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峠越えれば

峠境に むこうとこっち 峠越えれば別の国

(6) 墓洗う

2007-08-27 | 峠越えれば
前ヘススメ前へススミテ還ヘラザル  池田澄子

 峠の向こうとこっちを往ったり来たり、当然のことながら、旧盆の八月中半は峠の向こう。墓を洗ったり、盆棚をしつらえたり、迎え火を焚いたり、その間に敗戦の八月十五日がある。盆の行事と敗戦が重なる、この偶然には意味がある。この数日、峠の向こうでは、やがて死ぬ景色はみえず蝉の声、どこへ行っても蝉の声ばかり、その中で先に逝った者たちを迎え、そして送る。

 池田澄子は、セーターにもぐり出られぬかもしれぬ、とか、真似のできそうもない句ばかりを、大分遅くなってから作り続けている。生まれは昭和十一年、尋常小学校一年の読本が、ススメ ススメ ヘイタイススメに変えられたのは昭和八年、池田はこの時代をよく知っている。セーターを頭からかぶった一瞬の不安を捉える手際といい、この片仮名書きといい、達者なものである。無季ではあるが、盆と敗戦の、蝉の声と同じ季と読みたい。

ご先祖といふお荷物や墓洗ふ  清水基吉

 投稿俳句などを見ていると、今のこの時期、墓洗うがどっと出てくる。俳句適齢期ということになると、墓を洗いたくなるような年代ということか。作者は忘れたが、年下となりゆく母の墓洗う、とか、いくたびも背きし父の墓洗ふ、とかいうのもどこかにあり、よく分かるのだが、誰もがこんな句を作れるわけではない。

 地縁、血縁のしがらみをどこまでもたぐり寄せてゆくと、行きつくのはご先祖さまという「お荷物」であるのかもしれない。しがらみよりお荷物の方が分かりやすい。誰もが歳相応の荷を負い、引き受けることが、生きる意味なのかもしれない。その中には、「還ヘラザル」者たちが残していったものもあろう。

 最初にことわったように、この「峠越えれば」は内山節ノートである。既に引用したのは出版済みの著作からであるが、現在新聞連載中の「風土と哲学」からも、しがらみに関連して、気になる箇所を引用してみる。日付は最近の八月十八日。

……個人を尊重することが大切なのはいうまでもない。ところが、もともとは他者である個人を尊重するものであったはずなのに、近代の個人観は自我の確立、自己としての個人の確立と結びついて、自分自身という個人を大事にする個人観に変わってしまった。こうして一番大事なものは自分自身になり、他者が自分を尊重してくれないと苛立つようになりながら、他者を尊重することなく暴走する個人主義の社会をつくりだしてしまった。……

 伝統社会の諸々のしがらみが断ち切られたところから、近代の社会では様々な暴走が始まる。歯止めが利かないのである。市場原理、科学万能、そして個人主義、いずれも引き返しようもないところまで暴走して、ようやくその限界に気づくこととなる。

 内山は、暴走のあげくに今、人と自然、人と人の関係を再びどのように結び直すのかが問われているとしても、そこにはもう一つの問い掛けがなくてはならないとする。

……はたして今日の私たちが課題にしていることは、自然や他の人々といった他者を尊重するための関係づくりなのか、それとも自分に充足感を与えるための関係の創造なのか。……

 尊重されるべきは、他者と切り離された自分ではなく、「他者があってこその自分」であり、それは個人が尊重されないこととは別である。他者である人の背後には、自然という他者があり、自然は神という絶対の他者を宿す。他者はそのすべてである。

 八月十五日前後この時期ばかりは、こんな言い方も、難しい理屈ではなく素直に理解できる。「お荷物」でもあるかもしれない地縁、血縁の係累は、時の浄化を経て山に帰り、この時期のみ里に下り、賓客としてもてなしを受ける。それは見慣れた光景として現にある。

