goo blog サービス終了のお知らせ 

ひな菊の丘から

カーターファミリーを学ぶ

土曜日、昼のライブと夜のライブ、ハシゴして楽しんだ日でした。

会場のアビリーンにちょっとした用事があったのと、オートハープの演奏を間近でみたいということもあり、久しぶりにラッシーY田ご夫妻のライブを聴きにいきました。



入ってみてびっくり!所狭しと並べられたパネル類



そうだ、今日はカーターファミリーを語る、の日だった。入ってすぐ、Kずゑさんから、「お喋りの方が長いかもしれんよ。」と言われました。




ライブスタート。今から105年前、フロントポーチでオートハープを手に弾き語りをする若い女性を行商中の男性が見初めたところから物語は始まります。



実際に起きた列車事故のことを歌ったうた。その後サラは16才でAPと結婚、サラの従妹のメイベルは、APの弟と結婚したそうです。ってか、このあたりのことはカーターファミリーファンの皆さんには常識でしょうか。オリジナルカーターファミリーとなって長く地元で活躍します。



有名なブリストルセッション、その裏話(ニューヨークは遠く、そこまでは行けないミュージシャンのために、持ち歩き出来る録音機でブリストルまで出張して、そこで録音してはどうか、とストーンマンファミリーのお父さんが、ビクターに持ち掛けた、という話。)を聴きながら、その時録音した中のBury Me Under The Weeping Willow、翌年レコーディングしたLittle Darling Pal Of Mine、などを聞いた後、



メイベルのスライドギター曲を弾く段になって、ギター持ち替えでスライド奏法になったので、前に寄って立って撮りました。



その曲はWhen the World 's On Fire、ウディ・ガスリーの「わが祖国」の元歌ではないかと言われてる歌です。

その後もWildwood Flowerを聴きつつ、これはAPの作と言われているが実際は違う、当時は先にレコード化したもんが勝ち、とかいう話をされていました。そういえば、映画Song Catcherで、アパラチアの山の中に録音機を持ち込んでうたを収集する人のことが描かれていました、ちょうどそんな感じで、伝承曲や作家が確かにいた曲についても、発表した人が「私が作った」と言えば事実になってしまったのでしょうね。



オリジナルカーターファミリーとカーターシスターズは厳密に区別されている、といった話も聞かせていただきました。オリジナルにはインスト曲は録音がないけど、とメイベルがやった、Bells Of Saint Mary'sを弾かれた後、シスターズのLittle Sparrow(Fair & Tender Ladies),3回目の録音のFoggy Mountain Top、4回目は1929年の大きな災害で学校が潰れ、子どもたちが亡くなったことを題材に取ったThe Cyclone Of Rye Cove,(タイトルのスペルを知りたくて検索したら、ドック・ワトソンも歌ってますね。)1935年録音のWill The Circle Be Unbrokenで1つ目のセットは終了。ちなみにこの曲もカーターファミリーのオリジナルではなくて、1900年ごろに讃美歌としての録音があるとのことでした。

ベースはM田さん。ずっと後ろで写らなかったので1枚のっけておきます。ラッシーのアルバムにも参加されています。



休憩時間。大きなカメラ持って行ったのでそのキャップが写ってます。歌詞は、最後に一緒に歌うからね、と配られたもの。



2つめのセットは、アルバムのタイトル曲、Happiest Days Of Allから始まりました。



行商を続けるAPが、留守の間よろしく、と頼んだコイ・ベイとサラの不倫からだんだんお話はドロドロしてきます。曲はDiamonds In The Roughから、別れさせられたコイがカリフォルニアに移ってしまい、バンドの関係がぎくしゃくしつつ音楽活動は辞めない、といったカーターファミリーのサウンドが暗くなっていく様子が描写されます。My Old Cottage Home,I Never Will Marry



離婚は成立したけどサラは恋人とは会えない、全米放送のラジオ番組で、マイクを通して告白したうえで歌った曲はI'm Thinking Tonight Of My Blue Eyes、このラジオをコイが聞いていて、二人はカリフォルニアで新生活を送ることになります。カーターファミリーの最後の録音曲は妻のワガママで離婚、という内容の曲(You're Gonna Be Sorry You Let Me Down)だったけど、当時は発表されなかったそうです。それにしてもそんな曲自分でよう録音したなあ、サラも。

その後は、娘たちと演奏活動をつづけたマザー・メイベルと、ジョニー・キャッシュと結婚したその娘ジューンの話と、活動を辞めてしまった二人、明暗くっきりです。サラが、カリフォルニアで亡くなるまで家で歌い続けていた、というMy Clinch Mountain Homeは私も大好きな曲ですが、最近ちょっと歌っていなかったので、またレパに加えたいなあ、と思いながら聴いていました。APの処女作だそうですね。



数年前、お墓参りにも行かれたラッシーご夫妻。最後は客席もご一緒にどうぞ、と言っていただいて大きな声でKeep On The Sunnysideを歌ってお開きでした。



オートハープや、クロウハンマーバンジョーをかじるようになって、また少し距離が縮まったカーターファミリー、その歴史をじっくり聞くとともに、お二人の優しいハーモニーに浸ることができた貴重な数時間でした。Kずゑさんの右手から目が離せない、と思ったら、左手にもくぎ付けになりました。運指、やっぱり必要やねんなあ。3コード弾くだけやったら大丈夫やけど・・・。まだまだ先は長いなあ、と思った次第です。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ライブ鑑賞」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事