桐壺更衣の父、故按察大納言のことを、深読みしてみます。
この人は、若いうちに亡くなったために、入内した娘の身分が他の妃よりいまひとつ劣り、桐壺なんていう遠くの御殿に住むことになり、女御になれなかったことになっています。
この頃の政治といえば、摂関政治で、入内させた娘の産んだ皇子が天皇となって、その祖父・伯父が外戚(母方の親戚)として摂政・関白となり、政治を動かしていく体制です。その典型が、四后・三帝を擁した「御堂関白」(就任していませんが、実質を表した敬称です)こと藤原道長です。
桐壺更衣の父の遺言は娘の入内ですが、死んでしまうのですから、権力を握るという目的は実現不可能です。更衣の兄は、多分僧侶です。スーパースター光源氏の誕生に母の悲劇は不可欠ですから、そんな境遇の妃がいて帝に熱愛されるという設定も、「こんな意味のない入内はあり得ないけど、ま、お話だからね…」と、納得してあげなければいけないのかもしれない、と一応の納得をしてみます。
でも、でも、です。この作者が、ここのところだけ、ウソっぽくするのかしら? と、贔屓は思ってしまうのですね。では、何が目的だったのか?
ヒントは明石入道です。彼は、若い日(もう40前後にはなっていたはずですが)に見た夢(=子孫に帝・后が生まれる)に一生を賭けた人です。自分自身の栄華は全く望んでいません。大臣の子に生まれながら、将来の見通しは暗く、その時に見た夢、続いての娘の誕生に賭けてみる気になったのです。恐らく、彼は源氏で、妻は中務宮の孫です。そして、桐壺更衣は、入道の従妹なのです。入道と同じ願望を更衣の父が持っていたというのは、むしろ自然です。
そして、この時代の現実においても、王権から離れた皇子たちが、「女の縁」で、皇統に復帰することを願い、時に実現したのも事実だったのです。藤原彰子の母は、宇多皇子敦実親王の孫、村上皇子為平親王(かつて東宮の本命と言われ、敗北したお方)は、甥の花山帝に娘婉子を入内させて宮中に入り浸っていたというので世間から誹られ、三条皇女の産んだ後三条即位で、女系で三条から繋がったと言われました。
物語の中では。藤壺の兄、紫の上の父君ですが、妹2人と姫を入内させています。この方が外戚として政治を行うつもりや力があったとは思えませんが、先帝の后腹の親王で、東宮になる資格は十分にあった方です。
按察大納言や明石入道の悲願と通じるものではなかったかと考えてしまうのです。
源氏物語は、たくさんの源氏たちの物語でもあるのです。