前ヘススメ前へススミテ還ヘラザル 池田澄子
峠の向こうとこっちを往ったり来たり、当然のことながら、旧盆の八月中半は峠の向こう。墓を洗ったり、盆棚をしつらえたり、迎え火を焚いたり、その間に敗戦の八月十五日がある。盆の行事と敗戦が重なる、この偶然には意味がある。この数日、峠の向こうでは、やがて死ぬ景色はみえず蝉の声、どこへ行っても蝉の声ばかり、その中で先に逝った者たちを迎え、そして送る。
池田澄子は、セーターにもぐり出られぬかもしれぬ、とか、真似のできそうもない句ばかりを、大分遅くなってから作り続けている。生まれは昭和十一年、尋常小学校一年の読本が、ススメ ススメ ヘイタイススメに変えられたのは昭和八年、池田はこの時代をよく知っている。セーターを頭からかぶった一瞬の不安を捉える手際といい、この片仮名書きといい、達者なものである。無季ではあるが、盆と敗戦の、蝉の声と同じ季と読みたい。
ご先祖といふお荷物や墓洗ふ 清水基吉
投稿俳句などを見ていると、今のこの時期、墓洗うがどっと出てくる。俳句適齢期ということになると、墓を洗いたくなるような年代ということか。作者は忘れたが、年下となりゆく母の墓洗う、とか、いくたびも背きし父の墓洗ふ、とかいうのもどこかにあり、よく分かるのだが、誰もがこんな句を作れるわけではない。
地縁、血縁のしがらみをどこまでもたぐり寄せてゆくと、行きつくのはご先祖さまという「お荷物」であるのかもしれない。しがらみよりお荷物の方が分かりやすい。誰もが歳相応の荷を負い、引き受けることが、生きる意味なのかもしれない。その中には、「還ヘラザル」者たちが残していったものもあろう。
最初にことわったように、この「峠越えれば」は内山節ノートである。既に引用したのは出版済みの著作からであるが、現在新聞連載中の「風土と哲学」からも、しがらみに関連して、気になる箇所を引用してみる。日付は最近の八月十八日。
……個人を尊重することが大切なのはいうまでもない。ところが、もともとは他者である個人を尊重するものであったはずなのに、近代の個人観は自我の確立、自己としての個人の確立と結びついて、自分自身という個人を大事にする個人観に変わってしまった。こうして一番大事なものは自分自身になり、他者が自分を尊重してくれないと苛立つようになりながら、他者を尊重することなく暴走する個人主義の社会をつくりだしてしまった。……
伝統社会の諸々のしがらみが断ち切られたところから、近代の社会では様々な暴走が始まる。歯止めが利かないのである。市場原理、科学万能、そして個人主義、いずれも引き返しようもないところまで暴走して、ようやくその限界に気づくこととなる。
内山は、暴走のあげくに今、人と自然、人と人の関係を再びどのように結び直すのかが問われているとしても、そこにはもう一つの問い掛けがなくてはならないとする。
……はたして今日の私たちが課題にしていることは、自然や他の人々といった他者を尊重するための関係づくりなのか、それとも自分に充足感を与えるための関係の創造なのか。……
尊重されるべきは、他者と切り離された自分ではなく、「他者があってこその自分」であり、それは個人が尊重されないこととは別である。他者である人の背後には、自然という他者があり、自然は神という絶対の他者を宿す。他者はそのすべてである。
八月十五日前後この時期ばかりは、こんな言い方も、難しい理屈ではなく素直に理解できる。「お荷物」でもあるかもしれない地縁、血縁の係累は、時の浄化を経て山に帰り、この時期のみ里に下り、賓客としてもてなしを受ける。それは見慣れた光景として現にある。
「墓洗う」という季語は意外に新しいのではないか。気づけば周囲はみな、洗って磨き立てれば顔が写りそうな、御影石のやたら大きく立派な墓石ばかりになってしまったが、峠の向こう、浅間山麓の土葬が最後まで残った一部では、いまだ山から手頃なひと抱えほどの自然石を探し、墓石に据えている。戒名を彫り込んだりはしない。数世代もすれば元の山の石に戻るものもある。「墓洗う」といっても周囲の雑草を抜き、土をならし、必要があれば石を据え直すくらいで済ませている。それが、畑のどんづまり、里山を背後に小高い斜面から、年中村の全景を見下ろしている。
断ち切りようのないしがらみの中にあって、「自然との間では、自然を神として尊重していく自然と人間の関係がつくられ、人間同士の間でも他者があってこその自分だと人々は考えていた」のである。暴走のあげくということであろうが、そこからは随分遠くまで来てしまったにしても、内山と共に、この辺りから学び直してみたい。(つづく)
