goo blog サービス終了のお知らせ 

さっちゃんの源氏物語

「源氏物語」の楽しみ方、お伝えします

紫式部って … 改めて その1

2012-11-03 17:25:02 | 源氏物語

 1日と15日などと言っておいて、2日も遅れてしまいました。間が15日なんて感覚でした。今度からですね。

 昨日は、文京アカデミアの課外教室で、増上寺と、その別院妙定院の見学講義でした。全く、いつになっても、知らないことばかりですね、
 妙定院では、応挙の「出山釈迦図」を所蔵なさっていて、それも拝観しました。応挙の仏画は珍しいそうです。神々しい意志が写実性の中にうかがわれ、印象深いものでした。それにしても、港区指定文化財? だけなものですかしらね。
 増上寺のスケールの大きさにも改めて驚き、でもこちらも、三解脱門以外は保存がね~ 江戸のものって扱い軽いのでは? 

 ところで、改めて紫式部を少し。

 彼女の少女時代のエピソードで有名なのが、兄弟の惟規コレノリとのこと。父の為時は当代第一級の漢学者。息子を学問で出世させるべく、鬼のように鍛えていた教育パパです。側で一緒に勉強していた惟規よりずっとできたので、「こんな賢い子が男でなかったのは、なんて自分は不幸なんだろう」と嘆いたと、『紫式部日記』に書いています。

 この惟規、実は、兄か弟か不明です。当時の系図というものは、右から男子を並べ、次に女子。名が分からない娘が多いので、そんな場合も含めて、「女」の文字が、人数分並びます。公生活を送った男子は年齢の記載が残っている場合も多いのですが、女子は后妃関係を除き、記載がないので、年齢の近い場合、兄妹だか姉弟だか分からないのです。

 現在は、姉弟説が有力です。
 いまひとつ役人としてピシッとしない(泥酔しての醜態もあったそうです)弟を、しっかり者の姉が叱咤激励していた、と言う人もいます。
 清少納言などの「悪口」を残していますが、斎院の中将についても辛辣です。彼女が惟規の恋人だったせいだとも言われています。

 

 

 

 


源氏物語の菊

2012-10-22 23:57:35 | 源氏物語

 23日は、旧9月9日、重陽の節供です。この日は、菊の花に綿をかぶせて露を吸わせ、それで身を拭い、長寿を願います。

 菊の観賞は、中国から渡ってきたものです。キクは音読み、中国語からの転です。日本に無かったというのではなく、観賞する習慣が無かったから、中国語が定着した例です。

 同様のものに梅があります。
 うめは日本語じゃないの? と思われがちですが、バイ・メイなどの中国語からきています。ウメではなくて、「ンメ」という感じ。「ン」を大昔の日本人は聞き取ることができず、「ウ」としたようです。

 菊・梅とも、源氏物語では、女君の形容には使われていません。異国風で、合わないと思われたのかもしれません。

   青海波の菊

 あの、光源氏が最も美しく、後世にも語り継がれた「朱雀院行幸」の時の青海波の舞。頭中将と共に舞う姿は多くの源氏絵に残りますが、この2人の区別の仕方はご存知ですか?
 挿頭に菊を挿しているのが光源氏、紅葉が頭中将です。
 最初は2人とも紅葉だったのですが、その紅葉が散り透いていったので、左大将が差し替え、霜で移ろった菊に、光源氏の美貌がさらに映えたとあります。
 そうでない絵もあります。?? 絵師が知らなかったのでしょうね。

 それから20年余り、六条院行幸の際、光源氏は太政大臣(元頭中将)の息子の舞に、庭の菊を折り、2人の昔を懐かしむ歌を詠んでいます。

  「この花一枝ゆるす」

 今上帝は、薫に、女二の宮を与えたいとお思いです。なかなかその気を見せない薫と碁の勝負をして、三番にひとつ負けた帝が、清涼殿前庭の菊を、こう言ったのです。
 薫は菊を折り、ここから降嫁が始まります。

 前の場合と同じく、ロイヤルファミリーにふさわしい花です。

 来月から、1日、15日投稿とします。

                          


六条御息所・光源氏の歌 2

2012-10-11 17:55:21 | 源氏物語

 「賢木」巻。
 伊勢に発つ御息所を、野々宮に光源氏は訪ねます。(この場所は、嵯峨野ですが、現在ある野々宮神社ではありません。斎宮潔斎の場である野々宮は、一代限りのものですから、次には新しく定められます

 9月16日群行(斎宮の伊勢への下向)なのに、訪問は7日ですから、いかにも体裁を取り繕うためと想像できます。
 
 その場限りでの美しい言葉と、優しい感情が流れます。

神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさか木
をとめ子があたりと思へばさか木葉の香をなつかしみとめてこそ折れ

 「花やかな夕月夜」のもと、光源氏は、御簾の間から榊を差し入れます。
 「この葉のように変わらぬ私の心をしるべに来ました」と言うと、
 「お出でを待つ目印の杉もないのに、なぜ思い違いで榊を折られたの」
と御息所は歌で問い、その返歌が
 「乙女子のおいでのあたりと思い、香が懐かしいので、わざわざ折ったのです」

