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映画とB級グルメと趣味の部屋

山形県内の美味しいと思った店だけ
ラーメンその他趣味のお話ブログ

懐かし羽根物三共 モンスターとサービス台の思い出

2021-02-21 09:52:54 | パチンコ/パチスロ

まだパチンコが庶民の娯楽の範疇だった頃
羽根物達がパチ屋を席巻していた懐かしい時代
定量制で打ち止めすることに懸命だった時代
何度書いてもあ~懐かしい

今回は三共のモンスターという羽根物のお話だが
割かし打ってはいたが意外にもそんなに打ち止めにした記憶が少ない
ただメタリックな恐竜のような役物と強烈な大当たり時のメロディーが
記憶の片隅で焼き付けられている

当時の三共の羽根開閉秒数が早く足に入るとあっという間に開いて閉じた
羽根に拾われると奥にある真ん中のVゾーンに向かうのだが
意地悪いことにVの前に突起があり
これが入賞を邪魔する

要するに勢いがあって真っ直ぐに飛び込んだ玉がVに入りやすいということになる
上手くV入賞し確か5個以上カウントすると
役物のモンスターが口を開いてV入賞をサポートするのだが
これが中々サポートの役に立たずいらいらしたものだ

V入賞時ガガガガガガガガという爆裂音とともに
サイケな電子音が鳴り響き
後半役物サポートが始まるとスカースカーという役物のモンスターが
泣き叫んでいるような音で我々プレイヤーを煽った

個人的にはこの大当たり中のサウンドが好きで
サウンドが聞きたくて遊び打ちで打つことが多かった

30年前のパチ屋ではサービス台というのを準備している店もあり
定時で抽選して当たった客に1000円分の玉を買わせて
開放するというサービスで
必ず3000発~4000発打ち止め(打ち止め数は店により異なる)になることが約束されていた

つまり買った分のお金を差し引いても6000円~9000円は儲かる仕組み
なんて良い時代だったのだろう・・・・・

自分の行く店にはモンスターもそのサービス台になっており
午前の抽選で一度当選し打つことになった
何百人の抽選の中で結構当たることが多く
サービス台を結構打った思い出があるが
それはまた後に語る

まず、カウンターで1000円払って玉を買い
ドキドキしながらモンスターに向かうと
いきなり店員が扉を開けてVに入れてくれた
V入賞に手間取っていると店員が来てVに手入れしてくれるので
あっという間に打ち止めである

やはり店のサービス台なので
とにかく問答無用で無理やり打ち止めにしてくれるのだ
当然釘はがばがばなんだが
台ごとにクセがあるのでV入賞しにくい台もあり
そこは無理やり店員の手入れでカバーされるのだ

それから後新台入れ替えで消えてしまったが
強烈なサウンドとサービス台の思い出のおかげで
今でも忘れられない羽根物となっているのかもしれない

新海JAPAN319であっぱれ魚群祭り発動

2021-02-17 09:07:44 | パチンコ/パチスロ

よ~く考えてみれば皆マスクして、仕切りで遮られ
特に話すこともしないパチ屋では感染のリスクはあまりない
大体パチ屋で集団感染なんて聞かない

結局大声で話したりすると飛沫が飛びそれで感染することが多いので
電車とか映画館とかスーパーとか皆マスクして特に話したりしなければ
そんな怖がることもないんじゃないでしょうか?
電車や映画館や静かに過ごす飲食店で集団感染したなんて話聞かないし

やっぱりワイドショーとか見ちゃ駄目だね
視聴率のためにただ大げさに放送して皆を不安にさせるだけなんで
そんでもって感染の大元はやっぱり東京なんじゃないですか?
東京中心に対策すれば緊急事態宣言とか大騒ぎしなくても良かったんじゃないの?

マスコミでは何も言わないけど
実際都会では失業者で溢れているとか
安倍に菅に小池はどう責任取るんじゃこらっ(# ゚Д゚)

さてパチンコの話ですが
何かというとちょっと自慢(〃艸〃)

1/319のほうですよ
甘じゃないやつですよ
319の方でプレミアのあっぱれ魚群祭りが発動しました

保留8個溜まりその中に確変当たりがあると
発動するプレミア

保留が8個溜まり
その瞬間ブラックアウトして
祭りスタート!!

当たるまで一発告知鳴らし放題!!!
ちなみに保留は魚群保留の一番良い奴が出現してます

結果は12箱で快勝でした(〃艸〃)

パチスロドリームセブンの思い出

2021-02-08 11:43:25 | パチンコ/パチスロ

高砂電子から出た3号機パチスロ
何が好きだったかというと
ビッグ絵柄の7が青というか水色だったこと

普通は赤なんだけど
ドリセブの7は水色で見た目にもとても鮮やかだった
正直リーチ目とかなんとかの知識は乏しいのだが
7が綺麗だったから結構打ったという機種なのである

確かずれ目とか、小役揃い、滑りもあったような気が・・・・
とにかく7が綺麗だったので好きだったとしか言いようがない

その後の後継機は皆裏返ったB物だったが
初代はほぼノーマルだったと記憶している

夏休みで実家に帰省しているときに
客がほぼ常連客しかいない
いわゆるボッタクリ店で毎日のように打っていたのだが

ここの店ボッタクリの割にはスロはまあまあ遊べる調整で
それも毎日同じ台ばかり出るという特徴?があったので
当然毎日ドリセブの角台を打っていた

他にはスーパーウインクルなんかもあったが
自分はドリセブ一筋だったので浮気は一切無し

何が凄かったかというと
毎日確実に2箱ずつ出していたということ
毎日同じ台で毎日2箱
それを1週間ほど続けたろうか

客も少ないし毎日同じ台で出し続けてるのも
目立つし、そろそろ何か言われるような後ろめたい気になり
その後は通うのを止めてしまった
今だったら確実に出なくなるまで通うんだけど