 「墓洗う」という季語は意外に新しいのではないか。気づけば周囲はみな、洗って磨き立てれば顔が写りそうな、御影石のやたら大きく立派な墓石ばかりになってしまったが、峠の向こう、浅間山麓の土葬が最後まで残った一部では、いまだ山から手頃なひと抱えほどの自然石を探し、墓石に据えている。戒名を彫り込んだりはしない。数世代もすれば元の山の石に戻るものもある。「墓洗う」といっても周囲の雑草を抜き、土をならし、必要があれば石を据え直すくらいで済ませている。それが、畑のどんづまり、里山を背後に小高い斜面から、年中村の全景を見下ろしている。

 断ち切りようのないしがらみの中にあって、「自然との間では、自然を神として尊重していく自然と人間の関係がつくられ、人間同士の間でも他者があってこその自分だと人々は考えていた」のである。暴走のあげくということであろうが、そこからは随分遠くまで来てしまったにしても、内山と共に、この辺りから学び直してみたい。(つづく)

(5) しがらみ

2007-08-18 | 峠越えれば
明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし(197)
あすかがは,しがらみわたし,せかませば,ながるるみづも,のどにかあらまし

 題詞は「明日香皇女城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌」、人麻呂が残した数多くの挽歌の中の一つである。長歌に添えられた短歌二首の中の一首、明日香皇女は天智天皇の娘、文武4年(700)に亡くなっている。

 (しがらみ)は、川の中に杭を打ち込み、木の小枝や竹を巡らし、水流を堰き止めるための柵、早世した皇女を悼んで、川にしがらみがあれば、流れはもっと緩やかであったであろうに、そのようにあってほしかったと詠っている。

 (しがらむ)という他動詞もあり、ものをからみつけることをいう。この方が先にあり、川を堰き止めるために竹などをからみつけ、そうして出来上がったものをしがらみと呼んだものかもしれない。転じて、身にまとわりついて離れない、断ち切りようのない縁、人間関係もまた(しがらみ)とする。

 近代の社会では、しがらみのないことが自由を意味し、先の選挙でも、政界や既存の組織にしがらみのないことを売り文句にする政党が登場したりもし、しがらみには決定的にマイナスのイメージがある。しがらみは、血縁・地縁の無数の連鎖が織りなす因習そのものであり、前近代の象徴であり、個人の自立を妨げる不当な強制であるかのように考えられてきた。

 かつてしがらみのない自由な社会に憧れ、多くの者たちが峠を越え、都市に向かったのである。戦後、高度経済成長の後押しもあり、この流れは一気に加速する。そして今、峠を越えた者たちやその末裔たちは、峠のこちら側で希望通り、それぞれの意思が尊重され、不当な強制に従うことのない、市民同士が幅広く連帯しあえる、憧れの市民社会の住人となることができたのであろうか。


 「しがらみ研究会」なるものが立ち上げられたのだという。(日経07.8.11)国民生活白書のテーマが「つながりが築く豊かな国民生活」であり、団塊世代が大量に定年を迎える今、会社人間を卒業した彼らが、いかにして地域や家庭に回帰するか、できるかが、改めて注目されているのだという。気付いてみれば、都市、農村を問わず、人のつながりを再構築しなくてはならない時代を迎えていたのであり、しがらみのマイナス面ばかりを、いつまでも言い立てているわけにもいかず、しがらみを肯定的にも捉え直してみる必要がありはしないかという問題提起である。

 「戦後の日本社会は、個の確立を目指してきたというが、実際にはヨーロッパのようにパブリックな個と私的な個との拮抗関係に裏打ちされた個ではなく、私的な欲望だけを肥大させた自己完結型(たこつぼ型)の個でしかなかった」これはしらがみ研究会の呼びかけ人の言である。

 ここで、ごく教科書風の復習を簡単にしてみたい。内山節は、近代の革命によって、西ヨーロッパには三つの新しいシステムが誕生したとする。資本主義と市民社会、そして国民国家である。これらはそれぞれに最初からやっかいな問題を抱えていたと考えてよい。資本主義は、市場原理のままに暴走し、恐慌を招きかねないし、市民社会は、それを支える人々を分断し、孤立した個人の集合変え、共生を困難なものにしてしまいかねない。また、国民国家の下では、誰もが国民という記号に置き換えられ、一元的に管理されかねないし、官僚主義と国家主義がはびこる危険はいえば、これは常にある。

