最期の祭り!

 もう、未来無いんでヤケクソ。 最期の祭り的なノリで行きます!

 バンド・ストーリー   2

2011-06-30 13:59:18 | Story 1 バンド・ストーリー
その後、二人は柴又帝釈天へデートしに行く。
 そこには寅さんの銅像や昔懐かしい駄菓子屋が並んでいる。
 金町から歩いていく。


 マサ「 そういうや、子供の頃実家の近くに松本屋という駄菓子屋ができたんだ。
 近所の小中学生の溜まり場みたいになった。

 ゲームも少しあった。
 そこの家はお金を儲けて家が建った。

 家が建つと同時に松本屋は閉店してしまったんだ。

  そこは老人夫婦が店番をしていた。
 ある日、学校行事で市民会館に集合しなければならなかった。

 学校側は途中で買い物をしてはいけませんと言っていた。 

 だが、俺達は松本屋に寄って買い物をして集合時間に5分遅れてしまった。 」


 沙耶「 マサは子供の頃は、どういう子供だったの? 」

 マサ「 俺は、普通中学で成績はマアマアだった。
 所が、高校は進学校だったんで、成績はがた落ちしたね。

 学校の先生は、俺の事チョット変わった子とみなしていた。
 別に悪さする訳じゃないけど、言動が他の普通の生徒と外れたような所があった。

 でもイジメとか喧嘩みたいのは殆ど無かったなあ。 」



 二人は帝釈天に参拝し、川魚料理を食べる。

 矢切の渡しで取れた川魚である。

 帝釈天では、マサは The morbidz の活動がうまくいくように、沙耶はマサとの恋愛の事と演劇の事を祈る。


 二人はその後、演劇の話をして独自の演劇論を語る。


 マサ「 監督と役者は合う合わないがある。 
 合った場合、化学反応みたいのが起こる。

 役者の配役にも合う合わないがある。   

 優れた映画ってものは監督、役者の配役やスタッフが絶妙な化学反応を起こした結果なんだ。  
 決して一人や二人の賜物ではない。  」


 沙耶「 いい監督っていうのは、役者が持っている魅力・旨みを最高度に引き出す事ができるのよ。  

 逆に駄目な監督ってのは役者の持ち味を殺してしまう。  」


 店の窓から和服を着た綺麗な女性が通りかかるのが見える。 
 マサは話をしている間、その女性の方ばかりチラチラ眺めていた。


 沙耶「  どこ見てんのよ! 」


 帰りに寅さんグッズと、和風の置物を買ってボロ・アパートに飾る。




 しばらくすると、 The morbidz のスランプ克服、ソフト・コア拡充計画の第一歩としてリュウがミュージック・スクール学生のキーボードを呼んできてクリニックしてもらい、アドヴァイスを乞う事とした。


 場所はスタジオである。


そのキーボードはミュージック・スクールの職人ミュージシャンで、楽譜・楽理はバリバリである。



 キーボードは The morbidz のレパートリーを軽く採譜し、楽曲構成などをコメントし、キーボードの編曲を施す。

 
 成る程、ソフトロックやハードコアではキーボードは出てこないけど、キーボードの編曲を付け加えてみると、こんなに多彩になるのか・・・


 このキーボードはバンドにとってとても大切な事を教えてくれた。

 それはミュージシャンとしての職人魂だ。 
 自分のパートを丁寧にコダワリを持って練り上げていく・・・

  The morbidz は見た目・アピールばかり考えていて、最も基本的な事を忘れていたのであった。




 ところが、般若派は徐徐に意地になり、何とかして The morbidz を殲滅しようと知恵を絞りとんでもない作戦へと打って出る。


 それは、左翼バンドを結成して The morbidz とぶつかるというとんでもない作戦である。


 音楽系のメンバーに、左翼系の歌詞を乗せたバンドを結成し、ライブハウスのマスターに根回しして The morbidz の対バンとしてぶつけてもらうという作戦である。


