狐・狸・祭

フラメンコの故郷よりマイペースに発信、カンタオーラ小里彩のブログです

ワインと音楽!

2015年03月14日 01時37分07秒 | 日記
ポルトガルの諺に「悪いワインを飲むには人生は短すぎる」というのがある。美食家のポルトガル人ならでは・・・・と感心したけれど、ここ最近しみじみ「これって音楽にもあてはまるなあ!!!」と感じます。世の中に素晴らしい音楽は山のように有り、殆どは自分が聞いたこともないような未知の世界であるはず。自分はこの短い人生でどれだけの素晴らしい音と出会い、鑑賞する喜びに浸れるのだろう!

家族でドライブ中など、ラジオからゴミのような中途半端なファーストフード的使い捨て音楽がジャンジャン流れてくると本当に、時間と耳が「モッタイナイ」とケニアのワンガリ・マータイさんの名言を拝借したくなる思いです。

昔から「これは特別好きだ!」と思った音楽は舐めるように何度も何度も何度も繰り返して聴きまくる性癖があり、子供時代二人部屋で生活空間がずっと一緒だった姉には「ホントどうかお願いします、ノイローゼになるのでその音楽聴くのもうやめてくれませんか?」と頼まれたりしたものだ(ゴメンネ)。

昨年のローレモントージャ氏のレッスンのあと、勧めていただいて聴き始めたウームクルスームのファッカローニ。伴奏がオーケストラのものをこの一年ずっと聞きこんできたが、つい先日素晴らしい偶然によりアブドゥル・ワッハーブさんという(大変失礼ながら一見大阪の食い倒れ人形ソックリ!!!)方がウードの弾き語りで同じ曲を歌っている音源に行き着いた。(何しろアラビア語なので探している音源に行き当たるまでが半端なく運任せ(´Д` ))いやあ~その素晴らしいこと素晴らしいこと!真夜中にひとりで大興奮でした。

にわか勉強によると、この方はアラブ近代音楽の父とも言われる方で、なんとファッカローニの作曲をした御本人だった。そりゃあ作った人が一番この音楽について理解している人に決まっています。オーケストラの伴奏で毎度毎度聞いていた、たくさんの楽器で担う壮大な演奏部分が、ウードたった一本で「全て」表現されているため、音もリズムも芯の部分のみ核心に触れており、鑑賞に当たり大変分かりやすい。「すべて削ぎ丸裸になるとつまりはこういう音楽なんだ!!」宇宙の果てから私の心にドカっと届いた、素晴らしいプレゼント!個人的にはフラメンコを聞きなれているため弦楽器プラス声一本のみの音楽は聴きやすいという好みもあるのかもしれませんが、もう本当に本当に大満足(>_<)。




脱線しますが、聴き比べつながりでは、南米のフォルクローレではメルセデスソーサ様の声と歌唱力に引き込まれ、たくさんの南米の曲を聴きましたが、彼女の紹介のおかげで例えばビオレッタパラのグラシアスアラビーダの切ない歌声に出会えたり、ユパンキの重厚な説得力あふれるギターラ・ディメロ・トゥに出会えたり、インディオ・トーバ族の種の悲しみを歌った生命賛歌に出会えたり・・・・。最後の歌などはアンデスの山々みたいな景色とかコンドルみたいな鳥が聞いているだけで勝手に脳裏に鮮やかに浮かびます(旅行パンフの「写真はイメージです」みたいな)。良い音楽は景色が広がって見えると言っていたのは誰でしたっけ・・・。誰だか忘れましたがあなた様、一理ある!そしてそんな景色を素晴らしい歌声で私に見せてくれたソーサ様、本当にありがとう!

