日本の片隅で一主婦がぼやく。

基本、ぼやき。
でも、普通のblog化しそうな今日この頃…

昔ばなし

2020-07-12 21:46:14 | 日記
父の話しをします。
展開でちょっと怖い話しになります。
そしていつにも増して長文です。
苦手な方はここで閉じて退散宜しくお願いします…





  


鉄腕アトムがテレビまんがとして放送が始まったのは1963年。
私が2歳から3歳にかけての頃でした。

鉄腕アトムを見て、オオカミ少年ケンをみて、リボンの騎士に夢中になり、レインボー戦隊ロビンに熱中し、
リンク先にあるこの年代のテレビまんがは殆ど観て過ごしました。

鉄腕アトムの放送開始が2〜3歳の頃だった。
私たちのこの年代はアニメと共に成長してきた黄金世代と言っても過言ではないと思っています。

遠い昔、父親の膝の中で東映動画の白蛇伝を見た記憶が残っています。

父は8人兄弟の末っ子で、兄たちの殆どが国鉄に勤める中、父だけが進学して北海道岩見沢市に本社があった商社に就職しました。

勉強好きで読書家で漫画も好きで、勉強好き以外のDNAを私も引き継いだんですね。

母は、漫画ばかりみて(読んで)ないで勉強しなさい!宿題やったの!?と煩い人でしたが、父は一緒になって科学忍者隊ガッチャマンを観ているような人でした。

1960年代後半、父は仲間数人と独立し、事業を始めました。
当初は順調だったそうですが、仲間の1人が横領し失踪。
父は借金を抱えることになりました。

私が11歳の時に北海道を離れた訳ですが借金の清算に家財の一切を売ってのことだったそうです。

京都に移ってからも父は真面目でした。
染色会社に就職し定年退職までの30年近くを真面目に勤めました。

母は飲食店でウェートレスをしていた時に父と出会い結婚。
気の強い人で、喧嘩早く後年は父との折り合い悪く2000年代に入ってから熟年離婚しました。

平成19年の7月25日の朝。
一本の電話がありました。
父の住むマンションの管理会社からでした。

父の隣に住む人が、「郵便受けに郵便物が溜まっていて部屋にも人の気配がないので気になる」と連絡をしてくださったそうで、その通報を受けての連絡でした。

父の住むマンションは幸いなことに夫の勤める会社の近くで直ぐに夫に連絡し夫の会社までタクシーで出向いて合流し管理会社を訪ねました。

管理人さんと3人で父の部屋へ。
確かに郵便物が溜まっていました。
父の部屋は陽当りの良い4階の角部屋です。

エレベーターを降りて廊下を進むと何とも嫌な異臭が漂いハエが飛び交ってました。

隣人さんが我慢出来ずに通報するのも当然の結果がそこにはありました。

父の部屋の鍵を持ってないから…の理由で管理人さん同行だったのですが、何故か部屋の鍵は掛かっておらず開いたままでした。

ドアノブを回すと抵抗なく開いたので夫が先に入って続けて入ろうとしたら、入らない方が良いと飛び出てきて警察に電話。

近くの派出所勤務か年配のお巡りさんと婦人警官が先着。
事情をあれこれ聴取されました。
そうこうしているうちに刑事さんたちと鑑識班も到着。

テレビドラマでみるような光景が目の前で繰り広げられました。

父とは1ヶ月程前の6月中旬に会っていて7月1日に電話でも話していましたが、不健康なりに病気もなく元気そうではありました。

それが1ヶ月経たないうちに孤独死してました。

2007年の夏も暑い日続きでこの日も京都市内の気温は
34℃

陽当りの良い部屋というのが災いしてか父の状態は酷く、お葬式は8月1日にしたんですが私たち家族は父に会うことも出来ませんでした。
発見からお葬式まで1週間の間がありますが、解剖やら何やらで警察の預かりになってたからでした。

部屋の鍵が開いたままだったこと。
部屋から通帳や印鑑、健康保険証がなくなっていたことなどから警察は事件を疑い捜査になりましたが、結局分からないまま父の死後13年経ちました。

今日12日は死亡診断書上の死亡日で命日と便宜上なってます。
何故12日かと言うと12日以前の郵便物がない。
財布の中の買い物レシートが11日の日付
少なくても11日までは生きて買い物行ったり出来ていた。と言う判断です。

私たち遺族は父がいつ亡くなったのか、どういう状況の最期だったのか知る術もありません。

長女で部屋を借りる際の保証人になってたので、部屋の片付けには特殊清掃に入っていただきました。


父の遺骨は後々のことを考えて合同祭祀にしました。


還暦を自分自身迎え、この先あと何年生きるのだろう?
10年、20年?

出来れば夫よりは先にこの世と別れを告げたい…

でも!
まだまだ本も読みたいし観たい映画やドラマにアニメが録画に溜まっている。
娘の今後もまだまだ心配だ。

少なくても娘を安心してお任せ出来るお相手が見つかるまでは親として元気でいたい。

だけど人間、今日まで無事でも明日どうなるか分からない。

父のように突然逝かれると、普段からどんな生活習慣を送っていたのか、交友関係は…預貯金などは…全然知らなくて残された者は途方に暮れるしかありません。

死なないまでも母のように認知症になっても同様で家の中をひっくり返して物的な物を探してあれはこれは…と推測するしかなくてやっぱり途方に暮れるんですよね。

遺言状なんて大層なものじゃなくても普段から、どこどこの銀行の通帳あるとか、暗証番号やパスワード。
これはオモチャの価値しかないけど、こっちは換金出来るもの。
残された者が困らないようにしておく普段からの心掛けって凄く大切なことなんだと思ってます。

本当に困りますからね。
例年だと父の命日なんて忘れがちでウッカリすると12日はとうに過ぎてた…になるんですが、今年は妙に数日前から父のことが気になってこれは何かの示唆かな…?と思いました。

…って訳で何かの役にたてればと経験談を書いてみました。

昭和9年8月生まれ
平成19年7月没
父73歳の時のことでした。


総文字数11,688字
長々とお読みくださいましてありがとうございました。




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