  The morbidz が出演した時、対バンで左翼系のバンドが出てきて、マサ達はギョッ とする。


 「 何だよ!  俺達の方向性をそっくり逆にして来たぜ! 」

 マサはショックで歌詞を忘れてしまった程であった。




 沙耶が学校からボロアパートに戻ると、神棚が飾ってある。

 マサに聞いてみると「 最近、般若派が俺達の事、目の敵みたいにしてる。 
 何とかして潰そうとヤッキになってる。 

 神棚を祭って祈らないと、心の安らぎが得られない。  
 他にもいつもお守りを身に着けている。

 いつも駅裏にある地蔵様に祈っているんだ。  」


 「 あなたって縁起担ぎね。 」



 どういう風の吹き回しか、クラブ・ナイトクイーン  から、途中のイヴェント・タイムに演奏して欲しいとの依頼がある。

 3曲だけだという。


 マサ「 クラブってのは、基本的には踊る事が目的で来てる。
 特に女性向けの曲だ。

 じゃあ、どの曲を演奏する? 」


 リュウ「 だったら、反ジェンフリの曲じゃまずいよな・・・ 」


 トム「 女性を躍らせるようなリズミカルな曲、メロディアスな曲を新たに創ったらどうだ? 」


 ナオ「 それはいいアイディアだな。 
 今までとは少し違ったイメージで行くってのは・・・  」


 リュウ「 じゃあ、この前のキーボードを呼んで来るか! 」



 その新しい2曲は、キーボードの提案でクラブの雰囲気・ノリに相応しい R&B 風にする事とする。

 歌詞も The morbidz としては初の、ラブソング風にする事に決まる。

 リュウは、R&B のリズムを刻む。 

 採譜・編曲はキーボードに任せる。  

 トムはベースラインをつける。

 ナオは、今回は伴奏とソロ程度にしておく。 

 特別出演としてキーボードにも演奏を頼む。



    クラブでかかっている曲



http://www.youtube.com/watch?v=aIXyKmElvv8
 The Fugees - Ready Or Not (with Lauryn Hill)


http://www.youtube.com/watch?v=BsX8YV0m5TA
Mylin - Make It On My Own (Alison Limerick)


http://www.youtube.com/watch?v=LXm9QpFzuMk
 Nothing Even Matters - Lauryn Hill    これチークタイム






 クラブでは、結構広いフロアに若い男女が沢山踊っている。

 夜11時になると、音楽が止み、ステージにライトが照らされる。



 ここから、 The morbidz の出番である。



 客の中には、 The morbidz を知っている人は極少数だった。

 「 いつものノリとは全然違うよな・・・」

 と首をかしげていた。

 ファンは R&B 風のメロディー・リズムに酔い、踊っていた。


 最後の一曲だけは、ソフト・コアのノリノリの曲をかます。

 フロアは熱狂状態と化す。

 マサは、興奮してきてフロアにボディーダイヴする。




 ところが、マサを受ける人がおらずフロアに叩き付けられる。



  

  


 ところが、このイヴェントは The morbidz に意外な展開をもたらした。
 クラブで沢山のフライヤーがさばけたのだ。   

 The morbidz の知名度はヒップホップ好きな若い女性層でアップした。
 今まで場末のライブハウスばかりで演奏してきたマイナーバンドがヒップホップにも知名度が上がってきたのだ。 


 これは The morbidz にとって予想外の展開であった。

 それまではどちらかというと、メジャーに迎合する若い女性層に反発するバンドであったのが、逆にメジャー指向の若い女性層に人気が出てきたのだ。


 これが The morbidz とソフト・コアの第二の転機だった。


 メンバーはミーティングを重ねた。 
 そしてソフト・コアはどういう方向を目指すべきかが話し合われる。


 ナオ「 ジャンル分けってのは、業界の戯言さ。
 実際にあるのはバンドであり、個人なのさ。

 実態は個人であるのに、何かジャンルがあるような印象を与える。
 新しいバンドや個人に業界が後からジャンル分けをするのさ。

 つまり俺達が向かう方向がそのままソフト・コアというジャンルになるんだ。 
 
 だから The morbidz がキーボードをつけて R&B みたいになってもソフト・コアはソフト・コアなんだ。 」



 キーボードは学校などで忙しいので正式なメンバーにはなれないけど、アドヴァイザーや特別出演という形なら参加してもいいという。



 この後、作曲過程では

「 女性を躍らせる 」

「 R&B 」

 などの言葉が飛び交うようになる。  
 曲順でじっくり聴かせる部分、反社会的、躍らせる部分を意識的に並べるようになってきたのもこの頃からだった。

 それ以前は行き当たりばったりで、気分任せだった。



 この頃から、 The morbidz ファン専用の踊りが自然発生的に出来てくる。 

 元々はマサが歌っている時に、マサが何気なくしていた仕草をファンがまねし始めたのが発祥である。


 その踊りとは、ステージの演奏に合わせて片手あるいは両手を炎の様にヒラヒラさせて、しかも体もヒラヒラさせるという踊りである。

 ファン達の間ではファイヤー・ダンスと呼ばれた。

 ライブハウスではファイヤー・ダンスをする若い男女の光景が見られるようになる。
 

 又、ライブハウスでは客の気分をプラカードに書いて The morbidz に伝えるという事が行われていた。  
 女性ファンに向けて物凄い速さでブスを連呼していると


