今回は熊本県芦北町(あしきたまち)に行ったついでに、国指定史跡「佐敷城跡」に寄ってみた。
佐敷町の高台には石垣が復元された佐敷城跡の姿が見える。
佐敷城(さしきじょう)は、豊臣秀吉の九州平定に伴い1588年(天正16年)に加藤清正が島津氏に備えて
薩摩・肥後の国境防備のために、肥後国の南部(現在の熊本県葦北郡芦北町)に築いた梯郭式の山城である。
島津氏と2度にわたり戦の場となったが落城せず、関ケ原の戦い後も整備が進められたが、
1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となり石垣を崩された。
本丸・二の丸・三の丸は総石垣造りである。 一国一城令により崩された石垣は復元されている。
一国一城令による破壊の実態、天下泰平銘鬼瓦などの遺物が出土するなど、
近世初頭の政治・軍事を理解するうえで貴重な遺跡として、国の史跡に指定されている。
城跡からは旧城下町の他、不知火海や天草諸島を一望できる。
また、佐敷城の城下は薩摩と肥後を結ぶ薩摩街道が通る交通の要所であった。
現在は当時の街並みが一部再現されているほか、登録有形文化財(建造物)である芦北町立武徳殿、
佐敷城跡から出土した「天下泰平國土安隠」銘の鬼瓦の実物400倍の巨大なモニュメントが建てられている。
芦北町立武徳殿 「天下泰平國土安隠」銘の鬼瓦の実物400倍の巨大なモニュメント
佐敷城跡を散策したあとは、近くにある道の駅「芦北 でこぽん」にも寄ってみた。
芦北町は温暖な気候を生かして不知火(デコポン)や甘夏の産地になっているようだ。
道の駅「芦北 でこぽん」 でこぽんソフトクリーム
また、芦北町は漁業も盛んな町で、漁協直営の「えび庵」では、
不知火海産の足赤えびや石えびなどの新鮮な海の幸を食べることができる。
漁協直営の食堂「えび庵」 不知火海はタチウオも有名のようだ。
芦北町は引越し先の八代市の南側に位置する町で、車で30分ちょっとと、
そんなに遠くはないので度々訪れそうである。
【城郭データ】
名称:国指定史跡「佐敷城跡」
所在地:熊本県葦北郡芦北町大字佐敷字中丁49番1号ほか
城郭構造:梯郭式山城
築造主:加藤清正
築造年:1588年(天正16年)
主要城主:加藤重次
廃城年:1615年(元和元年)
遺構:曲輪、石垣
公開時間:常時開放
駐車場:無料駐車場あり
佐敷町の高台には石垣が復元された佐敷城跡の姿が見える。
佐敷城(さしきじょう)は、豊臣秀吉の九州平定に伴い1588年(天正16年)に加藤清正が島津氏に備えて
薩摩・肥後の国境防備のために、肥後国の南部(現在の熊本県葦北郡芦北町)に築いた梯郭式の山城である。
島津氏と2度にわたり戦の場となったが落城せず、関ケ原の戦い後も整備が進められたが、
1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となり石垣を崩された。
本丸・二の丸・三の丸は総石垣造りである。 一国一城令により崩された石垣は復元されている。
一国一城令による破壊の実態、天下泰平銘鬼瓦などの遺物が出土するなど、
近世初頭の政治・軍事を理解するうえで貴重な遺跡として、国の史跡に指定されている。
城跡からは旧城下町の他、不知火海や天草諸島を一望できる。
また、佐敷城の城下は薩摩と肥後を結ぶ薩摩街道が通る交通の要所であった。
現在は当時の街並みが一部再現されているほか、登録有形文化財(建造物)である芦北町立武徳殿、
佐敷城跡から出土した「天下泰平國土安隠」銘の鬼瓦の実物400倍の巨大なモニュメントが建てられている。
芦北町立武徳殿 「天下泰平國土安隠」銘の鬼瓦の実物400倍の巨大なモニュメント
佐敷城跡を散策したあとは、近くにある道の駅「芦北 でこぽん」にも寄ってみた。
芦北町は温暖な気候を生かして不知火(デコポン)や甘夏の産地になっているようだ。
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また、芦北町は漁業も盛んな町で、漁協直営の「えび庵」では、
不知火海産の足赤えびや石えびなどの新鮮な海の幸を食べることができる。
漁協直営の食堂「えび庵」 不知火海はタチウオも有名のようだ。
芦北町は引越し先の八代市の南側に位置する町で、車で30分ちょっとと、
そんなに遠くはないので度々訪れそうである。
【城郭データ】
名称:国指定史跡「佐敷城跡」
所在地:熊本県葦北郡芦北町大字佐敷字中丁49番1号ほか
城郭構造:梯郭式山城
築造主:加藤清正
築造年:1588年(天正16年)
主要城主:加藤重次
廃城年:1615年(元和元年)
遺構:曲輪、石垣
公開時間:常時開放
駐車場:無料駐車場あり