1日と15日などと言っておいて、2日も遅れてしまいました。間が15日なんて感覚でした。今度からですね。
昨日は、文京アカデミアの課外教室で、増上寺と、その別院妙定院の見学講義でした。全く、いつになっても、知らないことばかりですね、
妙定院では、応挙の「出山釈迦図」を所蔵なさっていて、それも拝観しました。応挙の仏画は珍しいそうです。神々しい意志が写実性の中にうかがわれ、印象深いものでした。それにしても、港区指定文化財? だけなものですかしらね。
増上寺のスケールの大きさにも改めて驚き、でもこちらも、三解脱門以外は保存がね~ 江戸のものって扱い軽いのでは?
ところで、改めて紫式部を少し。
彼女の少女時代のエピソードで有名なのが、兄弟の惟規コレノリとのこと。父の為時は当代第一級の漢学者。息子を学問で出世させるべく、鬼のように鍛えていた教育パパです。側で一緒に勉強していた惟規よりずっとできたので、「こんな賢い子が男でなかったのは、なんて自分は不幸なんだろう」と嘆いたと、『紫式部日記』に書いています。
この惟規、実は、兄か弟か不明です。当時の系図というものは、右から男子を並べ、次に女子。名が分からない娘が多いので、そんな場合も含めて、「女」の文字が、人数分並びます。公生活を送った男子は年齢の記載が残っている場合も多いのですが、女子は后妃関係を除き、記載がないので、年齢の近い場合、兄妹だか姉弟だか分からないのです。
現在は、姉弟説が有力です。
いまひとつ役人としてピシッとしない(泥酔しての醜態もあったそうです)弟を、しっかり者の姉が叱咤激励していた、と言う人もいます。
清少納言などの「悪口」を残していますが、斎院の中将についても辛辣です。彼女が惟規の恋人だったせいだとも言われています。