……ところが、戦後の思想では、資本主義の問題点だけが議論され、市民社会や国民国家については、日本の未来の指標としてその問題点を検討することなく導入されてしまった。自覚し自立した個人が生き生きとした市民社会をつくり、その市民社会が国民国家を監視し、コントロールする。そうすればすぐれた市民社会と国家の関係ができる、という近代社会思想のなかのひとつの傾向がつくりだした「神話」を無条件で受け入れ、そうはならないさまざまな現象を「日本の後進性のあらわれ」と解釈することで終わらせてしまった。……

 内山は、「理想の国家や市民社会がありうるという幻想」が広く生まれた結果、リベラリストたちは、その理想にあわない現実を日本的後進性として批判し、国家主義者たちはといえば、敗戦の呪縛にこだわり、最近であるなら「戦後レジーム」からの脱却を問いかける、そんな構図ができあがってしまったとする。実のところ、このあたりの内山の指摘はかなり耳に痛い。いっぱし真っ当なことを言っている気になって、この後進性を吹聴した悔いは結構多くが持っている。

 この場合、しがらみは、まさしくこの日本的後進性の象徴とされたのである。しかし、こと資本主義の発達においてなら、西ヨーロッパとさほどの違いが見られない今、そろそろ「理想の国家や市民社会がありうるという幻想」や、教科書風のそれにまつわる「神話」からは自由であるべきであろう。

 西ヨーロッパの市民社会や国民国家自体が、例外的な特殊であるかもしれず、固有の成立の事情と、これも固有の多くの矛盾を抱えたまま現在に到っているし、そこにだけ、しがらみのない個などというものが本来あるはずもない。西ヨーロッパには、西ヨーロッパなりのしがらみがあり、日本には、日本なりのしがらみがあるというだけのことであろう。「パブリックな個と私的な個との拮抗関係に裏打ちされた個」などとややこしい言い方をするまでもなく、どこであれ、個は常にしがらみという生活に密着した公(パブリック)を担うしかないし、そのようなものとしか存在しようがないのである。

 峠の向こうとこっちを行ったり来たりしていると、どちらにもそれなりのしがらみがあり、それぞれに仕事や、その他諸々の関わりを持った、生活のあらゆる場面で、それがどこまでもついてまわる事実については、いやでも納得する外ない。

 ただ、向こうとこっちでは、同じしがらみでもその様相だけは大分異なるし、煩わしさのみが強調されるしがらみではあるが、現実には共通して、必要最小限の公の部分が、より分かり易く露わになってきているという印象がある。それをどこまで自覚できるかが今問われているのであろう。「しがらみ研究会」ではないが、しがらみとは本来何であったのか、そのありのままを検証してみるよい時期であるのかもしれない。

 しがらみは、都市、農村を問わず、様々な土地の、それぞれの事情や風土に根ざしており、一口で括れるような単純なものとしてあるわけではない。西ヨーロッパのそれにしたところで、ごく泥臭い一筋縄ではいかない、不合理な、外からは捉えにくい性格のものであるはずで、「パブリックな個と私的な個との拮抗関係に裏打ちされた個」などというややこしい言い方も、そのあたりがかつて見落されていた、その名残なのかもしれない。

 資本主義、市民社会、国民国家の三点セットは相互に複雑に絡み合っている。資本主義にのみ目を向け、市場原理や成果主義を闇雲に徹底させると、市民社会に自生した、しがらみの公の部分までも根こそぎにしてしまいかねない。今回の選挙結果から読み取るべきは、実はその点ではなかろうか。政治に知恵があるとしたら、それは諸々のしがらみの中に埋没した、公に連なる、その核を上手に掬い上げ、それに新しい形を与えることではないのか。(つづく)