峠の向こうとこっちを往ったり来たり、当然のことながら、旧盆の八月中半は峠の向こう。墓を洗ったり、盆棚をしつらえたり、迎え火を焚いたり、その間に敗戦の八月十五日がある。盆の行事と敗戦が重なる、この偶然には意味がある。この数日、峠の向こうでは、やがて死ぬ景色はみえず蝉の声、どこへ行っても蝉の声ばかり、その中で先に逝った者たちを迎え、そして送る。
池田澄子は、セーターにもぐり出られぬかもしれぬ、とか、真似のできそうもない句ばかりを、大分遅くなってから作り続けている。生まれは昭和十一年、尋常小学校一年の読本が、ススメ ススメ ヘイタイススメに変えられたのは昭和八年、池田はこの時代をよく知っている。セーターを頭からかぶった一瞬の不安を捉える手際といい、この片仮名書きといい、達者なものである。無季ではあるが、盆と敗戦の、蝉の声と同じ季と読みたい。
ご先祖といふお荷物や墓洗ふ 清水基吉
投稿俳句などを見ていると、今のこの時期、墓洗うがどっと出てくる。俳句適齢期ということになると、墓を洗いたくなるような年代ということか。作者は忘れたが、年下となりゆく母の墓洗う、とか、いくたびも背きし父の墓洗ふ、とかいうのもどこかにあり、よく分かるのだが、誰もがこんな句を作れるわけではない。
地縁、血縁のしがらみをどこまでもたぐり寄せてゆくと、行きつくのはご先祖さまという「お荷物」であるのかもしれない。しがらみよりお荷物の方が分かりやすい。誰もが歳相応の荷を負い、引き受けることが、生きる意味なのかもしれない。その中には、「還ヘラザル」者たちが残していったものもあろう。
最初にことわったように、この「峠越えれば」は内山節ノートである。既に引用したのは出版済みの著作からであるが、現在新聞連載中の「風土と哲学」からも、しがらみに関連して、気になる箇所を引用してみる。日付は最近の八月十八日。
……個人を尊重することが大切なのはいうまでもない。ところが、もともとは他者である個人を尊重するものであったはずなのに、近代の個人観は自我の確立、自己としての個人の確立と結びついて、自分自身という個人を大事にする個人観に変わってしまった。こうして一番大事なものは自分自身になり、他者が自分を尊重してくれないと苛立つようになりながら、他者を尊重することなく暴走する個人主義の社会をつくりだしてしまった。……
伝統社会の諸々のしがらみが断ち切られたところから、近代の社会では様々な暴走が始まる。歯止めが利かないのである。市場原理、科学万能、そして個人主義、いずれも引き返しようもないところまで暴走して、ようやくその限界に気づくこととなる。
内山は、暴走のあげくに今、人と自然、人と人の関係を再びどのように結び直すのかが問われているとしても、そこにはもう一つの問い掛けがなくてはならないとする。
……はたして今日の私たちが課題にしていることは、自然や他の人々といった他者を尊重するための関係づくりなのか、それとも自分に充足感を与えるための関係の創造なのか。……
尊重されるべきは、他者と切り離された自分ではなく、「他者があってこその自分」であり、それは個人が尊重されないこととは別である。他者である人の背後には、自然という他者があり、自然は神という絶対の他者を宿す。他者はそのすべてである。
八月十五日前後この時期ばかりは、こんな言い方も、難しい理屈ではなく素直に理解できる。「お荷物」でもあるかもしれない地縁、血縁の係累は、時の浄化を経て山に帰り、この時期のみ里に下り、賓客としてもてなしを受ける。それは見慣れた光景として現にある。
「墓洗う」という季語は意外に新しいのではないか。気づけば周囲はみな、洗って磨き立てれば顔が写りそうな、御影石のやたら大きく立派な墓石ばかりになってしまったが、峠の向こう、浅間山麓の土葬が最後まで残った一部では、いまだ山から手頃なひと抱えほどの自然石を探し、墓石に据えている。戒名を彫り込んだりはしない。数世代もすれば元の山の石に戻るものもある。「墓洗う」といっても周囲の雑草を抜き、土をならし、必要があれば石を据え直すくらいで済ませている。それが、畑のどんづまり、里山を背後に小高い斜面から、年中村の全景を見下ろしている。
断ち切りようのないしがらみの中にあって、「自然との間では、自然を神として尊重していく自然と人間の関係がつくられ、人間同士の間でも他者があってこその自分だと人々は考えていた」のである。暴走のあげくということであろうが、そこからは随分遠くまで来てしまったにしても、内山と共に、この辺りから学び直してみたい。(つづく)