秋の野には、秋の七草が咲いているはずです。・・少し時季が遅くなりましたか?(笑)
「名もなき草花」ではなくて、(名前はちゃんとあるのですが)ただ知らないだけですから。。「名もしらぬ草花」ということになりましょうか。
名は知らず草ごとに花あはれなり
で、昔々山上憶良という人が『万葉集』の中で、この七つの草花の種類を↓教えてくれました。
萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花また藤袴、朝顔の花
尾花は芒(ススキ)と、朝顔は桔梗とも言い換える場合があるそうです。
尾花は美しく’花芒=はなすすき’とも呼ばれてきました。花芒を女性の細くて白い手に見立てた方もございましたよ。
江戸時代・松尾芭蕉の門下で、向井去来(むかいきょらい)という有名な俳人がおりました。
君が手もまじるなるべし花芒 去来
かつて生まれ故郷の長崎を出る時、花芒揺れるなかを、そっと峠まで見送ってくれた女性がいたという。
これは↑その人を思っての句ではないのかな?~とかなんだとか、そんな説もありますね(笑)
さて今は昔、当時一世を風靡した「ザ・フォーク・クルセダーズ」の加藤和彦さんが、最近62歳で亡くなられました。
2002年に’一夜限りの新結成・解散コンサート’があったのですね。その番組が再放送されていたのを、録画して見ました。
なかでも北山修さんの姿が、とても印象深かったのでここに記します。彼の現在は精神医学を教える大学教授。若い頃は作詞家としても人気絶頂、本当に素晴らしかったですが・・。
ははぁ、男性というのは(うまく行けば)こんなふうに円熟するものなのか、との驚きを覚えました。
若い頃は、地味な北山さんの見た目はパッとしませんで、加藤さんの方に’華’がありました。
しかし、少なくとも2002年11月の様子を見た限りでは、北山さんが「超イイ男」になって光り輝いているのでした。
まるで敵前逃亡?のように・・音楽ではなく、別の道を選んだ男が歩んだ地道な人生、振り返ると圧倒されるものがありましたね。
コンサートを終えた後、「じゃあ私はまた日常生活へ戻ります、それが’粋’ってもんです、失礼しました」と、カッコイイ台詞を残して去りました。うぅ~む、ダンディそのもの(笑)
イムジン河(TV画像・動画)
イムジン河がどうして発売禁止になったのか、当時は何も知らなかった。。美しい歌なのにどうして?と。歌詞もメロディーも大好きです♪
イムジン河(歌詞)
あの素晴らしい愛をもう一度(歌詞)
白い色は恋人の色
北山 修 作詞
加藤和彦 作曲
花びらの白い色は恋人の色 なつかしい白百合は恋人の色
ふるさとのあの人の あの人の足もとに 咲く白百合の
花びらの白い色は 恋人の色
青空のすんだ色は初恋の色 どこまでも美しい初恋の色
ふるさとのあの人と あの人と肩並べ 見たあの時の
青空のすんだ色は 初恋の色
夕やけの赤い色は想い出の色 涙でゆれていた想い出の色
ふるさとのあの人の あの人のうるんでいた ひとみにうつる
夕やけの赤い色は 想い出の色
「名もなき草花」ではなくて、(名前はちゃんとあるのですが)ただ知らないだけですから。。「名もしらぬ草花」ということになりましょうか。
名は知らず草ごとに花あはれなり
で、昔々山上憶良という人が『万葉集』の中で、この七つの草花の種類を↓教えてくれました。
萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花また藤袴、朝顔の花
尾花は芒(ススキ)と、朝顔は桔梗とも言い換える場合があるそうです。
尾花は美しく’花芒=はなすすき’とも呼ばれてきました。花芒を女性の細くて白い手に見立てた方もございましたよ。
江戸時代・松尾芭蕉の門下で、向井去来(むかいきょらい)という有名な俳人がおりました。
君が手もまじるなるべし花芒 去来
かつて生まれ故郷の長崎を出る時、花芒揺れるなかを、そっと峠まで見送ってくれた女性がいたという。
これは↑その人を思っての句ではないのかな?~とかなんだとか、そんな説もありますね(笑)
さて今は昔、当時一世を風靡した「ザ・フォーク・クルセダーズ」の加藤和彦さんが、最近62歳で亡くなられました。