「 ゲス・バンド 」


というプラカードが提示されて The morbidz をギョッとさせる場面も出てくる。



  




 ライブハウスでは満員になると、マサがお客の頭や肩の上を歩き回り、ステージに戻るという事も行われる。




 沙耶の知人で、原宿の竹下通りでショップを経営している人が
「  The morbidz のグッズを作ってみたらどう? 」と言ってくる。

 そのお店は女子高生向けのアクセサリー・ポスター・グッズなどを売っている店である。

 その人は商品開発のノウハウで業者に頼んであげるという。


  The morbidz はこれにはもめた。 

 元々マイナー志向で、反ジェンフリ・ウーリヴで始めたバンドだ。
 そんな事をしたらメジャーのアイドルバンドと変わらなくなってしまう・・・


 ミーティングの結果、この提案は有難いけれど、 The morbidz はやはりマイナー路線で行き、商業ベースには乗せない事と決定する。



  The morbidz のメンバーは、マサとナオは大学での学業が次第に疎かにされていく。
 負担の軽いトムだけは何とか出席している。   

 マサは前期だけ学校に行っていたが、後期からは殆ど行っていなかった。  
 親の忠告で籍だけは置いておいた。



  The morbidz は般若派の圧力に対する対抗策として武術訓練をする事にする。 
 師範はマサである。   

 生徒には沙耶も混じっている。


 マサ「 ここの所、般若派による我々への攻撃は益々露骨になっている。 
 いざというときの為、最低でも自分自身は防御しなければならない。

 The morbidz の武術はとにかく実戦を目的としている。 
 実戦を想定して訓練していない格闘技はいざという時、何の役にも立たない。


 空手は寸止めで練習している。
 ボクシングは蹴り技が無い。

 だから実戦向けではない。  

 実戦に於いては、普段訓練している格闘技のクセがそのまま出てくる。


 格闘技の基本は、体の大きい人、体重の重い人には敵わないという事だ。
 これは物理的な法則である。 
 だから自分より大きな人、重い相手を見たらまず逃げる手段を考えた方がいい。


