ぢえかすブログ

       

世界一の美人・後日談

2022-01-10 04:27:29 | 萌え
後日談なんて、そんなスゴイことではないのですが・・・。
前回アンジェラ・ハリーさんのことを取り上げましたが、
その際色々とネットで調べていましたら、
ヤフオクにアンジェラ・ハリーさんを掲載した雑誌の切り抜きが
出品されているのを発見しました。
それがコレ↓



↓ちょっとアップにしてみました。



何という雑誌なのかは不明ですが、
他に掲載されている方の記事を拝見すると1983年に出版された模様。
アンジェラ・ハリーさんが掲載されているのは、この1ページだけのようです。
画像ではわかりづらいので、記事の文面を以下に記します。

「三菱エアコンのCMで涼し気な肢体を御披露目中なのが、
このアンジェラであります。
福岡で生れたアメリカ人(なんのこっちゃ?)ですが、
生後1年でアメリカに行っちゃったので日本のことはほとんど記憶になし。
20歳で、サイズは身長171、B81、W61、H84。
ほんとにクールなボディですなあ。
★レター/〒106東京都港区麻布台3-4-10誠工社ビル フォリオ」

とのこと。
それにしても、この文章が80年代なのですね。
(なんのこっちゃ?)というひとりツッコミ。
そして「涼し気な肢体」という、なんだか大人向けの小説みたいな表現。
それにかけているのでしょう「クールなボディ」・・・(なんのこっちゃ?)
でも、実際カッコイイもんなぁ、アンジェラさんは。

オット、そんな話ではない。

三菱エアコンといえば
えっ、「霧ヶ峰」。。。
だとしたら、太陽にほえろ!でCMやっていたじゃん。
と思いYouTubeで片っ端から探してみたのですが、
あの頃の「霧ヶ峰」と言えば欽ちゃん(萩本欽一さん)しかないんですよ。
確かに太陽にほえろ!の時に流れて記憶にあるのは欽ちゃんのCM。
ところが、三菱のエアコンというと「霧ヶ峰」の三菱電機だけでなく
三菱重工の「ビーバーエアコン」というものも。
そこで、「ビーバーエアコン」の方も探したのですが、
あのビーバーが出てくるCMしか見つからず・・・。
でも、ヤフオクで「ビーバーエアコン」のカタログを探しましたら、ありました。
1983年のカタログにアンジェラ・ハリーさんが
掲載されているものが出品されていました。
即入札&落札しました。
それが、コレ↓



↓中身です。このカタログは中綴じではなく、
観音折りとクロス折りが合体したみたいになっており、
全体を広げるとかなりの大きさです。
なので、画像はアンジェラ・ハリーさんが写っている一部分のみです。



ヤフオクに出品されていたカタログの画像は小さく、
辛うじて雑誌と同じ宇宙人のような出で立ち(なんのこっちゃ?)で、
アンジェラさんと認識できたのですが、別の格好をした女性も複数掲載されており、
こられもアンジェラさんなのかと思っていたのですが、ご覧の通り別人でした。
ちょっとガッカリ(´-ω-`)

でも、資生堂やブルボン以外でもお仕事をされていたのですね。
ヤフオクにはサイン色紙の出品もありましたし、
結構活動されていたのですね。。。

★今日の一曲★
Time (Clock Of The Heart) / Culture Club

♪1983年というとちょうど中学生でしたが、
この頃は洋楽も流行っていました。
すでにCDが出ていましたが、まだまだレコードの時代で、
貸しレコード店で借りてきてダビングしたり、
友達から借りてダビングしたり、はたまた友達に頼んでダビングしてもらったりと、
なんとなくみんなでシェアしてましたね。
この曲は、「Colour by Numbers」に入っていた曲で、
今はこのアルバムのCDを持っていますが、
当時はやはりダビングしたカセットテープで聞いていました。
最初は、確かいとこの一歳上のお兄ちゃんが持っていた
ダビングテープからダビングしたもので、
そのためヒスノイズがすごくかなりの音悪でした。
ただ、この時のアルバムには、
確か「Time (Clock Of The Heart)」が入っていなかったように記憶しています。
その後、同級生の女の子が持っていたカセットテープ版のアルバムを
貸してもらいダビングしたのですが、
こちらにはA面の最後にこの曲が入っていて、この時初めてこの曲を聞きました。
「Colour by Numbers」といえば、
「カーマはきまぐれ」の印象がかなり強いですし、
日産好きの僕にとってはかなり残念であった、
いわくつきのラングレーのCMでかかっていた「ミス・ミー」も大好きでした。
そんなこともあって同級生の女の子から借りてダビングする際には、
少し奮発してソニーの「HF-PRO」という
ノーマルテープでしたがちょっとイイカセットテープにダビングしていました。
でも、その時から「タイム」を聞き、最初は違和感があったものの、
聞き重ねるうちに一番好きな曲になってしまいました。
「ザッツ・ザ・ウェイ」からの曲の流れもイイんですよね。
「タイム」でしまる感じがして。
ただ、毎回洋楽の時には書いておりますが、
歌詞の意味は全くわかっていませんので。
完全にフィーリングです。♪

P.S「タイム」が入っているアルバムと、
無いものがあることについては
以下のコメントに詳しく書かれていました。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1RL9Z370UOFIN/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B0000562T9
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世界一の美人

2021-10-09 23:21:52 | 萌え


以前、中学校の頃は伊藤さやかさんから中森明菜さんへと
好きなアイドルが変わった話をしました。
その後は、斉藤由貴さんへと変わっていくのですが、
それとは別に惹かれた人がありました。
それは、資生堂フェアネスやブルボンのCMに出演されていた
モデルの「アンジェラ・ハリー」さんです。

実は、伊藤さやかさんのことを書く前の、2013年にブログの中で、
「次はアンジェラ・ハリーさんのことを書く」などと豪語していたのですが、
それから8年近くたってしまいました。。。(残念!

この記事です。
https://blog.goo.ne.jp/diekasu/e/be322cd77eac916336c79973baad41d2

さて、アンジェラ・ハリーさんのことが好きであった1980年代前半は、
インターネットなんてありませんから情報を得る手段もなく、
出演していたCMの会社に直接電話をして
「CMに出演されているのは、何という人ですか?」と、
尋ねたりしていました。
それが資生堂だったのか、
もしかしたらブルボン(当時は北日本食品工業)に電話して聞いたのかもしれません。
当時、ブルボンの本社を調べて柏崎にあることまで知っていたので・・・。

それから月日が経ち、インターネットで調べることが出来るようになってから、
アメリカと韓国のハーフであることや
1963年4月12日福岡市生まれということも知りました。
1990年代にはアメリカのテレビドラマにも出演され、
1993年には 「Blindsided(誘惑のブレスレット)」、
1996年には「Raven(ザ・コマンドー)」という映画にも出演されたようです。
どれも見たことはありませんが。
さらに、最近の写真なども見ることが出来ます。
当時のどことなくカワイらしいイメージとは違い、かなりセクシーですね~。

https://goldsea.com/Personalities2/Harryangela/harryangela.html

また、2005年6月には資生堂宣伝史(1992年出版)の存在を知ったのですが、
それには当時のCMを収録したビデオも付いているとのこと。
ただ、中古品を探したのものの結構な値段だったことから断念。
しかし、図書館に所蔵されているとのことで、
最初に都立広尾図書館(現・都立中央図書館)に行ったのです。
ところが、貸し出しは不可とのこと。
そこで、別の図書館の所蔵を調べると、
近所の区立図書館にもあり、貸し出しもOKとのこと。
そこで、借りてきてじっくりと拝見することが出来ました。
ちょ~懐かしかったぁ~。