クラシックではグレングールド様のバッハ。鍵盤という88鍵の小宇宙で繰り広げられる音の洪水にアッパーパンチを喰らう思いです。この崇高な世界ヨ・・・。とてもBGMにはできないのでトロ臭い私には本当にちょっとずつしか聞けません。



と、芋づる式に聞きたいものが増えていく一方なんですけど、もちろんフラメンコもまだまだ勉強したりないし一体どうしたらよいのだろう!とある意味嬉しい悲鳴。人生という短い旅の中で多くの偉人たちの残した軌跡を少しでも辿り、疑似体験し、一緒に夢を見ることができたらどんなに楽しいことだろう。


ブレリアの歌と踊り

2015年03月09日 00時30分59秒 | 日記
スペインに来るまで13年間、日本でカンタオーラとして仕事をしていた。

日本での仕事の99%は踊りの伴奏であり、私は自分の仕事に深い愛着を持っていた。自分の性格もあるのだろう、主役ではないポジションが自分にはちょうど良く居心地が良かった。

現在でもマイペースながらヘレスでブレリアの勉強をしているが、踊りの教室で歌わせていただいているため踊りやギターとの関わりに毎度自分の中で新たな発見がある。

よく考えてみたら踊りの伴奏というのは少々語弊がある。むしろブレリアの輪で伴奏は踊り手が担うといった方が正しいのかもしれない。歌を聴いてその呼吸に答えて一体感ある動きでコンパスを刻みながら踊りの一歩を踏み出す。そして歌い手に重きがある導入から次第に同等の立場へと双方が溶け合ってゆき一緒に盛り上がり、終盤に持ち込む。

ヘレスのブレリアは音楽でありながら哲学でもあり、土地の誇りでもあり、上質のコミュニケーションでもあると思う。歌の勉強をしている立場の覚書として、その特有の難しさと魅力を挙げてみると・・・

① 「言葉の壁」 導入部分は好きな歌を好きな歌い方で演じれば良いのである意味練習次第でなんとかなるかもしれないが、終盤は踊り手の出すリズムに言葉のリズムを即興で乗せなければならない。予定は未定、真っ白な頭で望まなくてはいけないのが最大の難しさだ。それも畳み掛けるように次々といかないと冷えてしまうので、さながら同時通訳のような緊張感。たくさんあれば良いというわけではないが同じものの繰り返しではやはり興醒めなのである程度自在に操れるレパートリーとしてのレトラの引き出しが必要。それを言ってみればラップのように言葉をコンパスに臨機応変に乗せられる言語力と瞬発力が必要。突っ込んで入ってしまい「字足らず」な時はおかしくないような範囲で一語付け足したり同じ単語を縮小形にして伸ばす方法でコンパスを埋めたり、逆に言葉を食って入ったり途中で切って終わったりすることも自在にできる能力が不可欠だ。その上、前著のようにテクニックとしての語学力も大事だが、レトラのもつ匂いやストーリーに踊り手がインスピレーションを得て動くのため、詩を選ぶ(または創作する)豊かな感受性も、またその詩の世界を自分で消化した上での表現力(詩の朗読と同様)ももちろん大切なエッセンスだと思う。このように、ネイティブでも難しいところを外国人の私たちには言葉のハンディが大きいことは言うまでもない。

② 「音楽力」 ラップのように、詩の朗読のように、と前項で述べたが現実にはそのうえ更にその詩を何らかの形でメロディーに乗せることになると思う。その際、相手の出方を見ながらのメロディーの切り方、継続感、盛り上がり感、(時にはあえて盛り下げて一旦落ち着かせることもあるだろう)、そして終止感をその場にふさわしく説得力を持って表現できなければならない。

③ 「洞察力」ヘレスのブレリアの場合、踊り手に制限付きの範囲内で鮮やかな自己表現ができる自由を与えるための「抜き」が必要であり、ぎっしり歌ってはいけない。隙間を作って相手に技を出す空間を与えながらの歌唱。相手に頼りすぎてもダメ、自分ばかり出そうとしてもダメ。会話と同じで双方が自分を絶妙にぶつけ合いながら空気を高めていかなくてはならない。
 
というわけで、さながら右手で丸を書きながら左手で三角を書き、更に足でハートを書くような、そういう難しさがあるのがヘレスのブレリアの踊り伴奏・・・もとい踊りとの「共演」だ。うまい踊り手に対して歌っているとぐいぐいと引っ張って展開してもらえる。(その逆も然り)