(4) 格差

2007-08-11 | 峠越えれば
 再び、万葉集より一首。

秋の田の穂田の刈りばかか寄りあはばそこもか人の我を言成さむ(512)
あきのたの,ほたのかりばか,かよりあはば,そこもかひとの,わをことなさむ

 題詞は「草嬢歌」。(くさのをとめ)とは面白い言い方で、田舎娘のことであろうが、聞いただけでそれらしき景色が立ち上がってくる。稲刈りの労働歌であろう。(刈りばか) 自分に割り当てられた今日の刈り取り場所である。それが、こんなに近いとあってはまたまた人の噂になりそう。困ったなと言いたいのか、嬉しいのか、嬉しいにきまっている。

 内山節はこの「刈りばか」の「はか」を問いかけている。仕事がはかどる、「はかがいく」の「はか」であり、量を表している。予定した仕事が順調に思いの外手際よく片付いたとき、「はかがいった」とする。

 言われてみれば、なるほどいかにも日本的というか、日本の風土に根ざした言い方で、決して自分が努力して、自分の力で、この結果を得たとは言っていない。仕事の方がたまたまうまくいったのである。理由は、お天気のせいかもしれないし、脇から思わぬ手助けがあったからかもしれないし、隣にあのひとがいたからかもしれない。とにもかくにも、ことの成り行きの主語は仕事の方で、私ではない。

 これをとんでもない遠い昔の、集団労働の名残りのように割り切るわけにもいかない。このような仕事のとらえ方、労働にたいする見方は意外と身近なところで、今でも生きている。一日の仕事を終えて、思いの外はかどった今日の仕事を振り返って、爽快な気分に浸る。それ自体が仕事の目的であったかのように、十分報われた気分になったり、そう思い込んだりすることは珍しくない。

 別に農業や職人の世界を話題にしているわけではない。どんな仕事であれ、人事に関わることまで含め、熟達するにはそれなりのこつを呑み込む必要があり、それは、試行錯誤のそれなりの修行を経て、仕事の方から自ずと教えられる、そんな性質のものと考えていはしまいか。マニュアル通りの手順と作法を身につけ、それで一人前と、そんな風には仕事とつき合って来はしなかったし、この肝心なところは、今のようにサラリーマン労働が主流となっても、そうそう簡単に変わるとも思えない。

 政治を論じる場とは考えていないが、話が分かりやすいので、先の選挙にここでも触れてみる。

 まだ二年前のことである。やはり夏の盛りに選挙があった。衆議院の方である。Tシャツに改革と染め抜いたIT長者の若者が、改革を連呼し、いつもなら選挙を冷めた目で見ている、同年代の若者が携帯をかざして、その握手に応じていた。郵政民営化の旗振り役の評論家の一人は、真夏の炎天下、箱車を押して、これも街中を走り回る宅配業者を引き合いに、民間の努力を称え、その成果を吹聴していた。努力した者は報われて当然であり、仕事はその成果によって評価されなくてはならない。大勝した与党の幹事長は、党自体を都市型の政党に改革できたと胸を張っていた。

 今回の選挙はといえば、野党第一党の党首は、山間の田園を背景にビールケースの上から訥々と格差を訴え、一方の与党の党首らはといえば、いずれも何々会館風の大ホールと借り切り、装置を凝らした壇上から、大きな身振りで改革の成果を数え上げていた。

 選挙の結果から見る限り、改革は色あせ、改めて格差に目が向けられたのである。政治の目配り、比重の置き所は、刻々と変わらざるをえない。政治の視野はごく狭い。考えてみれば当たり前のことで、成果を競い、競争と市場原理を徹底させれば、都市と農村ばかりか、諸々の格差、日の当たるところと当たらないところが際立った対照をなして、ごまかしようもなく目の前に立ち現れてくるのは、最初から予想された通りの結果でしかない。

 この目まぐるしい変化を、峠の向こうから眺めていると、その変化の根っこにあるものがもう少し見えてくるような気がする。経済の成長は、生活の安定あってのことであろうし、その生活を支える仕事が、無味乾燥でストレスばかりであったとしたら、誰もそんな現実は望みはしない。内山節が説くように、仕事は本来、その結果よりその過程で得られるものが重視されてきたのであり、おのれ一人の力を頼み、他を押しのけて成果を競い合うような働き方は、文化とか気質とか風土とか、社会に蓄積されてきたものとは相容れようがない。容易に成果とか、結果に結びつかなくても、周囲から必要とされ、期待されている仕事の方が現実にはは多いのであり、多くはそれを当たり前のこととして引き受けている。