ただ、そのビデオを見ると、
アンジェラ・ハリーさんは、
1982年秋のキャンペーン「気分はフェアネス」のCMから登場しているのですが、
このCMの記憶がないんですよねぇ。
当時、刑事ドラマが大好きで「太陽にほえろ!」を見ていたのですが、
そのスポンサーが資生堂でしたから、
それで「フェアネス」のCMに出演していた
アンジェラ・ハリーさんを知ることになったのです。
でも、山根麻衣さんの歌も含めて「気分はフェアネス」の記憶ないんですよね~。
1982年にはバッチリ「太陽にほえろ!」を見ていたのですが・・・。

その後、EPOさんの「う、ふ、ふ、ふ、」のテーマソングも有名な、
1983年春のキャンペーン「う、ふ、ふ、ふ、フォギー」のときにCMを見て、
「なんてきれいな人なんだろう」と衝撃を受けたわけです。
さらに、これもインパクトのある高見知佳さんの「くちびるヌード」が、
テーマソングとなった1984年春のキャンペーン「くちびるヌード」で、
「この人は世界一の美人だ」とまで僕の中ではアンジェラ・ハリー熱が高まります。
そして、1984年秋のキャンペーン「ニュアンスしましょ」で、到頭というか、
やっとというか勇気を振り絞って化粧品店にお願いしてポスターを頂くことを決意。
ただ、近所だと先輩や同級生に見つかる可能性があることから、
隣の駅まで行き目ぼしい化粧品店を探し入店。
今みたいにドラッグストアーがなかった時代で、
化粧品も多くが化粧品店の取り扱いだったと思うので、
女性ばかりが利用するこんな店に入ることも勿論初めて。
で、メチャクチャ緊張したのを覚えています。
店主なのか、親と同年齢くらいの女性が応対してくれたので、
「ニュアンスしましょ」のポスターがほしいことを告げると、
キャンペーン期間が終了し不要になったら連絡をくれるとのこと。
そして、しばらくすると本当に連絡が来ました。
その頂いたポスターは2種類で、大きい方が多分B2くらいのサイズで、
もう一つがA3くらいの正方形サイズのものでした。
化粧品の香り、いやっ匂いですかね。
が、付いていて、ちょっときついなぁという印象でした。

ポスターは、その後手に入れた斉藤由貴さんのアルバム「チャイム」や、
南野陽子さんの「ジェラート」、
それに種ともこさんの「ベクトルのかなたで待ってて」や松本孝美さんなど、
十数枚のポスター類と一緒に大きなフレームに入れ大切に保管していたのですが、
実家が引っ越しする際に処分されていたのです。
大ショック!!です。
現実を受け入れられずに、何度も新しくなった実家を訪れるたびに、
押し入れなどを探すのですが、やはり無いのです。
車のカタログ類は、大事なものと親でも判断がついたか処分されませんでしたが、
でも、ポスターは大事なものと思われなかったようです。
ホント、いまだに「何で?」という悔しい気持ちで一杯です。

そして、手元に残ったのは、冒頭の画像にある小さいサイズのポスターです。
でも、資生堂のCM出演はこれが最後でしたから、
ポスターをもらえるチャンスも最後だったわけですね。
そういう意味では、当時の僕を褒めてあげたいです・・・自画自賛かぁ。。。
その後は、いくつかのブルボンのCMに出演されていました。
とくにブルボンの商品の中でも高級な部類の商品だったと思います。
「シルベーヌ」のCMは曲も良かったなぁ。
2種類あるみたいですが、少しテンポが早い方です。

CMも今はYouTobeでも見られますから有難いですね。
いや~、今見ても奇麗です。。。
それに、カワイさもあって、
「う、ふ、ふ、ふ、」の最後に微笑んだところなんて最高です!

ちなみに、この方のブログのコメント欄に結構いい情報が書き込まれています。
https://recitativo.blog.ss-blog.jp/2007-03-23

★今日の一曲★
恋は、ご多忙申し上げます / 原由子

♪先述の資生堂宣伝史に付属のビデオには収録されていなかったのですが、
1983年秋のキャンペーン「公私ご多忙用」のテーマソングです。
他のテーマソングも良かったし、
とくに「ニュアンスしましょ」の香坂みゆきさんは、
小学校1年生の時に川越のまるひろ百貨店の屋上に見に行ったこともあったり、
「ニュアンス」という言葉を覚え、後に頻繁に使うようになったりと、
何かと印象深いのですが。でも、一番好きなのはこの曲なんです。
結構、頭に残っていて、口ずさんでいましたね。♪


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いい公約だなぁ

2021-04-16 00:26:54 | 団地ほか建造物
ちょっと前のことになりますが先々月の2月、
仕事で久しぶりに横須賀方面へ行ってきました。
その帰りがけに、
以前訪ねたことのある横須賀市営住宅が、
どうなっているか気になったので寄ってみました。
国道16号から、すれ違いも出来ないような細いくねくね道を上ったところに、
横須賀市営月見台住宅があります。
ここは数年前に廃止が決まり立ち退きが進んでいると聞いていたので、
もう無くなっているかと思ったのですが、
わずかに住民が残っているようで建物群はそのままとなっていました。
写真は以前訪れた2006年9月5日に撮影したものです。







ちなみに、帰宅後調べてみると、
神奈川新聞2011年1月5日の記事に次のようにありました。
横須賀市は築後50年以上経過した平屋建て市営住宅6団地232戸を廃止する方針を固めたとのこと。
中でもとくに老朽化が進んでいる米の台住宅(小矢部3丁目、17戸、1958年築)、
温泉谷戸住宅(田浦泉町、45戸、1958年築)、
田浦月見台住宅(田浦町1丁目、74戸、1960年築)
の3団地136戸が2021年度までに廃止されるそうです。

ということで、次に月見台から谷戸と呼ばれる地形の、谷底に下りたところにある、
横須賀市営温泉谷戸住宅に再訪してみました。
こちらも16号からすれ違うことも出来ないような、
小川沿いの細い道を奥へ奥へ進んで行きます。
すると、市営住宅入り口付近に建っていた建物は取り壊され更地となり、
白塗りの囲いが出来ていたのですが、奥へと進んでいくと何やらリニューアルされた長屋住宅が・・・。



更に奥には陶芸用の窯があり、隣接する長屋もリフォーム中のようでした。
作業をされているお兄さん(お兄さんと言っても僕より年下かと思いますが)に聞いてみると、
市営住宅をリフォームして芸術家の集まる芸術村にしているそうです。



帰宅後調べてみると、
不便なために空き家の増えている谷戸を再生するために、
2019年「アーティスト村」を作り芸術家を招いているそうで、
これは市長の公約だそうです。いいなぁ、この公約。。。

以下参照
https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-147993.html

さて、前述の作業をされていたお兄さんも、
てっきりアーチストさんなのかと思ったのですが、どうやら職人さんのようです。
やさしいお兄さんで、
素敵な音楽をかけながら長屋玄関のアプローチ(写真参照)作りを一人でされていました。
アプローチも素敵でした。



その作業をされていた長屋の壁には、
何か色々と絵や名前が書かれていたのですが、その右上の方に2020.12.26と・・・。
横須賀だけに日産自動車と、
そして僕の誕生日を祝ってくれているかのようで、ちょっとビックリしました。。。
写真は2021年と2006年の同じ建物の壁です。

 





