寛弘5年9月9日。
菊の着せ綿を、同僚の兵部のおもとが持ってきて、
「これは、殿の北の方(道長正妻源倫子)が、特別にあなたに、『これでしっかり念を入れて、老いを拭い捨てなさい』とおっしゃって、くださったのよ」と言うので、
菊の露わかゆばかりに袖ふれて花のあるじに千代はゆづらむ
私はたいした年ではありませんので、少しばかり若返る程度に袖を触れるにとどめて、千年の
命はこの花の露とともに、もとの持ち主にお返しいたしましょう。
と返歌を詠んでお返し申しあげようとするうちに、
「北の方はあちらにお帰りになりました」
ということなので、無用なことになってしまい、やめにした。
『紫式部日記』に記載されています。
びしばしと、火花が飛んでいるようでしょう。この時、倫子様は45歳、式部は多分10歳位年下です。45歳といったって、前年四女の嬉子を産んだくらいです。道長は43歳。この記載は、2人にと男女の関係があった後だと、研究者は推測しています。
源氏物語でも、身分の低い相手に嫉妬を見せるのは普通です。
これも、「もう年なんだから若い女のように夫の気を惹くのは無理、せいぜい若作りでもすれば」と倫子様。「ご心配は無用。若返りの薬は、千年も生きようとするあなた様にこそひつようでございましょう」というところでしょうか。
「女房のくせに」売られた喧嘩の買いすぎです。実際に返歌をする気はなく、「日記の上だけのうさばらし」説もあります。