 この原理を最大限に具現化したのが日本の国技、相撲である。

 昔の日本人達は物理学を知らなかった頃、喧嘩は結局は体が大きくて重い人には敵わないという事に気づいていたんだ。


 体が互角なら、技や筋肉、スタミナの訓練の問題となる。
 基本は攻撃より防御の方が大事だという事である。  

 特に頭だ。  
 頭の防御は完全にすべきである。 

 頭は知覚・判断・命令などを司っている。 
 つまり頭をやられたら体全ての支配を失ってしまう。  

 しかもスタミナ・戦意をも失ってしまう。


 逆にスタミナが無いと、頭に体がついていかない。  
 疲れてしまうと頭脳判断と身体の動きがバラバラになってしまう。


  攻撃では最終的に役に立つのは少数の技しかない。


 生兵法は怪我の元というが、半端な技をいくつも身に付けたとしても、いざという時の役には立たない。


 だから、自分の決め技を絞って訓練した方が身の為だ。

 決め技は自分の体格や体質に一番あったものを徹底的に訓練する事だ。


 又、バトルの後に怪我や問題にならないようにするには、関節技を用いるといい。 
 関節技で絞めれば、後々問題にならないで済む。


 俺の実戦経験豊富な友人達が言うには、結局は柔道が一番強いという。


 又、武術・格闘技に於いては達人になるほど自分からは攻撃しないようになる。


 まず相手が攻撃してくる。

 それを確実に防御する。  

 その瞬間に相手に隙ができる。  

 そこを突くのだ。  

 そして敵の動きをそのまま活用して倒す。


 しかも、自分から攻撃しなければ後で何か問題が起きても、相手の責任となる。 」



 その後、受け・防御の訓練。  

 決め技の見極めと基本訓練を施す。


 そしてメンバー同士で軽くスパーリングを行う。 

 受身の練習もする。 
 受身を知っていると、転倒した際の衝撃・損傷を最小限にする事ができる。


 その後、ステップの練習。  

 「 ステップには直線的なものと円弧を描くものがある。
 それらを自在に使いこなすと、相手に視覚の錯覚を起こさせ、知覚・判断を混乱させる事ができる。

 そして混乱して何もできなくなってしまう。  」



  The morbidz が武術訓練をしている内に、事態は再びとんでもない方向へ。

 左翼バンドは The morbidz と全く違って、露骨にメジャー受けする路線を走っていく。  
 そして大々的なプロモーションを行う。

 その結果、左翼バンドのCDは大変な売れ行きとなり、話題となっていく。

 そして般若派の勢力が拡大しているのだ。


  The morbidz は般若派の勢力が拡大すると、益々苦しい立場に追い込まれてしまう。





 その頃、中央線沿線のミニコミ雑誌が The morbidz に取材に来る。

 カメラマンが演奏風景やメンバーなどを撮影し、質問する。


 「 人生で、最も肝心な事は何だと思いますか? 」

 マサ「 人生で最も大事な事は、地元の商店街やラーメン屋のマスターから学んだんだ。
 例えば、魚。  

 俺は最初は魚なんてどれもこれも似たような物だと軽く考えていたんだ。

 だけど、一口に魚とは言うけれど、色、形、大きさ、調理法で無数のヴァリエーションができる。   

 人生もこれと似ていると思う。 」



 「  The morbidz の最終的な目的とは何ですか? 」

 マサ「 そんな大袈裟な事は考えてないさ。
 唯、自分達の楽しみ、面白さを追求していく。

 それが The morbidz 、ソフト・コアとして完成されていく。  」



 「 ファンの方々に何か一言メッセージを。 」

 マサ「 俺達は、自分達のジャンルや固定ファンをいつまでも大切にしていくつもりです。
 だからこれからも俺達の活動を見守っていてやって下さい。  」



 その後、カメラマンは The morbidz に興味を持ち、フォト・ストーリーを創りたいと言い出す。


 マサ「  The morbidz はマイナーバンドだから、舞台裏や私生活を公開するような事はできない。 

 その代わり、面白いアイディアがあるんだ。  」


 マサはカメラマンに、以前より般若派の左翼バンドに悩まされている。 
左翼バンドの写真を取ってパロディーにしてみないかという提案をする。


 左翼バンドの写真をパロディーにして The morbidz のライブで背景にVj みたいにして流すんだ。

 カメラマンはそのアイディアを面白いと思い、自分の存在をアピールするいいチャンスだと思う。

 そのカメラマンはまだ写真学校の学生で、将来はプロになる事を目指している。



 The morbidz を敵視するのは、般若派だけではなかった。

 右翼団体からも敵視されるようになっていく。  

 右翼団体は The morbidz の事を

「  The morbidz の歌詞は、日本古来の伝統的共同体や美意識を破壊するものである。 」

という訳の分からない言いがかりを付けてくる。



 マサ達は「 日本古来の伝統的共同体や美意識だって?! 

 一体今の日本のどこにそんなモノが残っているのかって。
 
 国家上層部は日本の事も若い世代の事も見捨てているし、人間関係だって崩壊してしまってるじゃないか!   

 日本の伝統的美意識なんて完全に商業ベースに乗せられて、偽善的に利用されているだけじゃないか・・・    」



 このようにして The morbidz は右と左から板ばさみにされていく。


 マサは背中に般若心経のタトゥーを入れる。 


 マサ「 かつて俺の先輩がこんな事を教えてくれた。 
 

 『 道に迷ったら、基礎に戻り、初心を思い出せ。 』と。


 俺の人生の基礎、初心は般若心経にある。」




 他のメンバーはマサの真剣さを感じる。 
 タトゥーを入れるという事は、バンドに自分の人生を賭けているという事だな。

 この事でメンバーのマサに対する信頼は高まった。
 メンバーの結束も強まった。


 バンドのメンバーの中でもマサの感じているプレッシャーが最も大きかった。

 マサは高まるプレッシャーに耐える為に、ボロ・アパートに漢方LABO を造り、自分の心身状態に適切な漢方を調合する実験を繰り返すようになる。

 清酒や白酒の中にクコの実や羅漢果や砂糖や漢方薬を入れて2~3日寝かせておいたものを飲んだ。

 沙耶「 何やってんの? 」

 マサ「 いや、こうでもやってないと精神を正常に保てない・・・ 」
 


 