スーパーウインクルなんかも結構遊べたし
その店のパチスロで負けたことがなかった
スロットだけは優良店だったといえる・・・・かも

とにもかくにものんびりとした
良い時代だったと言えるのだろう


初めてのフィーバー 三共フィーバーアバンテ

2021-02-07 22:02:40 | パチンコ/パチスロ

大概パチンコなんかやり始めるのは
高校生くらいなんじゃないでしょうか?(笑)

私も御多分にもれず部活も終わり何もやることがなくなった
高校の後半から少しだけパチンコを打ちに行ったりし始めたものだが
ほんとに遊び程度のお話であり
のめり込んだわけではない念のため(-_-;)

当時はやはり羽根物中心に遊び打ちしていたのだが
30年以上前のことのなのでせいぜい3千円程度のたまのお遊びで
千円とか二千円勝てば大喜びしていた頃である

暑さも収まった初秋の頃
友人と二人でちょっとパチンコでも行くかということになり
羽根物のレッドライオンなんかを打ちちらかしていた

当時は100円単位で玉が借りられたので
400円程度で出たり入ったりの展開で
30分位したら出玉が無くなってしまった

この店じゃ駄目だということになり
自転車で少し遠い店へ移動することに

ビッグシューターなんか打ったりして
ここでも出たり入ったりを繰り返して結局飲まれたので

どうせなら一気に出玉が出るデジパチでもやろうと思い
座ったのが三共のおまけ付きデジパチのフィーバーアバンテだった

数字が揃えば出玉がドバっと出るぐらいの知識しかなかったデジパチ
に座り恐る恐る200円分の玉を借り打ち始めると
これがなんとびっくり数回転で大当たりスタートしてしまったのだ

店内に響く〇〇〇番台フィーバースタートの声を聞きつつ
ドキドキしながら玉を箱に落とした記憶が今も懐かしい
交換は確か6000円くらいになったはず
当時の高校生にとっての6000円はかなり破壊力のある金額であった

まあ、あれですなビギナーズラックってやつね
交換した後は友人と二人でラーメンを食べて帰ったのだが
当然私のおごりであったことは言うまでもない

フィーバーアバンテは初めてデジパチで大当たりした記念すべき台なので
名前を忘れることはないのだが
決して好んで打った台ではない

今考えても高校生のくせに
よくデジパチで勝負に出たものだとつくづく感心してしまう
無謀なのは今も変わらないが・・・・・

ハネモノ 平和安来名人の想い出

2021-02-05 10:53:46 | パチンコ/パチスロ

昔は良かった
最近特にそう思うお年頃になってきた

でも、ほんとに30年以上前のパチンコは面白かった
よほどボッタクリ店でなければ
ハネモノなら3000円もあれば充分に遊べた時代
デジパチだって5000円もあればまあまあ遊べた時代

で、羽根物のお話だが
今では考えられないが当時羽根物がパチンコの主流で
3000発~4000発で打ち止め定量制で
1回止めて8000円~10000円
2台も止めたものなら天にも昇る気分だった平和な時代

当時のパチ屋といえば
チンピラみたいな店員が多く、当然応対等まともなわけもなく
箱も自分で交換したり、まさにセルフサービスパチンコ
今からは到底想像できない時代

自分が初めて打止めにした想い出の台が平和の安来名人だった
羽根が開く始動口に入ると18番安来と喋るんですなこれが
オハコ=18番ってことなんでしょうね
Vに入ると合格~の鐘の音共に大当たりスタートといった具合

Vに入るパターンはそこそこ多彩で
羽根からの直撃、奥に行って直進してV、手前に落ちてV、役物のざるに乗ってV
まあまあ多彩なんですよ

貯留は無しで後半に役物の名人が前進してきて
ざるでV入賞を手伝ってくれるのだが
よ~くみるとざるが平行ではなく、ざるに乗っかってもVに入るとは限らない
当然役のクセが継続を左右する割と辛めな羽根物だった

役が辛い分泣きも良くしていたため
遊べたな~という印象が強いのかもしれない
一応継続させるための技があり
当たり後半名人が前進してくるまで止め打ちをして入賞球を5個くらいまでにし
後半ざるに乗せて、継続しやすくするという技
しないよりはした方がマシ程度な感じだったかも

この台は置いてある店は少ないほうで
地元でも2軒しかなかった
ユニークかつV入賞パターンに魅了されいつも打っていた

初めて打ち止めにしたのは
200円投資してそのまま打ち止め個数3000発出た
基本3400とか出て8000円ちょっとになったのだが
初めて打ち止めして興奮したものだった

今だったら自分は開放台狙いばかりしていただろう
釘読めなくとも開放台狙いをしていたら、勝率は上がったろうに
昔はバカだったから早く打ちたいばかりで朝から店に行き負ける方が多かった

店員もロクなのがいず
店も煙草の煙に溢れ
BGMといえば演歌だった
それでも台が面白かったし遊べた時代
庶民の娯楽にまた戻って欲しいけども

やっぱり過去の想い出は所詮想い出のままなんだろうねえ
また次回