祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

功を積む

2013-05-14 21:47:46 | 理論―陰陽五行、名言集

功を積むという視点

 投稿日:2008年12月30日(火)00時25分32秒

返信・引用

 

 

 武術を志すもの、初心にかえって「功を積む」ということを考え続けたい。武術を始めた頃、みんな素直に学んだことを吸収しようとしたし、汗をかき練習していくことをいとわなかった。
 いつの日か、別のものを学べば、もっと強くなれるんじゃないかとか、秘伝を知れば達人になれるんじゃないかとか、有名な先生に学べばいいんじゃないかとか・・・段々練習しなくなって、知識だけは増える。自分は功を積んでいないのに、長年この世界にいれば、いろんな講習会受けたり、いろんな拳種を学んだりして知識や套路だけが増える。いいのだろうかそれで。
 「功を積む」ためには、「不多而精」(多く学ぶのではなく、精密に学ぶ。)だ。「三年かかって良師を探せ」という。どうしようもない先生に教えられたら目も当てられない。いい先生を見つけたら、後はしっかり「功を積む」
秘伝、奥伝はどこか遠いところにあるのではなく、練習の過程のなかにある。たんとう、基本功、套路、用法、対練、散手全てで一つです。全てを教えてもらうこと、その全ての過程を繰返し練習することその中で功を積むことができる。「秘伝あさり」などしてあっちこっちいろんなものを学んでいる暇はない。門派の練習体系をたんとう、基本功、套路、用法、対練、散手を繰り返し、熟練していく。それが功を積むことだと思う。

 

 


素直に努力を続ける才能 2

 投稿日:2008年12月29日(月)01時17分10秒

返信・引用

 

 

「武術練習体系を素直に努力を続けること」が上達の奥義だと私は思います。
そこで、それを行なっていくための条件を示します。
?よき師につくこと。
?毎日こつこつ練習すること
?よき先輩、仲間を持つこと。
以上が主にいえることだと思います。
?については、老師自身が功の高い人であること、よく導いてくれる人である必要があると思います。
?については、少しずつでもいいから毎日実践する。「一日練習をしないのは、十日しないのと同じ」という言葉があります。ある日とてもたくさんやって数日は練習しないという方法は、「功を養う」という観点からも感心しません。
「素直に」という表現は、「まず全てを受け入れる」ということを意味しています。自分にあっている、あっていない、かっこいい、わるい、好き嫌い・・・など初めから自分で取捨選択してやっていく方法は、スマートには見えますが、武術習得にはむしろ邪魔になります。武術練習という鋳型に自分をあてはめていくためには、自分自身がしなやかに、好き嫌いを越えて「全てを受け入れる」器を持たねばなりません。毎日の練習のなかに、学んだことは全て練習し、その一部は何度も何度も繰返し練習し深めていく。毎日の練習メニューを、一通り広く浅く練習する部分と
深く掘り下げる練習とどちらも行なう必要があると思います。
?よき先輩、仲間を持つこと。先ず第一によき先輩、仲間は自分の大きな刺激になっていく。また、共に用法や対練も習ったことをどんどんやっていって下さい。本会の定例の練習は、週一回しかありません。その役割は、「教える伝える」時間の割合が多いのです。「身につける」のは、他の時間でやってもらうしかありません。「自分以外皆師」と思う気持ちが大切だと思います。互いに心を通わせず、自分より秘伝を知っている先輩という気持ちからは変なライバル心やいじめを生んでいきます。せっかく集まっている仲間ですから、気心を知り、遠慮なく練習できる環境を一人一人が作っていくことが大切だと思います。武術は一人で打ち込む部分と人とともに行なっていく部分両方が必要です。周りの皆がj分を高めてくれる仲間になることは武術の上達にとっても非常に重要なことだと思っています。

 

 


素直に努力を続ける才能

   投稿日:2008年12月29日(月)00時20分30秒

返信・引用

 

 