  The morbidz は、Vj用のプロジェクターとスクリーンのあるライブハウスを探し、カメラマンは左翼バンドを密かに撮影していく。


 メンバーはカメラマンの撮った写真を選び出し、音楽と組み合わせていく。  

 写真はフォト・ショップやモーション・ライブなどのソフトで加工編集されていく。

 左翼バンドの写真はパロディーにされていく。 


 その他、レパートリーの歌詞や曲調に相応しい写真を撮って、音楽に付けていくという方式がとられるようになる。



 カメラマンは The morbidz の演奏に合わせてパソコンで画像を変えていく。


 このアイディアはファンにも受ける。  
 反ジェンフリの曲で、しこめの写真や堂本の写真に文字を入れた映像が流される。  
 左翼バンドのパロディー画像が流される。



  The morbidz もレパートリーが増えてきたので、そろそろ自主制作のCD を創ろうという話になってくる。


 そこでリュウの紹介で専門のミクサーを呼んで来る。 


 録音場所はミクサー所有のスタジオである。 

 とはいっても自宅の一室を改造したような小さな録音専門の部屋だ。  

 ドラムなどの音響機材と録音機材とミクサー、キーボード、楽譜立てなどが置かれてある。


 メンバーは必要な楽器・機材を持っていかなければならない。


 ところが、このミクサーはかなりのワンマンで横柄な態度でメンバーに対応してくる。


 メンバーは切れそうになったが、穏健なリュウの仲裁で我慢する。


 何しろ、ギターは下手だとか、ヴォーカルはなってないだとか歯に衣を着せない言い方でメンバーに指示して来るのだ。
 

 所が、録音になるとライブとは違って巧い下手がハッキリ現れてしまう残酷な世界である。


 実際、自分たちの演奏がこんなに雑だったとは今まで気が付かなかった。


 ライブハウスの雰囲気の中では目立たないが、録音してじっくり聴いてみると粗ばかり目立ってくる。



 メンバーが切れそうになったのも、ミクサーの指摘が図星だったからという面も大きかった・・・


 アルバムのタイトルはトムのアイディアで 


 Knock the old world out! 


 とする事が決まる。


 メンバーは最初は、自分たちの音楽は自分たちで加工処理すると言ってきかなかった。  


 自分たちのノリは自分たちのオリジナルで、他の人に勝手にいじくりまわされるなんて御免だぜ! 


 と話し合っていた。


 ミクサーは敢えてラフな編集で、ノイズやエコーを入れたり、ガレージ風の音づくりをし、楽器以外の雑音を入れたりする。



 アナログ的な魅力を出すために、バス・ドラにクッションを入れたり、反響音を混ざるマイクのセッティングを適切にする。  

 ドラムはスカッという音がする。


 どれをどの程度目立たせるか、高音と低音とのバランスを適切に決める。


 すると、元の演奏よりはるかに決まった音になる。


 メンバーはビックリする。 

 ヘェー、こんなに違うんだ・・・ 

 元とは比べ物にならない位、美味しい音になる。

 メンバーの目は子供の様に輝いていた。


 メンバーのミクサーに対する態度はガラッと変わる。



 「 あのオジサン、見た目はあんな感じで横柄な態度だけど、実は経験豊かなプロ・ミクサーだったんだな・・・

 あの人を信頼しきって全て任せた方がいいな。 」    



 メンバーは今度は、ミクサーの横柄な態度や指示に犬のように従うようになる。


 このようにして、 The morbidz の記念すべき第一作はできあがる。

 ジャケットはメンバーの写真とイラストなどを加工合成したものとなる。


 
  The morbidz がたまに演奏させてもらっている高円寺のライブ・ハウス  パープル・カクテル のマスターがとんでもないイヴェントを企画して、 The morbidz にも参加して欲しいという話が持ち込まれる。


 その企画とは『幻野 幻の野は現出したか  ~’71日本幻野祭 三里塚で祭れ』を再現するというものであった!!!


