だいぢのEasyBassing

初めはバス釣行記のブログだったんですが…。
関東を中心に釣りや散策に出掛けていましたが…。
熊本県民になりました。

貝洲加藤神社 (熊本県八代市)

2022年03月23日 | 散策記
貝洲加藤神社(かいずかとうじんじゃ)は、熊本県八代市鏡町に鎮座する神社で、創建は1822年(文政5年)、祭神は加藤清正である。

 
一の鳥居                               二の鳥居

神社の鎮座する八代市鏡町は、かつては海に面した湿地が広がり、農業には向かない土地であったが、
村役人の最上位の惣庄屋であった鹿子木量平(かなこぎりょうへい)によって、
干拓工事がなされ現在は熊本県内で有数の農業地帯となっている。

その工事の際に、鹿子木量平は土木工事や灌漑治水工事の先駆者として名高かった加藤清正の墓前で成功を祈願し、
工事完了後の1822年(文政5年)に、加藤清正を祀る本妙寺浄池廟より分霊を勧請し、この地に社殿を創建した。

 
熊本城内にある加藤神社よりも前に創建された加藤清正を祀る神社のようだ。

(現地解説板)
   貝洲加藤神社鎮座由来
御祭神 藤原朝臣清正公(加藤清正公)
例祭日 9月24日
 由緒
 当社は、安土桃山時代に活躍された武将加藤清正公(1562年~1611年)を祭神として御祀りしている。
清正公は武勲の誉れとともに、土木や灌漑治水にも手腕を発揮された方でもある。
 19世紀初頭江戸時代末期の文化年間に、御国一の貧地と云われた野津手永の惣庄屋に着任した鹿子木量平翁が、
人民の困窮を救わんと新地開きを計画した時に、崇拝する清正公の霊廟に『大願成就のあかつきには新地の氏神様として勧請し
永世に御祀り申し上げる』との願を掛けられ、工事に着工したことに由来する。
 量平翁は息子謙之助と共に、文化2年(1805年)から文政5年(1822年)にかけての17年間に、100町、400町、700町と
三つの新地を次々と干拓する。
 文政5年9月22日に、渓玉院日珖上人以下僧や信者数十名に守られて本妙寺を出発した清正公の神霊を奉じた神輿は、
同月24日に神殿に御鎮まりになった。当時新しい社寺の建立は禁止されていたが、藩主細川斎茲公の特別のお許しにより土地を賜り、
『侍屋敷の鎮守』の邸内産土神として勧請された。明治3年には村社に列せられる。
 境内には末社として本殿向かって右に市杵嶋姫神を祀る貝洲神社と、向かって左の綿津見大神を祀る和合神社がある。
 また鹿子木量平翁は、鏡町両出にある文政神社の祭神として御祀りされている。

【神社データ】
名称:「貝洲加藤神社」
所在地:熊本県八代市鏡町貝洲699
主祭神:加藤清正
社格等:村社
創建:1822年(文政5年)
駐車場:有(無料)
コメント    この記事についてブログを書く
« 曽畑貝塚 (熊本県宇土市) | トップ | 市房ダム 2022年 桜 (熊本県... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。