
「絶対に許さない」と母 手記公開、心情を吐露(共同通信) - goo ニュース
>名古屋市の女性拉致殺害事件で、被害者磯谷利恵さん(31)の母富美子さん(56)が28日、娘を亡くした心情などをつづった手記を公開した。富美子さんは「あと少しで我が家にたどり着けたのに、と思うと残念でなりません」と悔しさをあらわにした。事件に対しては「何の落ち度も関係もない娘に対し、あれほどの異常な行為を行った人間の存在を認めることは出来ません。絶対に、絶対に、許しません」と記述している。
上に述べた如く、名古屋市の会社員、磯谷利恵さんが平成19年8月に拉致、殺害された闇サイト事件で、強盗殺人などの罪に問われいずれも死刑を求刑された3被告の判決公判が名古屋地裁で開かれた(詳細は以下の記事参照)。
闇サイト殺人 母「納得できない」 判決に悲しみと怒り(産経新聞) - goo ニュース
闇サイト殺人 2人死刑1人無期 無慈悲かつ残虐 名古屋地裁判決(産経新聞) - goo ニュース
女性拉致殺害、2被告に死刑=1人は無期懲役-闇サイト事件・名古屋地裁判決(時事通信) - goo ニュース
女性拉致殺害、主文後回し=3被告、死刑適用焦点-闇サイト事件・名古屋地裁判決(時事通信) - goo ニュース
縁ある人を理不尽な理由で失えば誰だって悲しい。
いや、「悲しい」の一言で片付けてしまってはいけないであろう。
そこに、「人を殺して良い理由」など存在してはならない。
そこに悲しむ人がいるならば、身勝手極まりない理由で人の生命を奪ってはいけないのである。
加害者側がどのような理屈を持ち出して正当化しようとも、その理由が無条件に許容される社会であってはならない。
その意味において、「駄目なものは駄目!!」という価値観や態度は有効に機能し得るものと考える。
ましてや、そこに「思考の停止」を示唆する論理を強引に持ち込むことは、「思考の停止」を問う以前に、よくよく「思考」して文意の把握に努めて頂きたいものだ。
被害者の女性の方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。



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http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10511876702.html
まず「仏教で悟れるワケが無いという動かぬ証拠」といいながら、その思い込みでしかない証拠自体提示していない(爆)そもそもこの人の言う「悟り」ってのは一体何を意味するものなのか???ホント支離滅裂で意味不明。管理人さんに論破された逆恨みはよして欲しいよな。買春坊主とまじめな僧侶を一緒にしないで欲しい。それを言ったら「力士やってるのは大麻買う金の為なんだよねというのがばれないように理屈をこねるのが力士」という暴論に渦中の人物はどう反論するのであろうか?言ってることは全く同じじゃん!
久し振りに巡回したら・・・久々朝青龍のこと取り上げてましたねぇ。
そういや、ここでのきっかけも朝青龍のサッカー事件だったような・・・。今や遠い昔のような気がします。
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10446448196.html
↑この記事とコメントのやり取りを見ると、やっぱり他にも突っ込みたくなる人いたんですねー。なんだか構図は変わらないような・・・。全く成長の跡が見えませんね。
そもそも管理人さんに対するイチャモンも、もとはその内容を問わず「朝青龍擁護」ありきで理不尽なものでしたね・・・。
今回の暴行事件の経緯は分かりませんが、サッカー事件は誰がどう見たって横綱が悪いっしょ!場所休んでモンゴル行ってサッカー興じてたら誰がみたって非があるし、それを難癖つけて正当化すること自体無理無理無理(笑)
それを人種差別と絡めて批判しようったって、管理人さんにあっけなく論破されて退散してしまいましたね。
イチローが同じことやったって批判の対象ですよ、腰痛めて故障者リスト入りして日本に帰国している間にフレンドパーク出てたら、シアトル市民から大目玉っしょ(笑)
とにかく、自分マンセーの人は何言ったって無理だね。反対のための反論するから埒あかない。
今回ようやく管理人さんがイチハヤク相手にしなかった理由がようやく分かりました
有志に誘われてふらふらと立ち寄りました。
ま、いつものことです。
私も一連のやり取り拝見しましたが・・・和尚は慈悲深い方ですね。
渦中の人物は、業界用語でいわゆるトンデモさん(注1)というやつで、結論はすでに明白なのに、負けている側が負けを認めず、つまらない反論を次から次に持ち出してずるずると引き延ばすタイプの人なのではないかと思うわけです。ハイ。
時間と労力のムダですわ(笑)
(注1)
トンデモさんについて
http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin00.htm
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10407629217.html
ニヒリズムと無我の違いは今回の論争でも登場しますが、あの方がそれを言うなら「人を殺して良い理由」っていう自論を支える根拠は、それこそ意味があるのかなぁ?(冷汗)
本質的に意味のあるモノはないと言っておきながら、自論にだけ意味あるようなモノの言い方は何とかならないものか???