 以前の学生運動の頃の反体制バンドの残党を集めて、似たような反体制イヴェントを開催するという。 

 その中で若手のホープとして出演して欲しいとの事である。


  The morbidz のメンバーは迷う。

 とてつもないイヴェントではあるが、成田闘争、三里塚闘争についてはよく分からないし、思想的にも必ずしも賛同している訳では無い。



 だが、反体制という点では The morbidz に相応しいし、パープル・カクテル のマスターに若手のホープと見なされているという事は The morbidz にとってこの上ない光栄である。


 曲選は、とにかく反体制なモノにし、練習はいつになく熱が入る。

 何しろ、この規模の大規模イヴェントに参加させて頂くのは初めてだ。 

 失敗は許されない。


 イヴェント当日は、かつての幻野祭のメンバーや、反体制バンドが、全国から結集する。  
 以前のメンバーの中には、この世を去ってしまった人も居たし、警察に捕まってしまった人も多かった。



 The morbidz は、完成したばかりの自主制作CD の曲を中心に、反体制ソングばかり選んで歌う。


 注目度は抜群で、先輩達もその反体制な歌には一目置いた。


 当日には、 The morbidz の記念すべき第一作 Knock the old world out! を沢山持っていって販売した。


 持って行った CD が完売し、追加注文が相次ぐ。 


 マイナー・バンドであったのにある程度の商業的成功を収める。

 今まで、バイトで活動費につぎ込んできてそれでも足りず、親からの借金も貯まっていたが、これで完済できる。




 その後、 The morbidz のフォロワーとも言うべきバンドが雨後の筍の様に出てき始める。  


 反体制的な歌詞 

 労働者ファッション 

 真似した様な言動 ・・・ 






 それらをメンバー達は余りこころよく思っていなかった。 
 あくまで場末のライブバンド的な感じで居たかったのだ・・・   

 自分達のオリジナルな世界を邪魔されたくなかった。



 メンバーはミーティングをした。
 「 CD を創って売ったり、イヴェントに出た事は本当に良かったのだろうか? 」


 「 これから当分はこういった活動を見合わせよう 」という事で意見が一致する。 






 東中野にある般若派の総本部しこめ城は5階建てのビルにある。

 どこからか資金源があるようだ。  
 でなければこんなに立派なビルに入居できないだろう。

 司令塔は5階にあり、モニターやパソコンが並んでいる。 
 般若派は近代的に管理された組織である。   

 そこではリーダーと姉御を中心とした幹部達がマージャンや囲碁将棋などのゲームをしている。


 そこではモニターやパソコンで The morbidz のスケジュールや言動を監視・チェックする人がいる。


 4階には、左翼の知的武装する為の教室と戦闘の為の訓練場がある。


 壁には左翼的なスローガンが貼られ、のぼりが立てられている。


 リーダーと姉御は、部下4人に沙耶を学校帰りに拉致し、ウーマン・リヴの洗脳をするようにとの命令を下す。


 演劇学校のスケジュールを調べ、帰宅の道を調べ、人が少ない道で拉致され、車に連れ込まれしこめ城へ連れて行かれる。


 5階の司令塔に入れられ、ウーマン・リヴ読本やジェンダー・フリー教本などを読まされ、ヴィデオを見せられる。


 沙耶はリーダーに
「 実は私は、父を子供の頃に亡くし、母の手一つで育てられました。
 
 母は私が学校に行く為に、ボロを身にまとい、パートで身をすり減らして今は病弱な体になってしまいました・・・ 」



 リーダーは同情して目を細める。



 沙耶は窓の方に歩きながら
「 私の実家は群馬の田舎で・・・ 」といいながら消火器を手に取りリーダーや姉御にぶっ放す。 

 ついでにモニターやパソコンにもぶっ放す。


 消火器が切れると、階段で逃げ、2階の非常階段から車のボンネットに飛び降り逃げていく。


 部下達はバイクで追跡したが、沙耶は地下鉄に乗り込み捕まらなかった。



 これで沙耶は記憶を辿ってしこめ城の場所をつきとめたのだった。



 一方、 The morbidz のフォロワーとして出てきたバンドの中でも、反ジェンフリの Mother Fuckers , Ugly gals などは強力な競合バンドとなりそうである。


 これらのバンドはソフト・コアの中核的な存在として育ちつつあった。


 いずれも若い女性をおだて過ぎる日本の社会風潮や、恋愛を金儲けの道具として利用する恋愛資本主義に異議を唱えるようなバンドであり、わざと若い女性に嫌われるようなファッション・言動・歌詞を伴ったバンドである。
 