忘年会ではいろんな話がでてきました。今の練習を続けていて発勁とか上級な技ができるようになるのかということ
やそんな才能が自分にはあるのかという話が出てきました。「少なくてもxinyi程度には、数年もすればできるようになる」というのは確実だと思います。以前のように伝統武術さえ、近くになく学べないという状況はなくなりました。「中国武術は達人になるためのシステムがしっかりと体系化されている」一部の才能あるものだけが上手くなるのではなく,システムに則って練習を続ければ上手くなる。それを好き嫌いして一部だけ練習したり、練習を怠ったりすると上手くはなれない。素直に続けていれば上手くなる。
 本会にも一見して才能がある人がやってくることもある。飲み込みが早いとか、他の武道経験者だとか、毎日3~4時間練習している人だとか・・・・だけど残念ながらそういう人は続かないことが多い。
他の武道経験者でも柔軟に中国武術を吸収して下さる人は、ありがたい。尊敬できる人もいます。一方、武道の癖がついてしまっている人は、体がその使い方を覚えてしまっているので、その力をとっていくのに素人の人よりも数倍
努力が必要だったりします。用法を示すと「あ~これは要するに『内受け突き』だな。武術はどれも一緒だ」などとと、狭義に解釈されてしまうと、他の多様な意味があってもそのひとつの意味にしかなっていかない何て事も起こってしまいます。
 また、武術練習をする際に、「私は表演」「私は伝統」・・・と枠でくくってしまって、套路しか練習しない、站とうだけしかしない。といった好き嫌いをしてしまうと、上達の妨げになってしまいます。
何か一部に秘伝があるわけではありません。武術の練習体系を素直に学んだことを続けていく、そのなかに武術の奥義があるといってよいと思います。武術の体系を素直に練習し、努力を続けることそれが着実に武術上達、達人への道なのだと思います。

 

 

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没頭すること!

2013-05-14 21:45:40 | 理論―陰陽五行、名言集

年末年始によせて

   投稿日:2008年12月31日(水)10時33分42秒

返信・引用

 

 

「お遊び対練」楽しんでいただけましたか。
武術の秘伝をお伝えしましょう!「夢中になること」です。もうちょっとかっこ良く言うと「無我夢中」「没頭」(そんなにかっこよくはないか)ということ。ある一定の時間は、日常生活のいろんなことから離れて邪心を入れず夢中、没頭する。割とこれって訓練がいるんですね。特に大人になったり、いろんな武道や知識があると、『これにはどういう意味があるのか」とか「○○と似てる、似てない」とか考えたり、比較したりする。かえってそんなことを考えていると、夢中になることは阻害されちゃう。純粋にその遊びを「楽しむ」。このことが大切です。
「お遊び」というと「真面目」ということと、反対の意味で使われたりしますが、「遊び」ほど真面目で夢中になり没頭できるものってないと思います。夢中になり没頭する中で培われた力って強いと思うのです。自分の内面から出てきた力、培われてきた力だからです。無理矢理やらされてできる力は、もろい。平均点は取れるが、想像力がない。「がんばろうなんて思わない、だけど夢中になってるうちにいつの間にかがんばっていた」っていうのが私は理想です。
 年末年始、大掃除だとか、お正月遊びだとか、そんなものの中には、いっぱい「武術の秘伝」が凝縮していると思います。「そんなの関係ねえ~」と軽んじるのではなく、普段の名誉も役職も世間体も仕事も日常のこまごまとしたことも「そんなの関係ねえ~」と夢中になり没頭できるようになると、武術の深みにもはまっていけるようになると思います。みなさん良いお年をお過ごしください。

 

 


本年最後の練習にて

  投稿者:ちゅんり~  投稿日:2008年12月30日(火)03時17分34秒

返信・引用

 

 

