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さっちゃんの源氏物語

「源氏物語」の楽しみ方、お伝えします

梅雨時 - さつき

2012-06-02 01:33:00 | 源氏物語

 5月は、「さつき晴れ」という言葉もあるように、爽やかな天候を連想する月です。
 ところが、ご存知のように陰暦での5月は、例えば今年は6月20日からですから、寧ろ鬱陶しい梅雨の季節です。さみだれは梅雨ですし、さつき晴れも、梅雨の晴れ間を示します。

 源氏物語で、梅雨時の記載は、まず「雨夜の品定め」。しとしとと降る雨の、蒸し暑い夜、若い男たち4人の女の話。生々しいものでしょう?

 「花散里」では、五月雨の雲間に、光源氏は麗景殿女御姉妹を訪ねます。
 中川のあたり、現在の御所の北東辺りです。来る途中、昔の女の邸でも鳴いていたほととぎすか、この邸でも声が聞こえます。橘の香りがします。

 その初音を殊更珍重したほととぎすは、梅・鶯が早春にふさわしいのと同様、橘の香を伴っての、5月の景物です。
 さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする         (古今)
 たちばなの花散る里のほととぎす片恋しつつなく日しぞ多き     (万葉)
 梅雨のむっとする気候の元に、柑橘系の香り、淀んだ空気を切り裂くようなほととぎすの声。昔の恋人。インパクトありますでしょう。

 ほととぎすは、「絹を裂くように鳴く」とか、口中が赤いので「啼いて血を吐くほととぎす」などの言葉もあります。(正岡子規の「子規」もほととぎすで、結核にかかった自らを表したといいます)

 古今集の上記の歌については、伊勢物語に、こんな話があります。
 昔の妻が地方の下役人の妻になっていることを、都からの使者として来た男は知ります。
 無理にその女に伽を強いて、この歌を詠んだとあります。

 これも、梅雨の夜。男の押し殺した恨みが立ちあがります。
 怖くありませんか?


右近(玉鬘の乳母子)

2012-05-11 18:09:49 | 源氏物語

 前回、乳母子の男を取り上げましたので、今回は、乳母子の女、玉鬘の右近を紹介します。

 源氏物語の女房名については、作者は、一定のイメージを与えています。
 右近は、後出の浮舟の乳母子と同名で、両者ともしっかりした女房です。
  侍従という名の女房が、末摘花・女三宮・浮舟の乳母子・側近として、3人登場していますが、いずれも軽い、華を求める女たちであるのと、対照的です。

 夕顔の乳母は2人(こんなところが夕顔が上流出身である名残です)で、右近の母は亡くなっています。
 
それが、夕顔の宿の主側で、玉鬘を育てる乳母一家に夕顔の死を告げられず、疎遠になってしまった理由です。

 この頃、夕顔主従は、貴族から庶民へ転落しかねないところにさしかかっていました。
 女主人が貴公子と結ばれ、生活のめどがつくことが、従者たちの切望するところです。通ってくる貴人が光源氏ではないかとの感触もあったはずです。夕顔の花のやりとりをした時から。
 右近は、その全員の期待を背に、十五夜のあの夜に、出発したのです。

 夕顔に死なれて… 弁解しようがありませんね。乳母一家は他人です。
 光源氏が言うように、名を出さずに玉鬘を引き取るなんてできないことです。ぐずぐずしているうちに、玉鬘は、筑紫に消えてしまったのです。

 玉鬘の出世物語は、右近の物語でもあります。
 右近は、玉鬘に自分の未来を賭けました。なぜ、実父頭中将改め内大臣に繋ぎをつけなかったかと言えば、そうしたら右近は外されるからです。夕顔事件の共犯者光源氏なら、そんなことはしないし、信頼も篤いのです。
 右近にすれば、玉鬘の相手が光源氏だろうと髭黒だろうと、帝だろうと、誰でもよかったのだと思われます。もはや、夕顔の影であった乳母子右近ではありません。


