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祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

戴氏心意拳の健身効果

2014-09-13 09:33:04 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系
心が進化する
投稿者:うさぎ 投稿日:2012年 8月31日(金)23時00分2秒 返信・引用

kさん
戴氏心意は明らかに身体を変えるというのは自明の理だと思いますが、心も変えて行きますよね。「うつ」であったり「統合失調」であったり、といった精神疾患と言ったものにも戴氏心意には有効だと感じています。身体が変わり、心も変わる、そんな可能性を戴氏心意拳の実践の中にはあるし、実際によくなっている人がいるのは、戴氏の練功と内功の深さにあるのだと思います。


薬膳
投稿者:うさぎ 投稿日:2012年 8月31日(金)23時38分12秒 返信・引用

先日、武術仲間と飲み会をしました。暑気払い!です。
我が家で楽しく武術談義しながら中国酒だとか、薬膳もいくつか味わってももらいました。飲み会ですから、健康食とか出ても、飲み過ぎ食べ過ぎしちゃうわけですから、あまり意味はないのですが、、、、
薬膳も本来は、その人の証にあってるから意味があるわけです。今日はちょっと寒気がするから、生姜やカボチャなど体を温めるものを食べるとか、はれものができたから、キュウリだとか果物だとかを多くするとか、あっているから効果もあるし、それを見たり思いやったりするから、愛情がある。
薬も化学物質としての無機質なものではなく、人に優しい薬ってあっていいし、食べ物も体と心を変えて行くものもあっていいような気がします。


Re: 心が進化する
投稿者:k 投稿日:2012年 9月 1日(土)19時35分18秒 返信・引用 編集済

うさぎさんへ

ご返事有り難うございます。

> 戴氏心意は明らかに身体を変えるというのは自明の理だと思いますが、心も変えて行きますよね。

最初戴氏心意拳を学び始めた時は「心意」の「意」は「意識」のことではないかと解釈しておりました。
まぁ、「顎を殴ってやろう」といった「意識」です(^_^;)。この解釈は今も変わっていませんが、現代医学風に言えば「顕在意識」と言うことになります。
それにたいして「心」は動作を繰り返して身体が無意識に動くことを意味しており、いわゆる「潜在意識」ではないかと考えておりました。
しかしながら私が調べた範囲では「潜在意識」にはそのような解釈はないようです。

大体全ての運動は意識すると同時に身体が無意識に動かないと話になりません(^_^;)。

そなんこともあり「心意」の「心」は何を意味しているかが気になっておりました。

私自身は練習がある程度進んだ時点で「気」について生理学的な気づきがありました。

勿論個人的な解釈なのですが、「人生で一番大切なものは根拠のない自信である」と豪語した有名な経営者の方を見習い、私も自分の解釈について「根拠のない自信」を持っております(^_^;)。

その解釈から発展して「心意」の「心」とはこんな内容なのではないかなぁ と漠然と考えております。実はこの概念は西洋医学には無いようなのですが、私自身もよく判っておらず、また、現時点では実体験にもとずく検証もできておらず、従って「根拠のない自身」もありません(^_^;)。

それでも、練習が進めばこの「心」についても「間違っていた」と感じられるか、「根拠のない自信」が感じられると思っています。そこまでいくには(到達できたとしても)まだ何年もかかると思いますが、そのようなことについてもお話しできるといいなぁ と思っております。

その境地を目指して「胸が少し大きくなった!!」等と女子大生のような喜び方をしないで精進していきたいと思っております(^_^;)。


Re: 薬膳
投稿者:k 投稿日:2012年 9月 1日(土)20時11分31秒 返信・引用 編集済

うさぎさんへ

> 薬膳もいくつか味わってももらいました。
> 薬膳も本来は、その人の証にあってるから意味があるわけです。

いいですねぇ。健康オタクな私には説得力があります(^_^;)。

西洋医学もそれなりに優れているのでしょうか、私自身は西洋的な栄養学に関しては多少斜に構えています。
最近「空腹が人を健康にする」という本がベストセラーになっているようですが、二十年程前に(何処かの医学部の教授だったと思いますが)テレビで同じ発言をされている方がおりました。

「一日何種類以上の食物を食べなくてはならないという考え方は全く意味がない。現代人の大部分は過食である。食べる食物は少なければ少ない程良い。食べる量が少ない時注意しなくてはならないのは栄養失調だけであるが、これは病気ではなく症状であるから、症状が出た時点で栄養を補給すれば問題ないし、偏った食事をしていない限り栄養失調にはなる方が難しい。それに対して、過食は糖尿病、心臓病、脳血栓(この後聞いたことのない病名を列挙して)との因果関係が医学的に証明されている。」

私自身は中医学の心得はないのですが、機会があれば実践したいと思っております。

さしあたって明日は新宿の「シーアン」(西安料理のお店です)で麻婆定食を食べようかと思っています(^_^;)。




陰陽を知る

2014-09-13 00:23:56 | 理論―陰陽五行、名言集
ちょうどいい!を知る
投稿者:うさぎ 投稿日:2012年 8月26日(日)07時09分39秒 返信・引用