なお、この月見台住宅や温泉谷戸住宅の写真は、僕の団地ギャラリーにアップする予定です。
また、関連したおもしろい記事がありましたのでアドレスを載せておきます。

https://hamarepo.com/story.php?page_no=2&story_id=5326

★今日の一曲★
アクリル色の微笑 / 斉藤由貴

♪実は僕の亡くなった祖母が生前、月見台住宅に住んでおりまして、
たまに遊びに行っていたのです。
その道中の車内で、よく聴いていたのが斉藤由貴さんのアルバムでした。
斉藤由貴さんが横浜出身ということもあってか、
なんとなく横浜から横須賀にかけての街並みと、
斉藤由貴さんの曲がマッチしていたような気がします。
この曲は「チャイム」というアルバムに入っていますが、
以前にも「チャイム」の中では予感やいちご水のグラスが好きと書いたことがあります。
他には水の春なんかも好きなのですが、アクリル色の微笑はそんなに好きではなかったのです。
でもある時、祖母宅へ向かい横浜から横須賀にかけて走っているとき、
早朝でどんよりした天気の日でしたが、なぜかこの曲がスゴく響いたんですよねぇ。♪

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渦巻き模様の試走車partⅡ

2021-02-18 22:43:16 | 日記


一昨日、五号池袋線の下り方面を走行していたら、
黒地に白の渦巻き模様の車が走っていたのです。
そして、案の定「三河」ナンバー・・・。
トヨタの覆面テスト走行車(←正式な言い方かどうかは知りませんが)じゃないですかぁ。
「プリウスc」改め「アクア」以来ですから、

過去の投稿をご参照ください「渦巻き模様の試走車

ほぼ10年ぶりに見ました。。。
そして、今回はこの特徴的なリアランプとSUVタイプのボディ形状から、
「カローラ・クロス」ではないですかぁ。
多分?



というか、ブログ更新が久しぶり過ぎる。。。

★今日の一曲★
素敵にシンデレラ / 郷ひろみ

♪カローラといえば、「Keep On Running」とか、「風になりたい」とか、
ちょっと昔なら小沢健二さんとかってことになるのでしょうが・・・。
なぜか、この曲がスゴく印象に残ってるんですよね。
80系のカローラは、良かったですよね。。。
日産党の僕ですが、80系はスプリンターも含めカッコイイと思ってました。♪
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ファンレター

2016-04-06 14:50:43 | 萌え
前回の記事で伊藤さやかさんに触れたので、
今回は、伊藤さやかさんについて書いてみたいと思います。

つい最近、同年代の友人との会話の中で、
僕が「伊藤さやか、好きだったんだよね~」
という話をしたら、
「俺も好きだった~。『陽あたり良好!』の時可愛かったよね~。」
と言われたのですが、
実は「陽あたり良好!」はほとんど見ておらず、
たぶん再放送でちょっと見た程度で、
あまり記憶に残っていないんですよね~。

また、以前バイト先で知り合った同年代の人との会話の中で、
お互いに伊藤さやかさんが好きだったという話題になったのです。
ところが彼の場合は、ひらがなの名前がカタカナ表記に変わった後の
伊藤サヤカさんが好きだったようで、
アルバムでいうと「My Generation」「陽のあたる場所」という
1985年にビクターからTDKへ移籍した後。
もうすでに、その頃僕はファンではなかったので、
全然話がかみ合わなかったわけなんです。

ということで、じゃあ伊藤さやかさんを好きだった期間って
いったいいつだったのかなぁと思いまして、
ちょっとネットで調べながら分析(←大げさ!)してみました。

まず、伊藤さやかさんを好きになったのは、
1982年(度)、小学校6年生の頃だったことは確かです。
父の故郷である長野の叔父さん宅でのある出来事がきっかけだったのです。
叔父さん宅には、僕と同じ年のいとこの女の子とそのお姉さんと、
僕の妹と同い年の女の子との三姉妹がおり、
同年代なので、いつも会えば好きな芸能人の話をしたり、
一緒にレコードを聞いたりしたわけです。

その日、いとこが持っていたレコードの中に、
伊藤さやかさんの「天使と悪魔」のシングルがあり、
そのジャケットを見たとたんに、
ウワッ、カワイイ!と思ったわけなんです。

すでに、伊藤さやかさんの存在は知っていましたが、
それまでは、とくに惹かれることはなかったわけです。
確かその日は年末で、その後元旦を迎え、
その年(1983年)の初夢に、
あのジャケットと全く同じ伊藤さやかさんが登場したのです。
やっぱり、夢に出てこられたりしたら
好きになってしまいますよね~。
それがきっかけとなり、ファンになってしまったというわけです。
そのジャケットがコレ↓




ただ、ここで少し疑問が・・・。
伊藤さやかさんのレコードデビューは、
1982年5月21日「天使と悪魔(ナンパされたい編)」
ですから、僕が初夢を見たのは1983年1月1日であったわけです。
でも、おかしいんですよね~。
伊藤さやかさんといえば、
1982年10月17日にスタートした
「さすがの猿飛」という
アニメの主題歌を歌っていることでも有名ですよね。
その「さすがの猿飛」の1982年11月28日に放送された
第7話「アイドルをねらえ」の中でアイドル「早田亜紀」の声を
伊藤さやかさんが務めていたのですが、
当時はビデオなんてなかったので、
とりあえず「さすがの猿飛」の漫画本を購入し、
この第7話を伊藤さやかさんをイメージしながら読み返した記憶があるので、
なんか、1983年元旦より以前から好きだったのではないかなぁ?
とも思うんですよね~。

まぁ、それはそれとして、
先にも触れましたとおり、
「陽あたり良好!」はリアルタイムでは見ていなかったので、
たぶん、陽あたり良好!が放映されていた
1982年3月21日~9月19日の時点では、
全く意識していなかったんだと思います。
もっとも、このドラマの放送時間には、
テレ朝にて「西部警察」が放映されていましたから、
裏番組にどんな番組がやっているのかなぁ?
などという発想すら全く起こらなかったんでしょうね。。。

で、話は戻りまして1983年1月1日からファンになったということで、
それから前回のブログにも書いた通り、
まず、近所の「忠実屋」というスーパーというかGMS?というのがあり、
後にダイエーに買収されてしまいましたが、
学生時代にはバイトもしたことがあるのですが。。。
オッと、また話が脱線した。
その「忠実屋」の1Fにレコードショップが入っており、
そこで伊藤さやかさんのアルバムのカセットテープを購入したわけです。
ファーストアルバムの「ナ・ン・パ・・・して!」と、
セカンドアルバムの「ヨロシク◇されたい」で、
※アルバムタイトルの"◇"の部分はハートマークです。
確か最初に「ヨロシク◇されたい」を買って、
すぐに「ナ・ン・パ・・・して!」も購入しました。
たぶん、お年玉貰いたてで懐も潤っていたんでしょうね。

カセットで買ったのは、当時家にあったレコードプレーヤーが古くて
まともに使えなかったためで、中学になってから
自分でラジカセ(SONY CSF-7000)を買い、
その後レコードプレーヤーも購入しましたけど。

イヤっ!そういう話じゃなくって・・・。

で、1983年1~3月に話を戻して。
この間の伊藤さやかさんに関係する出来事として、
覚えていることをいくつか・・・。

まず、その頃伊藤さやかさんは「アップルシティ500」
という番組に出演していました。
月~金の17時から毎日やっていたのですが、
確か伊藤さやかさんは木曜日のレギュラーだったと思います。
ところが、僕はその頃中学を目前に、
なんとか泳げるようになっておかなければ、
ということからスイミングに通っており・・・。
結果的には泳げないまま中学へいくことになったのですが。
その、スイミングが木曜日の夕方にあり、
ちょうど「アップルシティ500」の時間に重なっており、
また当時、我が家にはビデオもなかったことから、
伊藤さやかさんを見ることが出来ないという悲しい状況にあったわけです。
この間の、1983年2月21日には、
新曲「理由なき反抗」も発売されたのですが、
レコードプレーヤーが無いに等しく、
アルバム発売を待ち、カセットにて購入しなければ、
まともに新曲も聴けなかったのです。