また、その難しさを注目した上で上手な歌い手のフィエスタなどでの歌唱演技を聞いているとそのアルテの見事さにワクワク心が踊ります。

コンパスという美しい枠内で、勝手に人の内から滲み出てくる芸。それだからこそ価値があるものだし、隠し様がない自分自身の姿なのだと思います。

花泥棒

2015年03月06日 00時34分12秒 | 日記
人生には二通りの過ごし方があるという。「奇跡なんて起こらない」と信じて生きる人生と、「起こること全てが奇跡なのだ」と信じて生きる人生。

ヘレスを初めて訪れたのはもうかれこれ10年くらい前のこと。観光客を乗せた馬車を引いて街中を闊歩する馬の蹄の美しい旋律を聞いて、人々のヘレスなまりのお喋りを聞いて、「嗚呼!ブレリアのコンパスだ!」と感激したのを今でもはっきり思い出す。ペーニャ(愛好会)でのクワドロフラメンコの舞台で色とりどりの衣装を身にまとった恰幅の良い明るいご婦人方が順繰りに踊りだすのを見て、その体型がまさに「シェリー酒の樽の形と同じだ!(笑)」と衝撃を受けたりもした。

街全体にもやのようにかかる不思議なフラメンコの濃い匂いが、今まで訪れたどこの街とも違っていた。でも、はじめから一番好きな街であったかといえば決してそうではなかったと思う。むしろ、第一印象は一癖あってどことなくとっつきにくい街だなあとさえ思った。それなのに、ヘレスは私にとってなんとも言えず気になる街だった。現在住んで3年になりますが、住めば都とはよく言ったものです。ヘレサーノ特有の「グアッサ(厄介なノリ?)」も苦笑いで交わせるようになりました。いろいろ苦難もありつつ、ヘレスでの生活は最高に楽しいです!

さて今回は、日本から短期留学でへレスに来ていた時代の忘れられないある日の出来事を懐かしく振り返ってみたいと思います。

私はヘレスに滞在しながら隣町に電車で出かけて歌のレッスンを受け、空き時間にはまた別の近隣の街に住む彼をバスに乗って訪ねたりもしつつ、忙しい毎日を過ごしていた。いつも急いでかけてゆく私を見て、顔なじみのバルのおじさんは「おお!今日もまた走ってるのか~頑張れ!」と遠くから私をからかった。(よく考えてみると、アンダルシアで走っているのは泥棒と泥棒を追いかける警察官くらいかもしれない・・・・浮いていたのでしょうね(^^;))

ある日、タッチの差でバスを乗り過ごしてしまった。「あ~あ。。。」次のバスは一時間後だ。時間がもったいない・・・・!!やりたいことは山ほどあるのになあ~!!!と口惜しかった。とりあえず彼に遅れて到着する旨を電話で伝え、さてどうしよう?かと言って家に帰るほどの時間もないので、時間つぶしに駅の近くをぶらぶらして待つことにした。

突然現れた予定外のスキマ時間。「予定をこなす!」という時間の使い方に慣れきっていた私はちょっとぽっかり考え込んでしまった。小春日和のなんとも気持ちの良い午後だった。シエスタの時間でもあり、通りには人っこひとりいない。ドンドン歩いていくと、美しい庭園のある寂れたお屋敷が目前に大きく現れた。門の角から一人の初老の男性がひょっこりと顔を出し、目が合うと私に笑いかけた。

「やあ」「こんにちは」

少々薄汚れた身なりの紳士だった。逆光が眩しかったのか目を細めながら私に近づくと、私の手を取って握手をした。一瞬「この人は大丈夫かな?」と不安も頭をかすめたが、酔っている様子などはなかった。

「フラメンコの歌がお好きなんですね。この街に来るほかの人はだいたい踊りが好きだけどあなたは歌が好きだ」と唐突に言うので、初対面なのになぜそんなことがこの人には分かったのかな?と少し驚きながらも「そうです」と言った。

