『小熊座』2020年2月号より 〈冬蝶考〉

2021-12-20 17:36:48 | インナーポエット

 

 

 

 

 

 

チュウサギ

 

 



    冬蝶となる老犬の眠りかな   須藤 結

 蝶については今度刊行する『鑑賞 季語の時空』でも、触れているが、日本の詩歌によく登場するのは俳諧の時代になってからである。万葉集には詠われていない。

 詠われるようになっても現実の蝶より『荘子』「斉物論」の「胡蝶の夢」のテーマに基づく発想が元となっていて、近世の句はほとんどが想念世界の所産を出るものではないと思っていた。例えば 〈釣鐘にとまりてねむるこてふかな 蕪村〉 も、よくありそうな光景だが、蝶の生態からして、こんな無機質の金属に長時間止まることはないはず。安眠したはずの場所が、じつは本人の想像をも超えた異質の世界であることを暗示しているとも読める。鐘が一突きされたなら、蝶の夢も現もあっというまに異次元へと変わる。だから〈大原やてふが出て舞ふ朧月 丈草〉も幻想の世界の所産と思っていたところ、奥本大三郎さんが『虫の文学誌』で、これはヤママユガ科のオオミズアオイを思い浮かべると指摘していることを知った。

 オオミズアオイは青白色の大型の美しい蛾。蛹で越冬するので朧月夜に羽化することがあっても不思議ではないわけだ。奥本さんは大原という場所柄「建礼門院の怨霊が出てきた感じがする」とも述べる。平家の家紋が「揚羽の蝶」であることも、なるほど符合する。それなら単なる怪奇趣味を超えて時空が広がる。掲句は、その蝶となる夢を見ているのが老犬との発想がいろいろな想像をもたらす。パピヨンは犬の種類の名でもある。

 耳が蝶の羽の形をしているから付いた名だが、ここでは愛玩用の小型犬よりも番犬を兼ねている雑種の方がふさわしい。幼犬だった頃、飼い主の少年と一緒に蝶を追いかけた日を夢見ているのかもしれない。しかも冬蝶の夢。これも奥本さんから伺ったことだが、凍蝶はまもなく死ぬ蝶に限らないそうだ。キチョウなどがそうで成虫のまま越冬する。寒い日、じっと死んだように動かなくても暖かい日には再びひらひらと飛ぶことがある。冷蔵庫に入れておいても死なず復活すると聞き驚いた。老犬が再び幼犬に戻り、野原で蝶を追うことはないけれども、冬蝶の夢を見ている老犬の毛が、その息づかいとともに鱗粉のようにきらきら輝き出すことは想像可能である。



    寝たきりは転ぶ事無し漱石忌   野田青玲子

 「転ぶ」から思い浮かぶ場所の一つに漱石ゆかりの千駄木の団子坂がある。奥本さんの「虫の詩人の館」も程近い。名の由縁に団子屋があったからとの説と急坂で雨降りに転ぶと団子のように泥まみれになるからとの説がある。漱石や子規の文章にもよく登場する。彼らもここで転んだことがあったかもしれない。漱石は胃潰瘍と糖尿病に悩まされ五十歳で、子規は結核が宿痾となり三十五歳で亡くなっている。

 青玲子翁は齢九十を越え、まだまだ意気軒昂だ。この句も弱音ではない。「寝たきり」を怖れる切実さとともに、どこかで転ぶことを楽しんでいる余裕がある。〈いざ行む雪見にころぶところまで 芭蕉〉を思い出した。

 

〈高野ムツオ主宰の好句鑑賞〉

 

 

 

日光連山

 

 

 

 

 

 

 


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