子供のころ、親の口から出る「ライ病」ということばはとても恐ろしい響きを感じさせた。
私が生まれるずっと前から、ライ病患者は親からも引き離され、戸籍さえ抹消され、断種、中絶、辛酸をなめるような隔離生活を送ってきた。
そんなことも、もう10年位前になるのか、当時の厚生大臣が患者に頭を下げたころから知り始めた。
知れば知るほど、どれだけひどいものかと心震える思いがした。
「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも先はない」と岡山の長島愛正園で生涯を閉じた歌人の明石海人は歌集「白梅」の序文にこう記したという。
今月16日に亡くなった近藤宏一さんは今から70年前にここに隔離された。
過酷な園内労働がたたり失明し、手足にも障害が残ったという。
隔離されて15年、父親が荷物に忍ばせてくれたハーモニカを手に、12人で「身体は不自由でも自分たちの生きがいを求めよう」と「青い鳥楽団」を結成し楽長をつとめた。
残された舌や唇の感覚を頼りに、点字の楽譜をなぞり、切れて楽譜が血で染まったという。
76年までその活動は続き、それから20年、「らい予防法」が廃止されたのを期に講演活動も増えて、ついに05年故郷の土を踏んだ。
「私たちは被害者だったが、敗北者ではなかった」というメッセージと「ふるさと」の合唱は忘れられないと、「悼む」欄のこの方の執筆者、斉藤貞三郎氏は言う。
そして、
「・・・思えば、出会った人にいつも感動と励ましを与えていた近藤さん自身が、青い鳥だったのだ」
と。
朝から感動をもらった。
怒りや愚痴、後悔、そんなことばがつい出てしまうけど、どんな立場に立っても高潔な心を持った人がいると思った。
政府の施策というものの重要性も合わせて思った。
合掌。
私が生まれるずっと前から、ライ病患者は親からも引き離され、戸籍さえ抹消され、断種、中絶、辛酸をなめるような隔離生活を送ってきた。
そんなことも、もう10年位前になるのか、当時の厚生大臣が患者に頭を下げたころから知り始めた。
知れば知るほど、どれだけひどいものかと心震える思いがした。
「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも先はない」と岡山の長島愛正園で生涯を閉じた歌人の明石海人は歌集「白梅」の序文にこう記したという。
今月16日に亡くなった近藤宏一さんは今から70年前にここに隔離された。
過酷な園内労働がたたり失明し、手足にも障害が残ったという。
隔離されて15年、父親が荷物に忍ばせてくれたハーモニカを手に、12人で「身体は不自由でも自分たちの生きがいを求めよう」と「青い鳥楽団」を結成し楽長をつとめた。
残された舌や唇の感覚を頼りに、点字の楽譜をなぞり、切れて楽譜が血で染まったという。
76年までその活動は続き、それから20年、「らい予防法」が廃止されたのを期に講演活動も増えて、ついに05年故郷の土を踏んだ。
「私たちは被害者だったが、敗北者ではなかった」というメッセージと「ふるさと」の合唱は忘れられないと、「悼む」欄のこの方の執筆者、斉藤貞三郎氏は言う。
そして、
「・・・思えば、出会った人にいつも感動と励ましを与えていた近藤さん自身が、青い鳥だったのだ」
と。
朝から感動をもらった。
怒りや愚痴、後悔、そんなことばがつい出てしまうけど、どんな立場に立っても高潔な心を持った人がいると思った。
政府の施策というものの重要性も合わせて思った。
合掌。
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