……日本の歴史は、労働を人間の存在をかけた営みとして、あるいは文化的な営みとしてもみる精神も定着させていた。それだけの時間の蓄積が歴史のなかにあったのである。だから人々は、自分の仕事の仕方にこだわりを持ちつづけた。日本では、経済的価値しかみえない仕事は一生をかけるに値しない仕事、尊敬されない仕事でありつづけたのである。そんな仕事よりは、たとえ収入は多くなくとも、確かな物づくりや、作物を育てる仕事、人々の暮らしに貢献できる仕事のほうが価値があると、いまでも多くの人々は考える。……

 内山は、この日本的な労働文化を、アメリカ的な市場万能主義に置き換えようとする試みは失敗するだろうという。日本の国内に、ローカルな伝統が息づいており、それが尊重されている限り、歴史の抜け落ちたアメリカ標準のグローバリズムが、ローカルな日本の文化や風土を、そうそう簡単に呑み込んでしまえるはずもない。峠の向こうからは、それがよく見える。(つづく)

(3) 公僕

2007-08-05 | 峠越えれば
 何が病みつきになるか分かったものではない。峠越えが趣味で、高校生の時から三十七年間、千七百超の峠を自転車で走破した人物がおり、日経の文化欄に本人が長文の手記を寄せている。(「峠越えて苦労越えて」名和博 07.7.24) 中には廃道に近いような峠もあり、自転車と荷物を担いで上る。下る時の十倍ほども時間がかかる。一気に下る時の爽快感がたまらない、と言うのかと思うとそうではない。上りが好きなのだと言う。時間をかけて上ることで見えてくるものは多いのだが、下りは後で振り返って思い出せるものがない。

 納得のゆく話である。このブログの峠の方はといえば、歳の自覚も含めての、自転車で峠越えをするような格好良いものではないのだが、下りはおまけみたいなもので、上りが肝心である点は異議がない。

 峠の原義は「手向け」であり、峠越えには必死の思いが込められている。誰も進んで峠を越えて他国に出ようとしたわけではない。旅人の多くは、行路の死をも覚悟の上で、それでもそれぞれの事情を抱えて峠を越えて行ったのである。それ故の祈りであり「手向け」である。


 内山節は、政治という仕事には、具体的な映像と共にあるものから映像を結ばないものまで、幾層かの次元の異なる仕事があるのだという。それが重なり合っていると考えてよい。

 具体的な映像と共にある政治というのは、いうならば、他国など知りたくもない峠のこちら側の政治であり、それぞれに果たすべき役割と責任は互いによく見えている。温もりのある反面、常に責任もまた問われ、それを煩わしさと感じることもないわけではない。しかし、そこでは、政治に関わるモラルと責任は、人肌の温もりと共にあり、それは本来外から強いられたり、教え込まれたりする性格のものではない。

 前回と今回、二度の参議院選挙で与党が躓いたのはいずれも「年金」である。内山が分かりやすい例を引いている。ドイツでは十二、三世紀、職人たちの「共済金庫」が発達してくる。各自がそれぞれの収入の一部を金庫に収め、互いの病気や障害、老齢、死亡等に備えたのである。近代国家は、その成立以前からある、このような共済制度を取り込み、再編成して社会保障に代えていったのであり、それはその起源にまで遡って考えればごく最近のことで、せいぜい百年ほどのことにすぎない。これはドイツに限られたことではない。近世の日本であったとしても、村や長屋の物心両面の相互扶助は、ごく当たり前の、これも誰もがよく馴染んだ具体的な映像の中に収まっていたはずである。