 これらのバンドは、お互いに競合し学びあって育っていく競合バンドとなっていく。



 マサと沙耶は久しぶりに代官山のカフェでデートする。
 その日の話題は、三島由紀夫の切腹についてである。


 マサ「 三島は結局は現実知らずのお坊ちゃま育ちだったのさ。

 日本をそのまま信じちゃうなんて、最悪の誤算さ。


 岐阜の人は、昔から、大阪、京都、名古屋、関東に挟まれて天下分け目の合戦の舞台とされてきた。

 ところが、岐阜の人にとったらたまったものじゃない。

 権力・権威側の勝手な都合によって、土地は荒らされ食料は略奪され家は放火される。


 そこで閉鎖的でよそ者を信用しない輪中根性ができあがったのさ。

 かつてバブルで大蔵省・銀行の指令で貸せ貸せイケイケでやっていて、バブルで崩壊した時、最も損害が少なかったのが岐阜県だった。

 つまり中央の権力・権威なんかはなから信用していなかったんだ。


 つまり日本なんか信じちゃ駄目だって事だ。
 
 日本という国の本質はヤクザなのさ。 
 
 この国は昔からヤクザ体質なのさ。 

 俺も一時期、日本の為、天皇の為に死のうと思った頃があった。 

 だが今は、こんな国は潰した方がいいとさえ思っている。



 でもそういったアホな面もひっくるめて三島烈士は日本を象徴して死んで行ってのさ。 」


 沙耶「 自己満足的な演技もあったんじゃないかな・・・ 」


 マサ「 ついでに言っておくと、ダテメガネだとかダテじゃないとか言うじゃん。
あれって伊達という大名がカッコだけで中身が無い人だったんじゃないかな・・・ 

 だからあいつはダテじゃないというのは、あいつはカッコだけじゃなくて中身がある。
 ダテメガネってのは形だけで中身が無いっていう。 

 俺、福島の人にこの事を聞いてみたら、アア、そういった分析をされたのは始めてですねと言っていたよ。 」


 沙耶「 あなたって変わった見方をするものね・・・ 」


 「 他にもあるよ。  秋田美人っていうじゃん。
 あれ、どうやらロシア人との混血らしいよ。 

 秋田ってのは国際的な港町だったんだ。

 そんで京都舞鶴と廻船でつながっていたり、ロシアから渡来してきたりで混血になったんだ。 
 そこで混血美人ができたという。 

 太宰治もロシア人みたいな風貌しているじゃん。 
 太宰文学にもロシアの血・DNA が流れているんだと思うよ。 

 何しろ民族の血・DNA に流れているものってのは、無意識だが消すことのできない記憶・影響があるからだ。 

 東北の人に聞いても、ええそうだったんですか? と驚かれるよ。 」




 その後、二人は渋谷まで歩いて行くが、マサは HMV、Wave、タワー・レコードなどでイギリスのマイナー・バンドのジャケ買いをしたがり、沙耶は沙耶でコスプレやアクセサリーを見たがる。


 二人の趣味は合わず、ここでももめる。


 昼飯はラーメン屋でとんこつラーメンを食べる。




  The morbidz のファンの中には、初期からの固定ファンと、ヒップホップ系の女性ファンと、CD、幻野祭からのファン が居る。
 

 初期からのファンは徐徐に離れていってしまうファンも出てくる。


 「 The morbidz は最初の頃が一番面白かった。 
 今のは、本来の The morbidz じゃない。 

 女性に媚びるようになったり、メジャー的な感じがしてきた。
 軟弱になり硬派ではなくなった。 

 だからもう行かない。 」  などと言っていた。

 
 人数的には CD 、幻野祭 からのファンが多い。 
 これらのファンは最初の頃の The morbidz については知らなかった。


 女性ファンはイヴェント当時は多かったが、結局は踊らされる程度のその程度ファンでしかなかった。


 メンバーは徐徐にファンの気持ちを掴むのが難しくなっていく。

 一体、どの層に向けてメッセージを発していくべきなのだろうか?

 実際、The morbidz も初期の頃から芸風・作風が大分変化していった。

 以前の荒削りなクレイジーな方が良かったというファンも多かった。

 だが、ここまで来てしまうともう元に戻ることも難しい。
 


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