活動日誌に入れていいか練功日誌にいれていいか迷いましたがまとめてここに記します。
伝武会に入会して二年が経とうとしているところです。 とある理由から「自分にはコレしかない!」と思い立ち、イキオイにまかせて入会したといういきさつではありますが、きっと神様の思し召しだったのだと思っています。最初の頃はただガムシャラで何が何だかわからなくって途方にくれていた自分でしたがココに至って少しだけ足元が落ち着いてきたように思います。
先日の練習の中で、先生が「遊び」の感覚で対練をさせて下さいましたが、恐らく、昔の自分だったら相手を感じるなんてこと脳の片隅の何処にも起こらなかったと思います。
でも、ちがうかもしれませんが、相手の感覚がクーと脳を突き抜けて上っていくんです。
そこに入るのにまだ時間がかかっていて、脳が痛く?なったりもしてますがこのことは二年前には決して起こっていなかったことです。套路の練習をする時もこの感覚に入れた時は体も軽く感じられたりします。 とにかく、何かが変ってきたことは確かです。
自分にとってのこの二年は本当に凝縮されたもので、いろいろ勉強させてもらいました。
今後に生かし、精進していきたいと思います。
それから好例のミニ表演会(知らんかったバイ!好例だなんて、、、)ですが、ウン、確か火の吹くような思いでやったっけ、、、でも今回はわりと落ち着いてできたみたいです。
「役者になる度胸」チョッとはついてきたかもしれない、先生、ありがとうございます!こんな機会をつくって下さって。本番に向かって頑張るぞー!一世一代の花を咲かせるぞー! デヘっ

 

 

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自由

2013-05-14 21:43:35 | 理論―陰陽五行、名言集

自由

  投稿日:2009年 1月 3日(土)11時23分56秒

返信・引用

 

 

 そうですね。伝武会には、指導員制度とか段級とかない。それに伴う名誉だとか名声もない。そういった「しばり」「拘束力」というものはない。全て「自由」です。ですから、練習の参加とか退会なども自由だし、仲間との関係なども自由です。ですから気楽にやっていける。目的は武術の向上ですから、継続していくことが大切です。その中で拘束力がないないために、途中途中で嫌になって続かないこともあるわけです。
 本会は、個人の自由意志に任せているところが多いですから、練習していて「ためになるなあ~」とか「楽しい」
「気持ちいい」「これが自分だ」といったことが個人のなかで意味を持ったり、感じられたりしなければ、続いていかないし、それを継続していくのは難しい。
 仲間との関係のなかでも、どのような関係を築いていくかというのも個人の自由です。無関心でもいられるし、失礼な態度で接することもできる。ですが私自身は、「我以外皆師」という考え方が自分自身も向上し、相手も尊重できるようにすると感じています。実際,武術向上のためには、対練は不可欠ですしたくさん対練をした人は、単練も上手くなっていきます。そういった相乗効果の基礎には、仲間との関係を上手く築いていくことは重要だと思っています。自由さという雰囲気のなかに中国伝統武術研究会らしい、なにか哲理のようなものが築けていけたらなあと思っています。

 

 


明けましておめでとうございます

  投稿者:ちゅんり~  投稿日:2009年 1月 2日(金)23時56分40秒

返信・引用

 

 

先生、皆さん、明けましておめでとうございます。
今年は自分にとって初めての表演会を目前に控えているので何だか心落ち着かずというところではありますが目的があると普段の練習も気の入れ方が違ってきます。表演会はきっと自分にとっていい試練、修業の場になると思います! 伝武会にはここまでしなきゃならないという「しばり」は無いのでホントに自分次第、個々人が自身の武術に対するスタンスとか目的なりをしっかり持っていなければ続けていくのは難しいと思うところです。
伝武会に身を置かせてもらったことでいろいろな展開があり、その中で自分なりの「気づき」があったり起こったり、自分で言うのも何ですが成長していってるのかなと思っています。
今年は大局を見失なわないためにも、もう少し「鈍感力」を身につけて前進していきたいと思っています。 皆様にとって、元気で実りのある年であるようお祈りします!
本年もお馬鹿ちゅんり~をよろしくお願い申し上げますm(__)m

 

 

コメント (3)
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恐るべし中国

2013-05-14 21:37:53 | 練習日記

恐るべし中国

    投稿日:2009年 1月 5日(月)14時08分46秒

返信・引用

 

 

 祁県で戴氏心意拳家たちに学んだり交流をしたりして、祁県で手に入れた拳譜のコピーを太原に向かう列車のなかで読んでいた。私の前に座っていた若者が話しかけてきた。「これは心意拳の拳譜だろ」
恐るべし中国!と思った。

 

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