私が最近注目しているのは大阪市の橋下市長です。ネットでの会見を見たりすると、彼のコミュニケーション・スキルの高さに瞠目させられる瞬間が多々あります。コミュニケータとしての橋下市長には学ぶべき点が多いと感じています。彼は電子ネットワーク時代のコミュニケーション・ツールであるツイッターも完璧に使いこなしている。新しいタイプの政治家の出現を我々は目撃しているのであり、日本維新の会の代表代行でもある橋下市長は、米国におけるバラク・オバマにも匹敵する才能あるコミュニケータであることは間違いありません。
「力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である」(パスカル『パンセ』五章二九八節、中央公論社「世界の名著」)
この断章の意味はこういうことでしょう。力のない正義=旧社会党。正義のない力=政権党時代の自民党。力も正義もない政党=ご存知民主党。正義と力が結合した希な組織=大阪維新の会。では日本維新の会はどうか?
「僕のもの、君のもの。『この犬は、僕のだ』とあの坊やたちが言っていた。『これは、僕の日向ぼっこの場所だ』ここに全地上の横領の始まりと、縮図とがある」(パスカル『パンセ』五章二九五節)。この坊やが成長してその後東京都知事になったならどんなことが起こるか。パスカルはすべてお見通しでしたね。尖閣問題での石原の発言は日本を窮地に追い込みました。
現大阪市長が元東京都知事を呑み込んで出立した日本維新の会。太陽は維新の旗の中に没しました。それは「ツイッターはペンよりも強し」という格言を証明した日であったという意味で歴史的です。コミュニケータとしての橋下徹の才能は石原慎太郎の作家的才能を上回っているという客観的事実がその背景にあります。
①悪を欲して悪をなす。②善を欲して善をなす。③悪を欲して善をなす。④善を欲して悪をなす。さて歴史はこの四種の勢力が入り乱れて形成されます。それゆえに歴史は一筋縄では解けないのである。橋下徹現象というものがある。橋下氏はどのタイプに属するだろうか。おそらく回答は四等分されるでしょう。どれか一つが正解であるとして回答が四等分されたとするならば自分の回答が誤っている確率は75%ある。自分の直観を絶対に正しいと信じるは愚の骨頂である。誰も万能の視力を持っているわけではないのです。神ならぬ人間に歴史を見通すことは不可能です。過去・現在・未来共にこの法則は変わらない。
石原慎太郎と橋下徹の同盟はまことに奇っ怪な結合です。彼らが今後なすであろうことは果たして善行なのか、はたまた悪業のみなのか。当分日本維新の会の動向には目を離せません。
とはいえ私の立場は、紅旗征戎わが事にあらず、であって、政治家の離合集散に、あるいは時事問題にいささかなりとも興味・関心を抱いているわけではない。あるのは純粋に人間的興味であり、歴史の理念の行く末への関心です。詩と歌の領野こそ我がパトリである。それゆえ「手術台の上のミシンとコーモリ傘の不意の出会いのように美しい」と語ったロートレアモンにならって、「ミシンよ、コーモリ傘よ、万国の吸血鬼たちよ、全地上を手術台に変えよ!」とアジテーションを放っておこう。
Marlene Dietrich - Lili marleen song and text