かんながら寒九の水で鎌を研ぐ 柏木豊
か音が連なり耳に入りやすい。寒の入り九日目の水はとりわけ冷たく五臓六腑に染み渡る。それが滋養とは、言われてみれば納得の外ない。いかにもそんな気がする。その寒九の水で今はただ黙々と鎌を研ぐ。累代変わることのない、農の光景を凝縮すれば、こんな風になるのかもしれない。「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」神意でもあるかのように、それを当たり前のこととして受け入れてきたのであり、厳冬の今、ひたすらやがて野に出る支度に余念がない。
根性のないことに、今年も越冬は峠のこちら側、むこうはやはり寒すぎる。ついでに、近世の秀句を三つあげてみる。「両の手に朝茶を握る寒さかな」(杉風)「叱られて次の間へ出る寒さかな」(支考)「くらき夜はくらきかぎりの寒さかな」(白雄) 屁理屈を承知で言うのだが、暖房のきいた室内で、蛇口をひねれば湯が出るようになってしまえば、骨に響くような、身の内を凍らせるような寒さの感覚も失せてしまうのであろう。柏木も含めて、上の句はすきま風や井戸水あっての句なのかもしれない。
たまたまなのだが、近世の写本『白川家政録』『温知政要』が今手もとにある。虫食いだらけの崩し字を、つかえつかえゆっくり読んでいくと、却って書き手の息づかいまでが伝わってきて面白い。著者は松平定信と徳川宗春、どちらも教科書でお馴染みで、吉宗の治世を再現しようとした、その孫の、将軍であってもおかしくない老中首座と、その吉宗に異を唱えた、これも将軍になれたかもしれない尾張藩主。一国の政治を与るものとして、施政の方針と心得を説いており、内容は平易で、ごく分かりやすい。驚かされるのは、これがそれぞれ二十代、三十代の中半に書かれていることで 、その早熟、成熟さ加減であり、いずれもその立場の英才教育の最良の部分を体現しているのであろう。定信のものなどは、藩政の表裏を知り尽くした老人の物語としか読めないのだが、年譜上二十代のものとしかなりようがない。
上下構造の身分制社会では、その頂点に近いほど、公私の公の部分をより多く担い、その自覚を強くせざるを得ないのであろう。儒教の倫理と教養が、それを支えてきたことはいうまでもない。資質や人柄につきるのであろうが、いずれもその公の自覚と、それに伴う自律といった点で、政治一般ではなく、政治家なるものを考える時に、今でも十分参考になりそうな気がする。
温暖化というようなことまでもが加わって、井戸水とも、すきま風とも無縁な今の時代、寒さと言っても、近世のそれとは体感上同じわけがない。公の自覚といった点においても然り。身分制社会には、一方で今との比較の上で言えば、厳冬期の寒気にも似て、公の自覚や自律がより厳しく問われ、現に存在したにきまっている。片や、社会の隅々どこまでもが公私の境がぐじゅずじゅになり、私の部分だけが異様に肥大化してしまったのが昨今であり、これは特に、この数年、十年については特筆されてよい。それが何によるものかも、ここで繰り返すまでもない。
百年に一度の景気の落ち込みより、危機はむしろこちらの方ではないのか。気づいてみれば、公を担う自覚が社会からすっかり抜け落ち、それが代わってどこからも育ちようのない社会が目の前に現れていたとしたら、これ以上の危機はない。公の自覚のないところに、国と言わず社会が成り立つわけもない。
今回の騒動の大本のアメリカに、まだ救いが残されているのは、このままではだめという危機感を共有し、チェンジという単純明快なメッセージを大多数が理解できていることであり、公の自覚、使命を自覚した、それを発する人材が底をついていないことにある。求められているのは攻守所を変えたチェンジであり、変革でも改革でもないのであろう。天命が革まるほどの変化が今の政治にはありえようはずがない。そもそも、そんなものがあり得た試しはない。片や、この国においては、ということなのだが、今更言う気にもなれない。
