かぐや姫の故郷は月ですが、もうひとつの「生誕地」が推定されています。ちょっとおもしろそうなので、ご紹介します。(拠っているのは保立道久『かぐや姫と王権神話』)
竹取の翁は、根元が光る竹を発見して、それが発端ですが、「スズメタケ」という㎜単位のキノコは竹に寄生して、微光を発するといいます。従って、かぐや姫の発見は夜だろうと。
『春日権現絵巻』に、大和川の北の辺りで、「夜光る竹」を発見した男の話があります。訪ねて行った男は、春日明神=十二単の貴女と出会い、そこに「竹林殿」を建立します。春日明神は、絵巻で2回竹林の上に降臨しますが、絵巻は黄(金)色の竹を描いているのが、手許の図録でも確認できます。
大和川流域は、奈良時代以前、河内からの入り口だったそうで、そこを本拠地としていたのが忌部=齋部氏で、かぐや姫の名付け親、三室戸齋部の秋田は、その長老が考えられる由。私は、名前から、有名な陰陽師かとも思っていたのですが。
さらに、竹取の翁は、実は「讃岐造」というのですが、この近辺に、古代から存在する由緒正しい「讃岐神社」まであるのですね。こんな所に讃岐?ですが、ルーツはあの讃岐です。大和の入り口に近いこの地域には、他にも西から移住させられた集団があり、竹も、その中の薩摩隼人たちが持ち込んだ、という研究があります。
『竹取物語』の作者は、博識で表現力・識見の優れた人物と見なされていますが、場所も架空じゃなかったのね、と感心しています。
ところで、江戸東京博物館は、今、「尾張徳川家の至宝」ですが、国宝絵巻も出ています。前期の分は終わってしまっているのですが、「柏木」で、光源氏が薫を抱いている場面でした。
驚くほど空いていて??、あんなに側近く、レンズまで使って見られたのは初めてです。表情の柔らかなタッチが感じられて、感激でした。
後期は1/29~2/11で、「東屋」です。今度も、空いていることを期待して、行ってみます。