株式会社 電通ハウジング

社内のイベント、町の情報、個人的な趣味の話など、語ります。
曜日で担当がかわります(*^_^*)

川崎市平和館

2019年03月21日 | bu-kunのブログ
町の掲示板とか駅の掲示物をよくチェックするのですが
掲示板で気になるポスターがありまして



「私たちのまちに空襲があった」


どこでやってるんだろう?と場所を見てみると
公文書館の名前が

そういえば、よく行くラーメン屋さんの近くに公文書館があるのですが
敷居が高くて入ってみたことが無かった

せっかくなので行ってみる





実はとてもこじゃれた建物なのです。

意を決して入ってみると
1階には県や市が発行しているお知らせなどが置かれていて
開催中の展示についてのチラシも置かれていた

その中に先ほどの空襲のチラシがあり、よくよく見ると
会場は「川崎市平和館」と書いてあった

あれ?公文書館じゃなかった・・・

てか、川崎市平和館って初めて知りました。

公文書館も入ってい見ると、とても内部が素敵だった!!

ならば、二階にある蔵書もチェックしてみようということで




プラプラしてみたら!
市政報告書のほか、歴史書などがあり
市販されていないものとかだと貴重な写真がたくさん載っていてとても楽しい。

一時間ほど見てから
平和館に向かいます。


平和館をしらないので、カーナビにセットしてスタート!!!

公文書館からは車で10分ほどのところにありました。

旦那様は子供のころはこのあたりがホームグランドだったらしく

平和館の場所は昔、米軍基地があったと教えてくれました。





こちらもなかなか立派な建物でした。

こちらもなかなか立派な建物でした。



昭和20年4月15日に川崎大空襲というのがあって、かなりの被害をだしたとのこと
戦前戦中は川崎区から高津区まで大規模な軍需工場地帯だったそう。
私が知っているのは社会科でならった
京浜コンビナートやイタイイタイ病や光化学スモックくらいで
軍需工場が高津区までの大規模なものだとは知らなかったです。
そのため、アメリカからの第一級爆撃対象だったそうです。



高津区まで工業地帯であったのですが
多摩区、麻生区には疎開地があったというのもなんだか不思議な感じでした。
そして、ずっと登戸に細菌兵器などの研究をしていた帝国軍の研究所があったのが不思議でしたが
川崎が軍需に深くかかわっていたのならうなづけるな~と思った次第。





心が痛くなる展示ではありますが、
忘れてはいけないこと、知らなくてはいけないことだな~とつくづく思った次第。
防空壕体験の場所があって、暗くて怖かったので旦那と一緒に入りましたが
旦那の子供のころは、防空壕跡は普通にあったとのこと
私は北海道だったのでもちろん空爆はあったそうですが(祖母談)
内地ほどの被害はなかったのと
貝塚はあっても防空壕跡はなかったので
興味深い話と体験でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする