、小雪ちゃんのお母さんは、絶対病院に行ってください。

もし手遅れになって開腹なんてことになったら申し訳ないし、私は今晩眠れないから。

と言う申し出に、母、即決!!

病院に電話し、ついでにフィラリアとフロントラインもお願いして、お父さんに行かせた。

およそ50分後、無事生還。
なかなか吐かなくて、そりゃ大変だったんだって。
無事吐いた時は、皆で万歳したって。そんな大げさな。

日曜日、朝、少しもらったご飯、間に合わなくて居間で嘔吐。

夜抜き。

月曜日朝、すこしもらったご飯、大丈夫。緩め。夜固め。ご飯少し。

火曜日朝、少なめにもらったご飯、大丈夫。普通。夜普通。ご飯普通。

いやあ、俺も辛かったよ。

お父さんと、お母さんも辛かったと思うけど。

いや、一番辛かったのは、お母さんに思いっきり怒られたお父さんかもしれない。

半澤直樹さんは、10倍返しとか言ってるけれど、うちのお母さんは1000倍返し逆らうのはやめたほうがいい。
くわばら、くわばら。


東北は、今だ東日本大震災から復興していない。

2013-08-03 14:03:55 | 黒ラブ
8月も既に5日過ぎ、ようやく夏休みらしい天候となった。





では、北海道旅行最終章の最終。


7月16日
苫小牧から一般道を通って室蘭へ。
地球岬を見たかったのに、ナビゲーションをつかってもいけなかった。
あちこち工事中で、ついには海の上を走る高速に乗ってしまったのです。

ああ、ここは何処? 解りませーーーーーン!!

ここは鳩山由紀夫さんの選挙区だったことだけは確かです。


17日早朝3時のフェリーに乗る予定だったので、ゆっくりと一般道を走り、10時少し前函館に到着。

うまいことに、フェリー乗り場の近くに温泉があった。
東前温泉
10時頃からおよそ1時間。
人も少なくてのんびりとゆっくりと温泉につかることが出来た。
ロックは車でお留守番です。

さて、何故早朝3時のフェリーに乗らなければならないのか。

それは乗りたかったフェリーだからです。

津軽海峡フェリーのブルードルフィン。

まあ、新しい船だからとでも、それに中型犬までは快適な船室を用意してあるのに。
何故、大型犬には快適な船旅をご用意してくれないのか!!
許せん!!

暗がりのドッグランで遊ばせて疲れさせ、ウン○も済ませてロッちゃん車でお留守番していてね?
すぐ着くから。と、言い聞かせる。もちろん車の中にはお水も用意して。

今回の船旅のお客様は、牛さん専用トラック1台と、トラック5台と、バイク7台と、乗用車9台。
牛さんも沢山乗ったままで海を渡るんだね。

朝6時50分、青森港到着です。




今日の予定は、岩手県小袖海岸と野田村です。


途中どこか解らない道の駅。
古いおうちであることは間違いないのですが、、、、、。


昔は、馬も稼ぎ手として重要な役割を担っていたのでおうちに同居です。
と言うか、雪が多く降るので少しでも暖を取るための同居?


ここであんぽんたんの黒ラブは、鼻のてっぺんを火傷してしまいました。

ふらふらと、あっちこっちメールしまくって、タバコを吸っているおじさんたちのほうへぐいっと鼻を突き出したのです。

真っ赤なタバコの先が、鼻のてっぺんに瞬間触れたかとおもったら、毛がこげていた。

犬と私も吃驚したけど、おじさんたちもっと吃驚した。

急に出てきたおっきい黒い犬が、自分のタバコの火で鼻の毛を焦がしちゃったんだから。

いやぁ本当に危機管理能力のない犬です。



青森からおよそ3時間位で着きました。
道路は細い道で車1台しか通ることは出来ません。所々に車寄せがあります。
土曜、日曜、祭日はマイカーでは行かれません。
多分、震災で被害を受けたのでしょう、道路もガードレールも新しかった。

小袖海岸も、漁港も小さな漁師小屋も全部新品でした。

海女さんの実演は、土、日、祝日だけですが、団体の予約が入ると500円で一般の人も見られると言うので、参加しました。
6月中旬の気候。海に入った海女さん2人は、唇が震えていましたが何回も潜ってくれました。
隣の人が時計を見て15秒くらいだなと言ってましたが本当はもっと長く潜れるんじゃないかと思います。

取ったうには又返します。

ストーブさんがいた監視小屋もありました。

ここでも俺は人気者です。

綺麗ね。つやつやしてるなんてね。

漁港の近くのまめぶは200円なのに、素潜りをする近くの久慈市観光協会のまめぶは、300円でした。
うに丼もありませんでした。

でも、たこが大きくて安かったのです。が、まだ道のりが長いので買うのを断念しました。

海女さんの実演を見て、次は野田村へ。

じぇじぇじぇじぇじぇじぇーーーーーーーーーーー!!!