 乳母子の献身・一途さは、乳母の長男豊後介に見られます。妻子を敵の真ん中に棄てて玉鬘を連れて脱出するなんて、歌舞伎の忠義みたいで、恐ろしいほどです。
 本人は、無事に玉鬘の家司に大出世しますが、筑紫では、無惨なことになっていたでしょうね。そのあたりも想像できるように描かれています。


乳母子メノトゴ

2012-05-01 00:45:40 | 源氏物語

 乳母子というのをご存知でしょうか。
 ご承知のように、貴族たちのお子は母が育てず、乳母が育てます。乳を差し上げるから、乳母です。乳母には、当然お子より1歳程度以上年上の実子がいます。この子が、乳母子です。

 兄姉にして従者、最も強い絆で結ばれていると言える存在です。主人の運命に最後まで従っています。
 木曾義仲の最期まで見届け、敵に囲まれたまま、太刀の先をを口に含み、馬からまっ逆さまに飛び落ち、「貫かってぞ、失せにける」という、壮絶な最期を遂げた今井四郎兼平が、有名です。義仲も、京で敗れた後、兼平と共に死ぬために、琵琶湖の瀬田までやって来ていたのです。

 源氏物語には、そんなすさまじい乳母子はいませんが、主人にふさわしい、光源氏最強の乳母子、惟光をご紹介します。この人が活躍するのは、いかにもそれらしく、恋の場面です。

 まずは、夕顔。惟光の母の見舞いに来た光源氏が、隣家の夕顔に興味を持ち、彼が夕顔のもとに通うまでの段取りです。某院で急死した夕顔の遺体の始末から葬儀まで、20歳前後の若者とは思えない能力の高さと、行動力です。

 若紫の君を発見した時のお供は惟光1人。北山から帰邸した祖母尼上との繋ぎ、動静把握、みごとな光源氏との連携です。周囲にはわからないまま妻とされた紫の君のために、結婚の確かな証拠である「三日夜の餅」を用意するのも惟光です。宮中で名も知れず契った朧月夜の素性を探ったのも、惟光ともうひとりの腹心の良清。

 末摘花を訪ねた時は、光源氏の別な乳母子の大輔の命婦の仕事でしたが、窮乏しきった彼女を発見した時は、惟光の仕事。 
 「まだ変わらずお待ちでしたら」という白々しさまで、ご主人第一です。勿論須磨にも、運命共同体ですから、率先して行っています。

 こうして主人に尽くしつつも、夕顔を主人に「譲ったようなものよ、心寛いものだ」と思ったり、若紫の君拉致には不審だったり、粗雑ながらも自分の感覚に素直で、煩悶のない人です。だから、元々中の上程度の出身ですが、光源氏の腰巾着として順調に出世して、上流の端っこに滑り込みます。夕霧が、五節の舞姫になった娘を見初めると、明石の入道を気取ったりします。

 乳母子の役割を果たしつつ、いつのまにか「雨夜の品定め」に見られる豊かな中流貴族の典型としてのたくましさを表す人物に成長しています。
 源氏物語の奥行きの深さを感じさせるところでもあります。

 


政治家光源氏

2012-03-21 22:36:40 | 源氏物語

 光源氏を、藤原道長に準える論も昨今盛んですが、それはそれとして、明石から政界に復帰した光源氏の行動に、政治家光源氏を見るのも、興味深いことです。

 青春の象徴のようであった光源氏は、24歳の時に、藤壺の宮の出家により、その青春を閉じます。24歳というのは、「宇治十帖」で、薫が宇治大君に死なれた年齢でもあります。
 今よりも老成していた当時、このあたりの年齢が若さの限界という気もします。概ね、現代の年齢の7掛けかと思っています。還暦が、初老の四十の賀という具合です。

 父院に死なれた後の光源氏は、人の裏表を知ることになります。彼に諂ってよい目を見た人たちは、右大臣・弘徽殿から睨まれることを恐れ、さっさと去っていきます。紫の上の父、兵部卿の宮まで例外ではなかったのです。右大臣派に鞍替えしない人たちには、容赦ない人事が行われました。