彼は私の目をしっかり見ながら至近距離でファンダンゴを歌いだした。私たち二人を取り残し、突然辺りの時が止まったようだった。白昼夢のような・・・・。。2つ、3つほどのレトラ(歌詞)を歌うあいだ、じっと目をそらさず私を見据えた。私はドキドキしながらも彼の目をそのあいだ中見つめ返してその歌を全身を耳にして一生懸命聞いた。上手いとか、下手とか。そういう次元のものではなく、なにか強烈な思いのこもった心が揺さぶられる歌だった。

「私がこの屋敷で何をしていたか教えてあげましょう、私は今失業中でお金が必要なんです。子供もいますのでね。そこでこの花を摘んできたのです。これを売ってお金にしてなんとか食べ物を買うのですよ」といった。「でもね、私は泥棒ではありませんよ。ちゃんと持ち主(dueño)に許しを請いましたから。神に、です。すると主は私にすぐさまこういった!”一番美しい花を摘んでゆけ!Coje los mejores!"」

私は紳士を心の底から肯定したくなり、無言で頷いた。

その後「それでは、また。さようなら」と会釈をして二人は別れ、それぞれの方向へ去っていった。

次のバスに乗ってようやく会えた彼にその不思議な出会いについて話すと、「バスに乗り遅れたのはその方と会うためだったのだろうね」といった。私もやはりそのように感じていた。


Por buscar la flor que amaba
entré en el jardín de Venus
y me encontré con mi morena
que era la que yo buscaba
y para alivio de mis grandes penas




また一つ舞台を終えて

2015年03月03日 19時07分10秒 | 日記
先週末にギタロンでのライブを無事に終了し、ホッとしています。

ギタリストのヘスス・エル・グアルディアには年に一度のヘレスフェスティバル中で、かつお嬢さんのヘマ・モネオのライブという一番大事な舞台が同日の夜に控えていた超多忙な時期にもかかわらず、無理なお願いを聞いて仕事を引き受けていただきました。本当に感謝の気持ちしかありません。ご本人がお忙しいこともあり、リハーサルもなし、ぶつけ本番で臨みました。でも、ヘススが隣にいてくれさえいれば絶対大丈夫だと確信があり、不安はありませんでした。ソレアの深い音色、ブレリアの躍動感と重厚感。以前から大好きなギタリストだった彼と一緒に舞台に立てたこと、その過程を通して人間としてお近づきになれたこと。本当に幸せの一言でした。暖かく見守っていただきありがとうございました。

以前別のギタリストの方が「リハーサルは臆病者のすることだから」と言っていたのを聞いて以来、できれば実力のあるギターの方とぶつけ本番またはそれに近い形で舞台に上がることを理想としています。練習中の気心の知れたギタリストの方と100回練習して舞台に一緒に上がるのも場合によっては楽しいものかもしれませんが、今の私に必要なのは間違いなく前著の方法です。怖いといえば怖いですが、ある意味それで通じるものしかフラメンコに届くどころか掠れもしないことでしょう。掠る努力はしなくてはなりません。その音色をどこまで聞けるか己の精神力を培うこと。

「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」と発言したのは、前世紀最大の人類が誇るカナダ出身の名ピアニスト、グレングールド。私にとっては非常に感銘を受ける含蓄に満ちた言葉です。究極の境地ですがこれを少なくとも目指そうとしなくてはとても正しい方向には進めないということなのでしょう。

スペインで、それもフラメンコのメッカであるヘレスで歌うということは確かに勇気のいることですが、でもその一方でフラメンコを歌うのに勇気がいるのは日本でもアフリカでも中国でも世界中どこにいても結局は同じことなのだということも最近はしみじみ感じています。

ほかの場所で歌うこととの違いを述べるとしたら、自分にとって人前で歌わせていただくのにこれほど成長させていただける場所も今までなかったのではないかということです。聞いてくださる観客が自分にフラメンコを教えてくれる存在であり、その反応を肌で感じられるということは本当に幸運であり、ありがたいことです。

そして、ずっと当日そばにいて下さり、フィンデフィエスタでは素晴らしい踊りで花を添えてくださったソリさんには最大限の感謝の気持ちを贈ります。

急がず、しかし止まらずにしっかり頑張っていきたいものです。