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10382054557.html
確かこの人、管理人さんとの論争において
>人の頭の中というのは現代の人類と同じ種が生まれてこの方全く同じだ、と言い切れる。だから、有史以前も、将来も、今と同じだという事は断言して良い。以下にも以前に述べた事の重複は有り得るが、所詮、赤い血が流れている以上は、人は人だ。そりゃ当然、個体差はあろうけれど、所詮、全体から見れば誤差の範囲だ。大体人は、同じモノを見たり感じたりしたら、同じ反応をするように出来ている。人種や民族や時代が違ったって、体の作りは同じなんだから、脳味噌の作りだって同じなワケで。
って、言ってなかったっけ???(詳しくは、http://blog.goo.ne.jp/docho-net/e/408dd842cfda18435524525129fd47d4 の中頃)
自己矛盾を自らのブログで告白しているに等しいエントリ(汗)
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10358769859.html
朝令暮改とはこのこと???
この人はこのエントリを通して何を訴えたいのか?
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10343616898.html
やはり「人を殺して良い理由」を容認するお方が考えることは末恐ろしいですね。
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10338627121.html
「人を殺して良い理由」を意気揚々と語っていた人が差別について語っている・・・何とも奇妙で滑稽な世の中になったものですね。
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10338627058.html
あの方の口から「この程度の親切心を責めるようになったら社会は終わりだよ。」って・・・汗
まず自分自身を省みよ、って言ってやりたいですね(笑)
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10320196728.html
管理人さんの言う「モニュメント」として残るから安心ですよね!
その時思ったのは、万引きする側にも理由があるということことです。
「派遣切りにあって・・・」「ストレスがたまっていて・・・」最後には「格差を作った今の政治が悪い!」と逆ギレする人もいたりして
こういう現実を見ると、「人を殺す理由」なんて幾らでも成り立つということが分かります。
しかし、大事なことは、堂頭さんが言うように、それを社会で許して良いのかという問題です。
それは私たち個人の、そして社会の良識が問われる問題です。
その良識の部分抜きにしてこの議論を続けても、堂頭さんの言うように水掛け論に終始するだけでしょう。
私も滑稽本さんに問いたい。
私たちは人を殺す理由を議論しようとしているのではない。それを許して良いのかどうかという問題を議論しているのだ。
では、あなたはその理由を許すことができるのですか?その理由を認めることができるのですか?という問題です。
堂頭さんが問題としていることを、それこそあなたの得意な読解力でもって読み取っていただきたい。読解力を求められているのは堂頭さんの方ではない。あなたの方なのです。
以上、万引きGメンの特番を見て急にここでの思い立ち、書き込みさせていただきました。
あういう考えを持つ方と、同じ国で同じ空気を吸って過ごしている思うだけでぞっとしますね。読んでいるうちに吐き気をもよおしました。
よく公開のネット上であれだけ偉そうなこと述べられますよね。ホント顔を見てみたいです。世も末ですね。
さて、遅れなせながら今回のやり取り、お相手の方のブログにも訪問しエントリーを拝見しました。
もちろん信仰の自由は憲法においても保障されており、無信仰というあり方にも一定の立場は保障されるべきかと思いますが・・・かといって信仰ある立場の者を言われなき誹謗中傷で攻撃する自由は許されてならないでしょう。
