ポルトガルの諺に「悪いワインを飲むには人生は短すぎる」というのがある。美食家のポルトガル人ならでは・・・・と感心したけれど、ここ最近しみじみ「これって音楽にもあてはまるなあ!!!」と感じます。世の中に素晴らしい音楽は山のように有り、殆どは自分が聞いたこともないような未知の世界であるはず。自分はこの短い人生でどれだけの素晴らしい音と出会い、鑑賞する喜びに浸れるのだろう!
家族でドライブ中など、ラジオからゴミのような中途半端なファーストフード的使い捨て音楽がジャンジャン流れてくると本当に、時間と耳が「モッタイナイ」とケニアのワンガリ・マータイさんの名言を拝借したくなる思いです。
昔から「これは特別好きだ!」と思った音楽は舐めるように何度も何度も何度も繰り返して聴きまくる性癖があり、子供時代二人部屋で生活空間がずっと一緒だった姉には「ホントどうかお願いします、ノイローゼになるのでその音楽聴くのもうやめてくれませんか?」と頼まれたりしたものだ(ゴメンネ)。
昨年のローレモントージャ氏のレッスンのあと、勧めていただいて聴き始めたウームクルスームのファッカローニ。伴奏がオーケストラのものをこの一年ずっと聞きこんできたが、つい先日素晴らしい偶然によりアブドゥル・ワッハーブさんという(大変失礼ながら一見大阪の食い倒れ人形ソックリ!!!)方がウードの弾き語りで同じ曲を歌っている音源に行き着いた。(何しろアラビア語なので探している音源に行き当たるまでが半端なく運任せ(´Д` ))いやあ~その素晴らしいこと素晴らしいこと!真夜中にひとりで大興奮でした。
にわか勉強によると、この方はアラブ近代音楽の父とも言われる方で、なんとファッカローニの作曲をした御本人だった。そりゃあ作った人が一番この音楽について理解している人に決まっています。オーケストラの伴奏で毎度毎度聞いていた、たくさんの楽器で担う壮大な演奏部分が、ウードたった一本で「全て」表現されているため、音もリズムも芯の部分のみ核心に触れており、鑑賞に当たり大変分かりやすい。「すべて削ぎ丸裸になるとつまりはこういう音楽なんだ!!」宇宙の果てから私の心にドカっと届いた、素晴らしいプレゼント!個人的にはフラメンコを聞きなれているため弦楽器プラス声一本のみの音楽は聴きやすいという好みもあるのかもしれませんが、もう本当に本当に大満足(>_<)。
脱線しますが、聴き比べつながりでは、南米のフォルクローレではメルセデスソーサ様の声と歌唱力に引き込まれ、たくさんの南米の曲を聴きましたが、彼女の紹介のおかげで例えばビオレッタパラのグラシアスアラビーダの切ない歌声に出会えたり、ユパンキの重厚な説得力あふれるギターラ・ディメロ・トゥに出会えたり、インディオ・トーバ族の種の悲しみを歌った生命賛歌に出会えたり・・・・。最後の歌などはアンデスの山々みたいな景色とかコンドルみたいな鳥が聞いているだけで勝手に脳裏に鮮やかに浮かびます(旅行パンフの「写真はイメージです」みたいな)。良い音楽は景色が広がって見えると言っていたのは誰でしたっけ・・・。誰だか忘れましたがあなた様、一理ある!そしてそんな景色を素晴らしい歌声で私に見せてくれたソーサ様、本当にありがとう!