また、こんな出来事もありました。
ある時、学校のクラス内で班ごとにわかれ、
劇をやることがあったのです。
僕の班では、僕の原作・脚本・監督、そして隕石役で劇を行ったのです。
いやっ、ちょっと盛ってるかもしれません。
ストーリーはみんなで考えたのかもしれません。
まぁ、内容は宇宙船が隕石に衝突しながらも、
無事にどっかの星に辿り着くとかいう、
すごい単純でつまらない話だったと思うのですが・・・。
その劇のエンディングに、
僕は伊藤さやかさんの
「星をながめて…(恋の因数分解×ても÷ても空中分解)」推薦したのです。
この提案に対して、M君はYMOの「ライディーン」がいいと言いだし、
では、ということで近所の貸しレコ(友&愛)に借りに行ったわけです。
ところが、18歳未満は会員になれないか、
保険証が必要だか、理由は忘れましたが、
とにかく借りることが出来なかったわけなんです。
残念な表情を浮かべつつも、
心では「やったー!」と喜んでいたわけです。

ということで、劇の当日は我が家にあった
マイクミキシング機能のついたシャープの大きなラジカセを
M君の力を借り学校まで運んだのです。
というのも僕は「星をながめて」の
エンディング(アウトロ)部分が好きだったので、
劇の終了間際に、歌の2番から曲を流し
歌詞が終わりアウトロの部分で、
マイクをミキシングして、
挨拶をする予定だったのです。
しかし、この時に限りミキシングがうまくいかず、
仕方なく曲を止めて、
バックの曲無しでの挨拶となってしまい
悔しい思いをしたのです。

そして、タイトルに記しましたが、
僕の人生の中で、
最初で最後(←最後かはまだわかんないかぁ)となる
ファンレターを書き、
「オ・ネ・ガ・イ スーパーコンピューター」
にも歌われている「ヒラタオフィス」へと送ったわけです。
・・・。
しかし、お返事を頂戴することはありませんでした。
たぶん、スーパーコンピューターがバグっちゃったんだろうなぁ?

長々と書いてきましたが、
残念なことばかりでしたね・・・。

では、伊藤さやかさんをいつまで好きだったのかについてですが、
当時、ブレイク直前のTHEアルフィーの
「気分はオールマイティー」という
深夜のラジオ番組に出演されており、
よく聞いていたのです。
で、その番組について調べてみると、
1983年の4月より放送が始まっていますので、
中学に入学後も、引き続きファンだったようです。

ちなみに、この頃THEアルフィーは
「暁のパラダイスロード」という歌を歌っていたのですが、
これが結構イイ歌でした。
で、その後「メリーアン」で大ブレイクするわけです。

話を戻しまして、
その中学1年の夏休みに、
横浜に住む友人宅へ泊まりがけで遊びに行き、
その際、伊勢佐木町にあったミニカーショップで、
アウディのミニカーを購入しているのです。
というのも、伊藤さやかさんが雑誌か何かで、
好きな車は「アウディ」みたいなことを言っていたためで、
それまでは全く興味のなかった「アウディ」に、
惹かれたわけです。
アウディのミニカーを購入したのは、
これまた、最初で最後でしたけどね・・・。

で、この後
父が会社の同僚から
中森明菜さんの「ファンタジー」をダビングしてもらったカセットを聴き、
一気に中森明菜さんに気持ちが傾いてしまったのです。
「エトランゼ」を購入した後に、
予約をして12月に「メモワール」を買っているので、
1983年の秋頃には、すでに明菜さんのファンになっていたのでしょうね。

っていうか、短いなぁこんなもんだったのかぁ~?
伊藤さやかさんのファンだった期間って・・・。

でも、前回のブログに書いた通り、
高校生の時に、
「ナ・ン・パ・・・して!」と、
「ヨロシク◇されたい」のLPレコードを
滝山団地の中にあったレコードショップで見つけ購入。
さらに、2000年代に入り、
神保町にあるお店で、
復刻版CDを発見し購入してますし、
この2枚のアルバムは、
今でも頻繁に聴いていますね。
それは、中森明菜さん以上にです。
ですから、ある意味、今もファンということかも。。。

ということで、
アルバムのジャケット写真をご覧ください。



まずは、全体写真↑
そして、



↑LPのジャケットのみ。



↑裏面。



↑「ヨロシク◇されたい」は、
 電話ボックスの扉が開閉?出来るようになっているようです。



↑左が本当のジャケット裏面なのかな?
 扉は歌詞カードと一体型になっています。

そうそう、「天使と悪魔」のEPは、
十数年前にいとこからただで戴いてきたものです。
で、このB面に先述の「オ・ネ・ガ・イ スーパーコンピューター」
が収録されているのですが、
これをきっかけに、
ボロボロになっていたカセットテープは処分してしまったんですよね。
というのも、カセット版の「ナ・ン・パ・・・して!」には、
レコード盤にはない「オ・ネ・ガ・イ スーパーコンピューター」が、
収録されていたので、LP購入後もそのまま持っていたのです。

でも、今となっては勿体ないことをしたかもと思っています。
なぜなら、とくに「ナ・ン・パ・・・して!」の方なのですが、
カセットケースが独特で、
ブルーの丸みを帯びたプラスチックケースで、
カセットテープを横からスライドさせて収めるようになっており、
言うなれば、車のカセットデッキの入れ方に似たカセットケースだったのです。
さらに、アルバムタイトルが書かれたステッカーが付属していて、
カセットケースの表面にあるへこみ部分に、
そのステッカーを貼れるようになっていたのです。
という珍しさもあって、
ちょっと勿体なかったかなぁ。。。


★今日の一曲★
Maybe Tomorrow(I will love again)

♪迷ったんですが、
前回、一番好きな曲として
「そよかぜの誘惑」
を選んだので、まぁそれは外して考えるとして。
で、たぶん小6当時一番好きだった曲で、
今でもベスト3に入るであろう曲が
原田真二さん作曲の「1,000,000回 I Love You」で、
これはかなりの傑作だと思うのです。
以前2chか、どっかのブログか何かで、
この曲をガンガンにかけながら高速をブッ飛ばす・・・
みたいなことを書いていた人がありましたが、
まさに、そんな気持ちにさせる曲ですね。
でも、前回「ナ・ン・パ・・・して!」から
選んだという経緯もありますから、
この曲にしました。
曲の出足を聴くと、
なぜか「タイガー・ジェット・シン」を
思い出してしまうのですが・・・。
佐藤隆さん作曲で、
メロディラインのとても綺麗な曲です。
勿論これも、ベスト3に入りますね。

ベスト5クラスになると、
「星をながめて・・・(恋の因数分解×ても÷ても空中分解)」
「恋って、ビョーキ!?」かな。

ベスト10だと
「GO!GO!POP-TOWN」
「Aカップからのメッセージ」
「年下のあのコ」
「夏+海=恋」
「愛し淋し街角ローラー」
ってとこでしょうか。
って、シングル曲は入ってないじゃないですかぁ。。。
と思われるでしょうが、
アルバム収録曲は、
全然いいですよ。
っていうか、何でアルバムに入っているような曲を
シングルにしなかったのだろうか?
そうしたら少し伊藤さやかさんのイメージも
違っていたと思うのですが。

声も歌唱力も抜群ですしね。
まぁ伊藤さやかさんご本人は、
もっとハードな歌が歌いたかったのでしょうけれどね。。。♪

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コレクション

2016-02-17 18:31:44 | 萌え
僕は戌年のせいか、
昔から色々な物をコレクションするのが好きなようです。
・・・犬って結構なんか貯め込みませんか?