定信などが見事なのは、質素倹約を説き、時に棄捐令のような無茶のものまで持ち出したにしても、その限界も分かっていたらしいことであり、享保、寛政の改革といった困難な時代を生き延び、自らの生涯を全うする、政治家としての身の処し方もちゃんと心得ていたらしいことであり、これは自覚なくしてそう簡単なことではない。
以下、慣れない崩し字でどこまで読み解けているか覚束ないのだが、少しだけ宗春の『温知政要』から切れ切れに引用してみる。
総じて人には好悪の物あることなり。衣服、食物を始め、物好きそれぞれに変わるものなり。しかるを我が好むことは人にも好ませ、我が嫌なることは人にも嫌わせ候ようにしなすは、甚だ狭きことにて、人は上たる者、別してあるまじきことなり。その中に嬉しきこと、嫌なことは本心より出ること故、万人寄りても変わらぬものなり。さある上は、我に嬉しきことは人にも嬉しかるべし。我が心に悲しくいやなることは、人にも同じくその通りなるべし。
万の法度、号令、年々多くなるに従い、自ずから背く者もまた多く出できて、いよいよ法令繁く煩わしきことになりたり。かくの様子にて数十年を経るならば、後には声高には話しすることも遠慮あるようになり、あげくは夜寝る間もなきように成り行かん。第一法令多過ぎれば、人の心勇みなく狭くいじけて、道を歩くにも後先を見るようになり、常住述懐のみにて暮らす。さあれば、その品々をとくと考え、人の難儀差し支えにもなるべきこと、総じて細かなる類は除き、止めるようにしたきものなり。万の事、取り扱い少なければ、努めることも守ることもしやすく、法度の数減ずれば、背く者も稀にして、心も優に諸芸も励み嗜むようになる。
世間の様子つらつら考え見るに、何事にも用いらるべき者、未だ志を得たる初めの程は、我にて事執り行う役儀にも成りたらば、上の御為、下の為にも、万事滞らず程よく仕りてみせんと、心に思い口にも言うなどして、もとから器用に申せども、その職になると否、常々の心とは大いに違い始め、嗤い、譏り先と少しも変わることなく、却って前々の同輩の害になることばかり思慮するようになること、必ずあるは、皆々私欲、卑賤の心から、思案変わるなり。さあれば、最初の存念、工夫も、中半ならざる内に、必ず挫けるものと見ゆるを、慎み、恐るべきことなり。
簡略、倹約の義は家を治るの根本なれば、もっとも相努めるべきことなり。第一、国の用脚不足にては万事差し支えるのみにて、困窮の至極となる。さりながら、正理に違いて、めったに簡略するばかりにては、慈悲の心薄くなりて、覚えず知らず無徳不仁なる仕方出で来たりて、諸人とも痛み苦しみ、簡略却って益なき費えとなることあり。人の益にもならぬ奢りを省き一つ二つにて済ましめ、物をあまた拵え、未だ用いられるる物をむざとあらため申しつく類、常住平生の事に勘弁、工夫ありたきことなり。
宜しからぬ事にても数年久しく経れば、定まりたる法のようになりて、目にも耳にも染めつき、気につかぬものなり。悪しき臭気は暫しも堪えられぬものなれども、年月慣れては脇にて思うほどは苦にならずとみゆる。一切の事もその通りにて、悪しきことを改め、宜しき筋に直りて、古来の作法に立ち戻る類のことも、心に服せずいろいろと批判して、迷惑なるように思うこともあるべし。大酒、大食い、淫乱我が儘に暮らせし者は、身を失い家を損なう第一なれども、これよりよき事なきと覚え、身の養生よりはじめ心行の嗜みは、人間長久の至極なるを、さてさて迷惑窮屈なると、心得違うと同じことなり。
昔も今も人の生まれて受け得たる所、気血はさして変わるもなきと見ゆる。古も七十に及びたる者は老人といい、早五十年の者は老人といわず、今とても同じことなり。然るに近来の十六七より二十にもなりたる若き輩を見るに、多くは顔色も悪しく、気根も薄く見え、寒暑にも一番にあたる。少しも食を喰い過ぎれば腹中ふさがり、仮初めのことにも楽たけく、口上にもただ弱りたることのみを言い暮らすようになりたり。
最後は今も変わらぬ、聞き慣れた愚痴なのだが、宗春は、子供に手っ取り早く楽をさせようとする教育が悪いのだという。その通りなのであろう。(つづく)
