今年、デビュー30周年を迎えた斉藤由貴さん(48)。ずっと大切にしている写真は、トップアイドル誕生のきっかけとなった一枚。高校生のとき、グランプリを獲得した「ミスマガジン」に応募したカットだ。
◇ ◇ ◇
この写真は、近所の公園で父が撮ってくれたものです。帯職人をしていた父は写真とかも好きな趣味人で、応募は母の勧めでした。母は明るくて、表に出るのも大好きな人。昔は宝塚歌劇に憧れ、女優になりたかったみたい。でも、家が貧しく、夢を追う余裕はなかった。母の両親はともに聾唖者です。それで子供のころからいろんな苦労があったようです。
私は母とは反対に内気な性格の子でした。芸能界など考えてもいなかった。写真はかわいこぶっていますが、男の子にモテたこともない。教室の隅っこで、綿埃と戯れているような女の子だったんです。気がつくと、本を読むか、絵を描いているか。三島由紀夫や萩原朔太郎、ヘルマン・ヘッセ、レイモン・ラディゲとかをよく読んでいました。
ただ、「演じること」は好きでした。といっても、人前に出てやるわけではありません。
家は1階が父の仕事場で、家族は2階で生活していました。私が姉と一緒に使っていた部屋も2階にあったのですが、学校から帰ると部屋にこもるのが日課でした。大きな姿見の前に立ち、ひとりでしゃべりかけるんです。その日、友だちとうまく話せなかったことを「こう言えばよかった」とやり直してみたりして。かと思えば、自分が大きなステージに立っている姿を妄想して演じてみたり。そんなことを毎日、日によっては3時間もやっていた。怖いですよね。
高校は遅刻、早退、欠席ばっかりで、将来の夢もなかった。そんな私を母が心配し、応募を勧めてくれたのです。
■聞こえてくる「内なる声」
最終選考に残り、この写真が「少年マガジン」に載ると、翌日から大変でした。学校で男子生徒とすれ違うと、「あいつだぜ」「自分のことかわいいって思っているのか」とか言っているのが聞こえてきて。「綿埃と戯れている」タイプだったので、皆びっくりしたのでしょう。私だって「落ちればいいな」と思っていました。
だけどグランプリに選ばれ、すぐにテレビコマーシャルが決まって、卒業式の直前には「卒業」という曲で歌手デビューすることになりました。何ひとつ能動的にやったわけじゃない。だから常に自分の中で違和感を抱えていました。デビューして30年が経つ今も、どこかそんなところがある。…
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます