狐・狸・祭

フラメンコの故郷よりマイペースに発信、カンタオーラ小里彩のブログです

ローレ・モントージャ

2017年02月28日 01時46分40秒 | 日記
今夜ローレがヘレスのライブハウスGuarida del Angelにて、ホセ・アセド氏のギターで歌うというので行ってきました。
ローレ・イ・マヌエル時代のナンバー、ソロ活動後のアルバムからのナンバーがおよそ半分づつ計10曲ほど。

今夜一番嬉しかったのはホセ・アセド氏のギターでした。以前聞いたときにはマヌエル・モリーナ氏の原曲の弾き方に比較的忠実に伴奏していた印象でしたが、時がたち彼が彼自身の新しいスタイルで曲を伴奏していたこと。原曲の枠組みや世界観を損なうことなく、新鮮な瑞々しい感性で新しい音が生まれ、ローレの歌とピタリと共鳴しているのを聞けて涙がでそうになりました。あの原曲のすばらしいギターの音色から、芯の部分を損なうことなく真似ではない彼のスタイルを確立できたのは並大抵ではないと思います。いったいこの方はどのくらいの時間をかけて曲と向き合ったのだろう。心の底から惜しみない拍手を送りたい思いです!

ローレは若い頃は高い音域で歌っていた部分を一オクターブ落として低く歌い直したりするテクニックを多用していましたが、これが今の彼女の見つけた表現方法なのかと興味深かったです。低く歌う分深く感情を込めるためそのテンションで歌い上げる様が見事でした。

曲が新しい命を吹き返し、また進化していく。ローレは「聖書の一節に虹はたくさんの美しいインパクトを持って世界を照らすのに気がつかないで見逃してしまう人のなんと多いこと、という言葉があり、私は何十年も歌っていた自分の歌の中に虹を見つけました。これからも歌い続けようと思います。」と挨拶し、名曲Todo es de colorを歌いあげました。

また彼女から、そしてホセ・アセド氏からもたくさんのことを学んだ夜でした。


再会

2017年02月26日 20時19分55秒 | 日記
昔は相性が悪いと決め込んで毛嫌いしていたけれど、時がたって再会したら無二の親友になってしまった!私とピアノの関係はまさにそんな感じです。

4歳から16歳までの12年間、練習もろくにせず毎週ピアノのレッスンは重荷だった。幸か不幸かはじめに当たった先生がすばらしい方で、やる気のない子ども相手に音あてクイズ形式で徹底的に耳を鍛えさせる術を熟知していた。そのため音感は良くなったが今度は楽譜を読まない悪癖がついた。耳で音をとるほうが楽であり、オタマジャクシとのにらめっこは幼い私にとって拷問に近かった。何度注意しても手元ばかり見て勝手なニュアンスを付けたり音を省いたり足したり、指使いがめちゃめちゃな生徒に業を煮やし、楽譜を見なさいと先生は手元を本で隠したりしたが、私は目をつぶって弾き続け、先生はお手上げと言わんばかりに深い溜息をついた。

高校で学業を理由にレッスンから解放されて以来ほとんど触ることのなかったピアノだが、6歳になった息子の情操教育にピアノを購入したのはやはり歌い手として音感の面では多大な感謝をしているからだった。ふたを開けてみると懐かしさから弾きたい気持ちがこみ上げてきて、大好きなローレ・イ・マヌエルのメロディーをポロポロと奏でては歌った。こんなに音楽に飢えていたなんて、自分でも全く気づかなかった。

街でマドリレに出会いその話をすると、もともとギョロリとした目を大きく見開き、「ピアノは自分の音楽に必要だとずっと長年思っていたんだけど良い人がいなくて困っていた。一緒に練習しよう!」という。マドリレは作詞作曲をするすばらしい音楽家であり、自他ともに認めるボヘミアンなフラメンコギタリストだ。日頃から尊敬する彼のことなのでもちろんいいですよと二つ返事で答えたが、翌日ギターを持って本当に彼が家に現れたときはちょっと驚いた。そしてそこから音探しの旅が始まり、さながら私と彼の関係はヘレンケラーとサリバン先生のようだった。作曲家本人だけあり、欲しい音に対する貪欲な要求には容赦がない。「それはリズムが違う。もっとマントでギターの音色を包み込むように。無責任になんとなく放り出さないで、音に芯を持ちなさい。ここはもっと上昇していく感じの狂った音がほしい。もっと探しなさい。でもその方向であっているよ!」彼が帰ると記憶の断片に引っかかった音を思い出し、ヒントを求めてビートルズを聞く。これかなと思いあたるとまた椅子に座りピアノに向き合って探す。子供の頃は一日30分は最低でも練習しなさいと母に怒られてその長さが永遠に感じられ苦痛だったというのに、今はほんの5分だけ練習しようと座ったつもりが気がついたら2時間、3時間とあっという間に過ぎていく。

フラメンコの音とコンパスもピアノで探し始めた。ギターで一番好きなディエゴ・デル・ガストールのソレアの音を探したら一音目から鍵盤が存在しない。ミとミのフラットの間にある音のようだ。その話をマドリレにすると、「微分音はピアノではないが、ハープなら可能だ。本当にフラメンコの音を探すならハープがよいがとりあえずピアノでまだまだたくさんのことが学べるからその後にしてはどうか」という。かつてナチス党の党歌であった「旗を高く掲げよ」という曲は歌うときに攻撃的な高揚感を出すため440ヘルツから僅かに少しだけ音を上げたという面白い逸話も一緒に教えてくれた。

マドリレの音楽はピュアなラブソングから等身大の反戦歌まで。日常のひとコマを鋭いメスで切り取った歌詞はドキリと胸に響き、フラメンコの旋律を要所要所に散りばめたその調べはどこまでも美しい。


エル・ガソリーナ 待望の初来日!

2017年02月04日 16時48分43秒 | 日記
2017年7月、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラのカンテ黄金時代を生きた貴重な歌い手「エル・ガソリナ」が日本にやってきます!ギタリストにはヘレスのカンテ・ホンドの伴奏を知り尽くした俵英三さんをお迎えし、甲府・大阪・東京の3ヶ所にてリサイタルを行います。彼が歌うエル・チョサのブレリアを・・・・ぜひ聴きにいらしてください!!みなさんにお会いできるのをパコ共々今から楽しみにしております。

なお、甲府ではなんと金子文乃さんのバイレも・・・!ぜひご期待下さい!!!(踊りの伴唱は私小里です(*^_^*))

■■■パコ・エル・ガソリナ プロフィール■■■

1949年、ヘレス・プラスエラ地区に生まれる。その後、パケーラ、テレモト、ティオ・ボリーコ等多くのアーティストが居住していたアスンシオン地区に居を移し、毎日を生きたフラメンコの中で過ごす。
特に伝説の個性派カンタオールとして知られたエル・チョサと深い友好関係を持ち、そのスタイルの後継者として知られる。"La Nueva Frontera del Cante(1973年)"や”Antologia Flamenco -Perico el del Lunar hijo(2002年)”等、歴史に残る名盤の数々に参加。ヘレスの古きよき時代を生きた今や数少ない貴重な存在であり、若かりし頃から「玄人好みのアーティスト」と絶賛されたその歌声は、昨年日本のファッションデザイナー・ヨウジヤマモト氏のパリ・コレクションのBGMに起用されるなど、ジャンルを越えて評価されている。

公演日程は、甲府「桜座」7/14㈮、大阪「カサ・グロリア」7/16㈰、東京「カサ・デ・エスペランサ」7/17㈪祝です。
詳細は随時こちらでも掲載していきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。