お相手の方のブログを拝見する限り、かなり節操のない方と思わざるを得ません。
私のような年齢の者から言わせると、これはもう戦後の日本教育が生み出した負の遺産以外の何物でもありません。
和尚さんも指摘をしているように、自由とワガママを吐きちがえるような偏重教育の負の遺産です。
だから、異なる立場の方々の事をも尊重もせず、身勝手な自分の理屈を並べ立てて悦に浸っているだけなのでしょう。
和尚さんは優しい言葉で相手の方を諭されておりますが、ここまでくると限度というのもあるのではないのでしょうか。
時には厳しく叱咤激励するのが、禅宗で説く払拳棒喝という指導のあり方なのではないでしょうか。
議論する相手、また異なる立場の方々に対して非礼極まりない相手の言動に、私などは腹立たしささえ感じます。
しかし、管理人さんが曹洞宗に属しているという理由だけで、執拗なまでに曹洞宗という組織を攻撃するこの御仁の滑稽さには脱帽もんですね(爆)
この御仁は、まず管理人さんに自分の文章の読解力を求める前に、管理人さんの最初の記事にある「駄目なものは駄目」の真意を読み解くべきですね。それこそ自らが誇る読解力をもって(爆)
そもそも、その記事でも話題に上がった朝青龍関のサッカー問題も、御仁は安直な外国人差別という切口で管理人さんを批判しているが、管理人さんが問題にしているのは朝青龍が相撲協会を欺いてサッカーに興じていたころだろう。確かにその場の雰囲気で断れない事情もあったであろうが、逆にそれが相撲協会に提出した診断書の真偽を物語っている。批判されるべきはそこである。それが朝青龍ではなく日本人力士であろうと批判されるべきことだ。それをまず読解していない(冷汗)
その他、突っ込みどころは色々あるのですが、管理人さんへの支離滅裂のコメントに対する反論をここでこれ以上するとカドが立つので、たまたま目に入ったこの記事へ私から一言。
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10276613922.html
皆さん、どう思います???この世に宗教が必要であるかどうかという議論はともかく、この記事ひとつ見ても、安易な切り口で宗教不要論を唱える方の品格が見て取れるエントリばかりですね、このブログ…。
これなら今の世に確実に宗教は必要!!!ということを自らが証明しているようなもんです。そう、まさにこのような御仁のためにも今の世に宗教は必要なのです!!!
このような御仁は恐らく現実世界では???ゆえに、このようなバーチャルな世界でしか好き勝手言えないのでしょう。これでも冷静に対応しているつもりですが、これ以上理性が保てるかどうか自信がありません(笑)
それと、下の記事って管理人さんと例の方とのやり取りを記事にしたものではないですかね。かなり的を得た見解だと思います。ホントネット上の無礼な奴って多いですよね。関わりたくないため、リンクは遠慮しときます
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/9b0ea9314be440eb82b4d84917f91483
當寮へのコメントありがとうございますm(__)m
但し、せっかくお寄せ頂いたコメントですが、一部當寮の掲載にそぐわない文言があったため、大変申し訳ありませんが管理者権限にて削除させて頂きました。
私個人や所属宗派を慮っての投稿である事は痛いほど伝わってきたのですが、やはりあの内容であると掲載させていただくことは適いません。
度々触れておりますが、やはり最低限度のルールとマナーについては、管理者自らが襟を正して守っていきたいと思っております。
お気遣い頂きながら、本当に申し訳ありませんでした。
全く意に解さなくていいですよ。何せ何でもかんでも批判することが目的なのでしょうからwww
ホントご指摘のとおり、自分はじゃぁ何をしているのかって感じですよね。
自らの支配欲をみたすために社会問題を道具にするなって言いたいです。正義面する分やり方があくどいですね。
一言コメント入れてやろうかと思いましたが、管理人さんが言う通りここは冷静な大人の対応をしたいと思います。