小・中学校の頃には周囲にも
色々な物の収集にはまる人が
たくさんいたように思うのですが、
現在の僕の周囲にいる人は、
全くコレクション癖というものがない人ばかりで、
物欲が無いというのか、
執着心がないということなのかよくわかりませんが・・・。
なので、自分なりにはコレクション癖を抑えてはいるのです。

まぁ、そんなこと言っても人に自慢できるような
コレクションがあるわけではないのですが。

小学校当時、同級生の間で流行っていたのが、スーパーカー消しゴム!
低学年だったのか高学年になっていたのかは不明です。
確かスーパーカーブームは小学校1年生の頃だったと思います。
テレビで「スーパーカークイズ」という番組をやっていたのがその頃ですもん。
~どなたか音声だけですがupされてます。「なつかしい~!」
wikiで調べたら1977年7月から放送が開始されていますから、
やはり1年生ですね。
スーパーカー消しゴムが流行ったのは、
もう少し後だったかもしれません。。。

その後はいわゆる「ガンプラ」。
それから「キン消し」かなぁ。
この辺は小学校高学年から中学ですね。
あと同じ頃だと思いますが「切手」も流行りました。

ただ、僕の場合は車好きでしたから、
多少スーパーカー消しゴムは集めたものの、
「ガンプラ」や「キン消し」に
熱狂するようなことはなかったです。

僕の場合は、まずミニカーですかね。
と言っても世にたくさんいるコレクターに
比べれば全く比較にならないというか、
コレクションとは呼べない物ですが、
自分なりに好きなものだけを
少ない数ですがコツコツと集めているといった感じでしょうか。
小学校当時はトミカがメインでしたし、
現在はトミカ・リミテッドがありますから、それがメインです。
でも、少しでも精密で大きな物がほしいですね。
まぁ、お財布との相談なのですが・・・。
1/43、できれば1/18がイイですよねぇ。

それから小学校4年生から始めたのが、
車のカタログコレクションですね。
中学の時には1000部以上はありました。
ただ、高校くらいになると熱もだいぶ冷めてしまい、
ほしい物だけを集めてましたね。
今は保存場所にも困るのでだいぶ処分しまして、
好きなもの、イイものだけを保存していますが。

そんな僕のコレクションの始まりは「BOXY」かなぁ。
車好きですが、車ではありませんよ。
あっ、あっちはBではなくVですね。
「BOXY」とは三菱鉛筆が
1975年からスタートした筆記具のブランド商品です。
僕の場合は「BOXY」のえんぴつのみで、
それも何かでもらった物だけを使わずに取っておいただけ、
まぁコレクションというよりは超カッコ良かったので、
勿体なくて使わなかった。
いえっ、使えなかったというのが正しいのかな?

なので、持っているのも数本程度ですが、
今でも取っておいてあります。
今見てもカッコイイなぁ。。。



↑右の削ってある2本は、
誰かが使っていたものを
無理矢理奪い取った・・・。
イヤっ、頼み込んで戴いたものだと思います。




↑中学の入学祝いに戴いたもので、
僕の名前入りです。
「BOXY」なので勿体なくて
使えなかったということもありますが、
そもそも中学時代はシャープペンシルを使っていたので、
えんぴつ自体ほとんど使わなかったですよね。

★今日の一曲★
そよかぜの誘惑 / 伊藤さやか

♪小学校6年から中学1年くらいにかけて
好きだったのが伊藤さやかさんなんですよね~。
伊藤さやかさんに関しては、
また別の機会に特集するとして・・・。
この歌は伊藤さやかさんの1stアルバム
「ナ・ン・パ・・・して!」の
最後に収められていたものです。
伊藤さやかさんの歌の中で、
1番好きだと思います。

このアルバムは、
小学6年生の当時、
近所の忠実屋にてカセットテープで購入。
その後、高校生の時にLPレコードを、
滝山団地の中にあったレコードショップで見つけ購入。
さらに、2000年代に入り、
神保町にあるお店で、
復刻版CDを発見し購入。
まぁ、その辺の話はまたいずれ。

で、つい最近気付いたのですが、
この歌、作曲が前回の「ターボは日産」と同じ、
杉真理さんだったんですね。
どおりで好きになるはずだ・・・。
っていうか、何十年そのことに気付かなかったの?
って感じですよね~。

で、まぁ、そのことは置いといて、
この歌をはじめ、このアルバムに収録されている
全曲の作詞がHeartBoxという人なんです。
どうやら篠原仁志さんという方らしいのですが。

ということで「BOXY」と
HeartBoxを掛けてみました・・・。
微妙に掛かってないでしょっ!
って感じですけど。。。♪




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ターボは日産

2015-11-10 19:36:56 | テレビネタ
最近の車はハイブリットだの、
クリーンディーゼル(色々な問題もあるみたいですが)だの
低燃費、低公害などを謳った
いわゆるエコカーであることが必須みたいになっていますね。
かつてはパワー競争の武器であった過給器も、
一時はエコブームの影に隠れてしまっていましたが、
ここ数年で排気量を減らし燃費性能を向上させ、
落ちた分の出力は過給器によって補う
ダウンサイジングという方式で、
取り入れられていますね。
欧州ではだいぶ前からこの方式が
採用されていたみたいですが、
日本でも結構普及してきていますよね。

でも、そもそも1979年に日本の乗用車で初めてターボが搭載された際も、
発想はこのダウンサイジングだったんですよね・・・多分。
なぜなら、1980年の日産のCMで次のようなキャッチコピーがありました。

「兄貴たちはパワーだけでターボに憧れた。
僕たちはいま、燃費でもターボを選ぶ。
"ターボは日産" 先進技術で選ぶと日産になる。」

つまり、当時のターボ車は、
上級クラスに搭載されていた2.8リッターエンジンと同等の出力を得ながら、
燃費性能の向上を図れるというものですからね。
当時の資料をちょっと見てみましたら、
いわゆる10モード燃費で比較して、
2.8リッターより2リッターターボの方が燃費が良いのは勿論、
2リッターNAと比較しても同じか、
中には同一モデルのNAよりターボ付きの方が
燃費が良いというのもありました。
かなり意外でした。

でも聞いたところによると、
実際はあまり燃費は良くなかったらしいです。
ターボを回してしまうと・・・。
だからといって、ターボを回さないと、
トルク不足だし・・・。
三本和彦さんがよく言っていましたが、
低速トルクのある大きなエンジンで、
ゆったり走った方が、
排気量の小さいターボ車より
かえって燃費が良いんですよね。。。
今のダウンサイジング車はどうかわかりませんが・・・。

そういえば、今はなき池袋の「アムラックス」で
三本さんをお見かけし、
知り合いでもないのに思わず会釈をしてしまったら、
三本さんも「アレっ!」という顔をされながらも、
会釈してくださいました。ちょっと、嬉しかったです(^_^)!

ところで、
今はインターネットの発達で、
色々な情報が簡単に入手出来いいですよね。
昔、好きだったCMなどは、
もう二度と見ることが出来ないものと思っていましたが、
どこから入手しているのか
Youtubeなどでupされてますもんね。
僕も、かつて好きだったCMを
時々思い出した時なんかに探してみるのですが、
画質はあまりイイとは言えませんが、
結構、お気に入りの古いCMを
見つけることが出来てありがたいんですよね。

でも、先の「ターボは日産」のCMは、
いまだ見つけられないんですよね。

当時ウルトラマン80に出演していた
長谷川初範さんが出ていたのですが。
結構、長谷川初範さん好きなんですよね~。
当時、まぁまぁ好きで見ていた
ウルトラマン80に出ていたこともありますが。
カッコ良かったですもんね。
その後は三枚目な役をされたり・・・、
僕の大好きなドラマ「恋ノチカラ」にも出てましたし、
大好きな小篠恵奈ちゃんが出演した
映画「物置のピアノ」にも出てましたね。

いやっ、話がそれた。
それたついでに、
「ウルトラマン80」の
オープニングもまぁまぁっだったのですが、
エンディングは結構好きでしたね。
~♪~ヘ・ン・タ・イ・U・G・M~♪~
アレっ?こんなんじゃなかったでしたっけ。。。

TALIZMAN(タリスマン)というバンドが歌っていたということですが・・・。
そのボーカルが木村昇さんという方。
で、この方をwikiで調べると、
ハーリー木村、HARRYという名であったことも・・・。
って、僕の好きな「ドルギラン」も
ウラシマン」も木村昇さんってことなんですね。
マジで~、スゲ~。。。また、つながった!
 