 共に、古歌を駆使してのものです。

 二人の最後の夜は、情緒纒綿として、男は下向を思いとどまれと言い、女も心乱れたとあります。
 約束事なのに、これだけ作り上げるのは、名人同士の舞台のようです。

 作りあげたような明け行く空のもと、男は去って行きます。ひややかな晩秋の風、松虫の声が、さらに情緒を盛り上げます。

あかつきの別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな
おほかたの秋の別れも悲しきに鳴くねな添へそ野辺の松虫

 「理想的な」秋の別れ、恋の終わりを演じて、二人の恋の終焉が、世間に公表されたのです。 

 

 

  


六条御息所・光源氏の歌 1

2012-10-01 22:22:29 | 源氏物語

 「葵」巻、車争いの後、御息所の体調がすぐれないと聞き、光源氏の訪問がありますが、互いに打ち解けない気持ちのまま帰った光源氏から、夕方、葵の上の容態を理由に来られないとの手紙が届きます。

 「後朝の文」というもので、一夜を共にして帰宅した男から届くものです。まだ暗いうちに帰りますから、その気になれば、朝早いうちにも届いてもいいものです。ともあれ、夕方というのは、かなり神経にこたえます。何をすることもない女は、待っているだけなのですから。

六 袖濡るる恋路とかつは知りながらおりたつ田子のみづからぞ憂き
  山の井の水もことわりに
  山の浅い泉のようにあなたの心は浅い。そんなあなたへの恋路に踏み込んでしまった私は辛く                                    
   
  てなりません。こうなることはわかっていたのに…
 技巧的なものはありますが、自分の過去をも嘆く率直な気持ちがうかがえます。
 ところが、

光 あさみにや人はおりたつ我が方は身もそぼつまで深き恋路を 
  あなたが濡れるのは袖だけ。私は深いこひぢ=泥 に体中つかって… 
 と、軽い贈答歌のレベル。来ることもありません。
 わかっていないのです。これでは、もののけになってしまいそうです。

六 人の世をあはれときくも露けきにおくるる袖を思ひこそやれ
光 とまる身も消えしもおなじ露の世に心おくらむほどぞはかなき
  かつはおぼしけちてよかし

 葵の上の服喪中に御息所から来た弔問の歌です。菊の枝に付けた紙の色、字、と申し分ありませんが、「奥方の生涯をしみじみとお気の毒と思いつつ、残されたあなたの悲しみを想像いたします」という歌に、光源氏は、白々しいと感じます。「残された私も死んだ妻も、はかないこの世に執着はしておりません。だから、あなたもお忘れください」との真意を、御息所は「心の鬼」に、はっきり感じたとあります。

 2人の仲の終焉です。

 


嵯峨野 ー 憂愁の美女

2012-09-22 23:22:46 | 源氏物語

 嵯峨野は、現在も紅葉の名所が多く、秋が似つかわしい土地柄に思われます。平安時代の嵯峨野は、出家者たちの隠棲地であるとともに、貴顕たちの別荘のある場所でもありました。

 源氏物語で嵯峨野と言えば、上京した明石の君母子が住んだ大堰の山荘があげられます。光源氏は、改築した二条東院の東の対に入れるつもりだったのですが、身分に悩む彼女は、母方の祖父中務の宮の別邸を改装して住むことにしたのです。京福電鉄終点の「嵐山」を降りると、桂川の名勝「渡月橋」があります。大堰の山荘はこのあたりで、天龍寺の付近と言われます。実在した中務の宮の別邸が、実際にあったようです。

 光源氏が初めてこの山荘を訪ねるのは勿論秋です。清涼寺が擬せられる「嵯峨の御堂」を訪れる口実です。月毎の法事が、14、5日と月末とあり、「月の明るい時」ともあるので、前者でしょうか。明石から持ってきた、ふたりの思い出の琴を、光源氏は弾きます。                                           
 
 実は、光源氏を待つ夜居に、明石の君は、この琴を弾いています。松風が響き合い、感情も極まります。
 そして、この「松風・夜・琴」というのは、漢詩や和歌の題材でもあり、有名な作品も残っています。それの応用とも言えます。


 ところで、嵯峨野・琴・松風というと、もっと有名なものがあります。「黒田節」の2番、「峰の嵐か 松風か  尋ぬる人の 琴の音か  駒ひきかえて 聞くほどに   爪音しるき 想夫恋」(歌詞に異同あり)。

 この歌詞とそっくりなのが、平家物語「小督」です。
 高倉天皇の寵愛を受けたために清盛の怒りを買い、身の危険を感じて失踪した小督を、天皇の命で捜索している源仲国が、小督の琴の音に導かれていく場面の文章の一部です。

 おそらく、平家物語でも際だった抒情的場面・文章ですが、嵯峨野の中秋の名月の下、描かれています。

 暑いですが、今年の中秋の名月は、30日、もうすぐです。そのころには、秋になっていますかね~