相手と同じレベルになったらどっちもどっちって世界ですよね。しかしホントに吐き気をもよおすような記事ばかりでした。
> 関係者各位
この度は、多数の方からメールにてご意見を賜り、誠にありがとうございます
また、各方面からご心配をいただき、大変恐縮に存じております。
これまでの経緯により、関係者各位には多大なるご心配をお掛けいたしました。また、皆さま方も様々な感情を抱かれたことと拝察いたします。
私個人は、今後も感情に左右されない理性的な対応をしていく所存です。ご安心下さいませ。
さて、具体的な内容は差し控えますが、この場を借りて関係者各位にご回答申し上げます。
私個人としては、ある事象に対して何らかの批判を展開する場合、批判する権利と合わせて、自らに批判する資格があるのかどうかを検証する視点を併せ持つべきだと考えています。
これはルールやマナーといった公共の概念というより、単純に個人の美学として大切にすべき概念だと思っております。
ある批判を口にする人が、具体的な行動を起こした上での批判ならともかく、自分はあくまでも無責任な立場に身を置き、特定の個人や組織に対する誹謗中傷のみを目的にした「批判めいたこと」を繰り返す場合、正直私は議論の俎上に載せる価値さえ感じないというのが現状です。
我々は我々に与えられたご縁の中で、派手さこそなくとも今まで地道な活動を展開してきた歴史がございます。我々はこれからも与えられた立場(ご縁)の中で、今までと変わらぬ地道な活動を展開していけば良いのです。
もちろんその活動に対する自己検証作業は必要でありましょう。その検証作業の過程において、他の第三者からご指摘やご意見、時にはご批判を賜ることもあるかと思います。それらに対しては真摯に耳を傾けるべきでしょう。
しかし、その批判を発する側に、その批判を口にするだけの資格が伴ってなければ、それに惑わされて軸足をずらしてしまう事の方が組織にとっては弊害です。であるならば、地道に今までの活動に専念していくことの方が優先されて然るべきでしょう。
誹謗中傷のみを目的にした批判に対しては、まずその批判する人がどういう活動をしているのかを冷静に見極める必要があると思います。
限られた組織の規模において、全てのことに対して行動を起こすことは物理的に不可能です。であるならば、まずは出来るところから始める、ご縁が生じた問題から取り組んでいく、といった地に足付けた活動が必要だと感じます。
その人が、その問題に私たちが「携わっていない事実」のみを論い、そこに乱暴な批判の目を向ける場合は、まずその相手が具体的にどの様な活動をしているのか、問題解決のためにどのような指針を提示しているのかを検証すれば良いのです。
何ら有益な問題提起や、具体的な活動が展開されてない場合は、大概は問題解決を目的にした真の批判ではなく、批判の名を借りた歪んだ感情の処理に他なりません。
その私たちに向けられた批判が検証に値するものなのか否か、その人が批判を口にするだけの資格が伴うのか否か、まずはその点を冷静に見極めていくべきです。その視点は、組織のリクスマネージメントの観点からも必要でありましょう。
自らがその問題に対して何ら活動を起こすことなく、ただやみくもに批判のみを繰り返す場合は、間違いなく「誹謗中傷を目的にした批判(めいたこと)」でしかありません。そのようなことで、今までの活動の軸足をずらす必要はないのです。ご縁があって携わってきた活動を、我々は地道に継続していけば良いだけの話です。
取り急ぎで恐縮ですが、現時点における私からの回答は以上です。
完全に論破って・・・・、その甚だしい誤解を管理人さんは指摘しているのですよ。論破も何も、ただやみくもに喰ってかかるだけでは論にもなりません。
知的な議論に感情を剥き出しにしてはいけないのです。あなたのような汚い言葉を駆使する人に知的な人はいません。ブログの内容も知的とはほど遠いものばかりですね。
あなたは論破をしているのではなく、ただ反対することに酔っているだけです。
管理人さんがおっしゃるように、私の譬えが不適切だったかもしれません。
そういう応酬に終始すれば、私が批判をした相手と同じレベルかもしれませんよね。目が覚めた思いがしました。ありがとうございました。