ということで、話を元に戻しまして、
「ターボは日産」のCMが見つけられなかったという話です。
ホント残念なんですよね。
スゴイ大好きなCMなんですけど。。。

なので、当時の新聞広告でしょうか?
以下に載せておきます。



超小さい画像のコピーなので、
画質が超悪くてスミマセン。

「21世紀への道~日産自動車の50年史」より転写させていただきました。
この日産50年史は学生時代に
日産追浜工場の見学に行った際にいただいたものです。
僕がいただいたのはソフトカバー版したが、
当時、僕が所属していた研究室にはハードカバーの50年史があり、
さらに30年史もあったのですが、
30年史はそれぞれの写真も大きく50年史より立派な感じがしましたね。
かなり欲しかったのですが・・・。


★今日の一曲★
Catch Your Way / 杉真理

♪先ほどYoutubeで、
「ターボは日産」のCMを探したと申しましたが、
CM自体は見つからなかったものの、
バックで流れていた歌はわかりました。
この曲も、さわやかな感じでスゴク好きだったんですよね~。
あの当時聴いて以来、
30年以上経ってYoutubeで見つけ聴いたわけですが、
わずかに、僕が覚えていた節が
間違っていたという部分もあったものの、
ずっと覚えていた・・・というより、
頭にこびり付いていたわけですね。
いや~、それだけイイ歌ってことですよね~。

実は、僕は佐野元春さんが好きでしたので、
そのつながりで杉真理さんは知っていたのですが、
まさか「ターボは日産」のCMソングが
杉さんの歌だったとは驚きでしたね。♪
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心に残る一言

2015-10-31 15:25:26 | 思うこと


もう幼稚園の時の話ですから
約40年近く前のことになります。
当時、地元の公立幼稚園に通っていたのですが、
その年長クラスでの出来事です。
その日は、教室とは別の広い部屋(確かお遊戯室)で
なわとびの授業が行われていました。
授業中に、先生から一人一人呼ばれ、
なわとびを何回以上跳ぶという試験のようなものが行われていました。
それに向け、園児たちはその場で
各自なわとびの練習をするように言われていました。
ところが、落ち着きのない僕は、
Yちゃん(男です)、M君他2人くらいだったと思うのですが、
彼らと練習そっちのけで別の遊びを始めたのです。
なわとびには、プラスチックないしは高級な物だと木製の柄がついていますが、
それをバイクのハンドルに見立てて、
バイクごっこ?または、暴走族ごっこだったかもしれません。
そのごっこ遊びを始たのです。
練習している人たちの間をすり抜け、
4、5人で列をなして、BOON!BOON!と人工(人の口)マフラーから音を発し、
幼稚園児にしてはかなりの猛スピードで走り回っていたのです。
やがて、授業が終わりになって僕達は気付きました。
一人一人呼ばれ試験を受けるはずが、
僕達だけ呼ばれなかったのです。
ただただ唖然とするばかりでした。
その後、お説教をくらったのでしょうが何せ40年近く前のことですので、
その辺はよく覚えていないのですが、
泣きながら先生の前で、なわとびを跳ばされた記憶は残っているのです。
その後、僕はお遊戯の時に着る
黄緑色の割烹着のような服がたくさん掛けられた
ハンガーラック?脇で一人泣いていたのです。
そこに同級生の"うらとうまこと"君が現れ一言!
「気にすんなよ~」。
その言葉にどれだけ救われたことか。。。

その後も、現在に至るまで(これから先もそうなのでしょうが)、
何かにつまずいたり、悩んだり苦しんだりするごとに
「気にすんなよ~」に救われましたね。
いちいち気にしない、細かいことは気にしない、
気にしない生き方って大事だと思うんですよね~。

うらとう君とは幼稚園限りで、
どこかへ引っ越したのか、
はたまた私立小学校へ進学したのか、
それすらわかりません。

それから数年が過ぎた中学の頃に話は飛びます。
かつての暴走族仲間、
いやっ!幼稚園の同級生?Yちゃんとは、
小中と同じ学校でクラスが一緒になることもあったと思うのですが、
そんなに親しくなく、さらに中学ではYちゃんは、
どちらかというと怖そうな人たちとつるんでいたので、
話をする機会もなかったのですが、
ある時なぜかたまたま話をする機会があったのです。
その時、これもなぜか"うらとう"君の話が出て、
実はYちゃんもうらとう君から「気にすんなよ!」と
言葉を掛けられたことがあったとのこと。
それは僕が言われたあの時と
同じ時であったかどうかはわからないのですが。。。
とにかく、「うらとう君は大人だったよなぁ」
という二人の同一見解に落ち着いたわけです。
"うらとうまこと"君は今どうしているのかなぁ。。。

★今日の一曲★
関口誠人 / ラストキッス

♪"まこと"つながり
・・・では無いんです。

先に出てきたYちゃんなんですが、
どことなくアーチストの関口誠人さんに似ているのです。
あくまでも僕の印象です。

で、1988年に放送された「パチパチランド」という番組で、
関口誠人さんがこの歌を唄っていたのです。

この歌は、関口さんが1986年に松本伊代さんに提供した
「Last Kissは頬にして」という曲の歌詞を
男性版に書き換えた関口誠人バージョンです。

その番組で歌っている関口さんといえば、
何曲も歌ったからなのかわかりませんが、
もうヘロヘロで腕をあげるのもやっとみたいな感じで、
声もコーラスの女性に助けられて、
なんとかなっているといった具合だったのです。
まぁ、ストレートに言ってしまえば「ヒドイ状態」だったわけなんです。

でも、曲は最高にイイんですよねぇ。。。
関口さんって、やっぱスゴイ才能があると思うんですよ。
中森明菜さんの「二人静」とかもスゴイいい曲ですし。

その関口さんが出ている映像を、
ちょっと前にネットの動画サイトで見たのです。
それは、カンニング竹山さんが司会を務める
「愚痴侍-グチザムライ-」という番組。
タイトルとリンクは以下の通りです。

元C-C-B関口誠人「愚痴侍-グチザムライ-」第三弾 年収が1億から20万円に!