 このような例を今更のように引き合いに出したのは、共済や社会保障の「公」を支えるモラルと責任の意味を改めて考えてみないことにははじまらないからである。

 「消えた年金」数千万件の実際の照合作業を、今頃になって現場の社会保険事務所の内部にテレビカメラを持ち込み報道していた。(NHK特報首都圏8.3) 企業から回された厚生年金の手書きの書類に「槙田」とある。「植田」と読めないこともない。振り仮名はない。これを誤読のままに「ウエダ」と入力する。当然それに該当する者はいない。そこで新しい年金番号をこれに付して、それで一件の事務作業は終了。どうもこんなことが当たり前のように大真面目で行われていたらしい。

 これはもう馬鹿丁寧で無愛想でといったお役所仕事のレベルではない。お役所仕事に徹するなら、ここで二度三度不必要なまでに確認作業を入れ、徹底的にチェックするのが本来であろう。この場合は逆で、将来起こるべき事態を考えたらこれはもう犯罪であり、本来の年金の意味を全く理解していない。こんな後始末のために、またまた税金が使われているに到っては最早言うべき言葉がない。

 多分、この同じ作業を、例えば郵便局の窓口でやったとしたら、こうまで無惨なことにはならない。ここなら老後に備えての必死な顔がよく見えるのであり、自らの仕事とそこに負わされた責任は、具体的な映像をともなって自ずと自覚せざるをえない。それが映像をともなわない単なる書類上の作業、入力の単純作業になった途端、モラルに結びつくような想像力は完璧に麻痺してしまう。

 これは結構やっかいな事態であり、自らの責任を棚に上げ、選挙向けもあり、声高に社会保険庁解体とかいって八つ当たりすればそれで済むわけではない。公務員が頼りないから民営化すればよいというような話でもない。

……私たちがまきこまれているのは、一人ひとりは結構誠実に日々を生きているのに、たえず腐敗し、たえず堕落する政治の世界が生まれつづけるという社会である。政治にたずさわる者の側であり、市民の側であれ、公共性や倫理観を持つ個人の確立によっては、この現実はくい止めることができないという今日の姿である。……

 「公僕(public servants)」というような言葉が、かつて語られていたような気がする。行政事務や政治家の仕事は「公」の部分を取り去れば後は何も残らない。しかし、これは程度の問題で、「公」の部分を全く含まない職業や仕事が、世にあるわけもなく、「公」に関わるモラルと責任を、一人ひとりがどのように引き受けるかは、誰にとっても他人事ではない。(つづく)

(2) 美しい国

2007-08-02 | 峠越えれば
 期日前投票を済ませ、峠の向こうで久しぶりに山に登ってきた。地域の恒例行事で峠越えに近い、いたって楽な山登りであったが、翌日は筋肉痛で、階段が上れない。

 予定を遅らせて、東京に戻ってみると、与党惨敗の余熱はまだ続いており、辞任だ、責任だと連日やっている。今のこの時代、政治を仕事とする限りデマゴーグたる外ない。選挙中同様、テレビに次々に大写しされる政治家の顔を見ていると、いやでもこの内山節の考えに頷かざるをえない。別に皮肉や当てつけではなく、なるほどそうとしか言いようがないのである。

 今回の選挙では、その点に関連して、政治とは無縁な、その風貌と話し振りに感じるものがあり、川田龍平に一票を投じた。よもや当選するとは思わなかったが、まだこのような若者が政治を志し、それを支える無党派なる層が健在である中は、政治に何事か期待してもよいのかもしれない。

 それにしてもである。選挙に勝てないとなると途端に、つい先日数を頼んで、政治資金の領収書添付を5万円以上と決め、それを楯に指摘された疑惑を黙殺し続けた与党が、早速今度は1円以上だなどと言い出す。野党が1万円ならこっちは1円だというのであろうが、何もそこまでデマゴーグの面の皮をさらすこともない。

 政治という仕事は、あるべき社会の姿が思い描けないことには成り立たない。絆創膏を貼って応急の手当てをしたり、見苦しいところを隠したりするようなことばかりが政治であるわけがない。内山はそれはたえず具体的な映像と共にあるという。ただし、自身が住んでいる村での話である。

 ……村の森の未来。村を流れる川のこれから。村の畑、村人の営み、村の学校、点在する集落。村では社会を考えることが、具体的な映像の未来への思いとたえず結ばれている。……