また誤解を生んだようであればお詫びをして訂正したいと思います。
繰り返しになりますが、「モニュメント」という発想については、既述もした通り先方ログ(以下参照)の2月27日15時16分記入のコメントに記した通りです。
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10214268728.html
これ以上のこれ以下のものでもありません。
貴氏がご指摘の通り、お言葉を借りれば発想自体は「エグイ」かもしれませんが、その「エグさ」がその時点では必要だと思ったのは事実です。
詳細は敢えて語りませんが、これまでのやり取りをご覧になって頂ければご理解頂けると思います。
>通りすがりの僧侶さん
今回のやり取りとは無関係の「曹洞宗」に対する誹謗中傷に関しては、先方ログ(以下参照)の2月28日20時44分記入 のコメントにて公式に抗議をしております。
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10214268728.html
あとは、先方の良心と理性に委ねるのみです。私からは、もうこれ以上何も申し上げるつもりはございません。
それと、特定の力士の問題と財団法人日本相撲協会との関係を譬えとして用いられておりますが、私個人としては、今回の相撲界の不祥事(力士暴行死事件、力士大麻事件など)のみを以て、同様に他の力士並びに日本相撲協会全体が腐敗していると軽々に論ずることには慎重でありたいと思っております。
ましてや、一部の力士の不祥事のみを取り上げ、特定の横綱や相撲界全体の資質にまで言及することは、他のまじめな力士の方々に対して大変失礼な発言だと危惧します。
やはり特定の力士の問題と、財団法人日本相撲協会の問題とは、感情とは別の部分で分けて議論すべきでありましょう。
他のまじめな力士にまで安易に風評被害を及ぼすのは、私個人としては一線を画すべきだと考えます。
もちろん、私(管理人)と曹洞宗の身を案じての擁護的発言と理解しておりますが、ここは財団法人日本相撲協会や横綱の名誉ためにも、きちんと一線を画すべき旨を意思表示しておきたいと思います。
それが、今までのやり取りを踏まえれば「知的」で「誠実」な態度であろうかと私個人は考えます。
あの方の記事を読ませてもらいましたが、管理人さんとのやり取りを曹洞宗全体の問題にすり替えるなんて、正直開いた口が塞がりませんね。果たしてそれが知的を売りにする人の発想でしょうか。
その理屈でいったら、あの方の頭の中では時津風親方や大麻吸引力士を生み出した(財)日本相撲協会は、その事実だけで十分反社会的な組織として認定されるのでしょうね。もちろんあの方一押しの某横綱も、暴力や大麻に汚染された力士と同レベルだということです。何せ、ダメ人間が所属する組織はダメ組織という短絡的な発想の持ち主ですから。
そのぐらいの理屈になぜ気付かないのでしょうか、知的で誠実だと自薦するのであればこそ(失笑
そのモニュメントって発想がいけてます
しかしあんなのホントにネット上に残しておいてていいんですかね
その点においてのみ相手の方に同情します
最近の當寮の現状に対して、ご心配頂いている関係者各位にご報告申し上げます。
ある事実が今回判明いたしました。全く以て同情の余地を禁じ得ない驚愕の事実です。
これ以上の詳細については、当事者の名誉のためにも敢えて伏せておきたいと思っています。あとは当事者の自主的な“気付き”に期待するのみです(無理かもしれませんが......)。
また、これまで現状を敢えて削除をせず公開している理由は、以下のURLから閲覧できる2月27日15時16分記入のコメントにも記載した通りです。決して「言論の自由」という概念を履き違えている訳ではございませんので、念のため。
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10214268728.html
ちょっと呆れて......言葉が見当たらない状態です。時期が来たら、改めて関係者各位にはメールにてご報告申し上げます。当事者は相当深刻な状態かもしれません。今まで費やした時間は何だったのでしょうか......
ま、詳細は語れませんが、これ以上のコメントは差し控えさせていただきます。
最後に当事者の方へ......しっかり前を向いて人間らしく歩んでいきましょう。まずは置かれた立場を歪んで受け止めるのではなく、勇気をもって事実を受け入れることで変われる人生もあるということです。あなたは本当に今のままで良いのですか。私は少し悲しくもあります。
追伸
>Mさま
今回いろいろと技術的なアドバイスを頂き、誠にありがとうございました。
お陰さまで、今回のような結果を得ることができました。
アドバイスの通り、ここは敢えて武士の情けで沈黙を貫く所存です。
仰る通り、現代社会の抱えるこころの闇は深いものがあります。
我々も決して目を逸らすことなく、精進、精進、勤精進でいきたいものです。
滑稽本さんの言う通り、曹洞宗は駄目人間を育てるようですね。
失望しました。
まさにやみくもに反対することが知的であると根本的に「知」の意味を理解していない人の戯言ですね。これ以上相手にしていると、本当にまともな読者の人から堂頭ネットさんの知性と読解力を疑われてしまいますよ。
あういう人は相手にしないのが一番です。なぜって、やみくもに反対することに議論の価値を置いている某政党みたいな人ですから。恐らく自分の立つ位置から恐くて足を踏み出す勇気のない人なんでしょう。
だからあのタイプの人は社会から孤立しちゃうんですよ。ブログの他の記事を読んでいても分かります。
最後に、お忙しいのは分かりますが、そろそろ新しい記事のアップを宜しくです。
コメントありがとうございます
「通りすがり」ということは......初めてご訪問頂いた方でしょうか?
仰る通り、私は読解力が足りないみたいなので、貴氏の言う「滑稽本さんのアレ」という場合の「アレ」、並びに「この程度の事しか書けない」という場合の「この程度の事」について、具体的な指摘とともに詳しくご説明頂けたらありがたく思います。
でないと、具体的なコメントを返しようがないものですから......
まぁ、アップした記事にも度々触れているように、滑稽本さんの仰りたいことにも一定の理解は示せるのですよ。結果的に、私の主張と重なる部分もある訳ですから(笑)
その先方(滑稽本さん)が犯している誤解については、時宜に応じて極力説明してきたつもりです。
その最たる例が、「駄目なものは駄目!!」というコピーが想起させる「思考の停止」を促す弊害についてです。
私はこのコピーを以て「思考の停止」を推奨している訳では決してありません。
これはその人の立つ位置によって、その人自身が決める価値観の問題であり、何も「思考の停止」を促すことのみを意図して謳ったものでは決してありません。
その点も含め、その他諸々の誤解については「たかが駄弁、されど駄弁」(1~12)をご参照頂ければ、読解力の優れている貴氏であればご理解頂けるはずです。
しかし、私が最後まで理解できなかった点は、先方の誤解を解こうとしたにも関わらず、最後まで頑なに自身の先入観のみで相手の主張を歪曲し、互いに歩み寄る姿勢を見せない議論の手法、またその議論の過程に垣間見せた先方の態度についてです。
これでは、議論を通じて何か建設的な成果を生み出すのではなく、言葉を駆使して議論を混乱させること自体に価値を見出している様にしか思えません。
私には、先方はまず議論の整合性はもとより、まず「異を唱えること」自体を価値と考え、その価値(異を唱える行為)を以て「知的」と誤解しているようにしか見えないのです。
それを証拠に、先方は私の反論(1~12)に対して、具体的な回答を未だ寄せておりません。返信的な意味合いの記事に関しても、私の反論や質問の主旨を無視して、ただやみくもに自説を述べているに過ぎません。
ゆえに、これでは埒があかないと思い、第三者の読者の方々に評価と判断を委ねようと思った次第です。
もちろん、貴氏も私の言う「第三者の読者の方」の一人であります。貴氏の判断と評価ももちろん読者の一人として尊重されて然るべきです。
但し、貴氏の判断と評価もまた、貴氏に対する判断と評価に直結するということもご留意下さい。
私からは以上です。
ある物事に是非の判断を持ち込む際に、テーマによっては思考を持ち込む事によって軸足がケースってあると思うんです(もちろんこれは「思考の停止」を促すものではありません)。
信仰やモラルがなくても、最低限度「駄目なものは駄目!!」といった価値観は、今の混沌とした世の中だからこそ必要なのかもしれません。
給食費未払い問題を見れば一目瞭然です。
羅列された「未払い理由」を見れば、首を傾げたくなるものばかりですから
この一件、読売新聞の速報記事を見て、直ちにその重大さに気付いて、拙ブログでも記事にしたのですが、久々に事件に怒りの感情を抱いた一件でございました。これは、あまりといえば、あまりに酷い。仰るとおりで、ダメなものはダメ、それで結構でございます。