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さっちゃんの源氏物語

「源氏物語」の楽しみ方、お伝えします

誘う女、夕顔1

2011-09-29 17:38:20 | 源氏物語

 前回説話にあげた「転落する女」の典型が、夕顔と思えます。

 彼女が、光源氏の乳母の邸の近く、五条の小家に来るまでは、
   三位中将の娘  上流の端っこです。乳母が2人いたのは上流っぽいです。
 →父母の死      乳母が婿などを探したのでしょうか。
 →頭中将の愛人   娘も生まれたが、お坊ちゃまの夫は気配りが足りない。
 →正妻の脅迫    弘徽殿女御の妹ですから、迫力あるでしょう。

 →西の京の乳母の家   夫に危機を婉曲に訴えたのに、通じません。しかも、
               来るのも途絶えがち。身の危険を感じたのかも。
 →五条の小家

 ここで、有名な場面になります。舞台みたいです。
 上手に、乳母邸の大きな門。庶民の住む町並み。その中で、中央から下手に、
こぎれいな印象で、簾越しに女たちがやや上手の光源氏を覗く小家。板壁に匍う夕顔の花。
  光   をちかた人に物申す
  随身  かの白く咲けるをなむ夕顔と申し侍る
  光   ひとふさをりて参れ
 決まってますね。歌舞伎にそのままなりそうです。なってるのかな?

 この夕顔に、「無意識の娼婦性」を読む方もおいでです。女たちの覗く家は、遊女の宿のように見えるとかも。

 ご承知のように、夕顔の花を取りに行った随身に、きれいな召使いの少女が扇を渡します。無断で折り取ろうというのは、さすがに身分です。
  扇の歌  ひょっとして光り輝くあなた様は?(源氏の君では?)
    返歌(答えをずらして)近寄ってみなければ、あなたが誰だかわからない。

 後に描かれる夕顔の造型からすると、積極的すぎる歌ですが、彼女の置かれた境遇、女房たちの意志を考えればあり得ることです。夕顔は、光源氏を誘ったのです。
 そして光源氏は、「雨夜の品定め」に触発されて、場末とも感じられる五条で、「下の下」と思われる女の誘いに乗ったのです。  
  

 

 


雨夜の品定め ー 中の品の女

2011-09-22 22:19:25 | 源氏物語

 「雨夜の品定め」は、梅雨時の夜のことですから、今は季節外れですが、あの蒸し暑い京都の夏の夜から始まっています。

 この品定めは、左馬頭という、上流の端っこにいる青年期を過ぎた訳知り男の、「上の上」たる光源氏・頭中将というお坊ちゃま方に語ったもので、そのまま、作者の女性論とは言えません。中流階層の女たちが個性があって面白い、ということは本音でしょうが。

 この応用編が、空蝉・夕顔・末摘花です。品定めによって、光源氏の視野が広がり、恋の対象へのハードルが低くなったのです。中流は、上流から落ちてきた層と、成り上がった層とがあるという左馬頭は説明していますが、彼女たちは、皆、落ちてきた側です。
 ポストは決まった数しかありませんから、多くの人が上の階層から落ちていきます。娘たちは、親がいても落ちていきますが、死んでしまったりしたら、生活能力がありませんから、親切な後見人でもいなければ食べることにも困っていきます。

 説話の語る零落していった女たちの例をあげます。

中務大輔の娘  窮乏のため夫と別れ、近江の郡司の息子の愛人となり近江               
   に下る。妻の嫉妬に遇い郡司の婢となる。国守の伽に出され、旧夫と知り
   急死。
尾張の守の妻  晩年尼となり、守とは別れ兄に扶養される。病気になり、兄は  
   自家での死を忌み、鳥部野に捨てる。
六の宮の姫君  芥川の小説で有名。地方に去った男が、上京後、乞食になって   
   いた姫君を発見。
某の貴族の娘と名のっている遊女
近江の女    夫の死後家来に騙され、美濃にとして売られる。

