瞬刊★差楽部

ジャンルに特筆しない雑記です( ´,_ゝ`)

Yellow Skin Hip Hop

2008-05-29 14:35:59 | 音楽

アメリカ人の演歌歌手のジェロが歌う『海雪』という歌は新潟県中越沖地震で大きな被害を受けた出雲崎町を部隊としているんだとか。同町では地震からの復興に繋がるとして、街を挙げてジェロを応援しているそうだ。
『ジェロさんを紅白歌合戦に・CD1世帯1枚購入町民運動』というのを町長が発案し、CDの購入金として500円を町が援助するのだという。全ての世帯の70%が購入すると見込んで、65万円の予算がついたという。

『黒人演歌歌手ジェロ』。なんか如何にも突っ込みたくなってくるし、突っ込んだ方が文章を書きやすいんだが、そんなこと色んな人がやってるだろうからあえて擁護してみる。

自分でもそう書いておいてなんだが、マスコミでジェロを評するときの常套句が『黒人演歌歌手』。すごい色物的な扱いだなぁw
実際音楽業界からしたらあえて色物だから売り出したともいえる。演歌と色物というと、『氷川きよし』だって、ステレオタイプな演歌歌手のイメージからはかなりかけ離れており、十分色物だったわけだ。ジェロの場合は外国人が、しかも黒人が日本の心を歌うというデタラメ感が余計色物的イメージを先行させるので、色物として話題を振りまいて欲しいプロダクションからすると実に売り出しやすいわけだ。

ジェロを批判する人は、「外国人が日本の心、演歌を歌えるのか?」だの、「なんで黒人が演歌を歌うんだ?」などと、国籍と肌の色を槍玉に挙げるのだが、そんなことが大した問題なのだろうか?人種的にみて黒人の血をひく人間の多くが歌唱力に優れているという事実がある。多くの場合は作曲家と作詞家が存在し、歌い手は歌が巧ければいいという分業制がひかれる演歌の世界にあって、まさにジェロは歌が巧いのであり、歌が下手な日本人よりは何万倍もマシということになる。
国籍・人種的側面からたとえ歌が巧くともふさわしくないという批判は、大相撲の例を挙げるまでもなくナンセンスといえる。
たまたま保守的な演歌の世界に黒船が襲来してしまったから話題になるだけであり、他のジャンルの音楽には多々外来種が存在しているわけだ。
アメリカの黒人音楽を受けた英国人によって花開いた現代のポピュラーミュージック。ザ・ビートルズはアメリカのリズム&ブルーズに影響を受け、ザ・ローリングストーンズはアメリカでもマイナーなブルーズに影響を受けた。今でもブルー・アイド・ソウルという言葉が使われるが、青い眼の白人さんが黒人音楽であるソウルミュージックをモノ真似するとそう呼ばれるわけだ。もう、それこそ大御所から若いのまでブルーアイドソウルな連中は沢山いるわけだ。それらがよくて、ブラック・スキン・演歌がいけないわけがないだろうということになる。ましてや、猿真似ヒップホップと違い、ジェロは如何にも黒人の青年といった趣きのカジュアルな服装であり、演歌といって思いつくような着物を着たり蝶ネクタイの変なスーツを着たりしない分、猿真似度は低いといえる。

日本に眼を向けても、黒人音楽の白人が真似して作ったロック、リズム&ブルース、ヒップホップなどなどモドキでで埋め尽くされているわけだ。日本人の兄ちゃん達が黒人のファッションから音楽スタイルから全てを模写して「yo-、yo-!」なんてやってるのがよろしくて、黒人がこぶしを回しちゃいけないって法はない。
黄色人種ヒップホップがドイツ車とかフランス車だとしたら、黒人演歌歌手は韓国車。隣の家がドイツ車やフランス車に乗ってて珍しいなぁとか、変だなぁとは言わないが、隣の家の車がヒュンダイだったら気になるだろう。何故、韓国車???って。それと一緒。
まぁ、正直言うと黄色人種ヒップホップも黒人演歌のどっちも自分には興味もなのにも関係ないどうでもいいことなので、流行ろうが消えようがどうでも構わないってのが正直な所なんだけどね。まぁ、人数が多いだけ鬱陶しいのは前者だろうか。

黒人演歌歌手ジェロ。山形弁を話すアメリカ人と同列で考えればさして気になるものでもないと思う。

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