
東北の震災後、わたしはくやしくて悔しくて、けどただただ、ベッドで横になって泣くこともせず、何も考えられず、世の中の流れを見てるだけでした。ほんとの傍観者。
ただ、見ていることしかできなかった。
ウソみたいな光景、けどリアルに起こっている。
東北とは比べものにならないくらいの小ささだけど、リアルに感じた。
現実に起こっていることが、本当に恐ろしかった。
なのに、やっぱり傍観者や矛先がちがう争いが情報が、なんで目の前で起こっているんだろう。
その中で必死に訴えてる人、動いた人、考えた人、きっとただの傍観者、真剣に考えなかった人も…その情報にのせられて、なんとなく動いた人も、ただの情報としてしか捉えなかった人も。
ある有名人の方がおっしゃってました。
あの震災は亡くなった人の数だけの、事件が事故が殺人がいじめが起こっている。
そんなニュアンスのことを言っていました。
いま、時間がたくさんあって、いろんなことを考えてしまう。
想像してしまう。そう、創造もしてしまう笑。
…ちょっとつらかったことも思い出してしまいました。
何もできないことを悔やんで泣いてばりはいけない。できる人になる。そのために強さが必要。
そして、忘れずにちゃんとずっと、時がたては経つほど深く考えるように広く考えようにする。
慣れてはいけない。
図にのるな。

苦しい中に可笑しいを。ユーモアを入れると「怒」がやさしくなる。