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さっちゃんの源氏物語

「源氏物語」の楽しみ方、お伝えします

末摘花の歌

2012-09-02 23:01:55 | 源氏物語

 末摘花は、「蓬生」以外では、徹底的に馬鹿にされています。容貌、服飾センス等、中でも歌についてが一番多いのです。型にとらわれた古くさい歌の代表という扱いです。

 「末摘花」の巻。
 光源氏が常陸宮邸を訪ねたのは、春のこと。仲を取り持った乳母子大輔の命婦は、落魄した琴の名手との触れ込みをしましたから、楽器の音が響かない春の方がごまかしが利く、という理由もあったようです。
 その後進展もなく、秋を迎えます。秋の思い出=夕顔を偲んで、調子のいい大輔に姫との体面を設定させます。

いくそたび君がしじまに負けぬらむ物な言ひそと言はぬ頼みに
宣ひも捨ててよかし。玉だすき苦し。
鐘つきてとぢめむ事はさすがにて答へまうきぞ且はあやなき

 光源氏の「しじま」は仏事の無言行で、これまでの末摘花の返事の無いことを言っています。さらに、「嫌なら嫌だと言ってください」と言ったので、焦った乳母子の侍従が代詠をしてしまったのです。無言行は、「鐘…とぢめ」てから入るので、「しじま」と受け、なかなか才はじけた応答ですが、「答へまうき」、嫌だと言い切れないから辛い、つまりあなたに心ひかれると言ってしまっています。侍従の本音だったでしょうが。
 その後、また無言。光源氏は、末摘花のところに入ってしまいます。

からごろも君が心のつらければはかくぞそぼちつつのみ

 年の暮れ、正月の晴れ着にと、とんでもない衣裳を贈ってきた時の末摘花の歌です。枕詞と縁語が、古めかしく鏤められています。妻は夫の晴れ着を用意するものだという対等意識でもあります。

てみればうらみられけりから衣かへしやりてむを濡らして

「玉鬘」で、正月の晴れ着を妻たちに贈った時のお礼の歌です。前とよく似ています。さらに、

わが身こそみられけれ唐衣君たもとになれずと思へば
唐衣また唐衣唐衣かへすがへすも唐衣なる

「行幸」で、玉鬘の裳着の祝いに贈ってきたひどい衣裳に付された歌で、唐衣の縁語で成立しています。光源氏の揶揄の過ぎる歌を以て、末摘花は、舞台から退場します。

 


夕顔の夕べ

2012-08-21 00:14:13 | 源氏物語

 ある夏の夕べ、五条の町で、光源氏は夕顔に出会います。歌を介しての出会いですから、顔を見たわけではありませんが、夕顔側では、「大弐邸にお忍びでお客様、もしかしたら…」と予測したかもしれません。

 光源氏が、随身に夕顔の花を折りに行かせる場面、舞台のように鮮やかです。
 上手が大弐邸の門、その前に停まった牛車。下手に置かれる夕顔の身を寄せるこざっぱりした家。夕顔の花が咲いています。見栄えの佳い随身が、家の門内に入り、花を折ります。(このあたり、断りもなく、階級社会ということを実感します) 家の中から出てきた美少女、花を載せる扇を、随身に渡します。
 この間、光源氏は車中ですが、舞台なら地面に立ってもらわなければなりませんね。家の中では、夕顔の姿も見られるようにしなくては …。

 土佐派の源氏絵などにも描かれる定番ですが、ここで交わされる歌とともに、物語的な出会いの典型のひとつに思えます。

心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕がほの花
  あて推量に申しますが、白露に輝きを増す夕顔の花、光り輝く夕顔のあなた様は、もしかしてあ  
  のお方…?    
  
よりてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕顔
  近くに寄ってこそ誰だか分かるもの。黄昏時にぼんやり見た花の夕顔ではわかりませんね。

と、互いに相手を「夕顔」という、贈答歌の常套です。
 女の歌は、「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花」(古今集・凡河内射恒) に依るものと言われ、男の気を引くべく、気の利いた歌です。
夕顔贔屓は多く、その内気な性格上、こんな馴れ馴れしい歌はふさわしくなく、作者の不注意、と評す方もおいでですが、女房たちの仕業ですし、矛盾も問題もないでしょう。

ゆふ露にひもとく花は玉ぼこのたよりに見えしえにこそありけれ  露の光りやいかに
  光源氏は覆面を取って、「夕露につぼみを開き顔を見せる花はね通りすがりに逢った、縁
  なのだよ。
光ありと見し夕がほのうは露はたそがれ時のそらめなりけり
  光り輝くと見えたのは、たそがれ時のそら目でしたわ。

 光源氏って、覆面して夕顔のところに通って来てたの? と変な感じですが、夕顔の切り返しはなかなかです。勿論、「心あてに…」は、自分の詠としています。

 4首とも、相手の気を引く、贈答歌らしいしあがりです。 


玉鬘の夏

2012-08-12 18:56:47 | 源氏物語

 立秋は過ぎましたが、夏真っ盛りです。

 そこで、玉鬘の夏、六条院の夏です。

 玉鬘の住むのは、花散里の夏の御殿の西の対です。
 この町は、北側に泉が湧いていて、そこから引いた遣水を西の対、寝殿の前庭を流れるように設計したようです。種々の想定図があり、詳しく見たわけではありませんが、こんなのがいいですね。
 
 北東の端にある泉からの遣水は、寝殿の北側を巡り、寝殿と西の対の間の渡殿を潜り、寝殿の南を巡ったあと、池に注いでいます。
 涼しい木陰が見えるようにと、遣水の側には木が植えられ、檀の木の名があります。「篝火」巻では、夜、そのあたりに篝火を置いています。離れたところからの光は、かすかで涼しげです。

 玉鬘の夏と言えば、螢です。ご存知のように、ほのかな螢の光で、すらりとした玉鬘の姿が、闇の中に夢のように浮かぶ一瞬でした。

 もっとも、螢の光で思う人を見ようというのは、『伊勢物語』や『宇津保物語』などのもありますが、光の中に浮かび上がらせる印象的な場面に成功しているのが、「螢」巻です。 

 ところで、その螢ですが。

 4年ほど前の夏、朝日新聞に、『万葉集』には殆ど螢の歌がない、平安時代には散文にも歌にも普通にあるのに、これは気候変動(温暖化)のせいではないかという記事(「歴史に探る気候変動」)が載りました。ご記憶の方もおいででしょう。 (実際には、「螢なすほのかに聞きて」の1例がありますが、形容句の使用で、本物の螢ではありません)

 だから… と短絡もできません。奈良と京都という土地の違いもあります。「もみぢ」も、紅葉と黄葉の違いがありますしね。(それぞれ、どちら?)
 また、
そんなに螢の歌が多いわけでもありません。
 『古今集』の夏の歌(34首)には、螢は1匹もいません。『新古今集』(110首)にも、3匹ほどしかいません。
 

 


源氏物語と七夕

2012-07-21 22:21:13 | 源氏物語

 「桐壺」の巻は、白楽天の『長恨歌』が強く意識されています。あの楊貴妃と玄宗皇帝を描いた詩です。その死後、楊貴妃を想う皇帝の心を

     七月七日、長生殿
     夜半、人無くして私語せし時
     天に在らば、願はくは比翼の鳥と作り
     地に在らば、願はくは連理の枝と為らんと
     

と、うたっています。これから、七月七日は、恋人たちの特別な夜となりました。

 恋人たちは、来世に生まれ変わって再びの愛を生きられない場合でも、例えば並んだ間の羽が一緒になった雌雄の鳥とか、枝が重なって一緒になってしまった2本の木などに、生まれ変わろうと、永遠の愛を誓ったのです。(鳥など、具体的にイメージすると変ですからしないでください)