 ところが、復帰した光源氏は、報復人事を行いません。

 8月15日の名月の夜に参内した彼が、10月に行ったことは、父院のための「法華八講」です。これは、賢いやり方ですね。
 光源氏をかつて裏切った人たちは、戦々恐々なのです。今さら、復活お祝いに駆けつけられるものでもありますまい。
 でも、故院のための法要なら、準国家行事ですから行きやすい。
 そして、お顔を合わせた源氏の君が、機嫌よく接してくださったら… 許されたことになりますね。この時、光源氏28歳。だてに年は食っていません。
 
 空蝉の弟、昔の小君今の右衛門の佐も、当時は恩知らずにも避けていたのですが、今は又親しげに出入りするのを許されています。こんな小物は、おおらかに目こぼしし、度量の寛さを示すのが、「大和魂」の持ち主というものです。

 3年後、二条の東院を造営します。この時には、忠節を認めてもらいたい人たちがしのぎを削ったことでしょう。「許された」人たちは、余計に励んだでしょう。

 こうした中での例外が、兵部卿の宮です。皇族の中でもトップクラスのこの方に冷たいことは、一般の貴族たちには恐れを抱かせるに役立ったことでしょう。
 実のところ、皇族は政治を行う上で、特に必要なわけではありません。
 貴族たちを使いこなすことは、今で言えば、官僚を使いこなすことにあたりましょうか。光源氏は、好き嫌いや報復で、人事を左右することはしなかった、と言えそうです。

 

 

 

 

 


La belle du soir (夕顔)

2012-03-11 16:43:39 | 源氏物語

 2008年は、「源氏物語千年紀」で、源氏物語関係は結構賑わいました。
 そんな時、フランスで、当時換算すると8万円という豪華本が出版されました。フランス語訳に世界中から厳選した源氏絵が添えられたもので、前年秋に発行された3,500部が、3ヶ月で売り切れ、再版を予定していると報じられました。

 別に日本の「千年紀」に合わせてくれたものではなく、やはり『紫式部日記』中の「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」から千年ということで、何年もの準備をかけての企画でした。その廉価版もまもなく出版されて、今ほどではなかったけれど円高のおかげで、3万に満たない、高いけれど何とかという値段で、ゲット致しました。

 いまさらこんなことを書いているのは、最近朝日から毎週雑誌形式で発行されている『絵巻で楽しむ源氏物語』。 迷ったのですが、フランス版とつき合わせてみようかと、購入することにして、毎巻、つき合わせています。やはり? フランス版が勝ちかなと思わないでもありませんが、だんだん健闘が目立ちます。

 本当は、フランス版のように物語の豪華挿絵のようになるのがいいのでしょうが、原文は難しいし、訳となると誰の?が問題になるので、実現しないのでしょうね。私自身、気に入った訳はありませんし… この雑誌も、絵と資料以外は。

 それで本題です。フランス語訳なんて、辞書引きながら読む気力もありませんが、絵を比べながら、巻名位ならと、見るようになりました。
 大体が、原題を踏襲しています。「空蝉」は「蝉の抜け殻」、「若紫」は「若い紫草」、「須磨」「明石」は地名ですからそのまま。「澪標」が「必死に」というのは、ひと工夫かも。

 そんな中での「夕顔」、「La belle du soir」。 すてきですねぇ。「黄昏時の美しい女ひと」という感じでしょうか。

 あの場面は、作者も得意だったようで、その発端に手柄のあった随身を、五条の夕顔の宿に行く時も、お供にするというミスまでおかしています。正体不明で通し、帰り道も夕顔の家人が後をつけるのをまいている位なのに、出会いの時にいた家来を連れて行くなんて、不注意もいいところですが、理屈は、物語の美学に負けますからね、

 フランス人も、あの場面に酔い、美しい題名をつけたのでしょうね。

 朝日版と併行して見ていますので、まだ「末摘花」まで。