2002年に’一夜限りの新結成・解散コンサート’があったのですね。その番組が再放送されていたのを、録画して見ました。
なかでも北山修さんの姿が、とても印象深かったのでここに記します。彼の現在は精神医学を教える大学教授。若い頃は作詞家としても人気絶頂、本当に素晴らしかったですが・・。
ははぁ、男性というのは(うまく行けば)こんなふうに円熟するものなのか、との驚きを覚えました。
若い頃は、地味な北山さんの見た目はパッとしませんで、加藤さんの方に’華’がありました。
しかし、少なくとも2002年11月の様子を見た限りでは、北山さんが「超イイ男」になって光り輝いているのでした。
まるで敵前逃亡?のように・・音楽ではなく、別の道を選んだ男が歩んだ地道な人生、振り返ると圧倒されるものがありましたね。
コンサートを終えた後、「じゃあ私はまた日常生活へ戻ります、それが’粋’ってもんです、失礼しました」と、カッコイイ台詞を残して去りました。うぅ~む、ダンディそのもの(笑)
イムジン河(TV画像・動画)
イムジン河がどうして発売禁止になったのか、当時は何も知らなかった。。美しい歌なのにどうして?と。歌詞もメロディーも大好きです♪
イムジン河(歌詞)
あの素晴らしい愛をもう一度(歌詞)
白い色は恋人の色
北山 修 作詞
加藤和彦 作曲
花びらの白い色は恋人の色 なつかしい白百合は恋人の色
ふるさとのあの人の あの人の足もとに 咲く白百合の
花びらの白い色は 恋人の色
青空のすんだ色は初恋の色 どこまでも美しい初恋の色
ふるさとのあの人と あの人と肩並べ 見たあの時の
青空のすんだ色は 初恋の色
夕やけの赤い色は想い出の色 涙でゆれていた想い出の色
ふるさとのあの人の あの人のうるんでいた ひとみにうつる
夕やけの赤い色は 想い出の色
他人事として見過ごす事が出来ない私もずい分と辛い時期もあった、今、こうして、言葉を綴れる事が、ただしあわせで感謝の気持ちです。
おなじ時代を生きてきましたし,殆どの曲を聴いていましたから・・・
加藤さんは本当に残念でしたね、私も驚きました。
北山氏と加藤氏、お互いを讃え尊敬し合って生きて来た、良きライバルでもありました。切磋琢磨できる’ライバル’というのは、得がたくもありがたい存在ですね。
加藤さんは、さらに上へ上へと音楽性を追及していたと思います。才能があるだけに、その悩みも深かったのかもしれません・・。
ぼくが撮りたかった!!!!
なかなかこういう構図にならないし、ちょっと紅葉が混じっているのもいいし…。
加藤和彦さんが、そのメンバーだとは知りませんでした。
「あの素晴らしい愛をもう一度」は、合唱団で歌いました。
この時、初めて加藤和彦さんの名前を知りました。
素敵な曲でした。
御冥福をお祈りします。
懐かしい歌ですね・・・。
ススキの方もすばらしい絵と歌と・・・お座布団を。
なお、おんなも年を取って味の出てくる人もおられますよ・・・(笑い)。
オッと、忘れるところでした。ツワブキの歌をエントリーさせていただきました、ありがとうございます。
ずっと奥までススキ野原が続いているような景色ですね。)
秋が終わりに近づいているような風情が漂います。
向井去来(むかいきょらい)さんの句はなんだか切ないですね。
わたしがいつも渡る川の河川敷に一面にススキが広がっています。今日は逆光に照らされてキラキラしていました。あれをどうやっつけようか(撮影のことですが)と思案しておりました。
去来さんの切ない句を思い浮かべながら感情移入して撮影するのもいいかもです!あちゃ
^^;
お写真が素晴らしい
最近の中で群を抜いていると思います、
写真は偶然の産物で、こういうのを撮ろうと思っても、撮れないんですよねえ。
加藤さんの死はショックでしたし、とても残念です。
きっと、この時期を乗り越えれば天寿をまっとうできたでしょうに。。
北山さん。カッコよく年齢を重ねるということは、難しいですね、男女共に。
お互いに、目指しましょう♪
そうそう、写俳のほう。
>羽織るもの着たり脱ゐだり小六月 青萄
オレガノは好きなハーブですが、あんなに美しい花だったとは・・
衝撃を受けました!