クラシックではグレングールド様のバッハ。鍵盤という88鍵の小宇宙で繰り広げられる音の洪水にアッパーパンチを喰らう思いです。この崇高な世界ヨ・・・。とてもBGMにはできないのでトロ臭い私には本当にちょっとずつしか聞けません。
と、芋づる式に聞きたいものが増えていく一方なんですけど、もちろんフラメンコもまだまだ勉強したりないし一体どうしたらよいのだろう!とある意味嬉しい悲鳴。人生という短い旅の中で多くの偉人たちの残した軌跡を少しでも辿り、疑似体験し、一緒に夢を見ることができたらどんなに楽しいことだろう。
家族でドライブ中など、ラジオからゴミのような中途半端なファーストフード的使い捨て音楽がジャンジャン流れてくると本当に、時間と耳が「モッタイナイ」とケニアのワンガリ・マータイさんの名言を拝借したくなる思いです。
昔から「これは特別好きだ!」と思った音楽は舐めるように何度も何度も何度も繰り返して聴きまくる性癖があり、子供時代二人部屋で生活空間がずっと一緒だった姉には「ホントどうかお願いします、ノイローゼになるのでその音楽聴くのもうやめてくれませんか?」と頼まれたりしたものだ(ゴメンネ)。
昨年のローレモントージャ氏のレッスンのあと、勧めていただいて聴き始めたウームクルスームのファッカローニ。伴奏がオーケストラのものをこの一年ずっと聞きこんできたが、つい先日素晴らしい偶然によりアブドゥル・ワッハーブさんという(大変失礼ながら一見大阪の食い倒れ人形ソックリ!!!)方がウードの弾き語りで同じ曲を歌っている音源に行き着いた。(何しろアラビア語なので探している音源に行き当たるまでが半端なく運任せ(´Д` ))いやあ~その素晴らしいこと素晴らしいこと!真夜中にひとりで大興奮でした。
にわか勉強によると、この方はアラブ近代音楽の父とも言われる方で、なんとファッカローニの作曲をした御本人だった。そりゃあ作った人が一番この音楽について理解している人に決まっています。オーケストラの伴奏で毎度毎度聞いていた、たくさんの楽器で担う壮大な演奏部分が、ウードたった一本で「全て」表現されているため、音もリズムも芯の部分のみ核心に触れており、鑑賞に当たり大変分かりやすい。「すべて削ぎ丸裸になるとつまりはこういう音楽なんだ!!」宇宙の果てから私の心にドカっと届いた、素晴らしいプレゼント!個人的にはフラメンコを聞きなれているため弦楽器プラス声一本のみの音楽は聴きやすいという好みもあるのかもしれませんが、もう本当に本当に大満足(>_<)。
脱線しますが、聴き比べつながりでは、南米のフォルクローレではメルセデスソーサ様の声と歌唱力に引き込まれ、たくさんの南米の曲を聴きましたが、彼女の紹介のおかげで例えばビオレッタパラのグラシアスアラビーダの切ない歌声に出会えたり、ユパンキの重厚な説得力あふれるギターラ・ディメロ・トゥに出会えたり、インディオ・トーバ族の種の悲しみを歌った生命賛歌に出会えたり・・・・。最後の歌などはアンデスの山々みたいな景色とかコンドルみたいな鳥が聞いているだけで勝手に脳裏に鮮やかに浮かびます(旅行パンフの「写真はイメージです」みたいな)。良い音楽は景色が広がって見えると言っていたのは誰でしたっけ・・・。誰だか忘れましたがあなた様、一理ある!そしてそんな景色を素晴らしい歌声で私に見せてくれたソーサ様、本当にありがとう!
クラシックではグレングールド様のバッハ。鍵盤という88鍵の小宇宙で繰り広げられる音の洪水にアッパーパンチを喰らう思いです。この崇高な世界ヨ・・・。とてもBGMにはできないのでトロ臭い私には本当にちょっとずつしか聞けません。
と、芋づる式に聞きたいものが増えていく一方なんですけど、もちろんフラメンコもまだまだ勉強したりないし一体どうしたらよいのだろう!とある意味嬉しい悲鳴。人生という短い旅の中で多くの偉人たちの残した軌跡を少しでも辿り、疑似体験し、一緒に夢を見ることができたらどんなに楽しいことだろう。