一つ山越えた隣じゃーーーーーーん!!


内緒話を一つ。

種市先輩って、本当にいるかもしれない。
だって、種市と言う名字結構この辺ではメジャーらしく、あちこちに種市何とかと言う看板が沢山あった。


野田漁港もすっかり整備され、当時はこんなだったのに

今では新造船が港にスタンバイしてました。

でも、おばさんに聞くと、船を注文してから2年もかかったそうです。
おばさんちの船はつい1週間前に来たそうです。

瓦礫だらけだったところもほんの少しずつ変わってきていますが、2年も経っているのにまだこの位と思われるほど、遅々として進んでいないようでした。


くっきりと当時の津波の高さがわかる山肌です。


瓦礫の処理をするための簡易工場です。
砕いたりすると埃とか舞い散るのでこのテントの中でやっているようです。
大手のゼネコンの名前がテントに書いてありました。




今日は24時間トイレが使える道の駅でのお泊りです。
エスティマは結構寝心地がいいので、車中はいつもロックと一緒なら気になりません。
むしろ、どこかに預けるより安心です。

夫に無事のメールをすると、東北は土砂災害注意報が出ているので気をつけるようにとの返事。

夜半から大雨です。


朝も大雨。

ここは気仙沼です。
震災当時、何度もテレビで流された場所です。
何にも出来ていません。工事のトラックは沢山出入りしていて、復興整備はしているのでしょうが、今だ瓦礫は放置されたまま。
幹線道路以外は、ほとんど直っていない。


南気仙沼線路は、泥の中に埋まったままでした。
そして、これもテレビで幾度となく見た光景でしょう。
流された船です。
ほとんどこの場所は復興なんかとかけ離れた状態が、2年半も続いているのです。


未だに瓦礫の山です。


これも津波で被災したお宅です。
あえてブログに乗せます。もし、このお宅の方、嫌な思いをしたらごめんなさい。

最近では、マスコミもあまり取り上げなくなったけれど、ほとんど変わっていない場所でした

また、高田の奇跡の一本松を見たいと思ったのですがナビゲーションが同じ場所を何度もぐるぐる回るだけなので、断念しました。しかも大雨だし。




雨は一向にやみそうもなく、ロックをトイレに出しただけでもびしょびしょになり、拭くのも大変だったので、仙台に行こうと思っていたけれど急遽帰宅に変更。

厳美渓やら一関やら、車中からは魅力的な観光地の名前が見えるけれど、いかんせん大雨。


高速に入ってやっと雨がやみ、ほっとするmajo。


走りに走って午後4時過ぎ。
あっつーーーーーい!!無事自宅に到着しました。



11日間、およその走行距離3500キロ。

東北は予定の半分くらいしかいけなかったけれどしょうがない。
大雨がその後も毎日続く東北地方に心を痛めていたけれど、8月にはいってやっと梅雨が明けたみたい。



majoとロックの2年ぶりの北海道、東北の旅でした。



最後まで読んでいただいて、ありがとう!!

本当は写真ももっと沢山UPしたかったのだけれど、gooと、なんだかんだあって出来ませんでした。悔しいです。







あっ体調のほうは旅行終了時点では、95%くらいまで復活しましたが、いまだ98%くらいです。



センチメンタルジャーニ最終章

2013-08-02 16:45:33 | 黒ラブ
7月16日。
今日で浦河ともお別れ。
朝はやっぱり砂浜で波と戯れる俺。

だんだん波との遊び方を覚え、一心不乱に遊ぶ俺。

昨日のおじさんたちが残して行ったコンビにご飯の容器がそのまま打ち捨てられていた。

まったく!!
うちの犬が食うじゃないか!!
砂浜に下りるとしっかりと足の指を広げ、水かき登場です。

海、本当に楽しかったみたい。


8時45分に高校時代の友人に会う。

彼女は正統派お嬢様だったのに、競走馬牧場に嫁に行き、いち早く先見の目を持ち、牧場をやめて野菜農家に転向し、今ではアイコスーパーと言うブランドのトマトを、ハウス8棟で栽培しているのだそうです。
更に、冬場は苦情ねぎの生産もしているとか。