か音が連なり耳に入りやすい。寒の入り九日目の水はとりわけ冷たく五臓六腑に染み渡る。それが滋養とは、言われてみれば納得の外ない。いかにもそんな気がする。その寒九の水で今はただ黙々と鎌を研ぐ。累代変わることのない、農の光景を凝縮すれば、こんな風になるのかもしれない。「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」神意でもあるかのように、それを当たり前のこととして受け入れてきたのであり、厳冬の今、ひたすらやがて野に出る支度に余念がない。
根性のないことに、今年も越冬は峠のこちら側、むこうはやはり寒すぎる。ついでに、近世の秀句を三つあげてみる。「両の手に朝茶を握る寒さかな」(杉風)「叱られて次の間へ出る寒さかな」(支考)「くらき夜はくらきかぎりの寒さかな」(白雄) 屁理屈を承知で言うのだが、暖房のきいた室内で、蛇口をひねれば湯が出るようになってしまえば、骨に響くような、身の内を凍らせるような寒さの感覚も失せてしまうのであろう。柏木も含めて、上の句はすきま風や井戸水あっての句なのかもしれない。
たまたまなのだが、近世の写本『白川家政録』『温知政要』が今手もとにある。虫食いだらけの崩し字を、つかえつかえゆっくり読んでいくと、却って書き手の息づかいまでが伝わってきて面白い。著者は松平定信と徳川宗春、どちらも教科書でお馴染みで、吉宗の治世を再現しようとした、その孫の、将軍であってもおかしくない老中首座と、その吉宗に異を唱えた、これも将軍になれたかもしれない尾張藩主。一国の政治を与るものとして、施政の方針と心得を説いており、内容は平易で、ごく分かりやすい。驚かされるのは、これがそれぞれ二十代、三十代の中半に書かれていることで 、その早熟、成熟さ加減であり、いずれもその立場の英才教育の最良の部分を体現しているのであろう。定信のものなどは、藩政の表裏を知り尽くした老人の物語としか読めないのだが、年譜上二十代のものとしかなりようがない。
上下構造の身分制社会では、その頂点に近いほど、公私の公の部分をより多く担い、その自覚を強くせざるを得ないのであろう。儒教の倫理と教養が、それを支えてきたことはいうまでもない。資質や人柄につきるのであろうが、いずれもその公の自覚と、それに伴う自律といった点で、政治一般ではなく、政治家なるものを考える時に、今でも十分参考になりそうな気がする。
温暖化というようなことまでもが加わって、井戸水とも、すきま風とも無縁な今の時代、寒さと言っても、近世のそれとは体感上同じわけがない。公の自覚といった点においても然り。身分制社会には、一方で今との比較の上で言えば、厳冬期の寒気にも似て、公の自覚や自律がより厳しく問われ、現に存在したにきまっている。片や、社会の隅々どこまでもが公私の境がぐじゅずじゅになり、私の部分だけが異様に肥大化してしまったのが昨今であり、これは特に、この数年、十年については特筆されてよい。それが何によるものかも、ここで繰り返すまでもない。
百年に一度の景気の落ち込みより、危機はむしろこちらの方ではないのか。気づいてみれば、公を担う自覚が社会からすっかり抜け落ち、それが代わってどこからも育ちようのない社会が目の前に現れていたとしたら、これ以上の危機はない。公の自覚のないところに、国と言わず社会が成り立つわけもない。
今回の騒動の大本のアメリカに、まだ救いが残されているのは、このままではだめという危機感を共有し、チェンジという単純明快なメッセージを大多数が理解できていることであり、公の自覚、使命を自覚した、それを発する人材が底をついていないことにある。求められているのは攻守所を変えたチェンジであり、変革でも改革でもないのであろう。天命が革まるほどの変化が今の政治にはありえようはずがない。そもそも、そんなものがあり得た試しはない。片や、この国においては、ということなのだが、今更言う気にもなれない。