今日のお話良いですね、”去来” の俳句は何か心がジーンとなります、と言いますかキュンとですかね。
北山さん格好が良いですね、こちらでは当然ながら見られませんが、先日この方達の NHK に出演された 2002年の私も ブログに UPしました、とても民族を愛した歌ですが、この世は
無粋なことばかり。
彼らが歌えなかったのは政治的な背景、すなわち 韓国に日本が遠慮してです、この歌は北朝鮮からの南に対しての パラダイスはこちらだよと意味も含まれているようですね。
でもそんな事どうでもいいじゃないですかね。
素晴らしい歌は素晴らしいんですから。
穂が透き通った芒の画像が美しいです。
紅葉した葉がちょったしたアクセントになって
その絶妙なバランスが何ともいいですね。
去来の句を詠ませていただきますと、
何気なく目にしておりました芒ですが
見方がちょっと変わってくるような気がしております。
ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦さん、とても残念です。
あのコミック的な帰ってきた酔っ払いもよく歌っておりました。
ポチ!! いつもありがとうございます~。
芒は少し前のものですが、たまたま写しただけで。。。何も考えておりません(;^_^A アセアセ・・
誰も見向きもしない打ち捨てられた芒が原です、でも陽が当ってなかなか綺麗と思いました
加藤さんは・・オコジョさんとほぼ同年代ではありませんか?
「帰って来たヨッパライ」も売れましたね。「イムジン河」もデビュー前から歌っていたようです。「ヨッパライ」がこけたら「イムジン」がある、と(笑)
お座布団を、嬉しいですね、これから気温が下がりますので(笑
’石蕗の花’コメントへも、お気遣いをいただいて・・( ^^) _旦~~
イイオンナになる道は遠いですわ、イイオトコも絶滅危惧種ですかしら?^^
nakamuraさんもがんばってくださいませ~
向井去来、うんと昔の人ですが、この句は今でも通用しますよね。というか、どんな時代にも生き残り、通用するのが名句と言います♪
そう思って見ると、花芒がにわかに女性の手に見えてくるのが不思議(笑
そちらの芒もどんなかなぁ~と楽しみでございます
数枚写した内で、これが一番まともかな?と(笑
芒は陽に照らされると、俄然絵になるのですよ~、わりと好きです^^
加藤さんは、やはり天才肌の人だったのでしょうね。自分を追い込むというか。。
北山氏が「普段は前向きで明るくて楽しい人、でも・・彼は音楽に関しては怖い人だった」と。
私もカッコ良く生きたいですけれどね、すごくカッコ悪いの、弱りました~(≡ω≡.)
オレガノをありがとうございます、通りすがりに写しました♪
デビュー前から歌い継がれていた「イムジン河」だったようです。北では有名な歌だったとか。フォークルに、それほどの政治的思想はなかったのじゃないかな?~と考えますが。
レコード会社も、当初は「ヨッパライ」がダメなら「イムジン河」で、と思っていたようですし。
「悲しくてやりきれない」は、イムジン河のメロディを逆回転させたイメージで作られたらしいですね。無意識のうちに発売禁止や放送禁止への’レジスタンス’も、加藤さんにあったのでしょうか。惜しい人でしたね
ススキは、いつもの如く大した考えもなく・・たまに良い時があります。バラバラに雑草も写っていますので、野趣味?でしょうか^^
去来の句がなかなか良いと思いました。大昔の人も、思いは同じなんだなぁ~と。
フォークルの「帰って来たヨッパライ」は、当時はよく流れていましたね。あまり好きではなかったのですが。。やはり私はシリアス系が好みのようです、暗いですね~(≡ω≡.)
応援をありがとうございます、感謝