20年ぶり以上も会ったことなかったけれど、全然変わらず、お嬢様然としていました。

これが日本橋高島屋で販売されているとか。

いただいたのを食べてみると、ミニトマトなのに昔のトマトの味がしっかりしているんです。
人生ってこれだから面白い。



その後、老人ホームに入所しているおばさんをお見舞いした。
2年前に会ったときは、少しは話も出来ていたのに、今では完全に失語症になってしまい、話しかけても解らないみたいだった。

丁度お昼時間だったので、食事のお手伝いをして又来るからねと声をかけお別れした。


そしてハイセイコーにご挨拶。



午後は苫小牧に住む従兄弟との久しぶりのご対面。

母ちゃんの方向音痴のせいで、いっぱい迷惑かけちゃった。ごめんなさいね。REIKOちゃん。

昼に会ったおばさんの話とか、近況とか1時間ちょっとお話して、さあ、これから室蘭の地球岬なんぞ見てとか色々予定組んで、函館発3時のフェリィーで北海道ともお別れです。





センチメンタルジャーニ

2013-08-01 10:22:49 | 黒ラブ
7月15日
早朝5時。
毎日この時間に目が覚めるんです。

ペンションから歩いて5分の砂浜へお散歩に行きました。

海に向かって釣竿を投げているおじさんたち4~5人。
結構ここはつりのポイントでもあるんです。

そこでロングリードをつけて遊ぶ俺。

舌もウン○も砂だらけさ!
蟹の甲羅を見つけて口に入れ、まずさに吐き出したり。






9時過ぎ、亡くなった従兄弟のお参りに様似町へ。

従兄弟の奥さんがいなくて、従兄弟の弟が出かけ先より帰ってくるのを近所で散歩しながら待つことに。

川には普通に白鳥が。


夫婦かしら、、、、。


俺の後ろに見える島見たいのはエンルム岬と言う所です。



帰ってきた従兄弟が、蟹あるから食べていけば?
涙がこぼれ落ちるほど嬉しい申し出をしてくれたのですが、やむなく事情を話して丁重にお断りした。
かっ悲しい。

しばらく亡くなった従兄弟の話や、お互いの近況について話お暇をした。



これは親子岩
丁度お父さんと、お母さんと、子供が仲良く話をしているようにほほえましく見えますが、実はとても危険なところもあるのです。

ここは遠浅なので、潮干狩りや、海辺の遠足などに小学校の頃良く来たところですが、所々に深い穴があったり、引き潮が強かったりもします。
甥はその深みにはまって沈んだことがあったり、友人のお父さんと、お兄さんは、引き潮に流されて亡くなったりもしました。



その脇のトンネルを抜けると反対側にある、ローソク岩
ローソク岩と言う名前の岩は、結構日本中にあります。




車で15分くらいの所。
ここは鵜苫です。
祖母の家があった所で、今も88歳になったおばさんが一人で住んでいます。

私は小さい頃ここが大好きで、ちょろちょろ流れる小川で遊んだり、この奥にあった大きな木に登って、日長一日過ごしていたのです。


この奥には炭焼き小屋があって、働きどんのあんちゃんが手綱を引く馬の背に揺られて、炭を取りに行ったこともありました。
結構自然児だったので。

今は草ぼうぼうだし、炭焼きも父が亡くなってからと言うか、家を建て直したときに囲炉裏もやめてしまったので、多分跡形もなくなっていると思う。


誰かさんの牧場には、白馬が草をついばんでいました。
多分友達の牧場だと思うけれど。


ここは西舎と言うところにある、伏木田光夫美術館
なんと、ロックも一緒に美術鑑賞させてくれました。


実は、彼は芸術家の方々がみなそうであったように、若い頃は貧乏でした。
彼の奥さんは保健所に勤めながら、彼の制作のモデルをしながら生活を助けていました。

で、彼らは家の借家に住んでいたのですよ。
面白い造りの家で、隠し扉があったりして、誰にも貸していない時は良く遊んだものです。自然児だったので。
(これはスリーDで取ったのでもしかしたら専用のめがねをかけると面白いかも、、、、。)

中学の夏休みの宿題の絵を見てもらい、アドバイスをしてもらったこともありました。
残念ながら私の絵はたいしたことなかったのですが、一緒にアドバイスしてもらった友人は構内に貼られる位のできでした。


この後、母の実家のおばさんを老人ホームに尋ねた。
おばさんわかる?と聞くと、さっちゃんかい?といった後は自分の世界に入り込んでしまった。
今日はね、あそこのお通夜で、ほらさっきはあの人のお通夜で、と、92歳になると自分より先に行った若い人のことばかりが気になるようだった。




ここは長女と長男を出産した時の家。
もう違う人が住んでいます。


卒業した高校。
弓道が強くて、全道大会で3位になったこともありました。
父も弓道をやっていたので、良く2人で朝5時から道場へ練習に行ったものです。
弓道2段です。