定信などが見事なのは、質素倹約を説き、時に棄捐令のような無茶のものまで持ち出したにしても、その限界も分かっていたらしいことであり、享保、寛政の改革といった困難な時代を生き延び、自らの生涯を全うする、政治家としての身の処し方もちゃんと心得ていたらしいことであり、これは自覚なくしてそう簡単なことではない。
以下、慣れない崩し字でどこまで読み解けているか覚束ないのだが、少しだけ宗春の『温知政要』から切れ切れに引用してみる。
総じて人には好悪の物あることなり。衣服、食物を始め、物好きそれぞれに変わるものなり。しかるを我が好むことは人にも好ませ、我が嫌なることは人にも嫌わせ候ようにしなすは、甚だ狭きことにて、人は上たる者、別してあるまじきことなり。その中に嬉しきこと、嫌なことは本心より出ること故、万人寄りても変わらぬものなり。さある上は、我に嬉しきことは人にも嬉しかるべし。我が心に悲しくいやなることは、人にも同じくその通りなるべし。
万の法度、号令、年々多くなるに従い、自ずから背く者もまた多く出できて、いよいよ法令繁く煩わしきことになりたり。かくの様子にて数十年を経るならば、後には声高には話しすることも遠慮あるようになり、あげくは夜寝る間もなきように成り行かん。第一法令多過ぎれば、人の心勇みなく狭くいじけて、道を歩くにも後先を見るようになり、常住述懐のみにて暮らす。さあれば、その品々をとくと考え、人の難儀差し支えにもなるべきこと、総じて細かなる類は除き、止めるようにしたきものなり。万の事、取り扱い少なければ、努めることも守ることもしやすく、法度の数減ずれば、背く者も稀にして、心も優に諸芸も励み嗜むようになる。
世間の様子つらつら考え見るに、何事にも用いらるべき者、未だ志を得たる初めの程は、我にて事執り行う役儀にも成りたらば、上の御為、下の為にも、万事滞らず程よく仕りてみせんと、心に思い口にも言うなどして、もとから器用に申せども、その職になると否、常々の心とは大いに違い始め、嗤い、譏り先と少しも変わることなく、却って前々の同輩の害になることばかり思慮するようになること、必ずあるは、皆々私欲、卑賤の心から、思案変わるなり。さあれば、最初の存念、工夫も、中半ならざる内に、必ず挫けるものと見ゆるを、慎み、恐るべきことなり。
簡略、倹約の義は家を治るの根本なれば、もっとも相努めるべきことなり。第一、国の用脚不足にては万事差し支えるのみにて、困窮の至極となる。さりながら、正理に違いて、めったに簡略するばかりにては、慈悲の心薄くなりて、覚えず知らず無徳不仁なる仕方出で来たりて、諸人とも痛み苦しみ、簡略却って益なき費えとなることあり。人の益にもならぬ奢りを省き一つ二つにて済ましめ、物をあまた拵え、未だ用いられるる物をむざとあらため申しつく類、常住平生の事に勘弁、工夫ありたきことなり。
宜しからぬ事にても数年久しく経れば、定まりたる法のようになりて、目にも耳にも染めつき、気につかぬものなり。悪しき臭気は暫しも堪えられぬものなれども、年月慣れては脇にて思うほどは苦にならずとみゆる。一切の事もその通りにて、悪しきことを改め、宜しき筋に直りて、古来の作法に立ち戻る類のことも、心に服せずいろいろと批判して、迷惑なるように思うこともあるべし。大酒、大食い、淫乱我が儘に暮らせし者は、身を失い家を損なう第一なれども、これよりよき事なきと覚え、身の養生よりはじめ心行の嗜みは、人間長久の至極なるを、さてさて迷惑窮屈なると、心得違うと同じことなり。
昔も今も人の生まれて受け得たる所、気血はさして変わるもなきと見ゆる。古も七十に及びたる者は老人といい、早五十年の者は老人といわず、今とても同じことなり。然るに近来の十六七より二十にもなりたる若き輩を見るに、多くは顔色も悪しく、気根も薄く見え、寒暑にも一番にあたる。少しも食を喰い過ぎれば腹中ふさがり、仮初めのことにも楽たけく、口上にもただ弱りたることのみを言い暮らすようになりたり。
最後は今も変わらぬ、聞き慣れた愚痴なのだが、宗春は、子供に手っ取り早く楽をさせようとする教育が悪いのだという。その通りなのであろう。(つづく)