disfrutamos la musica

歩く鍵盤弾き さすらいの日々

ある凧のはなし

2009-07-25 01:30:20 | 日々のこと
人肌よりも少し低いくらいの温度の風がふいて、
それに草木の匂いがまじる。
厚い雲の隙間から 夕暮れ間近の空が少しだけのぞく。

凧は、おどろくほど空の高いところにあった。



それが凧だと認識するのに、少し時間がかかった。
私の知る凧は あんなに静かなものではないし、はっきりと凧糸に繋がれているものだ。
しかしそれは まるで地球を監視しに来た宇宙船のように ある一定の空高くで静止しており、
繋がれた糸はほとんど見えなかった。



東京の空をこんなふうに見上げたことが、前に一度だけあった。

上京して約一年の、同じような湿った夏の夕方、
池袋の五叉路で、大道芸人が駒を使った芸をしていた。
芸人は、カウントダウンの掛け声に合わせて駒を空高くに放り投げ、両手に張っていた糸で見事にキャッチした。

高く投げられた駒を追って空を見上げた時、はっとした。
こんなに期待を持って、東京の空を見上げたことがあっただろうか。



その凧が凧だとわかったのは、空中に一瞬、糸を見つけることができたからだ。
糸をたどって行くと、空から随分遠いところで、一人が 凧糸を持っていた。
凧を支えていたと言うのか、支配していたと言うのか。

もし糸が切れたら、まさに「糸の切れた凧」のように、どこかに飛んでいってしまうのだろうか。
あの静けさをみる限り、そんなことはないように思えた。
たとえ糸が切れても、そこに留まり続けるのではないだろうか。
そして、「戻ってこい」と言われたら、従順な犬のようにまっしぐらに、高い空から戻ってくるのではないだろうか。



ひぐらしの声が聞こえた。
夏の一日の終わりを知らせる声。

大きな空には、終わりがあるのだろうか。



考えないで、感じて。

ある人は、そう言った。