武術をやっていて、膝を痛めたとか、体のダルさがとれなくなった、、、などの理由で武術をしなくなるという話を聞くことがあります。 やはりそれは、練習の仕方が悪いのだと思いますし、たんとうは、何十分以上はやるとか、歩法は何十回やるとか固定化した指導を鵜呑みにして練習をしていれば、 怪我や病は出てくるのは当然だと思います。中国武術の達人の逸話に、何時間もたんとうをしていたとか、何キロの道をすべてこの歩法で歩いたとか、そういうものを男のロマンとしては、最高だとしても、自己の練習を盲目的に同じようにやって行くはどうかと思うし、腰のえらく低い師範やとても柔軟性のある方の演示のDVDをそのまま自分の練習にしてしまうといった練習方法にも問題はあると思います。 中国武術の良い指導者は、学んでいる人それぞれによって違うその人が持っている体質や心身の状況、武術のレベルなどに合わせて、今のあなたの練習は、やりすぎているから休みなさいとか、発勁練習をもう少し多くしなさい。とか練習者がちょうどいい練習量や練習方法を教えてくれる指導者だと思うし、そのちょうどいいものを練習者自らが時間をかけ身につけていけるように教えてくれる指導者なのだと思います。そのような指導者にであえた練習者は幸運だと思います。ちょうどいいというのは、練拳者の中で常に変化しているから、それをわかるようになるって難しいですね。戴氏であれば、そのちょうどいいを知る訓練を、陰陽の道というと場で表現するわけです。王映海師父は、ある日私の目を見て「今、あなたは肝火が強いので、練習は休んだ方がいい。どうしても練習をしたいのなら、意守丹田、放鬆し、静かな功をしばらく練りなさい。」と言われた自分が持っていた忙しさ、慌ただしさの中で練習を続けストレスを身体に表していた自分の状態を見透かされていることに、自分が今まで武術の練習は、この形を学べば、次は何の形を練習するといった固定化したものがあるのだろうと思っていた自分の武術に対する概念が少しずつ少しずつ崩れて行くようになった。あるときは、ゆっくり動く練習を強調されるので、いつもゆっくりの練習だけをしていると、「ダメだ!爆発力の練習をしなさい」と言われる。「ゆっくりの練習を何回して、爆発力の練習を何回するというのがあるのですか?」と聞くと「そんなものはない。頭を使う」という。未熟な私は、はじめは何を言っているかわからなかった。 陰陽五行と人体や武術との関係を師父には、重ね重ね教えていただくうちに、自分自身は変化や関係性の中にいること、練拳はその変化を感じ取り適切な量や方法を行う。そのことによって、成長、上達していくということが、次第にわかって行った。それまで、武術は、根性や忍耐でやるものだと感じていた概念が時間をかけ次第に崩れていった。

ボディーワークとしての戴氏心意拳

2014-09-13 00:21:21 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系
ボディーワークとしての戴氏心意拳
投稿者:うさぎ 投稿日:2012年 8月22日(水)18時54分46秒 返信・引用

最近戴氏心意拳の練習を何人かの人たちとしていて、気づくのは、戴氏心意拳って、自分を拓き、他とつながる、何かを持っているな~と感じます。やはり、キーワードは「つながる」ってこと。自然とつながり、自らの身体がつながる、そして他者ともつながる。しっかりとしたボディーワークだなと思うし、命のつながり、命の働き、という意味でのライフワークでもあるなと感じます。


Re: ボディーワークとしての戴氏心意拳
投稿者:k 投稿日:2012年 8月25日(土)19時24分11秒 返信・引用 編集済

うさぎさんお久ぶりです。

4月1日に袁天輝さんが同じ趣旨の投稿をされた時、「私もそう思います」と返信させて頂きました。

内容自体は同じなのですが、別の言葉で今回も「私もそう思います」と返信させて頂きたいと思います。

初めて中国に行った時のことです。
霍先生が私の身体を触って「あまり運動していないなぁ」と仰った後、自分の身体を触らせ「戴家拳をやればこうなるぞ」と仰られました。

ただし筋肉をつけることにあまり意義を見出していない私にはそれほど魅力的な響きはありませんでした。

余談になりますが、三島由紀夫という作家がおりました。彼は自衛隊への体験参加という変わった趣味がありましたが、その彼が「ボデイビルをやって感じたことは自分の身体がどんどん発達ていくことであった。それは、人間の根本的な喜びの一つである」と主張しておりました。
変わった感性だなぁ と言うのが正直な感想であり、後日彼が自衛隊の基地で割腹自殺をした時も、びっくりすると同時にさもありなん と感じたことを覚えております。

霍先生との練習の中で「一日も休まないのですが」と質問した時のご返事は「拳を練ることは命を練ることである。だから、正月も休まない」というものでした。

その後、練習が進み「拳を練ることは命を練ることであり、その現象の一つとして身体も作られる」ということが体験できたのですが、その時は、そんなものかなぁ と言った程度の感想しかありませんでした。

勿論ボデイビルダーの様な身体ではありませんが、生命力が向上したと実感される深い睡眠や食欲とセットになって作られていく身体に関しては「戴氏心意拳をやって感じたことは自分の身体がどんどん発達ていくことであった。それは、人間の根本的な喜びの一つである」と素直に感じることがでました。


Re: ボディーワークとしての戴氏心意拳 その二
投稿者:k 投稿日:2012年 8月25日(土)19時32分45秒 返信・引用

> No.92[元記事へ]

下の投稿で「命」について投稿させてもらいましたが、「他者ともつながる」に関しても全く同様に感じております。

実は練拳仲間に受けを取ってもらい、自分なりの気づきがありました。

そんな訳で今は公私(ここで言う「私」とは戴氏心意拳のことです)ともにゴタゴタしているのですが、落ち着いたらうさぎさんや袁天輝さんとも、つながりたいと思っております。

その節は宜しくご指導下さい。