1968年の十勝沖地震のときは、学校がぼろぼろになったっけ。
今はすっかり綺麗になって、その跡形もない。



当時私が通っていた歯医者さん。建て直して立派になって。
上手で、子供の頃治療してもらった歯は、30年位も持ったんです。
人の話ではどうやら3階はダンス教室らしい。

実は(又ですが)小学校の頃ソシアルダンスをこちらの先生(技工士をしてらした)に習っていましたの。
オレンジ色のダンスシューズを履き、クリスマスパーティで大人の方と踊ったことを覚えています。


浦河港。
普通の田舎の港です。

昔は北洋サケマス漁業の基地で、萬漁丸と言う船を友達の親が持っていて、漁から帰ってくると沢山のタラバガニの親指をもらったものです。

蟹本体を取ると密漁ですが、網に入ってしまった蟹の親指だけを取って、海に返すのだそうです。
蟹は節足動物なので、又親指が無事に生えてくるのです。
楽しみだったなぁ、船が入港するのが、、、、、、、、、(遠い目)。



浦河神社。
毎年元旦になるとこの階段を馬が登って行き、今年の無病息災と競走馬の繁栄を祈願したものです。

小笠原のおじちゃんはいつもかっこよく登って行ったっけ(遠い目)。

ここには弓道部の先輩がいて、後取ったのかしら、、、、。



浦河駅。
いまでは、ローカル線のみしか走っていないようだ。昔は急行も走っていて結構な時もあったのに。今ではほとんどがバスに取って代わられてしまい、札幌へ行くのにも直行バスを使っているようだ。



生家跡。道路拡張のための工事中。
道路になっちゃうんだね。18年間過ごした家の跡地が、、、、(悲しい目)。



その後友人の純子と光春(同級生同士で結婚した)の家に遊びに行き、
夕食は?の問いに事情を話して丁重にお断りをする。
コーヒーも辞退した。

光春は、胃がんと肺がんと食道がんをいっぺんに発症し、それでも初期だったので放射線治療で治ったそうだ。
つるつるの写真を見せてもらったけれど、新しく生えてきた毛はふさふさで以前より若くなったみたいだ。




今日全ての予定をこなし、再びペンション泊まり。

牧草が機械でロール巻きになっている。昔は四角く固めていたような気が、、、、、?




お父さんとお別れ

2013-07-30 10:03:00 | 黒ラブ
7月14日
チッチが朝お別れに来てくれた。



おばさんとの引っ張りっこは、それなりに楽しんだぜ!


おばさんとの引っ張りっこを微妙な顔してみている。

この後、とうとう一緒に遊んだんだけど、写真が撮れなかった。





10時過ぎ、チッチが帰ったのでおばさんの家をお暇して、お母さんの従兄弟のお見舞いに行った。

従兄弟は若年性アルツハイマーをわずらっていて、何も覚えていてはくれなかった。
子供の頃は、お互いの家を行き来し、兄弟のような付き合いもしていたのにと思うと、悲しくなってしまった。




そしてお父さんは今日千葉へ帰ります。

飛行機の時間まで、ここ恵庭の道の駅で、花時計を見たり。


牛さんと記念撮影したり。


お花のバシャを見たり。


白爪草の臭いをかいだり。


改めてお父さんの髪の毛の薄さを感じたり。


これは誰のメールかな?


俺もメール置いてくわ。



3時頃お父さんとお別れ。

一路、お母さんの生まれ故郷浦河へとGo!


今日の宿はペンション馬の宿

ここの宿からは作家の佐藤愛子さんの別荘が見える。
窓越しには、放牧された馬が目の前で見られる。


お部屋は3人部屋。
二段ベットのほか、シングルベッド1台。まあまあの広さで、うろつく黒ラブも心なしか満足げ。

オーナーさんから、犬が嫌いな人もいるので、共有スペースではなく、バルコニーから入ってくださいねと言われ、もちろんですとも、そのほうがこちらも好都合です。


夕食ははじめから頼んでいなかったのですが、貧血も度を越すほどひどくなっていたので、高カロリー栄養補助食品を恐る恐る食べてみた。

まだまだ油断できない。



夜は近くの三石昆布温泉に行ってきた。
私が昔通っていた頃の温泉は泥温泉で、茶色の泥が沈んでいたけれど今では無職透明のお湯になっていた。

ただ湯船の両脇に昆布が入っていた。


さあ、明日からのセンチメンタルジャーニに備え、早めの就寝。

ロックもお利口におやすみなさい。