そこに出演されていた関口さんですが、
かつての面影はほとんど無く、
さらにすでに酔っぱらっているような、
ろれつの回っていない状態で、
まるで、なぎら健壱さんがぶらりと電車に乗って、
沿線のおもしろスポットを紹介する番組で、
初っぱなからお酒が入っちゃって
超いい加減なレポートをしているのと同じような雰囲気なのです。
CCB時代の話などもされていたのですが、
それが最高に面白くって、
でも人間味があって、スゴイ良かったんですよね。
幼い頃に父親を、青年期には母親を
亡くされているとのことで、
とても苦労されたんですね。

そんな関口さんに言われたら、
すごく説得力あると思うんですね。
「気にすんなよ~」って。。。♪


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計画通り

2014-04-03 13:34:02 | 団地ほか建造物
先月27日にやっと念願の軍艦島を見学してきました。
少しハードスケジュールでの計画実行でしたが・・・。

とりあえず時系列に振り返ってみます。

3月26日まで3日間岐阜にある妻の実家で過ごし、
その日の17時発のジェットスターに中部国際空港から搭乗。
19時半頃福岡空港着。
スカイレンタカーで24時間5千円のマーチを借り、
長崎へ向けて出発。
途中仕事関係の電話が入ったりと、
対応に追われたものの、
下道で深夜0時過ぎには長崎に到着。
稲佐山にあるスーパー銭湯にて入浴後、車中泊。

本当は車中泊でなく、
ネットカフェなどで休もうかと
ネットで色々検索したのですが、
結構長崎ってそういうところが無いんですね。
で、このスーパー銭湯の終了時間である
1時を目がけて長崎入りをしたのです。

翌朝7時半。
軍艦島上陸の前に長崎中心部にある
長崎県営魚の町団地を拝見。
ここは昭和24年に建てられた
4階建て1棟24戸からなる団地です。
建物は公営住宅標準設計最初の47A型とほぼ同じで、
少々の改良を施した47Aの普及版ともいえる48A型です。









そもそも48Aには浴室が無いのですが、
浴室が部屋の外、階段室の先に増築されており
そのため階段室側(南面)の外観が、
オリジナルとはかなりイメージが違っていますが、
全国でも数棟しか残っていない
貴重な住宅です。

さて、メインイベントである
軍艦島ツアーの集合場所に行き
ツアー開始!
今回、高島海上交通の軍艦島クルーズというツアーに参加したのですが、
途中、高島によるというのも少し魅力でした。
高島にも結構イイ感じの団地があり、
わずかな時間でしたが見学出来ました。







そして待望の軍艦島上陸。
まあ、見られるエリアがかなり限定されており、
本当は住宅棟の方を見たかったのですが、
日本初の鉄筋コンクリート建築30号棟は見たものの、
見たかった住宅等はほとんど見られず
少し残念でした。。。
でも、上陸したということだけでも嬉しかったな。。。









まぁ、軍艦島に関しては超メジャーで
上陸した人も随分たくさんいますから、
あちこちのHP等で取り上げられていますので、
画像等はこの辺で。。。

そもそも、軍艦島を知ったのは
1982年に放映された公共広告機構のCMに始まります。

http://www.youtube.com/watch?v=2wjX7s75vog

当時12歳だったのですが、
あまりにもインパクトが強く、
その映像は鮮明に海馬に保存されました。
ただ、CMが流れていた頃は、
この島がどこにあるのか、
何という島なのか全く知る由も無かったのです。
その後学生時代、研究室にて軍艦島が掲載された当時の雑誌?
のようなものを見つけたのです。
「これだっ!スゲー!!」。。。
それ以来、一度でイイから軍艦島をこの目で見たいと思うようになったのです。

そして、1996年九州に行く用事が出来たことをきかっけに
軍艦島上陸の計画を立てたのです。
長崎でレンタカーを借り、軍艦島が近いと思われる港まで行き、
釣り船の方に軍艦島まで渡してもらいたいとお願いしたのですが、
台風が迫っているとのことで無理と言われてしまい
結局、島に渡ることは叶わなかったのです。


1996年の軍艦島・・・わかりづらいですよね。

だから、今回はリベンジだったわけです。
当日(27日)前夜まで天気が悪かったようですが、
一応、天候にも恵まれましたし・・・。
良かったぁ。。。

軍艦島から長崎の港に戻ったのが12時過ぎ、
すぐに駐車場に行き、
次の目的地神浦港へ、
そこからフェリーに乗り池島に渡りたかったのです。

池島も炭坑のあった島で
最盛期には7,700ほどの人が住んでいたとか。
炭坑の見学コースもあるようですが、
僕の目的は炭坑住宅。
とくに、とても珍しい造りの8階建てアパートは、
その筋では有名な建築物であることから、
僕も一度は見ておきたかったのです。

13時半には神浦港到着。13時46分のフェリーに乗船。
30分ほどで池島到着。
島内は徒歩で巡らなければならないのかと思っていたら、
100円で乗れるコミュニティバスがあったので乗車。
終点がちょうど目的地の炭坑アパートの目の前でした。
ラッキー!!















8階建てアパート以外にも多数の中層アパートが建てられています。
勿論、今はそのほとんどが廃墟と化しています。




見えにくいかもしれませんが、たくさんの猫ちゃんが暮らしています。





一時間くらいしか見学する時間がなかったので、
駆け足(本当に走って)で見てきました。
そして、港に着くと・・・、
なんとそこには"大山顕総裁"がおりちょっと驚きました。

15時47分の高速船で神浦港に戻り、
そく車に飛び乗り、
一路福岡空港へ、
20時発成田行きのジェットスターにて帰ってまいりました。
ちょっとハードなスケジュールでしたが、
途中トラブルにも見舞われず、
計画通りにことが運びました。
楽しかったなぁ・・・。
それにしても、LCCはありがたいですねぇ。。。

★今日の一曲★
Eternal flame / The Bangles

♪今回、計画通りに事が運んだ中で、
唯一うまくいかなったことがありました。
それはレンタカーです。
スカイレンタカーで24時間5千円のマーチを借りたのですが、
そもそも、この24時間5千円という格安の理由は、
使用車が10年落ちであるためとのことでした。
つまり、K12型のマーチであるはずでした。
個人的にK12は大好きで、
とくにその愛らしいデザインは傑作と呼ぶに相応しいと思っています。
なので、10年落ちだろうとK12に乗れることを楽しみにしていたのです。
ところが、実際に貸し出された車はK13だったのです。
K13は、なんでK12のあの秀逸なデザインからこんなになっちゃたの?
と首をかしげたくなるようなセンスのないデザインであります。
その上、質感も悪い。廉価感丸出しなのです。
まぁ、そんなことでちょっとガッカリはしたものの、
年式も新しいのだからと気を取り直し乗車。
そして、ロングドライブだからと、
最近ご無沙汰していた洋楽をしこたま入れてきた
SDカード投入済みのFMトランスミッターを、
電源ソケット(昔で言うところのシガーライター)に
差し込もうとコンソール周辺を探したわけです。
・・・。
ないっ!
どこを探しても無い。
しまいには、取説まで見たのですが、
お借りした車にはソケットは無いとのこと。
マジかよ~。

ちなみにK12だったら、
全グレードにソケットは標準装備だったようです。

せっかく80~90年代を中心に、70年代をちょこっと含んだ
洋楽オンパレードを楽しみにしていたのに~。
ということで、その中から今日の一曲は
Eternal flameを選びました。
素敵な曲ですよね~。ホント!
永遠の炎、つまり、永遠の愛ということでしょうか。
でも、永遠なんてないのかも、
世は無常ですからね。
軍艦島に思いを馳せるほど、
そう感ぜずにはいられません。


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つながったパートⅡ

2013-05-04 17:50:17 | 日記
もう先月になりますが、
4月18日に「殺人鬼フジコの衝動」の舞台を見てきました。
勿論、小篠恵奈さんが出演していたので・・・。
舞台を見たことってほとんどなかったのですが、
おもしろかったですね~。

ひとつの舞台で様々なシーンが繰り広げられる。
あれってスゴイですね~。
テレビっ子の僕にとっては新鮮でした。
出演者の演技次第で、
演出家の演出次第で、
ロケーションなんて何とでもなるということなのでしょうね。
バックが固定化されることによって、
演技(を見る方)にも集中出来るので、
のめり込んでいけますね。

