株式会社 電通ハウジング

社内のイベント、町の情報、個人的な趣味の話など、語ります。
曜日で担当がかわります(*^_^*)

「ありがとう」は魔法のことば

2017年04月06日 | bu-kunのブログ
今日はちょっとまじめな話ですw
(普段から大真面目ですがww)


よく、年をとると子供に戻るといいますが、
それは全くの嘘だな~と、つくづく思う。
昔は、痴呆症という言葉が無くて、
物忘れが多くなった、動作が鈍くなったという年を重ねていくうえで
能力が低下してしまう場合と
いわゆる痴呆症といういわば脳の病気と混同してしまって
「年をとると子供に帰る」という言葉になっているのだと思うのですが、
加齢による能力低下の場合は、子供には帰っていない、むしろ努力をする。
しかし、
痴呆症は、自我だけが強調されて、何かを気をつけるとか、忘れないように努力することを忘れてしまう。

何の話かといいますと

「ありがとう」という言葉は人に感謝をするということが身についてないと出てこない言葉だな、と、最近思うようになりました。

子供のころ、何かをもらう。何かをしてもらう、この場合はほかの人の時間をもらって何かをしてもらうわけで
「モノをもらったら、感謝をする。ありがとうとその気持ちを伝える」
これは、”親から”教わることでこの段階で”感謝”という気持ちが身に着く

しかし、諸事情で、この時点で教わることがなく、”感謝”を覚えられなくても

成長する中で、何かしら”感謝”をする、感謝をした場合は「ありがとう」と伝えることを学習する。

そして、
「ありがとう」という言葉は、ちゃんと学習して自分が習得してなければ使えなくなるんだな~と

2年ほど前に姑が痴呆症を発症しまして、
色々なことを忘れてしまって(料理が好きでしたが、なにもおぼえてないです)
家族みんなでサポートをしてますが、
本人は
「はい」「ありがとう」という言葉を知らない。使えない。
使えるのは、心の無い「すみませんね~」という言葉

危ないことをしているときに、「だめだよ」と注意をすると、屁理屈を言う。(←これはほんとにすごい)
何かをしてあげても当然となっているので、モノを落として拾ってもらうのも
「気が利かない、早く取って」となる。

舅や私がなにかとってあげる、してあげても
「うちの下男は気が利かない」←舅に対してww
「わるいですね~女中さん」←私に対してww

でも、このときに

「ありがとう」
たったこの一言があれば
がんばろう、という気持ちが生まれる。

でも、このありがとうは先に書きましたが
”学習”してなければ使えない言葉で

外面の為に、思ってもいない「ありがとう」を使っていた場合は
痴呆症のような状態になった場合は
使えなくなるのだな
「取り繕う」ということも忘れてしまう為、「感謝」の気持ちを学習してない場合は
「ありがとう」ということばも忘れてしまうんだなとつくづく思うようになりました。

反面教師ではないですが、
「取り繕う」ことを忘れても自然に「ありがとう」という言葉がつかえるように
ちゃんと「感謝」を学習しなくてはいけないと強く強く思います。
コメント
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