さっちゃんの源氏物語

「源氏物語」の楽しみ方、お伝えします

鬚黒大将北の方の病・物怪調伏

2012-11-17 15:55:54 | 源氏物語

 玉鬘の夫となった鬚黒大将には、れっきとした北の方がおいででした。紫の上の姉にあたる人です。式部卿の宮の大君で、妹君が冷泉院の女御ですから、本来、玉鬘に求婚するなんて、誰に対しても非礼な行為です。

 これが受け容れられたのは、北の方が心を病み、時に思いがけない「発作」を起こしたりするからでした。
 例えば、玉鬘のもとに、お洒落をして出かけようとする夫に、

 北の方は、落ち着いて可憐にも見える様子でいらしたはずが、突然起きあがっ     て、使用中の香炉を引き寄せて、大将の後ろに寄って、中の灰を肩からおかけに なった。細かい灰が空中に舞い、髪に散り、目にも鼻にも入って、息も出来ないほど。着物には焼け焦げも。

 これも、「物怪が夫に嫌われるように企んでいるのだろう」と、周りは同情しつつ、鬚黒は愛想をつかしつつ、加持祈祷が行われます。

 物怪調伏には、「よりまし」という多くは若い女性をたてて、その人に物怪を移し、退散させます。一族に固有な物怪、個人的な恨みを持つ人など、大抵は周知されていますから、物慣れたよりましには、すぐ物怪が憑き、それを聞く病人も心落ち着き、快方に向かうわけで、納得できる過程です。

 ところが、この北の方から物怪は移らない … 加持のさなか、大声で喚く北の方に、大将は、嫌いぬいてしまわれた。一晩中数珠で打たれ、引きずり回され、泣き騒ぎなさって … さすがに疲れてうとうとし静かになると、「物怪が去った」とされたようです。

 ヨーロッパのかつての精神病院の劣悪さがよく知られていますが、日本も、上流貴族の場合でもこうですから、推して知るべしという状態だったでしょう。

  


紫式部って … 改めて その1

2012-11-03 17:25:02 | 源氏物語

 1日と15日などと言っておいて、2日も遅れてしまいました。間が15日なんて感覚でした。今度からですね。

 昨日は、文京アカデミアの課外教室で、増上寺と、その別院妙定院の見学講義でした。全く、いつになっても、知らないことばかりですね、
 妙定院では、応挙の「出山釈迦図」を所蔵なさっていて、それも拝観しました。応挙の仏画は珍しいそうです。神々しい意志が写実性の中にうかがわれ、印象深いものでした。それにしても、港区指定文化財? だけなものですかしらね。
 増上寺のスケールの大きさにも改めて驚き、でもこちらも、三解脱門以外は保存がね~ 江戸のものって扱い軽いのでは? 

 ところで、改めて紫式部を少し。

 彼女の少女時代のエピソードで有名なのが、兄弟の惟規コレノリとのこと。父の為時は当代第一級の漢学者。息子を学問で出世させるべく、鬼のように鍛えていた教育パパです。側で一緒に勉強していた惟規よりずっとできたので、「こんな賢い子が男でなかったのは、なんて自分は不幸なんだろう」と嘆いたと、『紫式部日記』に書いています。

 この惟規、実は、兄か弟か不明です。当時の系図というものは、右から男子を並べ、次に女子。名が分からない娘が多いので、そんな場合も含めて、「女」の文字が、人数分並びます。公生活を送った男子は年齢の記載が残っている場合も多いのですが、女子は后妃関係を除き、記載がないので、年齢の近い場合、兄妹だか姉弟だか分からないのです。

 現在は、姉弟説が有力です。
 いまひとつ役人としてピシッとしない(泥酔しての醜態もあったそうです)弟を、しっかり者の姉が叱咤激励していた、と言う人もいます。
 清少納言などの「悪口」を残していますが、斎院の中将についても辛辣です。彼女が惟規の恋人だったせいだとも言われています。