今回は、熊本県八代市妙見町に位置する日蓮宗泉福山宗覚寺にある加藤忠正の墓に訪れてみた。
宗覚寺は妙見祭が行われる八代神社の下宮と中宮の間、水無川沿いに位置する。
宗覚寺は、1608年(慶長13年)加藤清正が嫡男忠正の菩提寺として、この地に建立した泉福山本成寺が八代城下に移転し、
草庵になっていたため、1683年(元和3年)細川綱利が、本堂を建立して忠正の法名「理性院殿宗覚日等大居士」からとって宗覚寺と改めた。
山門以外当時の建物は西南役の兵火で全焼し、現在の本堂は明治18年頃の再建とのことである。
加藤忠正は、父は加藤清正・母は菊池武宗の娘本覚院で、清正の長男が早世したので嫡男として1599年(慶長4年)に生まれたが、
1607年(慶長12年)に疱瘡にかかり江戸屋敷で9歳の若さで亡くなった。
山の中へ続く階段を上った境内東の丘上に、加藤忠正の墓がある。
(現地解説板)
【市指定史跡加藤忠正の墓】
加藤主計頭忠正の墓
加藤主計頭忠正は加藤清正の嫡男で幼名は熊之助、 将軍秀忠の一字を賜り忠正と名のり、
慶長12年(1607) 5月27日 江戸屋敷で疱瘡にかかり死亡し父母の霊夢により当初に墓所がえらばれ
瓦葺のお霊屋内に五輪塔が祀られている。
塔銘は各輪に太字で 「妙法蓮華経」 地輪正面に 「慶長十二丁末正月二七日」 加藤主計頭宝塔と陰刻してある。
五輪の塔の 石材は桃山式石造塔婆の代表作である。
令和3(2021)年3月吉日 八代市教育委員会
宗覚寺に隣接する、懐良親王の菩提寺である中宮山悟真寺(八代市指定有形文化財・建造物)にも寄ってみた。
イチョウの落ち葉が敷き詰められ綺麗であった。
【散策地データ】
名称:「加藤忠正の墓」
所在地: 熊本県八代市妙見町2445
形態:墓所
見学可能時間:常時開放
駐車場:有(無料)
宗覚寺は妙見祭が行われる八代神社の下宮と中宮の間、水無川沿いに位置する。
宗覚寺は、1608年(慶長13年)加藤清正が嫡男忠正の菩提寺として、この地に建立した泉福山本成寺が八代城下に移転し、
草庵になっていたため、1683年(元和3年)細川綱利が、本堂を建立して忠正の法名「理性院殿宗覚日等大居士」からとって宗覚寺と改めた。
山門以外当時の建物は西南役の兵火で全焼し、現在の本堂は明治18年頃の再建とのことである。
加藤忠正は、父は加藤清正・母は菊池武宗の娘本覚院で、清正の長男が早世したので嫡男として1599年(慶長4年)に生まれたが、
1607年(慶長12年)に疱瘡にかかり江戸屋敷で9歳の若さで亡くなった。
山の中へ続く階段を上った境内東の丘上に、加藤忠正の墓がある。
(現地解説板)
【市指定史跡加藤忠正の墓】
加藤主計頭忠正の墓
加藤主計頭忠正は加藤清正の嫡男で幼名は熊之助、 将軍秀忠の一字を賜り忠正と名のり、
慶長12年(1607) 5月27日 江戸屋敷で疱瘡にかかり死亡し父母の霊夢により当初に墓所がえらばれ
瓦葺のお霊屋内に五輪塔が祀られている。
塔銘は各輪に太字で 「妙法蓮華経」 地輪正面に 「慶長十二丁末正月二七日」 加藤主計頭宝塔と陰刻してある。
五輪の塔の 石材は桃山式石造塔婆の代表作である。
令和3(2021)年3月吉日 八代市教育委員会
宗覚寺に隣接する、懐良親王の菩提寺である中宮山悟真寺(八代市指定有形文化財・建造物)にも寄ってみた。
イチョウの落ち葉が敷き詰められ綺麗であった。
【散策地データ】
名称:「加藤忠正の墓」
所在地: 熊本県八代市妙見町2445
形態:墓所
見学可能時間:常時開放
駐車場:有(無料)