昭和56年10月22日
「お命ちょうだいしたい・・・」、説明会で声をふりしぼる社長
坑内水没作業について北炭社長は答弁を重ねたが納得してもらえず、「命をちょうだいすると言え」と言われ、意を決したように声をふりしぼった。「注水することで命を絶ちます。お許しいただきたい。お命をちょうだいしたい・・・ということです」と。その一瞬、会場が静まり返った。あちこちで家族が肩を震わせ始めた。
成人式が出来ないなんて、まだまだ甘い。夕張には何時になっても忘れられない歴史があった。しかし、これも当時の「スクラップアンドビルド」政策生き過ぎの成せる業だった。中小の採算の悪い炭鉱を廃坑にし、一部の競争力があるとされた山に集中させる。でも、その中で繰り返す事故。段々、かっての優良企業北海道炭鉱汽船も徐々に、追い込まれていった。そんな時起こった事。「北炭夕張新炭鉱ガス突出事故」である。覚えている人もいるだろうけど、お亡くなりになった方の数は、必ずしも多くなかった。メタンガス噴出で34名が遺体で収容された。その後、ガスに引火火災が起こった。その後坑口の閉鎖。でも、避難施設への空気送風は継続された。それでも鎮火せず、会社がとった対応は、坑内注水であった。結局、一週間後、家族の同意をとり、サイレンと共に59名の安否不明者がいる坑内に夕張川の水が注水された。そして最後の遺体が収容されるのには163日の時間が掛かった。
更に、皆さんもご存知の通り、北炭夕張炭鉱(株)は2ヶ月後に倒産、新炭鉱も事故から1年後の1982年10月に閉山。親会社の北炭も石炭をやめ、1995年倒産した。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000258888883438
この歴史の事実が、夕張を炭鉱から観光への町へと向かわせた。もしその時、他の道へ夕張を向かわせたら、再びの不幸は無かったのかもしれない。
夕張アルバム http://homepage3.nifty.com/rurounotami/tanto_yubarishin01.htm
夕張の炭鉱関連施設は皆、ぼろぼろになっているが、かろうじて当時を想像させるコークス製造の為の煙突が左であります。
今もユーパロの湯の隣に残っている模様。
ユーパロの湯HP http://yuparo.biz/
会社の経営・または政治とは何なのだろうか
第093回国会 エネルギー対策特別委員会 昭和五十五年十一月十二日(水曜日)
林千明社長が出た参議院の議事録です。
↓
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/093/1720/09311121720004a.html