 自然と人間の営みが一体となった、変わることのない守るべき社会の姿は、ここでは誰もが日々目の前に思い描くことが出来る。政治を語ることは、実のところそれほど難しいことではない。政治の肝心な部分は、誰の目にも常に見えている。ところがこれが上州・信州というようなかつてのお国、更には国家単位で、となると、次第に具体的な映像を思い描くことが困難になって行く。そして、具体的な映像を結ぶか結ばないかは、この場合、思考の質に関わらざるをえない。

 ……ところが具体的な映像を結ばない思考のなかでは、自分は基本的には無責任でいられる。思考の対象となるものが、自分が日々関わっているものではない以上、一般論で対応できる。そこで暮らしている自然も人間も見えていないのに、日本の経済を論じ、日本の社会保障制度や政治などを論じることができるのである。にもかかわらず、自分は天下国家の高尚な問題を論じているのだと、という錯覚に陥りながらである。……

 内山は「政治という仕事には、次元の異なるいく層かの仕事がある。具体的な映像とともにある政治という仕事から、映像を結ばない政治という仕事まで。そして、おそらく基本的な欠陥は、映像を結ばない政治が上位にたっているという、近代国家の仕組みにある」とする。本来なら上位にあるべきは、社会の根幹をなす「映像とともにある政治」の方にきまっている。

 ……だから政治はつねに私たちから遠いものになろうとし、国家の政治という仕事にたずさわる者たちは、日々を生きている自然や人間を「国家の大儀」の名において切り捨てるのである。……

 「映像とともにある政治」の最も分かりやすい、究極の姿は老子にある。「鄰国相望 鶏犬之声相聞 民至老死 不相往来」川一つ隔てているような想定でよいのかもしれない。お互いにそこに住んでいることはよく知っているのであり、鶏や犬の声なら聞き取れるほどの距離しか離れていない。それでも生涯往来したりはしない。必要がないのである。「使有什伯之器而不用」必要なものはすべて足りている。だからお互い干渉することも、争うこともない。

 誰もが思い描くことのできる「美しい国」というようなものが、もし仮にあるとしたら、それは、例えばこの老子にあるようなものでしかない。美しいというのだから実際に映像をともなわないことにははじまらない。鶏や犬の声まで聞こえるようなら更に言うことがない。だが、内山の言う「映像を結ばない政治」に、むりやり美しいというような主観を持ち込もうとすると、どういうことになるか、今回の選挙を峠の向こうから見ていると、このあたりがどうにも気になるのである。(つづく)

(1) デマゴーグ

2007-07-26 | 峠越えれば
 「峠」という字はは分かりやすい。山道を上ったり下りたりで峠、頭で作った国字であり、漢字本来の象形ではない。しかし、「とうげ」とは何であろうか。

 「万葉集あれこれ」は人麻呂でいったん中断して、ブログのテーマを変える。しばらくは「峠」とつき合ってみたい。とりあえずは、ここでも万葉集が参考になる。

畏みと告らずありしをみ越道の手向けに立ちて妹が名告りつ(3730)
かしこみと,のらずありしを,みこしぢの,たむけにたちて,いもがなのりつ

 題詞は「中臣朝臣宅守与狭野弟上娘子贈答歌」、巻十五の後半六十三首があてられている。従五位下の下級貴族、中臣宅守(やかもり)は妻の狭野弟上娘子(おとがみのをとめ)を都に残して越前に流されたのである。罪状は分からない。宅守は一年半ばで流罪を解かれて都に帰り、二人の歌が記録に留められることになる。

君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも(3724)
きみがゆく,みちのながてを,くりたたね,やきほろぼさむ,あめのひもがも

 この道さえ消えてなくなればという、狭野弟上娘子のこの激情に引き寄せられたような六十三首であるが、二人の贈答歌を物語風に仕立てたのは家持であろう。

 宅守が、ついに耐えられなくなって狭野弟上娘子の名を口にしてしまったのが「手向け」であり、み越道、越前に向かう峠、ここを越えれば再び帰ることが叶わないかもしれない、そこから先は見知らぬ異国である。山道を上りきったところで、捧げものをして道中の無事を祈る、それが手向け、峠である。