 空蝉は、おそらく家来筋の伊与介の後妻となることで、零落を免れましたが、夕顔・末摘花は、説話の中の女たちと紙一重です。源氏物語が、零落した女の惨状を描くものではなかったから、そうなっていないだけです。
 いわば「きれいごと」に描かれているわけですが、行間を読んでいけば、かなりリアルに差し迫った窮状がうかがわれます。

 中秋の名月の元、光源氏に連れ出され、死んでしまった夕顔について、次回。
 


中秋の名月(須磨 鈴虫 かぐや姫)

2011-09-15 02:08:51 | 源氏物語

 12日は、中秋の名月。今年は、例年より早く、10月になってからの年も多いので、その方が、「中秋」という感じが出ますね。

 1年で、1番美しい月、とされているわけですから、月を賞美するイベントが盛大に行われました。宮中での記録の初見は、寛平9年。即位まもない醍醐天皇の時です。968年に行われた冷泉天皇の最初の月見の宴は、盛大なものです。
 清涼殿の東庭に、絵所の描いた大井川の景色が背景、造所(ツクモドコロ)が松・竹を作り、前栽を整え、詩歌・管絃の宴が行われたとあります。

 「須磨」で、光源氏は、前年の十五夜の宴を思い起こしています。
 まず、白楽天の
  三五夜中の新月の色  二千里の外の故人の心
の後半部分を誦し、都の人々を思います。兄帝からいただいた衣裳を「恩賜の御衣はいまここにあり」と誦すのは、菅原道真の詩を受けたもので、道真と同じく無罪の主張です。

  去年の今夜清涼に侍し    秋思の詩篇に独り腸を断ちき
  恩賜の御衣は今此に在り   捧げ持ちて毎日余香を拝す 
 道真は左遷の前年、右大臣として、9月9日の「重陽の菊の宴」で「秋思」を作詩し、醍醐天皇から御衣を拝受し、それを配所の太宰府に持ってきていたのです。 

 「鈴虫」にも、月見の宴がひとつ。この年は、宮中の宴がないため、光源氏は「鈴虫の宴」と称し、人々が集まり、管絃の催しとなります。そこへ冷泉院からの使者があり、光源氏はじめ一同は、院へ参上します。
 気のおけない身内同士の、落ち着いた静かな宴です。管絃、詩歌、明け方まで宴は続きました。

 国宝絵巻は、対面する(長男)冷泉院と()光源氏、横笛を吹く(次男)夕霧と並べて描いています。剥落していますが、右手上方には月があります。本文には
  月ややさしあがり、ふける空おもしろきに、  
とあります。

 今年の月は、きれいでした。
 何しろ、この夜は、かぐや姫が月に帰った夜でもあります。ざっと1,100年前に作られたという『竹取物語』。1,100年前に、月に向かってかぐや姫の行列がゆらゆらと昇天する様を思い浮かべながら書いた男(この物語の作者は分かりませんが、男であるのは確実です)がいる、などと想像するのも楽しいものです。
 中秋の名月は過ぎてしまったけれど、今年は暑かったから、涼しくなって優雅な気分も出る「季秋」に、昇天の行列を想像しながらご覧になるのもよろしいかも。
 満月は、暦によると、10月12日のようです。

 


紫式部の「お墓」 

2011-08-11 22:59:29 | 源氏物語

 紫式部の「お墓」についての報告です。行ったのは初めてです。

 堀川通りを上っていくと、紫明通りと北大路の間の左側に、島津製作所があり、その北の端に、紫式部と小野篁の「お墓」が並んでいます。石を重ねた小さな塔です。奥にあるのが紫式部で、ちょっと草を茂らせたりしていて、気遣いを見せる配置です。

