玉鬘の夫となった鬚黒大将には、れっきとした北の方がおいででした。紫の上の姉にあたる人です。式部卿の宮の大君で、妹君が冷泉院の女御ですから、本来、玉鬘に求婚するなんて、誰に対しても非礼な行為です。
これが受け容れられたのは、北の方が心を病み、時に思いがけない「発作」を起こしたりするからでした。
例えば、玉鬘のもとに、お洒落をして出かけようとする夫に、
北の方は、落ち着いて可憐にも見える様子でいらしたはずが、突然起きあがっ て、使用中の香炉を引き寄せて、大将の後ろに寄って、中の灰を肩からおかけに なった。細かい灰が空中に舞い、髪に散り、目にも鼻にも入って、息も出来ないほど。着物には焼け焦げも。
これも、「物怪が夫に嫌われるように企んでいるのだろう」と、周りは同情しつつ、鬚黒は愛想をつかしつつ、加持祈祷が行われます。
物怪調伏には、「よりまし」という多くは若い女性をたてて、その人に物怪を移し、退散させます。一族に固有な物怪、個人的な恨みを持つ人など、大抵は周知されていますから、物慣れたよりましには、すぐ物怪が憑き、それを聞く病人も心落ち着き、快方に向かうわけで、納得できる過程です。
ところが、この北の方から物怪は移らない … 加持のさなか、大声で喚く北の方に、大将は、嫌いぬいてしまわれた。一晩中数珠で打たれ、引きずり回され、泣き騒ぎなさって … さすがに疲れてうとうとし静かになると、「物怪が去った」とされたようです。
ヨーロッパのかつての精神病院の劣悪さがよく知られていますが、日本も、上流貴族の場合でもこうですから、推して知るべしという状態だったでしょう。