 峠越えには必死の思いが込められている。梅原猛の人麻呂流人説が仮に成り立つとしても、その妻、依羅娘子を伴って都を離れたとするのは、どこかに本質的な錯誤があるのかもしれない。情愛故に敢えて峠越えに妻を伴ったりはしないと考えるのが自然である。

閑話休題

 このところ、東京と信州浅間山麓を往ったり来たりしている。長野新幹線で関東平野を北上して碓氷峠を越えると信州となる。東山道の名だたる難所も今やどうということもない。日本武尊が坂東平定の後、妻を偲んで「あづまはや」と詠ったのが、この碓氷峠であるが、話題にしたいのは現在の碓氷峠であり、吾妻の中心、東京と、峠の向こう、信州との対照がなかなか面白く、往復する度に色々様々考えさせられる。

 峠の向こうには信濃毎日新聞という地方紙がある。信州ではどこへ行っても信毎で、読売、朝日、毎日などはまず見かけない。その信毎の文化欄一面のほぼ半分、千数百字ほども使って週一回の連載が、中断はあるものの二十年以上も続いている。エッセーの書き手は内山節、1950年東京生まれの哲学者、釣り好きが高じて、信州とは峠のこちら側、上州の山間に居を構えている。哲学という、それ自体が今や懐かしいのだが、哲学者のエッセーが今時これだけ続く、それを支える読者がいるというのは、さすが信州というか、峠の向こうだけのことはある。峠の向こうの住人は呆れるほど気が長い。目を血走らせて物珍しさを追いかけたり、そんな忙しないことは誰もしない。

 峠の向こうとこっちを往復している間に、いつの間にかすっかり内山ファンになってしまい、古い連載分も今少しずつ読み返している。以下、その感想のようなもので、テーマも多岐にわたっているので、これも万葉集同様、しばらくは続きそうな気がする。今回はその第一回目。

 連載時には『哲学の構想力~「仕事」をめぐって』となっていた、一昨年とその前年の連載分は昨年『戦争という仕事』の表題で出版されている。戦争や政治といった「仕事」も含めて、現代のそれが、どこか手応えの感じられない、生活から遊離してものに次第に変わってきた、その背景を丁寧になぞっている。

 参議院選挙を間近にして、峠の向こうでもこっちでも、この時期ばかりは政治はごく身近にある。政治という「仕事」は、選挙を通してみると実に分かりやすい。ウグイス嬢や政党のCM制作のようなものから、予想や分析・評論等々、行政や当の政治家以外に、その周辺に様々な業態が派生しており、これらはすべて政治という「仕事」に含めてよい。

 内山は、これら政治という「仕事」に欠かせない能力はデマゴーグのそれだという。皮肉や当てつけではなく、今の時代、政治家はデマゴーグたる外ない。確かに口下手では、政治という「仕事」は勤まらない。与党も野党もその点に変わりはない。テロとの戦争の「正義」であろうが、「改革」であろうが、たちどころに色あせ説得力を失って行く。大儀をかざしたその鎧の下から、次から次へぽろぽろと、あられもない本音がこぼれ落ちてしまう。元々空虚なものが粉飾を凝らしていたにすぎないのである。

 デマゴーグは古代ギリシャ都市国家の民衆政治家である。演説の能力に優れ、民衆の支持を得はするものの、権力の維持に腐心する以外に政治の目的があるわけではない。政治が人の身の丈を越えて手に負えないものに化してしまうと、政治家はデマゴーグたる外ない。政治は時代に応じて変わっては行かざるをえない。しかし、その流れに政治家が関わっているかといえば、どうもそうでもない。関わり様がないのである。政治家のみならず、誰もが自分の事情と都合でしか政治と関わっていない。状況的にはどうもそんなやっかいな時代に、われわれは行き合わせてしまったらしい。

 内山の言おうとする点は何となくは分かる。それはそれとして眼前の選挙はどうする。デマゴーグは仕方がないとして、それ以外の能力や資質も少しは持ち合わせているらしき、そんな候補はいないものか。(つづく)