 勿論、本物ではありませんが、南北朝の頃に書かれた『河海抄』に、小野篁の墓の西にあるとありますので、筋金入りの伝承です。このあたりに雲林院があって(今でも町名に残り小さなお寺もあります)、雲林院は光源氏ゆかりの寺院であること、またこの地を紫野といったところから、紫式部はこの地で生まれたからそう呼ばれたのだ、という説まで後にはあるくらい、縁のあるところと思われていたようです。

 でも、小野篁と一緒、というのは何か訳がある感じです。
 小野篁って、毎晩地獄に行っては閻魔様の助手をしていたという人です。紫式部と同時代の人ではありません。
 この2人をつなぐのは、「2人のお墓」の南西、大宮通の近くにある安居院西法
寺です。平安末からここにいた澄憲・聖覚父子が、安居院流唱導の祖で、売れっ子の説経僧だったのです。当時の説経は、ライブみたいなものです。唱導ですから、曲に乗って仏の教えを語ったのです。

 この父子の作品に、父『源氏一品経』、子『源氏物語表白』があります。
 紫式部は、嘘八百の物語を書いて人々に軽薄な恋心を起こさせたので、地獄に堕ちたのです。この苦しみを助けて、とある人の夢に出てきたので、救うために依頼されてこれらを作り、供養をし、紫式部や、源氏物語に誑かされて地獄に堕ちた人々を、苦患から救ったのです。ということになります。

 安居院の傍に紫式部のお墓があるのは、必然でしょう。地獄へ行って閻魔様に口を利いて貰うには、小野篁が最適任です。
 今でも、「源氏供養」はあるそうです。 

 ところで、澄憲は、後白河上皇のブレーンで、平治の乱で殺されて首を晒されたあの信西入道の子です。よくまぁ生き延びたものです。僧侶としては結構出世しています。博学、説法の巧みさが伝わっています。


蓮の花 2 ー 六条院の女三の宮

2011-08-04 10:18:41 | 源氏物語

 盛夏、法要が営まれる1番の理由は、蓮の花ではないでしょうか。極楽浄土を眼前に表すためです。
 『阿弥陀経』には、極楽の七宝の池には八功徳水が満ち、「池中蓮花大車輪の如し、青色には青色、黄色には黄色、赤色には赤色、白色には白色ありて、微妙香潔し」とあります。

 2年前の春に出家した女三の宮の持仏供養が、夏、蓮の花の盛りに行われました。六条院春の御殿の寝殿の一画に造られた女三の宮の念誦堂は、時間と費用をかけたすばらしさ、池の蓮の花を背景に、この世の極楽を現出し、集まった親王・上達部、セレブたちは感動したことでしょう。

 こんな感じです。
念誦堂  寝殿西面の宮の今までの住まい。飾りは、紫の上の担当。
仏     白檀製の阿弥陀三尊。
持経   名筆家光源氏の手になる阿弥陀経。
        (こんなので宮が経を読みたかったか疑問ですが)
 また、こうした行事につきものの、盛装した5、60人の女房たちは、この暑いのに煙たいほど香を焚きこめ、ざわざわと落ち着きがなく、主役の女三の宮は、ひっそりと臥している有様でした。 

 夫は、出家してしまった若い妻に未練があります。
  来世は同じ蓮の葉の上と約束しながら、今出家の貴女と別にいるのは悲しい
 という意味の歌を詠みかけると、
 妻は、
  同じ蓮と約束しても貴方の心は澄まないし、だから共に住まないと思います。

 光源氏はおざなりの、女三の宮の返歌は彼女にしては冴えていますが、ここに紫の上とのような心の交流を見ようというのは無理でしょう。このふたりにとって、特に光源氏にとっては、蓮の花はこの行事に欠かせないものですが、「極楽の花」としてそこにあればよいだけの存在です。
 この盛大な行事の開催とともに、紫の上との場合との大きな違いに、光源氏という人物の、複雑さや振幅を考えてしまう次第です。