内容もおもしろかったのですが、
ただ、最後!
出演者が勢揃いして挨拶をした後に、
フジコ(内面?)やサキコを演じていた
早織さんが一人残り、
この舞台を立ち上げた目的みたいなことを話すのです。
一瞬「えっ、どういうこと?」
「そんな、まさか・・・。」と思うんです。
でも、最後の最後に叔母(伯母)さん役の
川上麻衣子さんが登場して、
「な~んだ、やっぱり。。。」となるのですが。

最後の最後で、ああいう終わり方すると、
せっかくの早織さんの迫真の演技が台無しって感じで、
ちょっと残念な感じでしたね。
最後まで騙してほしかったかなぁ~。


★今日の一曲★
Dear Tess / 麗美

♪なぜ、この曲かは話せば長くなりますし、
全く無意味な内容なので、
お暇な方のみ以下はご覧ください。
↑そんな人はいないだろうが・・・。


ところで先の舞台には、
はじめから終わりまで、
「夢見るシャンソン人形」という歌が表裏に流れており?
つまり、時代背景を映すアイテムになっているとともに、
物語を貫く根本的なテーマともなっている・・・?
う~、うまく説明できていない。
相変わらずですね、僕の表現力の低さは。。。

「夢見るシャンソン人形」といえば、
フランス・ギャルというのは知っていましたが、
日本語版もあったのですね。
でも、聞いたこと無かったなぁ。
確か90年代に、三菱のミニカのCMで流れて、
軽く再ブレイクしましたよね。
石田ひかりさんが出演されていた・・・?

その、ちょっと前にmikeというグループが、
「ブルーライトヨコスカ」という歌を歌っていたのですが、
この曲の最初の方が微妙に「夢見るフランス人形」に
似ていたと思うのですが・・・どうでしょう?
確か、この歌は「ブルーライトヨコハマ」の
言うなればパロディで、
意図的に昭和を感じさせる曲調になっていましたから、
「夢見るシャンソン人形」の曲調も、
盛り込まれていたのかもしれませんね。

この似ている曲って色々あって、
その似ている理由も様々みたいですね。

めちゃくちゃ気になったのが、
日本ではbabeが歌っていた「Give Me Up」。
原曲はマイケル・フォーチュナティという人の歌ですが、
これと、バナナラマの「I Heard a Rumour」が激似。
一説ではマイケルが「これカッコイイでしょ」と、
自分の曲を売り込んだとか・・・。
でも、ここまで似ているとどうなのって感じですよね。
曲調どころか、一部は曲そのものが全く同じだと思うのですが。
その徹底したコスト削減(使い回し)は、
ロジャー・コーマン製作の映画を彷彿させますね。

それから、佐野元春さんの「Young Bloods」。
スバル・インプレッサのCMで使われたことのある、
スタイル・カウンシルの「Shout To The Top」
のパクリと言われることがあるみたいですよね。
何となく似てなくもないですが、
そう言われれば、どことなくって感じがする程度で、
ヤッパ全く違いますよね。
それより部分的ではありますが、
ビートたけしさんと松方弘樹さんの、
「I'll Be Back Again… いつかは」の方が
似ていると思うのですが・・・どうでしょう?

そうそうビートたけしさんと佐野元春さんガラミで、
元春さんの「彼女はデリケート」と、
ビートたけしのスポーツ大将のOPが似ていると思うのですが。

ということで、似ている話をしてきましたが、
これからがタイトルにもあった「つながったパートⅡ」話です。

昨年の暮れ頃(もう少し前かもしれませんが)からでしょうか、
テレビで放映されている
スズキ・ワゴンRスティングレーという車のCMソングが、
やたら気になっていたのです。
「これ、どこかで聴いたことがある。」と・・・。
80~90年代の女性ボーカルの洋楽(カバー)じゃないかなぁ?
なんて思っていたのですが、
調べると、この歌は安室奈美恵さんの
「In The Spotlight(TOKYO)」という曲でした。
オリジナルの歌みたいですし、
聴いたことがあったのは間違いかぁ、
と思っていたのですが・・・。

しかし、つい先日お風呂に入っている時に思い出したのです。
「どこかで聴いたことある。」と思っていたのは、
似ている曲があったからなのでした。
それは、麗美さんの「Tower of Vanity~未来は子供達のために」です。

この曲は「走るそよ風たちへ」というアルバムに入っていたのですが、
このアルバムがすごい良かったんですよね~。
「Tower of Vanity」もイイ歌ですが、この次の曲が、
アルバムタイトルにもなっている「走るそよ風たちへ」という歌なのです。
たぶん戦場の子ども達?兵士を養成する学校か何かのことを歌っていると思うのですが、
この歌詞に「活躍する日は来なくてもいい」というところがあるんです。
この言葉にグっと来ますね。
それから「グローレンシア~夜明けの女神」も生きる勇気をもらえますね。
でも、なんと言っても「Dear Tess」が最高です!
曲も最高ですね。詩の内容も何かせつなくなるような・・・。
っと、実は詩の内容きちんと理解できていないんですよね~、たぶん。
でも、麗美ファンの間でも色々の意見があるようなのです。
そこで、僕なりの解釈を述べますと。

「Dear Tess」ですから、親愛なるテスさんへということですよね。
つまり、テスさんへのメッセージです。
で、はじまりが「Tess in my mind」ですから、
「私の心の中のテス」です。
テスとこの女性(主体)は幼なじみです。
この女性には優しい兄がおり、この女性はとても兄のことが好きでした。
また、幼い頃からテスとこの兄妹は、仲良く遊んでいました。
少し大人になってテスは、この兄と恋愛関係になります。
しかし、ある初夏の頃この兄が他界します。
この女性は兄のことが大好きでしたのでとても悲しみますが、
恋愛関係にあり、もっと悲しいはずであるテスは、
その悲しみを乗り越え、前向きに強く生きようとします。
その姿に心打たれたこの女性は、
テスを心の励みとして自分も強く生きようとするのです。

どうでしょうか?
たぶん、ZONEの「secretbase」を間違って解釈していたのと同様に、
全くわかっていないんでしょうね。僕(ノ_-。)

ということで、そんなことにはめげず
僕もテスのように強く生きていくんだ~い。。。

麗美さんの歌は他に、
「Everlasting Love」もイイ。僕的には日本語バージョンが好きですが。
「抱きしめたい」も、なんだか可愛いらしくって好きですね。
ということで、

そういえば、麗美さんって最近どうしているのかなぁ?
なんて思ったので、Wikipediaで調べてみたんです。
すると、アニメという項目があって、
そこにはなぜか「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の文字が・・・?

で、よく調べたら
今は「REMEDIOS」という名前で活動している・・・アレ?
「REMEDIOS」って、あの花のサントラの、
えっ、マジで~
知らなかった。スゲ~
ホント、ビックリ!
つながった~パートⅡ
(詳細は過去の記事「つながった!」をご覧下さい)

いやー、あの花の曲イイですよね~。。。
実は、以前東日本大震災関連の行事を行った際に、
司会のナレーションのバックで、
このサントラVol.2の5曲目の「Last Train Home~still far」を、
それと、作成したビデオの中で1曲目の「My Star...」を使わせてもらったんです。
う~、これって著作権に引っ掛かるかなぁ?
でも、そんな大きな行事でもなく公的とも言えないでしょうし、
営利目的でもないから大丈夫かなぁ・・・なんて、都合の良い解釈をしたりして。
つまり、それくらいイイ曲ということが言いたかったのです。

だからREMEDIOSさんが麗美さんと知ってすごく嬉しかったのです。

さらに、あの花の映画も今夏に上映されるみたいで楽しみだぁ。。。
これで、名古屋のビックカメラの処分品コーナーで、
定価の半額以下で売られていた「あの花」のストラップが堂々と使える。

ということで「殺人鬼フジコ・・・」から
「Dear Tess」への強引な話の展開でした。♪







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