 桐壺帝が、更衣の里に使者を出したのは、中秋10日頃、七夕はとうに過ぎていますが、更衣の母君から禄として使者の命婦に贈られた形見の品を見た帝は、玄宗の得た楊貴妃のかんざしを連想し、『長恨歌』のこの部分を思い起こしておいでです。

 50余年後、紫の上を前年に亡くした光源氏は、恋人たちの夜に、もう星を見上げることもしません。
 眠れないまま、夜深く、外を見る目に映るものは、一面の夜露です、まるで涙のように。

 

 おまけに、清少納言の伝える七夕。鮮やかです。

    七月七日は、曇りくらして、夕方は晴れたる空に、月いと明く、星の数も
    見えたる。

 この七夕の行事は、天皇の喪中も行われたこともあるそうで、関白道隆の服喪中、清少納言は、頭中将斉信を相手に颯爽とした会話で、暗くなりがちの定子中宮の周辺を活気づけています。

 彼女は、決して、自分だけが目立つために男たちと丁々発止をやっていたわけではなく、実のところ、かなり健気なのです。

 

 

 


夏の御方、花散里

2012-07-01 21:07:36 | 源氏物語

   花散里

 花散里は、「夏の御方」と呼ばれています。六条院の東北の町が、夏の御殿です。
 現在の夏は活気に満ちた季節ですが、花散里の人柄、御殿の様子で、当時の夏という季節の見方がうかがわれます。どきどきすることもない地味な季節ですね。

 花散里の物語への初登場は、「花散里」。梅雨・ほととぎす・花橘という定番のもと、ひっそりとしたデビューです。彼女は、後に花散里と呼ばれるようになるのですが、ここでは、その名は、麗景殿女御姉妹の住む場所を示すかのようです。

 彼女も、その邸も、梅雨時の鬱陶しい空気と、須磨退去を前にした光源氏の鬱屈に対する「一服の清涼剤」の如き趣です。彼女の物語はここから始まって、須磨にいる間も、帰京してからも光源氏との絆はますます強くなり、やがて六条院の一画に住まうことになります。

 デビューが夏だったためか、その後も夏に縁があります。末摘花を蓬生に発見したのは、初夏4月のことですが、花散里を訪ねていく途中でした。中川の方面、現御所の東のあたりですが、当時は準郊外、ここで出会ったのは他には空蝉、梅雨時の夜です。

 花橘は、後に、明石の君を形容するのに使われます。
 紫の上の桜、明石姫君の藤、玉鬘の山吹、女三の宮の青柳に比して、香り高く凛とした趣は合わなくはないのですが、「五月待つ…」の古歌が昔なじみの恋人を詠うのを考えると、むしろ、花散里にふさわしいと言えるでしょう。
 明石の君は、その理性で花橘を装っているけれど、本来は、どんな花の女だったのでしょう。

 
  夏の御殿

 兼好さんが、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」と書き残しているように、暑い京都の夏を快適に過ごすための工夫がなされました。
 彼は、「深き水は涼しげなし。浅くて流れたる、遥に涼し」と記します。

 岡崎近辺の「東山別荘群」の庭園には、琵琶湖疏水が引き込まれています。修学院の上の茶屋の池も、人造のものだそうですね。

 六条院の夏の庭には、涼しそうな泉があります。
 東の釣殿で、暑い夏の午後を過ごす若い殿上人たちの姿も見られます。
 池を、涼しい風が渡ってきます。そのあたりには、菖蒲が植えられています。
 夏の行事が若い夕霧中心にできるように、馬場や馬屋も備えられています。
 庭先の呉竹の下から風が吹いてくる趣向。少し遠くには、森を思わせる高い木々。
 花は、卯の花・撫子・薔薇・竜胆、そしてもちろん花橘。

 華やかさは感じられませんが、落ち着いた生活を偲ばせるしつらいです。